想像していたのよりも遥かに柔らかく優しい感触────。触れた部分から伝わってくる希理子の

感触を澤村はそう感じていた。

 もうあの白い『何か』の正体がわかったのだから手を離さなければならないとはわかってはいるの

だが、その感触から与えられる気持ちよさに何だかそれが実行出来ない。

 自分よりちょうど一回りほど小さな、だけど女性にしてはかなり大柄な先輩マネージャーは痩せ過

ぎと誰からも評される自分と比べてもひけが取らぬ程無駄な贅肉など一切ついていない。そのことは

今さっき悪いとはほんの少しだけ思いつつも堪能させていただいたビキニ姿の時にも確認している。

 なのに柔らかい、男の自分とはあきらかに違う優しい、甘い感触───その髪から、全身からも伝

わってくる甘さにも澤村は思わず恍惚となる。

 直接肌と肌が触れあっている部分からはさらりとした、まさに絹のような滑らかさが伝えられ、そ

れが向かい合ったままであることによってますます潤みを帯びていく瞳と同様にしっとりと汗ばんで

いくのがわかる。だけどその感触すらイヤではない。

 もともと他人との直接的な、肌と肌が触れあうような接触が大嫌いな、少し潔癖性な気がある澤村

だが希理子の身体から伝わってくるその本来なら不快と感じるはずの感触もまったくもってイヤでは

ない。それどころかもっと感じたいと思ってしまう。実際に肌と肌が触れあっているそこの部分だけ

ではなく違う部分でも────今は互いの着ている布越しに触れあっているその部分でも、触れあっ

てさえいない部分でも同じようなのかと試してみたいと思ってしまう。

 そんなことを思わず無意識に考えてしまっていた澤村は希理子の背にまわしていた手をほんの少し

だけ動かしていた。ゆっくりと────でも確かに、布越しの肌の上を滑らせるように────味わ

うように。

「…!」

 次の瞬間、希理子がほんの少しだけびくりと身体を震わせた。ちょうどそのとき澤村の手がタンク

トップの下に身につけられたブラジャーで引っ掛かったのだ。それと同時に希理子の瞳が微かに揺れ

た。

 ますます潤みを帯びたその瞳の中に澤村は男である自分と女である希理子を確かに見た。甘く誘い

男を捕らえて離さない瞳にかすかに開いた官能的にわななく赤い唇────そのおそらく希理子にと

っては無意識な誘惑に澤村は微かに残った理性を奮い立たせた。

 飢えが、ある────その自覚は以前からあった。それは所詮オスでしかない男である自分がメス

である女に感じる特有な飢えの一種を確かに持っていることを澤村はしっかり意識していた。

 だが『一種』ではあったがその『飢え』は余りに特異だった。たった一人の相手に対してしか──

─今、自分の腕の中にいる女に対してしか反応しない特殊な『飢え』だった。

 初めて出会った時から希理子は特別だった。第一印象から最悪でこれから当分の間こんな女と付き

合っていかなければならないのかと真剣に自分をおとしいれた桜井を呪った程、澤村にとって希理子

は鬼門な存在だった。

 だけどその当時から希理子は特別だった。希理子は『イヤな女』でも『イヤな人間』でもなく『イ

ヤな希理子』だった。

 言葉では表現しにくいが他に類似例も類似品もない特別な、限定プレミアな存在として『希理子』

のことが気に入らなかった。いや、気に入らないというよりもむしろ気に入らないのだと思い込もう

としていた。

 もしも気に入ってしまえばその瞬間に自分は負けてしまうと無意識に警戒してしまっていたのかも

しれない────後から考えれば、そう思い返さざるを得ないほど、それほど希理子は『特別』だっ

た。

 だけど無意識のうちに希理子を拒もうとしていても気がつくと希理子は澤村の中にすっかり浸透し

てきてしまっていた。

