水燿通信とは
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197号

『現代俳句 名句と秀句のすべて』

川名大著(筑摩書房刊)

 今年最後の通信として、私にとって本年の大きな収穫であった川名大著『現代俳句 名句と秀句のすべて』の書評を試みてみたい。
 著者自身によれば、本著を著した意図は“俳句表現史の視点から俳人を正当に俳句史上に位置づけること、俳壇特有の力学などの中で不当に埋もれた俳人の復権を果たすこと、俳句表現史上の成果としての名句秀句の読解、構造分析を通して表現史的意義を明らかにすること”だという。具体的には、俳壇の力関係や俳句ジャーナリズムの商業主義などに影響されることなく、著者自身の審美眼だけを頼りに選んだ俳人126人を、主要な流派として10に分類、各流派の系譜の概説、各俳人の作風の解説、作品の鑑賞を行なうというものである。対象は昭和俳句が中心。どの項目を読んでもひとつのまとまりのある内容になっているが、通読すれば、昭和から現在までの俳句の置かれている全体像を俯瞰することができる。
 川名の解説は、研究者らしく論理的であり、各系譜、俳人に対する批判は批判として明確に指摘しながらも、それぞれの俳句観、主義・主張に対しては公平な深い理解に基づいてまとめられており、作品を鑑賞する姿勢も、学者としてこれまで培ってきた厖大な知識と確かな美意識に支えられた説得力のあるものとなっている。さらに、著者の個人的な記憶、追想といったものが鑑賞のなかに時折りでてくるのがいい。これらの逸話がさしはさまれることによって、文全体がふくらみを増し親しみやすいものとなる。故郷を愛しているらしい川名の心情がほの見え、硬派の物言いとないまぜになって独特の好ましさを読者に与える。“この季語は動かない、何々と何々の取合わせが絶妙だ”といった類いの鑑賞や、作品のできた背景をこと細かに調べ上げその状況下でのみ味わう、という手法の鑑賞にうんざりしていた読者には、こういった味わい方、理解の仕方はいかにも新鮮に映る。
 上下2巻、各々500ページを越す大部のこの本の中で、著者が最も滑らかに筆を走らせているのが新興俳句の系譜であることは、本著を読めば容易に理解できる。これは著者がこの本の中で、高柳重信をはじめとする同人誌「俳句評論」のメンバーとの関わりによって自らの審美眼の核を形成したと繰り返し述べていることからもわかるように、この系譜に最も親しみを持ち共感していることにもよるだろうが、さらにいえば俳句表現を重視する本著の姿勢が、さまざまな俳句様式の可能性を最も果敢に試行し追求した新興俳句に、必然的に多くの紙幅を割くことになったということでもあろう。
 しかしながら、今回私が学ぶことの特に大きかったのは「ホトトギス」の系譜に関する章であった。
 高浜虚子の2作品について著者の語る言葉をみてみよう。
〈石ころも露けきものの一つかな〉
 この句は石ころが露に濡れているという一現象を表層的に詠んだものではない。この些細な一現象も大自然の運行の現われの一つであり、石ころをつつむ大自然や宇宙とつながっていることに主眼がある。句の背後には、人間を含め諸現象は大自然の現われであり、大自然につつまれ、生かされているという虚子の世界観がある。現代風に言えば、人間中心主義を突き抜け、エコロジーをさらに越えた広がりがある。
〈桐一葉日当たりながら落ちにけり〉
「桐一葉」という季語は、初秋に桐の葉が風もなくバサリと落ちることをいうのだが、この季語は中国の前漢時代の古典『淮南子(えなんじ)』の「桐一葉落ちて天下の秋を知る」に由来して、万象の秋を知らしめるものである。したがって、広大な天地間の一現象に焦点を当てたにとどまらず、その背後にある大自然の気息、衰微へと向かう自然の運行へと広がり、深まっている。そういう季語の持つ象徴性によって風景の象徴化が遂げられているのである。作品の中に詩的主体をうち出すことを捨象して、風景を見る眼となったその眼は、このように自然の奥行きにまで届いている。
 この解説は、私にとって“目から鱗”的な衝撃だった。
 俳句に関心を持っているとはいえ、ひたすら写生を勧める「ホトトギス」の主張は私にとって一貫して魅力のないものだった。『虚子俳話』を読んでも何の感銘を受けることもなく、この本がなぜ多くの人を魅了するのか理解できなかった。だがそんな私にも、虚子の俳句の凄さだけは感じることができた。虚子の句の他の追随を許さないような深さ、ひろがり、豊かさは一体何なのだろう、それが長年の私の疑問であった。ずっと解けることのなかったこの疑問が、この本を読んでようやく納得できる解答を得たのである。
