沖縄三昧紀行
第1回 臼井光昭

 き刺すような日の光に照らし出された街角を、一台のレンタカーはぎこちない雰囲気を振り撒きながら、のろのろと走っていった。風俗店の立ち並ぶ街角には暑さのためか人通りは疎らで、真っ黒に日焼けしたお婆さんが太陽に飲み込まれそうになりながら歩いていく姿しか見掛けることができない。気怠い空気の中を揺らめきながら歩いて行くお婆さんの脇を遠慮勝ちに追い越していった。目的の建物はコンチネンタルホテルの向かいに建っているので直ぐに見つかりそうだが、見えるものと言ったら道に沿って立ち並ぶ風俗店と昼間から輝き続けるネオンだけだ。目標になるソープランドすら見つけることが出来ないまま、その回りを何周かしてようやく目的のホテルを見つけることができた。潰れて活気のなくなったホテルの向かいに『エコマリン沖縄カヤックセンター』はあった。何艇ものシーカヤックが店の前に積まれており、カヤックを載せた白いワゴン車が止まっている。風俗店の立ち並ぶ空間に、カヌーが並べられた不思議な世界が同居している。外にいた女の人に言われるまま車を潰れたホテルの駐車場にいれた。煤けたコンクリートに挟まれた道路は直射日光に晒され光り輝いていた。カヤックの脇を通り店に入ると冷房の利いた空気が体を蘇らせてくれた。

 の中では、先程の女の人が数人の人と話していた。窓が無く暗い店内にはシーカヤックが吊り下げられており、Tシャツやカヤック用品が並べられている。我々が入ってきたことに気付いた主人と思しき女の人は、気さくに声を掛けてきてくれた。慣れない空間に気劣りしながら、今日、羽田から沖縄に着き、沖縄観光、ダイビング、カヌーツアーの順に二週間ほど旅していく事を伝える。アイランドホッピングに必要な持ち物を確認し、不足しているものは那覇で揃える事にする。ツアー中の面倒は全てスタッフが見てくれそうなので、少し心配だったがツアーの前日にまた来ることを伝え慣れない空間を後にした。

 店から出ると刺すような陽射しに熱せられた空気に包み込まれ、冷房の利いた空間に戻りたい衝動に駆られた。そんな気持ちを感じながらこれからの行動を平野と相談する。旅と言うものは、その土地の名物を食べなければ損をしたような錯覚を人に与えるものだ。カヤックセンターのパンフレットに安い沖縄そばの店がある事を思い出し、付近の様子を観察しながら暑すぎる陽射しの中を漫ろ歩く。ダブダブのだらしない格好も、まとわりついてくる暑さから気持ちと体を解放してくれる最良の手段になることを感じながら店を探した。二本目の交差点の左側にセメントで作られた小さな四角い食堂を見つけた。眩しすぎる光を避けるように細めた目の中に、アサヒ食堂と書かれた看板が飛び込んできた。建物から活気は感じられず、営業しているのか分からない。煤けた感じのセメントが廃墟の雰囲気を漂わせている。ためらいがちな気持ちを後押しするように、暖簾すらかかっていない店の入り口に向かった。営業中の札が掛かっている。こういう店は、えてして頑固なおやじがやっているものだ。一人だったら絶対に入らないが、平野と二人だったので何となく店に入ってしまった。

 店の中では、客が一人カウンターで何かを食べていた。カウンターの内側で主人が働いている。全く愛想を感じないが、そうかと言って怒られそうもない。5種類ぐらいしかメニューは無いが、沖縄そば250円、カレー300円など総て安い。平野と二人で沖縄そばを注文する。出された水を飲みながらおやじの様子を観察する。料理をする淡々とした動きが、不安な気持ちを落ち着かせてくれる。そして、出されたそばにコーレーグースー(唐辛子の泡盛漬け)をたらし啜る。さっぱりとしてわずかに辛味を感じさせ、何処と無く見え隠れする癖が沖縄に来た事を実感させてくれる。貪るように食べ、店から出た。満足しきった体を容赦なく太陽が飲み込んでいく。羽田空港で食べた、「あづさ」のおにぎりの繊細な味が思い出される。美味しいとしか思わなかった味覚に奥の深さを感じる。沖縄の味は、太陽の光に飲み込まれてしまった様な透明な輝きで味覚を刺激してくれた。

 カヤックセンターから北谷(チャタン)を目指し国道58号線を走った。車であふれ返った道をのろのろ進んでいく。交差点では必ず数回の信号待ちをさせられた。住んでいる人間より車のほうが多いのではないかと錯覚するほど車が走っている。那覇市内を抜けると車は空いてきたが、それでも北谷に着くまでにかなりの時間が掛かった。

