|
2 転校初日はスザクがブリタニアに来てから10日後だった。今にも雨が降りそうな重く垂れた雲の下、スザクは自転車に跨り、勢いよくペダルを漕いでいた。森を抜け住宅街を過ぎればすぐに白亜の校舎が視界に入る。 とりあえずたくさんの自転車が停まっている場所に駐輪し、それから事務所の行き、受付にいる女性に転校手続きの書類を渡す。女性は書類をチェックした後、部屋の奥にある書類棚から受領印を押された書類やIDカード、必要な教科書、敷地内と校舎の地図、ロッカーの鍵などをスザクへと渡した。 「今日から授業だからね。遅れないように」 「分かりました」 地図を片手にだだっ広い校内を歩いた。すれ違う人は見慣れないスザクの姿をちらりとみたがそれだけだ。きっと転入生などありふれているのだろう。だがその反面、授業についていかれず脱落し、学校をやめる人も多いのではないんだろうか。 「にしてもありえないな」 スザクは一人ぼやいだ。 校内が日本と比べられないほど広いのだ。中等部から大学まであるから仕方ないといえばそうなのかもしれないが、無駄に広すぎる。教室の移動ですら一苦労だ。しかも転校初日のスザクにとってまだ全体を把握できず、それゆえ近道など到底できるはずもなく、ただ時間だけが過ぎていった。その結果授業開始時間ぎりぎりに教室に到着し、毎回注目をあびることになったのだった。 そんなことを数度繰り返すうちに、何度か同じ授業を取っている人も見つかるようになる。自然に挨拶をするようになり、軽い自己紹介も済ませば、その後打ち解けるのは早かった。 スザクは人見知りしないほうだ。 きっかけさえ掴めばあとは早い。 そうやって打ち解けたうちの一人、リヴァル・カルデモンドもまた同様に人見知りしない性格なのか、昼休みのカフェテリアにスザクを躊躇なく誘ってきたのだった。 昼時のカフェテリアは混んでいた。天井まである大きな窓は中庭に面しており、思った以上に開放的な印象だった。リヴァルの話によれば、こういったカフェテリアはここだけでなくあちこちにあるということだ。 「本当に大きな学校なんだね」 トレーの上に昼食を乗せながら、スザクは呟いた。 「まあな。人が多い分面白いヤツもたくさんいるぜ。ま、なかなか把握しきれないけど」 リヴァルが首を竦めながら応え、それからたくさんのテーブル席があるほうを見る。目的の人物が見つかったのか、大きく手を振った。スザクもそれに釣られ、一緒になって見遣れば、ホール中央のテーブル席でこちらへと手を振り返している人たちに気づいた。 リヴァルはそのテーブル席に行き、自分の隣にスザクを座らせると、順番に仲間を紹介した。先に席に座っていたのは3人で全て女生徒だった。しかもみんなそれぞれ可愛らしい。リヴァルを挟んでスザクと反対側に座っていた金髪の美女はミレイ・アッシュフォード。その苗字にスザクが疑問を抱けば、案の定、この学園の理事長のお孫さんだった。その隣にいるのが眼鏡をかけ髪を三つ編みにしたニーナ・アインシュタイン。ミレイとは幼馴染らしい。そして最後はオレンジ色の明るいロングヘアの女生徒、シャーリー・フェネット。その見た目通り性格も快活そうで、スザクにもすぐに「よろしくね」と話しかけてきた。 スザクは思わず隣に座るリヴァルに言う。 「ずいぶん華やかなお友達なんだね」 だがそれに応えたのはリヴァルではなく、ミレイだった。 「あら、ありがと。実はねここにいるメンバーはねみんな生徒会なのよ」 「生徒会?」 「そ、生徒会。ちなみに私が高等部の生徒会長。ここでは私が法律だから、よく覚えておくようにね、スザク君」 「あ、はい。わかりました」 何となく逆らえない雰囲気を持つ人だなと思いつつ、スザクは素直に頷いた。 そうやって雑談を繰り返しながら昼食を口に入れていると、ふとカフェテリアの空気が一瞬変わった気配がした。それはまるで氷点下の冷気が通り抜けたように、背筋がひんやりした感触に近い。なんだと思い周囲を探ってみれば、いつの間にか入ってきたのか、カフェテリアの奥の窓際に先ほどまではいなかった男女4人の姿があったのだ。 スザクは息を飲み込んだ。 自分の目を疑った。 今、己が見ているものが信じられなかった。 17年で形成された価値観を破壊されるような感覚だった。 