 女らしくないどころか時には人間らしくすらないその性格や行動や言動も、イヤイヤ付き合ってい

るうちにそれが『希理子らしい』のだと気がついた。

 周囲の人間がいつしか希理子に惹かれ、認め、そしてそうだと認識するように澤村も希理子の『希

理子らしさ』にすっかりやられてしまっていた。だけどその時点ではまだ澤村にとっても希理子は

『特別な仲間』ではあったが『特別な女』ではなかった。そうだったのかも知れないが、自身にはそ

ういう認識は一切なかった。

 澤村が自身で希理子を『特別な女』として認識したのは希理子の声を聞いた時だった。

 インターハイの都予選での四ッ谷鵜の原戦の際に疲労のあまり倒れてしまったとき薄れゆく意識の

中で、ちょうどその時軽い肉離れを起こしてしまった成瀬をいったん希理子に取っては後輩にあた

り、自分から見れば先輩にあたるもう一人のマネージャー今川にゆだね、自分の様子を確認しに来た

時だった。

 あまりのけだるさに横になって身動き一つ取れない自分の顔をしゃがみこんで覗き込み、汗ばんだ

髪をその指先で軽く梳きながら希理子はこう言ったのだ。

『ゴメンね────』

 と。

 そしてそのとき確かに小さな雫───希理子が流した涙の結晶を感じたのだ。

 一瞬、どうして希理子がそんな言葉を言い、そして涙を流したのかわからなかったが遠くなってい

く声援の中でおそらく間違いないだろう答えを澤村は導きだしていた。

 自分の限界を無視してプレイし続けたのは自分なのに、誰にも気付かせなかったのは自分なのに希

理子はそれを見抜けなかったことを────倒れるまで澤村にプレイをし続けさせたことを気に病ん

でいたのだ。

 それがわかった時、澤村は自分自身が許せなかった。そんなに心配させてしまった自分を、後悔さ

せた自分を、涙を流させた自分を、澤村は自分で自分を許せなかった。

 だから何とか試合を勝利し、これから打ち上げに向かおうとしていた時に希理子に声を掛けたの

だ。

『……悪かったな、もうこんな無茶をしねぇ』

 と。

 自分でもらしくない言葉だと思ったし、何だか恥ずかしかったのでほとんど消え入りそうな声にな

ってしまっていた。おそらくそんな自分に対して希理子が何か言い返し、からかってくるのだと覚悟

も決めた。

『……ばぁーか、何らしくないコト言ってンだい』

 返ってきた言葉は確かに予想通りだった。だがそこから全然違っていた。

『あんたらがバカするときのためにあたしがいるんだろ?走れるだけ走ってな、やれる分だけやって

みな────もう二度とバカな暴走はさせないから』

 そう言って希理子はそっと自分に対して手をのばしてきた。横になっていたとき同様、その指先が

今度はシャワーで濡れたままだった前髪を微かに梳いた。

『覚悟しときな』

 希理子はそう言って微かに笑うと振り返りもせずに澤村の側を離れて行った。

 そのとき────颯爽と去っていく希理子の長い髪が風に揺れているのを見た時、澤村は初めて自

分の希理子に対する特別な感情を自覚した。

 去っていく前、微笑んでみせた希理子の瞳は微かにだが確かに潤んでいた。その瞳の中では言葉と

は裏腹な希理子が持っている弱い、誰にも触れさせないもろい部分が見えかくれしていた。

 その瞳の中に自分の姿が確かに映っているのを目にした時───だけどその瞳以外には微塵も自分

の弱さを映し出さない希理子のその姿を見た時、澤村は完全に自分の負けを確信してしまった。横暴

で凶暴で短気で粗忽で色気もから気もない凡そ一般的な女という概念からは遠く離れた年上の少女に

完全にうち負かされたのだとそのときハッキリと自覚した。───それが澤村にとって自分以外の誰

かを自分以上に大切に思った初めての瞬間だった。

 澤村が惹かれたのは強さだった。希理子の類い稀な強さだった。

