水燿通信とは
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70号

薔薇抱いて湯に沈むときあふれたる
かなしき音を人知るなゆめ

岡井隆(『鵞卵亭』1975年刊)

 岡井隆の短歌の中で、忘れがたく印象的なものに愛を歌ったものがある。10代から歌作りを始めた彼には、瑞々しい青春の愛の歌も勿論ある。しかし30代半ばになって岡井の存在を知った私には、中年に至ってからの彼の作品に魅かれるものが多い。冒頭の歌もそんな作品のひとつである。
 〈薔薇〉とは女性のことであろう。女性(妻ではない)といっしょに湯舟に沈む、どきっとする程なまめいた題材である。だが、ここに歌われているのは、単純な性の喜びや法悦といったものではない。
 美しく、こわれそうなあやうさの中にいる女性。相手の女性の喩に〈薔薇〉という語を用い、湯に沈んだときの音を〈かなしき〉と表現したことで、読者はこの愛が祝福されたものでないこと、男も女もすでに十分に迷い、傷つき、それでもこうするしかなかったという思いでむきあっていることを知る。
 〈人知るなゆめ〉は、どのように解釈すればいいのだろうか。“自分たち以外の人間には決してわかることはないだろう”なのか、“ふたりだけのものであり、決して他人のものではない”なのか。いずれにせよ、〈かなしき音〉には、許されない関係であるが故のかなしさ、苦しさ、辛さがあると同時に、“甘美さ”も含まれていることを見逃すことはできないだろう。もはや若くない男と、若い女(薔薇の喩は若い女性のものだ)の織りなす愛が、人生のしみじみとした情感となって描かれている。
 岡井隆は、1970年7月、家庭も仕事(医師)も捨てて、突然行方をくらます。暫くして九州の小さな町で若い女性と住んでいることがわかったが、九州での生活はその後もつづき、4年に及んだ。その間、1973年には、日録風に綴った2冊の本、『茂吉の歌私記』と『辺境よりの註釈』を出版する。また、中央歌壇に復帰した後、歌集としては、1975年に冒頭の歌を収録した『鵞卵亭』を、1978年には『天河庭園集』と『歳月の贈物』を出す。このうち、『天河庭園集』は1967〜69年に至る、つまり九州に行く前の3年間の作品が収められており、これ以外は、70年以降に執筆または制作されたものによって成り立っている。岡井隆のファンにとって、これらの本は突然の九州行きの理由を推測したり、彼の地での生活を知るよすがとして、興味深い一面を持っている。しかし、それ以上に私たちを感動させるのは、ひとりの人間がいろいろ苦しんだ末に、開き直って大きな決断をした、その後に訪れた、人生に対する見方の深まりである。
 『鵞卵亭』『天河庭園集』『歳月の贈物』の中から、愛の歌を中心に(ある意味では、岡井の歌はすべて愛に関わるものだともいえるのだが)いくつか引用してみよう。尚、制作年代に従って、『天河庭園集』『鵞卵亭』『歳月の贈物』の順に並べた。
飛ぶ雪の碓氷をすぎて昏みゆくいま紛れなき男のこころ『天河庭園集』
曇り日の秋田を発ちて雨迅き酒田をすぎつこころわななき
窓閉めに立つスラックス寂かなる欲望は来つ暗き庭より『鵞卵亭』
泣き喚ぶ手紙を読みてのぼり来し屋上は闇さなきだに闇
口中に満ちし乳房もおぼろなる記憶となりて 過ぐれ諫早
うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒『歳月の贈物』
アイロンの余熱をおそれいましめし或る日の女 過去となりたる
歳月はさぶしき乳を頒てども復た春は来ぬ花をかかげて
夜の椅子女に向けてはなちたる紙飛行機はたゆたひにけり
 雪の碓氷峠を過ぎながら、雨の酒田を通過しながら、また諫早を通りながら、作者は女性とのことに心を領され、その記憶をよびさまされ、心がふるいたったり〈わなな〉いたりしている。また、岡井が〈股間に遊ぶかぎりなき黒〉とうたう時、彼は性関係にまで至った女性のことや、それらを含むこれまでの人生に起こったもろもろのことを、思い出すともなく思い出している。そして、その思いは読者個々の人生にもつながる普遍性を持っているが故に、私たちは心うたれるのである。
 こうやっていくつかの作品をみてきてもあきらかなように、岡井隆の歌には“男”を強く感じさせられるものが多い。だから、女性にとっては、あるためらいなしには“岡井の作品が好きだ”ということはむずかしい。しかし、40歳を過ぎてなお、このような生々しく実感の伴った愛の歌を詠めるとは驚きだ。そして私は、こんな男性が身近にいたら夢中になってしまうだろうな、などと思ってしまうのだ。
(1993年10月10日発行)

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発行人 根本啓子