2002-09-010

hako-uchu


4.


 城に着くなり、出迎えてくれたリグナムやリナリアに手を引かれてティータイムの準備に取りかかる。本来のティータイムは3時なのだが、カナンのおやつの時間は過去に由縁があって2時に繰り上げられている。一時期は1時に持ってこさせてもいた。その習慣が今でも抜けずに、カナンだけは早めのティータイムを取るのだ。だのに二人して遅刻して来たものだから、二人の行動にあわせる筈だったリグナムとリナリアの二人に引きずられるようにしてお茶の席へ着くカナンとセレスト。
  だが、またしてもポッポーの鳴声が聞こえてきた。


 ポッポー、ポッポー、ポッポー、ポッポー、
 ポッポー、ポッポー、ポッポー……!


 ポッポーの鳴声が時報となるこの世界では、ポッポーの鳴く回数が時間を支配する。
「え?」
 『予定』に無いポッポーの声にカナンの笑顔が引きつった。
 ついさっき、ポッポーは2回鳴いたとこなのに、今度のポッポーは一体何回鳴いたのか。
「あらあら、もうこんな時間?」
「ああ、もうお日様が沈んでしまった」
 お茶の用意をしていたはずなのに、その準備が終わる前に太陽が地平線に隠れて見えなくなる。
「それじゃあ、お休みなさいませ。お兄様、カナン」
 あくまでも、何も不思議な事など無かったかのように振舞うのはやはり本物では無いからか。リナリアが優雅な腰付きで二人に近付き、それぞれの頬に触れるだけのキスをする。それからセレストの方を向き直って首を傾げた。
「それから、ええと……?」
「あ、セレストと云う名前を貰いました」
「そう、セレスト、あなたもお休みなさいね」
「はい」
 にっこりと微笑みあった後、リナリアはその場を退場し、残ったリグナムがセレストの方を見た。
「さて、今夜寝る所だが、 幸い使っていない部屋が沢山あるから、何所でも好きな所を使いなさい。
 お前が責任を持って案内してあげるのだよ?」
 終りの方は、カナンへだ。カナンの金色の頭の上に大きな掌を乗せ、くしゃりとかき回す。
「それじゃあ、私も休むとするよ。お休み、カナン、セレスト」
「はい、お休みなさいませ、兄上。御機嫌よう」
「お休みなさいませ」
 何故か直立不動の体勢になって挨拶をするセレストを睨みつつ、リグナムに対してはにっこりと笑顔で挨拶をするカナン。
 一呼吸置いて、それからおもむろにセレストに向き直ってびしっと人さし指を突付ける。
「なぁ、おまえ僕に対する時と、兄上や姉上と話している時と態度が違わないか?」
 必要以上に恭しく接して欲しい訳では無い。どちらかと云えばもっと気さくに接して欲しいとは願っているのだが、明らかに、カナンとリグナムに対する態度には隔たりがある。
 肌で感じる緊張感の差、とでも云えば良いだろうか。
 少し、いやかなり納得がいかない。
「兄上と話す時、実は物凄く緊張しているだろう」
「うっ……
 だって、何と云うか、自然にそうなりませんか? ああ、御兄弟だとそう感じる方が不自然ですよねぇ」
「う〜む」
 云われてみて、カナンは自分の場合を考える。確かにリグナムとは砕けた話をする事は滅多に無い。幼い頃から時期国王としての教育を受けてきたリグナムには自然に身に着いた王者としての風格、威厳がある。ただ、そんなリグナムや父王とずっと一緒に暮らしているカナンにはそこに家族としての親愛を感じる事が出来るが、家族同然の扱いを受けていてもセレストには「畏れ多いこと」なのかもしれない。
 更に云うなら、礼儀と云うものを騎士団長である父から叩き込まれて育ってきたセレストが、年長者であるリグナムにそうした敬意を現わすのは当然の事とも言える。
「こんな状況でも従者根性は抜けないのか……」
 思わず口をついて出たのはカナンの本音。
ただ、口の中で呟いた言葉はセレストの耳には届かなかったのだが、カナンが何事か云ったのを聞き逃したと思ったらしいセレストが慌てふためく。
「え?何ですか?」
 とっさに出たはずのセレストの言葉はどんどん友人レベルから従者レベルに戻っていく。
