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Last Update 2006/11/17

科学研究費補助金 基盤研究(c)(2) 

アメリカ合衆国の連邦軍とマイノリティの関係をめぐる比較史的研究

 

報告書

 

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アジア・太平洋の国際関係史を、米国、フィリピン、日本の関係を中心に研究しています。このサイトでは、著作の一部や、関連する研究教育情報を公開しています。



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右の写真は、ブッシュ大統領が見守るなか、入院先で米国市民権取得の帰化宣誓式をするフィリピン系の海兵隊員O.J. Santa Mariaさん(サンフランシスコ・クロニクルウェッブサイト)。この兵士のようなグリーン・カード兵士(市民権をもたない米軍人)が多かったことが話題になりました。その数は、現在、3万7000人にのぼり、その多くがラテン・アメリカ系(ラティノ)ですが、フィリピーノなどアジアからの移民も多いのです。フィリピン系アメリカ人コミュニティは、イラク戦争へのフィリピーノの貢献を強調することで、「移民差別」の撤廃を米国社会に訴えようとしています。

サンフランシスコ・クロニクル 2003/4/30

 

イラク戦没フィリピーノ・アメリカンを称える全米フィリピン系団体HP

U.S. Marines GYSGT Joseph Menusa

U.S. Army SSGT Nino Livaudais

 


San Jose市会議員Chuck Reedさんから星条旗を受け取るフィリピーノ・ベテラン代表フェルナンドさん■「第5回フィリピーノ・アメリカン・エンパワメント会議」のひとコマ(2002/8/29撮影)。退役軍人(ベテラン)帽をかぶっている右側の男性は、会議が行われた地元サンノゼ(シリコンバレーの町)の市会議員Chuck Reedさん。ベトナム戦争空軍ベテランです。左側のベテラン帽をかぶった老人は、いわゆるフィリピーノ第二次世界大戦ベテラン。大戦中、USAFFE(米極東軍)の一員としてフィリピンで対日戦争をたたかったフィリピン軍のベテランです。左手に折りたたまれた星条旗を抱えています。これはReedさんの空軍兵士の娘さん(夫も空軍!)がアフガン戦争のときにアフガン上空ではためかせたものを、Reedさんがフィリピーノ・ベテランの活躍を讃えて贈ったのです。この老人のように、1990年移民法の特例帰化条項によって米国に移民帰化したフィリピン軍ベテランの総数は2万名近くにのぼりますが、米軍ベテランとしての老齢年金を受け取ることはできず、生活保護手当で暮らしている人々がほとんどです。フィリピーノ・アメリカン・コミュニティでは、このベテラン処遇の差別是正運動が、かつての日系人強制収用補償問題にも似た盛り上がりを見せています。この問題については『アメリカの多民族体制』(2000)、『アジア遊学』(2002)でも書かせてもらいました。アメリカ史研究者夏季セミナー・シンポジウム(9/22)でも報告させていただきました(2002/9/22記)。

 


米比両国旗を壇上に掲げたワークショップの様子 2002年8月31日 サンフランシスコ・モスコーネ・センター

■サンフランシスコで行われた「フィリピーノ・ベテラン問題サミット」の様子です(2002/8/31撮影)。1990年移民法を利用してアメリカに移民帰化したものの生活苦にあえぐ2万名ちかいフィリピン軍WWIIベテランに米軍ベテランとしての処遇を与えることを求める差別是正運動が、いまフィリピーノ・アメリカンの間で、かつての日系人強制収用補償問題に似た盛り上がりを見せています。さてご覧のとおり、ここでも人々は米比両国旗を壇上に掲げ、プロジェクターに星条旗を映して、いかにフィリピーノ・ベテランがWWIIでアメリカと民主主義の勝利のために身命を捧げたかを強調していました。日本の「在日」旧軍人軍属補償問題とは異なり、ここでは人々はアメリカ社会の愛国心に訴えてその要求を貫こうとしているのです(前回紹介したエピソードと同様に)。ところがびっくり、ワークショップが終わり本会議場に向けてベテランたちが米比両国旗を掲げて退場してゆくとき、歌詞カードが配布されて皆がうたったのはなんと「バヤンコ(Bayan Ko わが祖国)」。ええ?バヤンコといえばアメリカ植民地時代のフィリピンでアメリカからの解放を求める歌じゃなかったっけ?

