2002-08-08
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2.
「では、私は釣りに行ってくるから、大人しくしているんだよ」 「はい。兄上」 カナンが行儀良く返事を返すと、背中に『ゼンマイ』を付けた兄上こと、リグナム王子はにっこりと微笑みを浮かべて頭を撫で、手に釣竿を持ってフワリと宙に浮かんだ。 そのままフワフワと空中を泳いで行って遠くに見える頂きの天辺に腰掛け、えいやっと竿を振る。 釣り針が飛んで行った先は空の彼方。それ程長くは見え無かった釣り糸だが、スルスルと伸びていってとうとう天の川にポチャンと沈んだ。 カナンはそれを確認してから振り返って後ろにいる二人を見た。 後ろに立って居たのは姉のリナリア姫と国王のリプトンだ。そしてこの二人の背中にも何故だかゼンマイが付いている。それを見てカナンは溜息を吐いた。 「……まいった。 前に使っていた目覚まし時計なら魔池仕様だったのに、子分達が持って行ってしまったせいでゼンマイ式しか見付からなかったんだが…… まさか、こんな所でこんな風に影響があるとは思わなかった。まぁ、セレストは指輪を渡してあるからゼンマイって事は無いはずだが、僕達以外の人物が全員ゼンマイ仕掛けだとすると、厄介だな。 もしかしなくても、魔池式時計も用意しないと駄目なのか? 」 ぶつぶつと文句を垂れながらカナンは二人のゼンマイを巻いて行く。ゼンマイを巻き終えて始めて二人が動きだした。 「あらあら、カナン。おはよう」 「おはよおうございます。姉上。おはようございます、父上」 「おはよう、カナン」 本当は夢の中なのだから「今晩は」だな、等とこっそり考えつつ、カナンはいつものように挨拶をする。挨拶を済ませた二人はそのまま背後に聳えるルーキウス城に入って行き姿が見えなくなる。 「夢とは言え、自分の戻る所が城というのはいただけないな。 冒険者といえばもう少し地味な方が良いだろうから、この辺は次回の課題だな」 カナンは説明書にあった世界を確認する為に彼方此方を見て回った。箱の中の世界に自分の行動を妨げる騎士達の姿は見えない。それを良い事に普段は歩き回らない城の中を歩き回った。そうして幾つかの事に気が付く。 「なる程、僕の記憶の曖昧な所はこっちでも曖昧なんだな」 一応の探検を終えると自分の部屋を探してそこへ行く。 「ここは……まったく記憶通りか。 自分の記憶に依存するもの考えものだなぁ。もっと設定をランダムにした方が良かっただろうか。だがしかし、初心者はいきなりしない方が良いと書いてあったしなぁ。難しい所のようだ」 一通り部屋の中を確認した後、窓を大きく広げて釣りに行ってしまったリグナムの姿を探す。リグナムはいまだに同じ姿勢で釣り糸を垂れていた。 「……セレストの奴、一体何をしているんだ?」 その姿を睨みつつ、中々現れない人物の顔を思い浮かべて溜息を吐く。 そう言う自分も用意で手間取ったり、興奮していて中々寝付けなかった事は棚上げにして、密かな逢瀬を楽しみにしていたのにその貴重な時間を消費させているのは全てセレストが悪いと責任を押し付ける。 ……それとも、セレストの身に何かあったのだろうか? 今までセレストが何の連絡も無しに自分との約束を破った事など無い。約束を破ったのは 自分の側にいると、必ず守ると云った癖に…… 自分を庇った挙句に怪我をして誘拐されるか?! 普通!! おかげで、どれだけ寂しいと、どれだけ会いたいと…… カナンはバルコニーの手摺に凭れ、顔を埋める。 もしかしたら指輪をするのを忘れて寝てしまったのかも知れない。 何事か有ったのかと思うより、そっちの方がずっと良い。 沈みこんで行きそうになる思考を、無理矢理に浮上させようと違う事を考える努力を始めた時、不意に城内の雰囲気が変わった。 何が、と云えばいいのか。 