「俺、何か気に入らないような事、云ってしまったんでしょうか?」
「セレスト」
 ぽんと、肩を叩く。
「悪かった。今僕が云った事は忘れてくれて良い」
 どうやら記憶も無いのに骨の随から従者根性が抜け切れていない今のセレストには何を云っても無駄だろうと、カナンはそう判断を下した。
 だったら、少しでも建設的な方向に頭を切り換える迄だ。
「それよりももう寝る時間になってしまっただろう。お前は何所で寝るつもりだ?
 部屋は兄上が云った通り幾らでも空いてはいるが、良かったら僕の所で寝ないか。幸い僕のベットは広いから二人くらいなら余裕で寝られるぞ」
 とことこと歩いていって、カナンは自分のベッドの縁に腰掛け、パンパンと布団を叩く。
 突然の申し出に顔色を赤くさせたり青くさせたりと忙しいセレストの心理状態など気付かぬ風で、カナンは突っ立ったままのセレストに口を尖らせる。
「何を突っ立っているんだ。こっちへ来い」
 再び自分の脇を叩いて座れと指示する。
 セレストはよばれるままに傍らに腰をかけるが、相当落ち着かないのだろう。
 きょろきょろと視線は辺りを彷徨い、手の指は落ち着き無くモジモジとしている。
「本来だったら湯浴みをする所だが、そこ迄日常のシチュエーションにこだわる必要も無いだろう。さっさと着替えて寝るとしよう」
 セレストにはカナンの云った台詞の前半の言葉の意味は分らなかったが、後半の意味は分かった。何だか複雑そうな表情で着替えているカナンを見ている。
 カナンは淡黄色のパジャマに身を包み、最後にお揃いのナイトキャップをしっかりと被る。普段着ている城内着もそうだが、こうした衣装はカナンを本来の年齢よりも幼く見せる効果があるようだ。
 似合っているだけに始末が悪い。
 ハッキリ云って、セレストは心の中でこっそりと号泣していた。
(さっきの今で、この状況に耐えろと?)
 普通にしていて可愛いとか思ってしまう相手から寝所に誘われて、相手はさっさと布団の中に潜り込んでいる。
 しかも、
「どうしたセレスト。寝ないのか?」
 なんて、かわいらしく聞いてくるのである。
 無意識だとしたら恐ろしい天性だ。
 カナンはニコニコと笑いながら上半身を起し、上掛けをめくってセレストに早く来いと急かす。どうもカナンには精神面で勝てないと観念したセレストは、取り敢えずアンダーシャツだけになってカナンの横に入り込んだ。
 カナンが余裕があると言っていただけあって、確かに広い。コレなら大の大人が二人並んでも寝られるだろう。そんな広さだ。
 しかも布団はフカフカ、羽毛だろうか。生地はさらさらで絹特有の光沢を放っている。
 その手触りが先程カナンの頬に触れた時の感触を思い起こさせてどきりとする。
 首迄真っ赤にしてから大慌てでカナンを振り返る。
 あまりにも挙動不審だ。
 だが、カナンはセレストの内面の動きには気が付かなかったらしい。
 カナンはカナンで、明後日の方を見てみたり、口元に手を宛てがって何か考えているような素振りを見せたかと思うと一人で首を振ってみたりしていたのだ。
 お互いに自分の奇異な行動が相手にはどう見られているのかと言う事に思い至って、お互いがお互いの様子を窺うのは殆ど同時だった。
 バッチリと目があう。
 何故だかお互いに顔が真っ赤で……
 多分、自分が考えていたような事では無いだろうとは思いつつ、二人は口を開いた。
「あのな、セレスト」
「ええと、です、ねぇ……」
期せずして声がハモる。
「あ、先にどうぞ……」
「…………」
 お互いの声が被った所為で途切れた台詞の合間を縫って、素早くセレストがカナンの台詞を促した。
「いや、何かあるのなら聞くぞ」
「……大した事ではないので、またの機会にでいいです……」
「いつでも良い事なのか?」
「いつでもいい事、です」
「本当か?」
「本当です」
 セレストは背中に冷汗をかきながら表面上は冷静を装っていた。
 いつでも良いと云うか、ある意味、いつでもその気さえあればOKと云うか、早い話、ちょっと期待してしまったのだ。先程ポッポーの鳴声で邪魔されてしまったキスの続きを……