 谷には大原夫妻が住んでいる。平野が運転しているので安心して回りの景色を眺める。国道から脇道に入ったので、目的の場所に近付いたようだ。脇道を道なりに進んでいくと総合運動場の横に建設中の巨大スーパーと那覇のベッドタウンといった雰囲気の家並が現れてきた。そこで携帯電話から大原婦人に連絡をし、夫婦で働いているダイビングショップに向かった。海岸沿いに走っていくと、アメリカ西海岸のビーチといった洒落た感じの店が並び、白く化粧を施された防波堤の上で外人や若者が日光浴を楽しんでいる。ギリシャの神殿をイメージさせる純白の東屋の下で若者たちがにこやかに話している。青い目をした白人も黒人も何の違和感もなく日の光を浴びている。2つダイビングショップを通り越したところで、たくさんのボンベが並べられている店の前に車は止まった。D.H.D.ダイビングショップが夫妻の職場だ。早速、店先にいた女性に大原夫人に会いにきたことを伝えると、先程通り越したショップに居る事を教えてくれた。D.H.D.は2か所に店があり、今通り越したショップもD.H.D.の店だった。車を戻し店を覗くとクラブハウスの受付で働いている婦人の姿が目に入ってきた。

 平野と婦人は嬉しそうに挨拶を交わしお喋りをする。のんびりとした時間を楽しむ人達が行き交い、強い光を反射して輝く道路が眩しすぎる。大原夫妻は8時まで仕事があるようなので、取り敢えず100メートル程先のホテルにチェックインすることにした。平野は5階、俺は6階のシングルルームに入る。落ち着くところに落ち着いた安心感と激しい暑さに晒された渇きが一気に吹き出し、ロビーで買ったオリオンビールを一気に飲み干してしまう。部屋から見える海の向こうに島が見え、入道雲が赤く染まっていく。夕暮れの気怠い空間に一日が終わっていく充実感を見つけ堤防に出る。昼間のうちに暖められた空間を紅く染めていく太陽の姿が消え、薄く藍色に変わっていく空を眺める。星の輝きが一つまた一つと増えていく。堤防の上で幾つものカップルが、切り離された空間を作っている。どの空間も海の向こうに広がっていく世界に自分の姿を見つけている。海に沿って浮かび上がった白い建物の前を短パンとTシャツを着た若者が、サンダルの音を響かせて走っていった。

 8時過ぎに婦人から連絡が入る。ショップで合流し居酒屋に向かった。ゆっくりと流れていく空気の中に、くすぐったい甘さを感じながら歩いていく。満月の光に照らし出された家を縫うように3人は歩いた。旧米軍住宅の四角い建物に写る影に南国の匂いを感じる。取り止めもない話をしながら歩いていくと、どこまでも続いて行く暖かい空間の先にネオンに輝く居酒屋を見つけた。

 敷に上がり生ビールで乾杯をする。平野と婦人は久し振りの再会に酔っているようだ。俺は沖縄の一日目の夜を迎えたことに満足する。ソーミンチャンプルーやゴーヤーチャンプルー、スクガラス豆腐、イラブチャー(ブダイ)の煮付けなどをつまみ仕事の事などを話していると、拓くんが店に入ってきた。彼はこれから那覇空港にお客さんを迎えに行くらしい。仕事とはいえ夜9時を回ってから更に仕事をするのは大変なことだ。驚いていると、11時ぐらい迄仕事をするのは普通らしい。この仕事に入った4月頃は1か月働いて1万円しか貰えなかったらしい。今はもう少し貰えるらしいが、東京で働いていた頃の1割ぐらい。朝7時から夜11時ぐらいまで働く毎日だそうだ。住んでいるところは旧米軍住宅で、大原夫妻の夫婦部屋と男部屋、女部屋に別れスタッフ全員で共同生活をしている。プライバシーなど全く無いが、もう慣れたと言って笑っている姿が生き生きと感じられた。自分たちのダイビングショップを持つ希望を適えるため、今は少しでも多くのことを学びたいと言っている姿が印象に残った。3人が酔っ払った頃、拓くんも合流し泡盛で乾杯をする。飲まず食わずで働いていたので、かなり腹が減っていたようでソーミンチャンプルーの食べっぷりが大変良かった。泡盛を飲みながら3人の話している姿を眺める。途中から拓くんが眠そうになり、明日も7時から働くそうなので適当な所で店を出ることにした。

二人と別れ、平野と南国の路地をほろ酔い気分で歩く。酔っ払いとは不思議なものだ。何処をどう歩いたのか、気が付くとホテルの自分の部屋で横になっていた。帰る途中、370円のラーメンを食べた事と路地の回りの家々にシーサーが飾られていた事を断片的に思い出す以外殆ど記憶に残っていなかった。

つづく


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