 よくドラマや小説などでは気の強い女がほろりと見せた弱さやもろさを見て男が保護欲を掻き立て

られてそれで恋におちていくなどという設定があるが、澤村の場合それはまったく逆だった。

 人間誰しも弱い部分は持っている。そんなこと当然のことではないか。それにいちいち反応してい

ては死ぬまでに何度恋をせねばならないのかわからない。

 そしてそういう強い人間を装う人間が得てして味方を得る為にわざと弱い部分を見せるようなこと

があることを澤村はこの歳でもう何度も目撃してきていた。だからこそ弱さで同情を得ようなどとい

う人間に澤村は興味が涌かなかった。

 だけど希理子は違った。あきらかに違った。希理子は本気で恥じている。重なりあった瞳の奥で自

分が思わず見せてしまった希理子の奥を覗き込んでしまったことを気付かせてしまったその反応を見

て、希理子は本気で恥じていた。それは何も『見られたこと』を恥じたのではない、『見せてしまっ

たこと』を恥じたのだ───それが澤村にはハッキリとわかった。

 だからこそ澤村は希理子に惹かれた。どうしようもなく惹かれた。自分の目指す生き方をその華奢

な身体で体現しているようなその強さに───そして同時に他人の痛みまで自分のものとして感じて

しまう程のその優しさに澤村はどうしようもなく惹かれた。

 気がつくと愛していた。

 だからほとんど初めてといってもいい希理子との接触で澤村は自分がただの男に成り下がっている

のを感じていた。

 もっと知りたかった───もっともっと知りたかった。希理子を、希理子の感触を、希理子自身を

───。   

 だけどその想いが叶えられないことを自覚もしていた。澤村が出会った当初ただただ希理子のこと

が嫌いだったように希理子が自分のことを嫌っていると知っていたからだ。

 だから飢えていても、唯一己の飢えを満たすことが出来る存在が腕の中にいても、おいそれとそれ

には手を伸ばせない。それ以上深くは求められない。

 澤村は自分の欲を振り払うようにほんの一瞬だけ微かに、希理子に気付かれないように指先に力を

込めるとそのまま希理子の身体を自分から引き剥がそうとした。

 だがその前に希理子が口を開いた。

「───せっかくなのにさ、あんたへのプレゼント何も用意してないよ」

 見つめたままで固まってしまっていた視線の先で、希理子は確かにそう言った。

「なっ、何だよ、知ってたら何かくれるつもりだったとでも言うのかよ……」

 手を離すタイミングを失ってしまって、結局希理子を抱きしめたまま、澤村はあいかわらずの減ら

ず口を叩いた。

「……あっ、うん……だからさ、知っちまったからなんだけど、欲しいっていうんだったらさ、あげ

てもいいかなって思ってさ……」

 希理子にしては歯切れが悪い言葉でほんのすこしだけ澤村自身から視線をそらしながらぼそぼそと

言葉を紡ぎだす。

「へぇ、何をくれるってんだ?」

 澤村は希理子のその様子を幾分冷静さを欠いた頭でもすこしおかしいと思いつつもとりあえずそう

問いかける。

「……『あたし』」

「……はぁ?」

 希理子の口から出た思わぬ言葉に澤村は思わず目を見開く。

「……だから『あたし』って言ってるんだよ!……」

 顔をこれ以上ない程に真っ赤に赤らめながら希理子はもう一度、今度は比較的ハッキリと言い切っ

た。

「───……冗談、だろ……?」

 思わず声が震えた。

「何で、てめぇがそんなこと言い出すんだ?……」

 ひたすら信じられなかった。希理子のその夜目にもわかる真っ赤な姿にそれが現実なのだとはわか

っていても信じることなどできなかった。

「お前は俺のことなんざ嫌いなハズだろ?───大ッ嫌いなハズだろ……?!」

 言っている自分の言葉で澤村は傷付いていた。

「……ハハハ、そうだよ……そのとおり、だよ………」

 だけどそれ以上に希理子の方が傷付いていた。

