一年後(2)

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<手術から1年>

手術から1年ということで、退院後2回目の検診がやってきました。今回も半年前と同じ検査をしました。

<検査初日(5月25日,術後357日)>

上腹部エコー:朝食は絶食です。いつも通勤するのと同じ時刻に起き、朝食を摂れないので普段より早く家を出て病院へ行ったところ、8時半頃に病院へ着きました。O府立成人病センターは9時から診療ですが、その時すでにもう3人くらいの患者さんが待っていました。9時検査開始だとまだだいぶ待たされるな、と思っていると、担当の先生は早めに検査を始められ、自分にも9時前に検査が回ってきました。
検査は暖めてあるオイルを刷毛でお腹に塗るところからはじまりました。大きめのプローブを何回も腹に当て、
「息を吸って。はい止めて。」「息を吸って。はい止めて。」
この繰り返しです。途中で小さめのプローブに変えたり、また横腹側から調べるために左側を下にする向きに身体を向き変えたりしながら検査は行われます。
入院前・半年前、そして今回は3回目のエコーで、すっかり慣れました。そして変わったことは特に何もなく、10分程度で検査は終わりました。

胸部X線検査:O府立成人病センターでは、胸部X線検査は特に必要ありません。今回も、エコー終了後にエコー検査受付で
「胸部X線検査の指示が出ていますが、今日受けていきますか」
「ハイ」
という簡単な会話で検査に行っています(もちろん、指示が出ているからすぐに受け付けてくれるわけですが)。X線の受付で診療カードとエコーから預かってきたフィルムを出し、廊下で待つこと約5分。脱衣室に呼ばれて服を脱ぐ間もなくすぐ検査室に呼ばれ、ものの1分で終了です。確かに会社や人間ドックで受けている胸部X線も大量生産方式で行われていますが、ここもまったく同じです。胃の直接撮影では結構しっかりやると思うのですが。

便検査・尿検査・血液検査:病院に検査に来た人の多くが検査に来るところのようで、ここはいつも混んでいます。便は昨日と今日の朝の分をあらかじめ渡された容器に取って置き、朝からずっと鞄の中で運んできたのをようやくここで出すことができました。便を出すとすぐ横で、尿と血液の検査をするための番号札を貰います。9時30分にもなっていないのに貰った札は80番台の札です。そしてまだ40番台の人が検査をしていました。このため待つこと30分以上、ようやく順番が回ってきました。確かに前回12月の時も結構待たされていました。この病院では「エコー」->「X線」->「血液検査」と回るのではなく、「エコー」->「血液検査」の番号取り->「X線」->「血液検査」と回るべきでした。番号が呼ばれた時にいない人が何人もいましたが、きっとそんな回り方をしている人がたくさんいるのでしょう。次回は自分も忘れないようにしたいものです。
4名くらいの看護婦さんが並んで採血をしており、今回は3サンプルの血液を採りました。確か初めてここで検査をしたときは、5サンプルくらいとったような記憶が残っています。私自身は血管が太くすぐ採血が終わる方なので全く苦労はありませんが、隣で採血していた20台くらいの女性は血管が出てこないようで、自分で腕を叩いていました。おっと、こんなことを見ていると会社のフレックス制コアタイムに遅れてしまいます。

<6月3日(術後366日)>

今年2000年はうるう年だったので、術後1年は366日目になってしまいました。今日は土曜日。1年前は木曜日で手術があり、金曜日に1日寝ていて土曜日にはもう歩いてトイレに行っていたな、などと思い出します。366日なので2日間ずれている、確かに記憶と実際があっている。妙な安心感があります。久しぶりに傷口の写真を撮ってもらう。フォトギャラリーも久しぶりにアップデートです。

<検査第二日(6月6日,術後369日)>

上部内視鏡検査:いままでほとんど木曜日に内視鏡検査をして貰っていましたが、今回は初めて火曜日の検査です。火曜日のためか、それとも年度が変わって職場配置が変わったのか判りませんが、なんとなくいつもと看護婦さんや医師の方の顔ぶれが違うようです。今日もエコーの時と同じ理由、つまり朝食抜きで早く家を出たため、8時30分過ぎくらいには病院に着いていました。