テレビや雑誌で安売りしている美男美女ではなく、滅多にお目にかかれない本物の美男美女だったのだ。おそらく一番年長だろう、美しい金髪を肩まで伸ばし華やかな雰囲気をもった青年、その隣に漆黒の髪を持った少年、長く緩やかなウェーブがかかった亜麻色の髪をした少女、そんな彼らに笑顔で何かを話している桃色の長い髪少女。みんながみんな異なった印象を受けるのに、不思議と彼ら全員がそっくりに見えた。というのも全員が共通して真っ白な透けるような肌と見事なパープルアイを持っていたのだ。 「彼らは一体……」 意識せず零れたスザクの呟きにリヴァルは疑問に思ったのか、スザクの視線の先を見て納得して笑った。 「あれはブリタニア兄妹」 「へ」 「あいつらのこと。すっげー綺麗なやつらだろ。転入生のだいたいはあいつら見て、呆然とするからなー」 「うん、すごい綺麗な人たちだ。みんな兄妹なんだ」 どおりで似ているわけだ。 その時彼らの中の一人、亜麻色の髪をした少女が、すぐ隣に腰掛けていた黒髪の青年に話しかけた。俯きがちだった黒髪の青年は何か聞いたのだろうか、ハッとして顔をあげる。そしてその視線の先が……。 スザクもまたハッとした。 まずい。 まともに視線がぶつかった。 ずっと見つめていたのを感づかれたのだろうか。やっぱりすこし不躾だったかもしれない。だが、そう思いながらもスザクはその視線を外すことができずにいた。白皙の美貌にアメジストの瞳、その小さい顔を囲む漆黒の黒髪。その見事な色彩にどうしても自分から目を逸らすことはできなかった。息を詰めて魅入る。呼吸をしたら目の前の風景が粉々に砕け散るような錯覚すらした。 やがてどのくらい経ったのか、亜麻色の髪の少女が黒髪の青年に再び話しかけたことによって、視線の交差は唐突に終わった。一秒だったのか、一分だったのか、まるで時間感覚を失ってしまったようだ。 彼らはトレイに乗せられた果物やパン、飲み物に一切手をつけずに、しばらくテーブル席に留まるとまた来たときと同じように音もなく静かに去って行った。 スザクはその後何度も視線を向けたが、再び重なることはなかった。 のちにリヴァルに聞いたところ、黒髪の青年の名はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと言った。「ブリタニア?」とスザクが訝しめば、リヴァルは「ブリタニアという苗字は結構ごろごろあるんだ」と教えてくれた。昔この国が帝政だった頃の名残らしい。言い換えれば、それだけ「ご落胤」があちこちにいたということだ。彼らは数年前にこの街に引っ越してきたらしい。 リヴァルはスザクが問う前に、他の兄妹のことも詳しく教えてくれたが、そのほとんどをスザクの耳から素通りしていた。彼が覚えているのは、カフェテリアに来ていた4人の他に3人兄妹がいること、それとルルーシュ・ヴィ・ブリタニアのことだけだった。 綺麗な人だった。 彼の兄妹みな綺麗な人だったが、彼はその中でも特別だった。 目が合った瞬間にその色彩に囚われてしまった感覚だった。 白、黒、そして最上の紫。 (ブリタニアってすごい国かも) ついそんなことまで考えてしまう。 だがそんな暢気な考えも、午後の授業の教室の扉を開けるまでだった。音もなく開いたスライドドアの先、大勢の生徒の中に彼の姿を見つけたのだ。 教室はすでに満席に近かった。空いている席は一つしかない。それは彼、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの隣だけだ。 スザクは意を決し、歩みを進める。空いている席が一つしかないならそこに座るしかない。だが同時に疑問に思ったのは、何で彼の隣が空席なんだろうか、ということだ。真っ先に埋まりそうな気もするが、やはりあれだけ綺麗だと周囲にいる人間は気後れするのかもしれない。 スザクは教室の前方から空いている席へと移動し、頬杖をしながら俯いている彼の傍に行く。椅子の背を掴み、それを引こうと動かしたところで、彼が驚いたように顔をあげたのがわかった。 ルルーシュの隣に座る。この行動にほんの僅かでも下心がない、というには嘘がある。多少は話してみたいな、とか、仲良くなってみたいな、という気持ちはあった。だがそれを下心と呼ぶには細やかなものだ。 