兎に角、背中の方で空気が変わったのを感じたのだ。 カナンがそろりと部屋の外を覗けば、そこには見慣れた騎士団の制服を着た男達。皆一様に背中にゼンマイを付け、思い思いのポーズで固まっている。 カナンの知っている顔が有れば知らない顔もあるようだ。 カナンが意図して設定を外しておいた騎士達が居ると云う事に驚いたが、それが何故急に出て来たのかを想像して、一つの考えに辿り着く。 急いでベランダに飛び出し、一番高い山の頂きに腰掛けたリグナムを見た。 リグナムは何か大物を釣り上げたらしく、リールを巻いたり弛めたりしながらテグスを手繰り寄せていた。やがて天の川の表面がキラキラとさざめきはじめて、星の海から青い色が浮かび上がった。 リグナムが何とか得物を手繰り寄せてみれば、それは一人の人間の形をしている。どうやら気を失っているらしく、ひたひたと頬を叩いてみても反応がない。 リグナムは首を傾げた後、その人物を肩に担いで頂きを離れ、ふよふよと中空を移動する。そしてフワリと城の前に着地した。 普通なら騎士団の何人かが大慌てで駆け寄る所だろうが、残念ながらその騎士達はゼンマイが切れている。カナンが巻いてやればすぐにでも駆け付けて来るのだろうが、今のカナンにはそんな事をしてやる気が起きないので放ってあるのだ。 第一、城にいる全員のネジを巻いていたのではそれだけで今日一日のスケジュールが終わってしまう。それでは困るのだ。 今日はちょっとした野望(笑)があって、どうしても譲れない。 一日二日、予定を延ばす方法も有るにはあるが、セレストに気付かれては面白みが無いし、到底協力してくれるとも思えない。 だから、それは今日一日だけのお楽しみ。 カナンは城の門前で途方にくれたように動かないで居るリグナムの元へ急いだ。 自然、スキップを踏むように足は浮かれてリズムを刻む。 カナンがようやっと降りてくると、リグナムは『予定通り』そこでカナンの到着を待っていた。 「カナン、今日は変わったものが釣れたから、是非お前に見せたいと思って待っていたんだ」 にっこりと微笑むリグナムに、カナンも負けず劣らずにっこりと微笑み返す。 「それは楽しみです。ところで兄上、お疲れでしょう。僕の部屋でお休みになられては如何ですか?」 「そうだね。では、少し、お邪魔させてもらうよ」 そう云って何所か芝居じみた会話がなされた後、二人揃ってカナンの私室へ向かった。部屋へ着くなりリグナムは「失礼するよ」と云って、それまで担いでいた 人物をカナンのベッドへと横たえた。 「天の川から釣れたんだよ。きっと、お前が気に入るだろうと思って連れて帰ってしまったが、困った事に目を覚さないんだ」 「きっと、星の川で溺れてしまったのでしょう。星も飲んでいないみたいだし、きっと気を失っているだけですよ。この後は僕が様子を見ますので、どうぞお休みになって下さい」 カナンは慣れない手付きで紅茶を入れ、それをリグナムに渡すとベッドに横たえられた人物の顔を覗きこんだ。 蒼い髪、伏せられた睫は意外に長い。頬から顎にかけてゆるいカーブを描き、顔の印象が柔らかく見える。その所為か何所か少女めいた印象を与えるが、引き締まった口元は精悍さをたたえている。 歳の頃はカナンと同じくらい。まだ成長し切っていない少年の体躯。だが明らかにカナンよりがっしりとしている。 ムカムカとしたものが胸の内に沸き上がってきたカナンは、こっそり、その頬を水平に引っ張っってやった。 「……ひたたたた……」 そんなに力は入れていなかったつもりだったのだが、頬を引っ張られた当人は驚いて飛び起きてしまった。何が起きたのかは把握していなくても、頬を引っ張られたのは理解しているらしく、カナンから飛び退くように後ろへ下がりながら自分で頬を擦っている。 「おお、気が付いたか」 カナンは自分が原因である事などさして気にした風もなく、事実だけを述べた。 