前回11月末の検査の時には「残渣がありますね。もう少し早く食事を摂って下さい。」と言われていたので、今回は心持ち早く食事をとりました。といっても今回も実際には夜9時半過ぎ。やはり少し遅かったみたいです。それでも「朝も2杯くらいならば水を飲んできても大丈夫なので」と前回言われていたので、その通り水を飲んで、前の晩も水分をとって胃の中をきれいにすることに心がけたつもりではありました。

今回は病院についたのが早かったせいもあり、3番目か4番目くらいで名前が呼ばれました。「胃をきれいにする水薬」をいつものようにまず飲み、腕の肩近くに筋肉注射をし検査室に呼ばれます。内視鏡はこの病院で5回目なので、この風景は見慣れたものです。看護婦さんが案内する前に、あまりにスタスタと部屋に入っていくもので、看護婦さんの方がかえって驚いて「随分と慣れてますね」と声をかけてくれました。
今日の先生はこの病院で自分と関わる初めて女性の先生。ベッドの上でスプレー式ののどの麻酔をしてもらい、そろそろと検査が始まる。「ハイ楽にして、飲み込んでください」
入院中に麻酔注射をしたとき以外はいつも苦しんでいましたが、今回は特に苦しく感じました。先生が下手というのではなく、かえって女性らしくやさしい感じではありましたが。犯人は「残渣」です。医師の先生もいきなり
「残渣がありますね。ちょっと見にくいので洗浄しますね」
と言って水分を入れ始めました。いつも内視鏡からのどに受ける刺激でときどきむせ返るのですが、今回は特に何度もむせてしまいました。そのたびに胃カメラの検査は中断します。
胃カメラの検査では唾液は飲み込まずにダラダラと流すように指示され今回もそのようにしていました。そのうち何回もむせていると、唾液だけでなく逆流してきた残渣が口に溜まり、これもダラダラと流します。この残渣は胃カメラのチューブが埋め尽くす食道の隙間を通って来る訳で、かなりひどくむせてゲーゲーと悶絶したのが判ります。「残渣」の口ざわりはややザラザラとした感じで、十分に消化できてはいないな、という舌触りでした。そのうちにやや内科医長が入ってきて、検査の様子を見守りはじめました。医長が
「はい、ちょっと身体の向きを変えることができるかな」
と言い身体を動かします。なんでもこれで胃の角度が変わり残渣を洗い流しやすくなってくるそうです。会社の医務室ではモニター画面を見る余裕がありましたが、今回はまったくそんな余裕がありませんでした。検査の先生が女性だったため、少し検査台が低く、モニターと離れていたのも原因だったかもしれませんが、それにしてもまったく余裕がなく苦しんだ記憶しかありません。

検査後、またまた「残渣があるので十分な検査が出来なかった」「昨日は何時に食事をしたのか」「水分は摂ったか」などと追求を受けました。幸いなことに「もう一度検査をしなければならない、というほどの事態ではなかった」そうです。またまた食事時刻についてはウソを言ってしまいました。ごめんなさい。
持参したタオルに付着した自分の吐瀉物を見ると、茶色でペーストに近い状態のものだったように見えました。舌触り的にはもっとざらついた物が出てきた感じだったのですが、その違いはなんなのでしょうか。持参したタオルは汚れたので病院で始末してもらうことにしたので、細かい分析をすることはできませんでした。

それにしても今回の検査は苦しく、いつも以上に目は涙目、声はガラガラ、鼻水が出そうだしそれはひどい状態でした。

<外科外来(6月14日,術後377日)>

今回の検診の最後、M先生の外科外来での診察です。

「どうですか、お変わりはないですか」
「ハイ。お蔭様で」
「食事はどうされていますか」
「量はまだ少なめですが、種類的には特にこれといった制限なくできています。」
「そうですか、やはり食事量は少なめですか」
「女性なみといったところでしょうか」
「では服を脱いでベッドに仰向けに寝てください。」