米比両国旗を掲げてバヤンコを歌う行進の様子(MPEGファイル1.3MB)

 


Hate Crimeの犠牲者Joseph Iletoさんの遺族Ismael Iletoさん(左)と司法省Community Relations ServiceのRon Wakabayashiさん

 

拉致事件の悲惨な展開で日本でも在日コリアンのヘイト被害が報じられていますが、ヘイトクライムはとりわけ米国社会に生きるマイノリティにとって深刻な問題のひとつです。左の写真(2002/8/29撮影)は「第5回フィリピーノ・アメリカン・エンパワメント会議」にゲストとして招かれたIsmael Iletoさん。1999年8月に兄弟のJosephさん(連邦郵政職員)を、白人優越主義者によるヘイト・クライムで喪ってからヘイトクライム反対運動に献身してきた方で、フィリピーノ・アメリカン運動にも今や欠かせない人物となってしまいました。忌まわしい犠牲がエンパワメント運動にもつながってゆくというアメリカのマイノリティ運動の皮肉な真実を映し出しているとも言えます。写真右上の人物は、ヘイトクライム防止を担う司法省CRS (Community Relation Service)のRon Wakabayashiさん。911事件後のイスラム教徒やアラブ系に対するヘイトクライム防止に取り組んでいます。Wakabayashiさんは、911事件後にカミカゼの連想から犯人は日本人・赤軍派との噂が流れたことを紹介して、日系人として「またきたか(Here we go again)」と思ったとスピーチしていました。

Wakabayashiさんのスピーチ MPEG 788KB

Joseph Ileto殺害事件報道

United Against Hate会議でのIsmaelさんのスピーチ

司法省Community Relations Service ホームページ


■「第5回フィリピン系アメリカ人エンパワメント会議」で演説するフィリピン議会のフランク・ドリロン上院議長(8/29撮影)。左の星条旗の下に立てかけてある看板にはDUAL CITIZENSHIP NOWと書いてあります。実はこの会議、私が研究しているWWIIベテランの処遇問題や9/11事件の余波で米国籍を取得していない空港の保安検査職員が一斉に解雇されそうなことへの抗議とならんで、フィリピン議会に対する二重市民権承認法案と在外(不在者)投票権承認法案の要求が大きなイシューになっていました。ドリロン上院議長は盛んに二重市民権法案推進の立場を強調、同じくフィリピン議会からやってきたシジュコ下院議員は、在外不在者投票法案を推進する立場から、フィリピーノ・アメリカンの聴衆に対して、「あなたたちこそが、今日この国(フィリピン)の唯一の希望なのです!」とまで言い切りました。いやはや。まさにトランスナショナルな存在としてのフィリピーノの現在を映し出していたという印象です。このあと帰国しようとしたドリロン上院議長、サンフランシスコ空港で空港職員に靴の裏まで調べられて激怒したというエピソードがメディアを賑わせ、苦笑を買いました。。

 

シジュコ下院議員の演説から "You are the only hope of the country today!" (MPEG 1.3MB)

ドリロン上院議長を怒らせた空港職員は今やロール・モデル Philippine News 2002/9/11-17


私がフィリピーノ・ベテラン問題について色々と教えてもらっている報道写真家のリック・ロカモラさん(右側、あるベテランのお宅で)。米国でこの問題が注目されるきっかけを作ったひとりです。ベテランたちの生活をモノクロームの表現力ゆたかな写真作品にしている彼は、1993年、サンフランシスコで行われたベテランの帰化宣誓式典を取材しているときに手に入れたビラから、悪徳移民業者カスタリーノ・ダーゾが老ベテランたちを自宅に幽閉して奴隷のように酷使していることを知り、フィリピーノの移民法弁護士ローデス・タンシンコさんとともに救援ミッションをくみ、フィリピーノ活動家や地元の警察当局と協力してダーゾ邸に暮らす17名のベテランたちを救出しました。ダーゾは、ベテランがもらう生活保護手当(SSI)の小切手を移民を世話した代金の抵当として取り上げていたのです。この事件はフィリピーノ・ベテランが米国で生活保護手当に頼りながら悲惨で孤独な生活をしている事実をサンフランシスコ・ベイエリアの人々に教えました。ここからベテラン救援運動がスタートすることになります。ロカモラさんはベテランの生活を追うほか、最近ではIT産業で活躍するインド系アメリカ人コミュニティや、911事件後のイスラム教徒アメリカ人たちの生活を取材して素晴らしい作品を発表し続けています。

リック・ロカモラさんの紹介ページ

インド系アメリカ人の生活を描いたロカモラさんの作品紹介ウェッブ

911事件後のイスラム教徒アメリカ人の生活を描いたロカモラさんの作品紹介ウェッブ


 

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