「ここは……? えっと、君は……誰?」 青い髪の少年はカナンとの距離を取って警戒しつつ、質問をしてくる。それにカナンはにっこりと笑いながら言葉を返す。 「その前に、お前、自分の名前は名のれるか?」 人さし指を少年の目の前でピッと立て、身を乗り出して尋ねた。名前を聞かれた少年は反射的に名乗ろうとしたが、池の鯉よろしく口をぱくぱくとさせるだけ。 「どうした、人に名を訪ねる時は自分から名乗るものだぞ?」 真面目くさって聞いてはいるが、少年の目には何所か楽しそうに見える。だが、少年は相手に返す言葉を自分の内側に見つける事は出来なかった。 自分の名を、覚えていなかったのだ。 「あの、俺は……どうして此処に? 何も思い出せないんだ。自分の名前も何所で何をしていたのかも」 混乱する頭をなんとか自制して少年はカナンを見た。 緑柱石を思わせる玉(ぎょく)のような瞳が不安でゆらゆらと揺れている。 「うむ。まぁ、そんなとこだろうな。 いいか、良く聞け。お前は僕の兄上があの(と云って窓の外に見える頂きを示し) 頂きで釣りをしている所に、お前が釣れたんだ」 なんとも尊大な態度で喋るカナンを不思議に思いつつ、云われた通りに頂きを見、そして『釣れた』と云う言葉に少年はちょっと悲しくなってしまった。 「俺は釣れたんですか」 「そうだ。釣れたのだ」 はぁぁぁぁ〜 少年は思わず深ぁい溜息を漏らした。何が悲しくて人間が魚を釣る釣竿で釣られなければならないのか? 「まぁ、そんなに気を落とすな。 その内思い出すかも知れないのだから、ここでゆっくりして行けばいい」 少年の溜息の理由とは何所かずれたカナンの言葉ではあったが、相変わらず何所かえらそうな態度を崩さない喋りに引っ掛かるものを覚えつつ、少年は必死で言葉を紡ぎだした。 「お言葉には甘えたいけど、自分の事も分らないものをそう簡単に信用したりしていいのかな。もしかしたら俺が嘘を吐いているかもしれないのに」 「お前は嘘をついているのか?」 少年はぶんぶんと音がするくらい頭を振った。あまり勢いを付けて振り回したりしたものだから、自分で目を回してしまったらしく、暫く頭がふらふらと振れてしまう。そんな様子を見ていたカナンはクスクスと、堪えきれない様子で笑い出した。 「だったら良いじゃないか。 ねぇ兄上。この者は記憶が無くて困っている様子。暫く僕が預かって様子を見ようと思います。 宜しいですよね」 カナンが後ろを振り返ってリグナムに話し掛けると、穏やかな声がそれに応えた。 「それは大変困っている事だろう。カナン、出来るだけ力になってあげなさい」 その声に驚いて少年が声の主の姿を探せば、それまで椅子に腰掛けていたらしい長身が立ち上がってこちらを見た。目が合うと自然に微笑みかけてくる。 カナンのように高圧的な喋り方はしていないのに、何故だか重圧のようなものを感じて少年は恐縮した。 「さて、それではお前は暫く僕と一緒だな。 名前が無いと不便だろう。僕がお前の名前を決めてやろう」 カナンは極上の笑みを浮かべて少年に告げる。 「この、青い髪の色は空の色に似ているから、そうだな。 お前の事をセレストと呼ぼう」 セレストと、少年は与えられた名を口の中で反芻する。何所か懐かしいような響き。 「僕はカナンだ。よろしくだ、セレスト!」 あんまり、晴れ晴れしい笑顔で言い渡されて、セレストと呼ばれた少年はただ、頷く事しか出来無かったのだった。 次も箱の中 |
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続きです なんでだか日記で連載してます。今、実はヤバいんで無いかとか思っています。この後、どう見てもBL要素が入ってくると、表からも見えるこのまま日記に書き続けるべきかどうか、悩む所。 ふと気がついたら、日記が反転されてたりしてな(笑) |