M先生が傷口や腹部を丁寧に触診する。

「はい、結構です。服を着てください。」

「検査結果などを見ますと特に問題になるところはありません。残渣があって、胃カメラで見えていないところがあるのでそこはなんとも言えませんが。身体を動かしたりして、見えるようにした範囲では特に問題となる箇所は無いようです。」
「残渣はひどいほどなのですか」
「幽門輪を残すと残渣が残ることが多いのでそれは仕方がないことですね。胃に溜めるために幽門輪を残しているのですから。患者さんによっては夕方6時7時に食べても残る人も居ますのでね。ところで食事は何時ごろとりましたか。」
「9時半ごろです。」
「それは遅すぎますね。検査の前の日はもう少し早くとるようにして下さい。」
「ところで残渣はどの辺にあるのですか。カメラを飲んですぐに残渣があると言われたので。食道からもう残渣があるのですか。」
「そんなことはありませんよ。胃の中の一部にあるだけです。ですから、洗浄したり動いてもらえば、ほとんど見えるようにはなるわけですね。」
「写真を見せていただくことはできますか。」
「実は写真はプリントアウトしていないのです。フィルム、これくらい(1cm程度の幅を指で作りながら)のフィルムを拡大して見ているのです。」
「結構高いですからね、プリントすると」
この投げかけには特に答えがありませんでしたが、多分1回の撮影分を全てプリントすると千円から数千円分かかるのでしょう。病院もコスト圧縮に大変です。

「貧血の方はどうですか。」
「血液検査もまったく問題は出ていません。それで次回は半年後で結構です。ああ、今回も半年あいていましたね。でも次回は各種の検査は無しで、外科外来だけ来て下さい。」
「内視鏡もしなくていいのですね。」
「ええ。一年後で構いませんよ。」
半年毎に検査を受けることになると思っていただけに、M先生の意外な言葉で気持ちが楽になりました。次は半年後に問診です。

<病棟>

M先生の診療後、1年ぶりに入院していた病棟の入り口まで行ってみました。今日は退院365日目です。ナースステーション(O府立成人病センターでは「看護婦詰所」と言っています。)の中を覗くと1年前にお世話になった看護婦さんの顔がちらほらと見受けられます。でも1年経つとほとんどの看護婦の方の名前はすぐ口に出てきません。中でも親しくしてくれたYさん(この名前も名札を見ながら思い出した)が、
「あれ、久しぶり。どうしたの今日は。」と話し掛けてくれる。「婦長さんなら、すぐ戻ると思うわよ。」
「婦長さんなんかどうでもいいんですよ。Yさんに会いに来たんだから。」と軽口で返す。
「うちの新しい娘(コ)、見た?」
「ああ、新人が入ってきたんですね。」

結局しばらく婦長さんを待つことにしました。患者さんをあまり見ないようにしながら婦長の帰りを待ちます。夜勤明けの看護婦さん二人が帰ろうとする。眼鏡をかけていたので気がつかなかったが、一人はとてもお世話になったOさん(9.インフォームドコンセントで登場)でした。
「今日はどうしたの。」
「退院して1年目の検査です。終わったので少し挨拶をと思って。」
(私はOさんは覚えていましたが、もう一人の看護婦Kさんの名前が思い出せずに、また向こうもこの1年で出会った何百の患者の一人である私の名前は思い出せないようでした。)

そんな会話をしていたところに婦長が戻ってきて、
「あ、こんにちは。スーツを着ているから判らなかったわ。元気そうね。」
「お蔭様で。」
「Tさんが作ってくれた()食事や入院の資料は、外科の外来で使っているわよ。」
「ああ、そうですか。ありがとうございます。」
婦長も忙しいのであと少し会話を交わして別れました。2人の看護婦さんと一緒にエレベータに乗りロビーへ。Kさんが、「Oさん、結婚するのよ。いよいよ年貢の納め時ね。」Oさん照れくさそうに笑う。エレベータは看護婦さんの更衣室等がある3階で止まり、二人は降りていく。

「お大事に。」
「Oさん、お幸せに。」

1年も経つとやはり世界は動いています。自分が働く会社も変わっているし、止まっているように見える病院も動いている。人同じからず、か。


注.

退院して1ヶ月の間に入院の手引き書みたいなものをPowerPointデータで作成し、婦長に預けていました。内容は

1)入院から退院までの日程
2)手術の準備(写真中心)
3)手術後の食事(写真中心)

です。入院時に「どんなものを持ってくればいいのか」「食事はどんなものなのだろう」と不安だったことから作成したものです。

(このページここまで)

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