沖縄三昧紀行
第2回 臼井光昭

 次の日は6時前に目が覚めた。日の出は遅く、6時を回った頃から明るくなる。明るくなるのを待ってホテルの前の海に向かった。堤防には数人の釣人が糸を垂れている。昨日ダイバーたちが出入りしていた堤防の切れ間から海に入った。ハブクラゲに注意と書かれていたが、余り気にしないで海に入った。波が打ち寄せる砂浜から海の中に入ると、珊瑚のかけらが白い砂に覆われ、廃墟のような印象を与えている。青く透き通った海に魚を見つけることができない。遠浅の海に白い堆積物に覆われた珊瑚が何処までも続き、岸から見えるエメラルドグリーンの海が瞞し物に見えてくる。波に揺られながら透明な海を泳ぎ回っていると、海中に朝日が差し込みキラキラ光りはじめた。その光を辿っていくと、その先に枝珊瑚の塊が砂漠の中のオアシスのように突き出していた。近付くと白い下地に黒のラインが縦に三本入ったミスジリュウキュウスズメダイが群れていた。諦めていた気持ちが蘇り、なんとなく嬉しくなる。そして、次の獲物を求めて泳いでいくと綺麗な珊瑚の群生地を見つけた。緑色が鮮やかな大きなイロブダイがゆっくりと泳いでいく。デビルマンの翼のような背びれと尻びれを持ったサザナミヤッコが泳ぐ。ハタタテダイやフウライチョウチョウウオ、オヤビッチャ、ゴマハギ、色鮮かなベラ類など多種多様な魚が泳ぎ回り、どの固体も大きい。深く切り裂かれたクレバスの影に存在感のある口を持ったミーバイ(ハタ)が隠れている。その先に黒と白の縞々が入った海蛇が泳いでいく。飽きる事なく眺めている先にクラゲのような物が浮かんでいた。慌てる気持ちを落ち着かせて観察すると、スーパーのビニール袋が波に揺れながら漂っているだけだった。

 ホッとして顔を水面に上げると、少し離れた所を泳いでいる人がいた。水面に浮かびながら波に揺られる。太陽の光が気持ち良い。僅かに流れがあるのだろう。少しずつ位置が動いていく。水面に顔をつけるとカマスの群れが泳いでいた。顔を上げ近くを泳いでいる人を見る。クロールの手のリカバリーが平野とそっくりだ。顔を上げたとき平野であることを確認した。その後もサヨリや熱帯魚を観察したが、掌がふやけてきたので海から上がり宿に戻った。

 出発の準備をし宿を出る。太陽が昇り強烈な陽射しに照らされながらダイビングショップに向かった。受付で働いている婦人に挨拶をし、元気づけにコーヒーを入れる。ビーチパラソルの掛かった白いベンチに腰掛けて豆を引くと、香りが辺り一面に充満しショップの人が集まってきた。パラソルが作った影の周りは、総て真白く光り輝いている。総てを飲み込んでしまった輝きに朝の静けさが調和し、時間が完璧に止まってしまったようだ。コーヒーを飲みゆったりとした時を過ごし、大原婦人に別れを告げ北を目指した。

 車は国道を北に向かった。金網が無機質に続く嘉手納の米軍基地に沿って走っていくと大きな街にぶつかった。朝食がまだだったので嘉手納の町で食べることにする。郵便局の駐車場に車を置き、透明な輝きに包み込まれた街をぶらつく。かなり大きな町なのに人通りは全く無く、11時を回っているのに殆どの店は閉まっているため廃墟のような雰囲気を漂わせている。シャッターの閉まったスーパーの前で生気を失ってへたっている若者を見つける。朝食を食べるどころか、とんでもない所に来てしまったようだ。仕方ないので地図を買いに本屋に入る。本屋の中は冷房が利いて別天地のようだ。日本中何処にでもありそうな本屋で食堂を聞き、静まり返った町中を歩いた。

 砂漠に作られたゴーストタウンといった雰囲気の通りを歩いていくと曲り角を少し行った所に食堂はあった。中では2組の客が食事をしていた。座敷に上がり、俺は沖縄そば300円、平野はフーチャンプルー定食450円を頼んだ。薄暗い食堂の中は時間が止まったような落ち着きに支配され、頼んだ物も何時出てくるのか分からない。畳の上でボーッとしていると、新聞を読んでいた平野が3面記事を差し出してきた。おもしろい記事でも見つけたのだろう。顔を近付けて読んでみると、昨日嘉手納で2人の少女がハブクラゲに刺され入院したと書かれていた。今朝泳いだ所から僅かしか離れていなかったので、少しゾッとした。これからは綺麗な海があってもやたらと泳いではいけないと自分を戒める。

 かなり時間が経って料理が出てきた。フーチャンプルーはお麩の炒め物で、量があり淡泊な味でなかなか美味しかった。俺のそばも美味しかったが、アサヒ食堂の味が忘れられず、満足しながらも少しだけ意見を言いたい気持がのこってしまった。
 食堂から出て強烈な暑さの中を車に向かった。適当に細い路地を歩いたが、人っこ一人見つけることができない。どの家の入り口にもシーサーが飾られているが、人の気配すら感じられない。僅かに一軒だけ家の暗がりを人が動いた様だったが、静まり返った真昼の路地は異空間への入り口と錯覚してしまいそうな不思議な場所だった。ニライカイナ信仰が生まれたのもこの様な土壌が有ったからなのかもしれない。(ニライカイナとは、人間の住む世界と対比的に認識された他界のことを指す。これはパラダイス思想と同時に災いなどをもたらすという両義的な意味を持っている。)