 場所はカナンの部屋。袵の上。しかも誘って来たのはカナンの方で。
 駄菓子菓子、もとい、だがしかし。
 カナンはセレストの思惑など知る由も無く、色気の無い事にさっさとパジャマに着替えてしまっている。とてもコトにおよべる雰囲気では無い。
 だから、自分が不埒な事を考えていたなんて中々言える訳が無く、やっと勇気をだして云ってみようとすればカナンの台詞と被り、これは「口に出すな」との神の啓示かもしれないと口を噤む事にしたのだ。
 だから出来るだけさっさと話題を変えて欲しいと願う。出ないとカナンの唇の感触を思い出して溜らなくなるから。
「本当の本当に良いんだな。変に我慢なんかするな?」
「本当の本当に構いません。我慢もしてません」
(ってか、我慢しないとヤバい事になりそうだから、早く会話を変えて下さい〜〜〜〜〜!)
 顔で笑って心で泣いてを実地で演じてしまうセレストだったが、 やっと、カナンがセレストに告げた言葉は彼を一瞬にして凍り付かせた。
「その……だな、せっかくだから、『おやすみ』のキスをしようかなと……」
 やはりハッキリと口に出して云うにはまだ抵抗が、というより羞恥心から肝心の所だけ声が小さくなる。だが、どんなに小さくても短いニ音の言葉は唇の動きだけで何と云ったのか分かってしまう。
 本能と理性の間で、セレストの意識がグラグラと揺れているのを知ってか知らずか、カナンは上目遣いでセレストの様子を窺っている。
 どうしようと動けずに困っていると、その内カナンが俯いてしまった。
「嫌ならいいんだ」
 セレストからはその表情は見えなかったが、沈んだ声に心臓がキリリと締め付けられる。
 カナンが目を合わせないようにそのままベッドに横たわり、布団を引寄せようとしたのを見て、セレストはその手を握りしめて動きを封じた。
「失礼します」
 背中を見せているカナンの腕をぐいと引き寄せれば、勢い顔がセレストの方を向く。そのまま空いている方の腕で身体を自分の方に向けると、そっと額にキスをした。
「……おやすみなさい」
「…………」
 カナンは、セレストがキスを落とした所を確かめるように額に触れるが、不服だと云うように睨付けた。
「これで誤魔化すつもりか……?」
「かんべんして下さい。
 その……我慢出来なくなりそうで……」
 途端、カナンが絶句して顔を赤くした。
 気の毒なセレストは火を吹きそうな程の恥ずかしさで顔を赤くし、カナンに嫌われたらどうしようと全身からは冷汗を流してしる。
「……だから、我慢などするなと……!」
「うわぁ! なんて事をっっっっっ」
「僕が良いと言っているのだぞ」
「でも、時と場合とか、それに意味が分かって仰ってますかっ?!
 嗚呼!それ以前に俺が背徳心で死んでしまいそうですぅ〜〜〜〜!」
 おそらく、セレスト自身、自分が何を口走ったのか自覚は無かっただろう。だが、背徳心と聞いてカナンの首ががっくりと落ちた。
(どこまでも従者根性の抜けない唐変木め!)
 カナンが我侭を通そうとすると力ずくでも止めに入るセレストだが、一変して落ち込んだり自分を卑下するような態度を取ればそれを取り繕うように途端に甘くなるのだが、しかし今回その手は通用しないらしい。
「分かった。今晩はこれで我慢する」
 今晩は、の所に力を入れて強調しておいて、カナンはいきなりセレストの首に腕を回して抱きついたかと思うと、その耳許に態と音がするように小さなキスをした。
「じゃぁ、これでおやすみだな。セレスト」
 半ば呆然として自分の耳許に手を当てるセレストに、カナンは最後の爆弾を放って寄越す。
「明日は『おはよう』のキスをしような♪」
 にっこりと、背景がフラッシュバックを起したかと思える程に眩しさで微笑み、満足したかのように今度こそカナンは眠りに付こうと布団に潜り込んだ。
 コトに及ぶ前に事態が回避された事を喜ぶべきか、それとも逃した魚の味見を出来なかった事を悲しむべきなのか、セレストが複雑な心境のまま眠れずにいると、突然それは起こった。