「……あんまりあんたに可愛げがないから、大人の女としてからかってやろうと思ったんだよ……」

 懸命に声と表情が震えるのを押さえながら希理子はいつものからかうような笑みを浮かべた。だが

それはぎこちなく、それを自覚したのか希理子はさっと顔を背けるとするりと澤村の身体から自分の

身体を引き剥がした。

「……ただの、冗談だよ」

 その言葉と共に希理子はいつも澤村に対して見せつけてきたように颯爽とした背中で歩き出そうと

した。

「───……?!」

 だけどそれはかなわなかった。

「……いるかよ」

 希理子の背後というよりも、その後ろ耳のすぐ側で澤村が小さく、だけどハッキリと言い切ってい

た。

「俺は『男』だぜ?ガキよろしくたとえ自分自身からでもヒトから与えられた女をおいそれといただ

いてたまるかよ」

 そう言う澤村の腕はしっかりと後ろから希理子の身体を抱きしめていた。

「だからだたのじょうだ…───!!」

 その瞬間、冗談だって言ってるだろ?────そう言おうとした希理子の言葉は澤村によってさえ

ぎられていた。

 たっぷり数秒の間、身動き一つ出来ずに固まってしまった希理子の身体を、澤村は互いの身体の一

部を同じパーツ同士で接触させたままゆっくりと、だがいささか強引に自分の方に向きを変えさせる

と、ほんの少しだけ顔を離して、真正面から希理子の瞳を見つめながらきっぱりと言い切った。

「俺は男なんだからよ、本当に欲しいモンは自分の力で手に入れるんだよ───じゃないと意味ねぇ

だろ?!」

 そう言っていつものように自信に満ちたからかうような笑みを浮かべると、こぼれ落ちそうな涙を

浮かべたまま目を見開いて固まってしまっている希理子の唇にもう一度己のそれを押し当てた。

「───バカ」

 数秒───いや数十秒の間、自分の唇の上に澤村のそれを感じながら澤村の言葉を消化しようとし

ていた希理子はやっとのことでその意味を理解し終えてそうつぶやいた。

「あたしはモノじゃないんだよ?!勝手に手に入れられてたまるかい!」

 その言葉と共に目の淵ギリギリで留まっていた涙の粒がぽろりと伝って砂を濡らした。

 その様子を半分まだ希理子の唇と重ね合わせたまま見ていた澤村はニヤリと笑って返答した。

「そりゃそうだ」

 その言葉の余韻も消え去らぬうちに再び澤村の唇は完全に希理子のそれと重ね合わされた。

 澤村の激しく自分を求めるその口付けや腕や身体のその力強さに希理子は澤村の身体にすがりつき

ながらその快楽に堪え、思わず息を継ごうと微かに開けた唇の間からさらに深く口付けを求められ、

その行為と自分を見つめる澤村の瞳にますます酔わされていく。

 そしてそんな希理子の様子に澤村はますます己の熱を高められながら希理子のすべてを貪るベく、

重ねあわせた身体のすべてで希理子を高みへと追い詰めていく。

 だけどこの女、いつから自分のことを愛してくれていたんだろ?───いっしゅん脳裏をかすめた

その疑問に思わず愛撫の手が止まる。

「……さわむら?」

「何でもねぇ」

 すっかり熱を帯びた潤み切った瞳で問いかけられ、澤村は即座に頭を振ってその疑問を頭からたた

き出した。

 今ここでこうやって自分の腕の中にこの女は存在している───そのことだけで充分だった。いつ

かそのことについて聞く時も、わかる時も来るだろう。 


 

 とりあえず今は一番自分の身近に居る、そしてもっと近くにいきたいその存在に思う存分溺れるこ

とにした。

                                  FIN
                                 

  
  

 

 あとがきを読む

やっぱり 彼女の気持ちも知りたい 

  文字工房実験室
  index へ     メール