 満腹になり落ち着いた気持ちで北に向かう。国道に出て少し行くと二車線になり、左折車線に車が並んでいた。平野がチビチリガマに御参りしていきたいと言ったので、車の列に入ることにした。チビチリガマは、第二次世界大戦の沖縄戦で米軍の投降勧告を拒否して84人が集団自決した洞窟だ。そこに向かう途中「象のオリ」と呼ばれるレーダー基地が僅かに左手に見えた。そして、その近くにも洞窟はありシムクガマには1000人の避難民がいたらしい。シムクガマにはハワイ移民帰りの男の人がいたため、米軍と交渉して避難民全員が生還することができた。僅か1キロ程しか離れていないが、余りにも違い過ぎる運命に複雑な思いになった。

 砂糖黍畑の中を走っていくと白い綺麗なホテルが見えてきた。そのホテルの先に残波岬がある。チビチリガマは通り越してしまったらしい。仕方がないのでそのまま岬に向かった。岬には観光客の車がたくさん止まり、休暇中の米軍の兵隊が酸素ボンベを背負って歩き回っていた。ダイビングショップは無いので、ボンベを借りてきて勝手に潜っているのだろう。錆だらけのバスの売店でアイスクリームを買い、眩しすぎる太陽の光を浴びながらなめる。灯台のしたに広がるエメラルドグリーンの海と岩場に群生している濃い緑の葉に反射した光、たくさんの小さな紅い花をジリジリ焼けていく肌の感触を味わいながら眺めた。歴史を感じさせない鮮かな美しさを憧憬の念で眺め岬を後にする。平和すぎる景色に戦争の悲劇を重ね合わせてみたが、焼け付くような陽射しの中に総てが飲み込まれてしまった。

 国道に戻り更に北上すると、渋滞に嵌まってしまった。沖縄きってのリゾートエリア万座ビーチは、まるで関東の湘南の様な賑やかさであふれ返っていた。車から見える美しいリゾートホテルに飽き飽きしながら渋滞に耐える。途中、平野の腰が悪化し足が痺れて動かなくなってしまい、渋滞を抜けたところで運転を交替する。車を走らせていると、青と白のパラソルのしたに女の子が座ってアイスクリームを売っていた。日影の下でのんびりと本を読んでいる姿から、売るのが目的というより長い夏の一日を静かに過ごしていると言った感じだ。道は真っ直ぐで空いていたため直ぐに名護に着いてしまった。当初この大きな街に泊まる予定だったが、急遽辺戸(ヘド)岬まで上がる事にしたため通過することになった。そして、本部半島も回れそうもなかったので通過する。車は益々順調に走り、左手に広がる美しい海岸を追いかけて進んでいくと、美しい白いホテルが遠くに見えてきた。オクマビーチで一休みしようと平野と話し、どんな所か想像しながら運転しているとつい通り越してしまったようだ。平野に言われ気が付いたが、気にせずに先に進むことにする。進んで行く先の空に入道雲が沸き、大粒の雨がぽつぽつと落ち始めた。名護を過ぎた辺りから道が濡れていたので、雨に追いついたのだろう。雨が激しくなり、ワイパーが忙しく動いている。激しい雨の先が晴れてきた。先を急いで走っていくと雨が小粒になってくる。雨雲を追い越してしまった様だ。車から山手に見える原生林は山原(ヤンバル)の森だ。このまま国道を走っていても面白くないので、林道に入ることにした。川に沿って登っていくと大きなダム湖が現れ、更にダム湖に沿って進んでいくと原生林の切れ間から見える枯れ木にキツツキのような鳥がとまっていた。天然記念物のノグチゲラかも知れない。慌てて車を止めてカメラを用意したが、動きがおかしいため暫く観察しているとキツツキで無い事が分かった。更に見ているとカラスであることが分かり、がっかりして車を走らせた。途中、林道は幾つかに別れていたが、スプレーでいたずら書きのされた案内版が有ったためそれに従って奥方面に向かった。道は狭かったが他に車は走っていなかったので楽に走る事ができた。結局、カラス以外は見れなかったが、この森の中に何かがいると思うと気持ちが満たされた。

 奥集落から辺戸岬まで数キロの道程を順調に走る。山の中では小雨がパラついていたが、岬に出たときは晴れ上がっていた。駐車場に車をいれ、ドアを開けたとたん熱気が流れ込んできた。強烈な暑さの中、先端に立つ。直ぐ向こう側に見える与論島の脇を大きな船が通っている。沖縄返還前はこの海峡が国境だったのか。余りにも近くはっきりと見える島と岬の間に横たわる澄みきった紺碧の海を眺める。飛び込んでみたくなるような澄み切った海を眺めていると海辺に降りてみたくなったが、断崖が連なりとても降りることは出来そうもなかった。

つづく


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