ポッポー、ポッポー、ポッポー

「…………」
 夜中の3時を知らせているらしい。
 流石に何かが変だと思ったセレストの腕を引っ張るのはカナンだ。
「どうやら本格的に時計が壊れたらしいな。朝には取り外しておくから、今は寝ろ!」
「取り外す?」
「ああ、気にするな。こっちの話だ。
 ………朝起きた時、お前がおはようのキスくらい覚えてると良いのだがな」
 セレストは「おかしな事を言いますね」と笑った。
「明日の朝のことでしょう? それくらい忘れたりしませんよ」
 セレストが言っているのはこの『箱宇宙』の朝の事だ。カナンが言っているのは現実の世界の朝の事で……
 セレストは今夜の事は覚えていられないようにカナンは細工をした。
 箱宇宙には予定機能が付いているのだ。
 底に付いていた書き込みが出来る抽き出しに、おおまかな行動予定のシナリオが書き込めるようになっている。そこに、今回の事は何も覚えていられないようにとカナンは記した。
 セレストが少年化して現れたのもそのように書き記したから。
 知りたかったのだ。
 カナンの事を覚えていないセレストが自分と出合い直したらどうするのか。
 どう、自分の事を思うのか。
 もしかしたら対等に扱ってくれるだろうかとか、もしかしたら名前を呼び捨てにしてくれるだろうかとか。
 何度もやっては流石にセレストも気付いてしまうだろうから、これっきりのつもりの悪戯。チャンスは一度だけ。
 カナンとて、こんな騙し討ちのような事をセレストがされたと知ったら怒るであろうとか、悲しむだろうかとか、色々考えなかった訳では無い。つい最近迄はセレストの考える事で分らない事は無いと思っていた。だが、ある日を境にまったく分らないと思うようになった。
 セレストは本当は無理をして自分の側に居るのじゃ無いかとか、自分に合わせて恋人のような振る舞いをしてくれているのじゃないだろうかとか、禄でも無い事ばかり考えてしまう。
 だからちょっと、確かめたかったのだ。
 素のセレストの気持ちを………
 現実は(とゆうか、これは夢の中でのことだけど)そうは上手くは行かないように出来ているらしい。記憶を封じはしても、無意識の領域までは魔法の力を借りても干渉は出来なかった。
 根っ子の方は変わらないのだろう。
 だとすれば、信じても良いように思える事が一つだけある。

 もしも、記憶を堕天使達に封じられるような事になっても、

 きっと、何度でも

 恋をする


 セレストが記憶の無いその状態で、それでもカナンを受け入れてくれたように。カナンは自分がセレストを好きだと思う気持ちは、セレストのそれには負けないくらい強いと思っているから、だから、悪戯の時間は終り。
 お互いの顔を見つめ合いながら二人で布団の中に潜り込んだあと、カナンはこっそり「緊急離脱」の呪文を唱えた。
 すると、急速に意識が遠のいて夢も見ない程深い眠りにカナンは落ちて行ったのだった。

箱の外:エピローグへ……

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長かった……
やっとここまで来ましたよ!
シチュエーション萌え起した元の歌詞にて、3時のお茶の用意をしていたら朝の七時をハト時計が告げたものだから、慌てて主人公がパンを焼くシーンがあるのだが、この主人公、「忙しい」と文句を云いつつも「だけど良い事もあるわ!」と宣うのだ。
「あなたともう一度、おはようのキスが出来る!」
なにもかもハトのおかげ、と。
ついでに云うなら、主人公の彼女の『あなた』とは「兄が釣ってきた少年」だったり。
谷山浩子の恋の歌にしては前向きで強気の彼女。この強かさがカナン様を連想させたもよう……。
コンサート中に思い付いただなんて、業が腐海なわたし。

 

■モドル■