スザクは椅子を引きながら話しかける。 「こんにちは」 人懐っこい笑みを彼に向ける。けれどいつまで経ってもルルーシュからの返答はなかった。それどころが、身体を強張らせながら、どこか呆然としてこちらを見ている。茫然自失の時間が過ぎると彼はゆっくりと口と鼻を手で覆い、きつく眉根を寄せた。その眼差しはまるで長年の恨みを向けるかのようきつく、厳しいものだった。 そう、これは敵意だ。 彼の全身から向けられる殺気に似た敵意。 スザクは動揺した。まさかいきなりこんなモノを向けられるとは思ってもみなかったからだ。固唾を呑みこむ。椅子を引く手が震えそうになったのを堪えた。着席してもその視線は緩むことはなかった。 何かしたのだろうか? そうは言ってもスザクには心当たりは一切なかった。 当たり前だ。何しろ今日会ったばかりなのだ。何かしようがない。 授業中、視界のすみにいる彼を観察する。スザクからできるだけ離れて座り、歯を食い縛っているのがわかる。シャーペンを握る手は何かを堪えるように握り締められている。彼は微動だにしない。ノートを取っている様子もない。息をしているのかさえ疑う静けさだった。 ルルーシュは授業終了のチャイムが鳴るとすぐに立ち上がり、教室を一番乗りで出て行った。その後姿をスザクはあっけにとられながら見送った。 「何なんだ、一体……?」 どうにもこうにも釈然としないものを感じる。一体自分が何をした。そんなに彼を不愉快にさせたのか。一言も交わしてないのに? だがそれをさらに深く実感するのは、放課後になってからだった。 一日の授業が終わり、体力自慢のスザクでもさすがに疲れていた。見知らぬ場所、慣れない言葉、そして知人が一人もいない、これで疲れないというのなら超人だ。 微かな息をつきながら荷物を鞄へと詰め込む。教科書をロッカーへと置いていっても良かったのだが、持ってかえって予習しないと授業についていけない。日本よりも授業内容が先に進んでいるのだ。 ずっしりと重い鞄を軽々と手に持ち、スザクは放課後の学校を歩いた。廊下の窓の向こうは、運動部だろうか、校庭で準備体操をしている生徒が見えた。校舎はすでに人気がなく、ガランとした印象を受けた。昼間の大勢の人がいる印象からの落差が激しく、余計寂しげにみえてしまう。 階段を下りる。日本と違いわざわざ下履きに履き替えることはなく、靴箱もない。そのまま出入り口に向かい、ふと顔をあげたときに気づいた。 彼が立っていた。出入り口にある大きな柱に背をあずけ、腕を組みながら、彼、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは明らかにスザクを見ていた。 「あっ……」 スザクは思わず声をあげた。 その声にルルーシュは僅かに目を細める。そしておもむろにスザクに近づき、その正面で立ち止まった。その表情は授業の時と同様鋭く、睨み付けているといってもよかった。 ルルーシュは言った。一瞬彼の左目が赤く光ったように感じた。 「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる。俺たちのことに一切興味を持たず、学校生活を送れ」 「え?」 「わかったな」 「は? ……いきなりそんなこと命令口調で言われても……」 と言えば、目の前にいるルルーシュの顔が驚愕に満ちた後、信じられないものを見たかのように変化した。微かに顔をふり、一歩後ずさる。 「まさか……効かない? そんな馬鹿な」 「効かないって、どういう意味?」 まるで逃げるかのように後ずさるルルーシュの腕を掴めば、「ひっ」と軽い悲鳴をあげた後、勢いよく振り払われた。 「俺にさわるな」 そう言い放ち、今度は本当に逃げ去ってしまった。 残されたスザクは唖然としながらも、「腕、細かったよな」という場違いなことを思いつつ、立ち去ったルルーシュの台詞を思い返していた。 ――効かない?―― とは一体なんだったのだろうか。 この学園の人は彼の言うことは何でも聞いてしまうのだろうか。 確かに何か抗えない魅力を持っている人だとは思うが……。 そんな意味がわからない課題を押し付けられたまま、スザクの転校初日は幕を閉じたのだった。 [2012/09/05] |