 一方「人生とは、生きるとはといった問題に対する想いや社会に向ける視点を込めようとすると、途端に作品が痩せてくる」ということも、俳句という詩型に対する私の長い間の不満であった。だが本著を読んでこのような認識は修正すべきだと悟った。つまり“痩せてくる”のはひとつにはそれらを表現する困難さゆえに成功することが少ないからであり、またどのような系統の俳句に対しても有季定型の俳句と同じような感動を求めようとする鑑賞する側の姿勢にも関わっているのであって、人生に対するの想いや社会性を込めること自体にあるのではないことがわかったのである。
 新興俳句についていえば、理念、思想だけが前面に出たような痩せた作品を多く生み出したかもしれないが、当然ながらすぐれた作品もあったのである。そこでこの系譜につながる2人の俳人の作品とその解説をみてみよう。またその後に、新興俳句とは別の場所にいて独自の活動をしている金子兜太(本著では人間探求派の系譜に分類されている)と藤田湘子(同「馬酔木」の系譜)の作品の解説も引用してみた。
〈草二本だけ生えてゐる 時間  富沢赤黄男〉
 荒涼とした空間と静謐な純粋孤独だけが存在する凄絶な心象風景を描いた句である。この境域を越えたならば、何もない沈黙の世界が待ち受けており、「草二本だけ」の二本がまだしも心の救いとして働いている。赤黄男は晩年、俳句の純粋孤独を考えつづけてきたが、その意図が極限的に貫かれた句である。
 この句は構造的には「草二本だけ生えてゐる」空間と「時間」とが分かち書きによって衝撃されている。この空間と時間の間には必然的なつながりはない。ビデオの一時停止した画像のように、ひょろひょろとした二本の草だけが生えている空間も空白的な時間も、共に停止した凄絶な虚無的な世界である。
〈いつせいに柱の燃ゆる都かな  三橋敏雄〉
 超時代の普遍的リアリティを獲得するためには、昭和二十年三月十日の東京大空襲による東京焼亡という限定された時空の現実を表現から意図的に隠さねばならない。そのために超時代的な核となる語として「都」が創出されたのである。……林立する柱が火柱となって次々と崩れ墜ちてゆくすさまじい様。炎上する都のイメージを喚起しつつ、平安や中世の絵巻の中、『方丈記』や『平家物語』の中で炎上する都のすさまじい様相などをも鮮やかに浮かび上がらせる。新興俳句の課題であった超時代的な社会性を実現した句である。
〈銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく  金子兜太〉
 大銀行の中で朝から蛍光灯をともして執務している集団としての行員の姿を、海中で青白い光を放ちながら生息している烏賊の群れの生態に見立てて把握した句。「銀行員」と「烏賊」という遠く離れた一見無縁な存在やイメージをアナロジーによって結合させた直喩が斬新である。
 この句は金子が唱えた「造型俳句」理論に基づいた最初の成果となった句である。その理論は具体的な創作過程において、対象と自己との中間に「創る自分」を設け、その意識活動を通して、主としてイメージによって作者の内面意識を造型しようとするものであった。諷詠的な詠み方に対して、創作過程における意識や言葉をより精密に意識化し、自己点検を行うという書き方を俳壇に定着させた。
〈うすらひは深山へかへる花の如  藤田湘子〉
 場所は田園地帯がふさわしい。道端近くの田の隅の水たまりなどに薄氷が張り、手を触れれば毀れてしまいそうだ。その繊細な氷片に桜の花の花弁との類似を感じとり、さらに思いは、深山桜へと変身してゆく幻の花へと拡がったのである。早春の薄氷はやがて深山へと帰ってゆき、薄氷さながらの繊細優美な幻の桜花として顕われてくるだろう、という詩的直感、幻想である。
 いずれもすぐれた俳句であり見事な解説である。これらの作品は、伝統的な写生句から受ける感動とは明らかに異なる質のものであるけれども、深い感動を与える。つまり感動の質、表現の形はいろいろあっていいのだと思う。私は季語の有無や定型、自由律といった違いにとらわれず、様々なすぐれた句を貪欲に楽しみたいと改めて思った。
 しかしながら、このような読後感は表現史の再構築を目指した著者にとっては、必ずしも本意ではないのかもしれない。だが読者は本著を読了したとき、様々な俳句観、表現内容、表現方法を持つ俳句作品に触れ、知らず識らずのうちに俳句表現史についての認識を深めている自分に気がつく筈だ。
〈本年6月刊 ちくま学芸文庫 上下各1500円[税抜き]〉
(2001年12月25日発行)

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発行人 根本啓子