隊長の命令
「おぉ〜、ジェルファ。食ってるかぁ?」
茶化すような声音で唐突にそう言われて、慌てて口の中のものを飲み込み振り返ると、そこには直属の上官である近衛隊の隊長と副長が揃って立っていた。
「ぬぁっ!?」
不意を突かれて出た声は裏返り、しかも食堂中に響くような大声となってしまった。
一瞬の間の後、食堂のあちこちから冷やかしの野次が飛び、笑い声が聞こえてきた。
「お前驚きすぎ。見慣れた顔だろーが、こんなもん」
そう言って顎の髭を弄りニヤニヤと笑いながら、隊長が俺のすぐ横の椅子に跨るように腰を下ろす。
そのすぐ横に立った副長に、俺の向かい側にいるテートが小さく頷くように頭を下げた。
なんだ? 何か俺やらかしたっけか!?
「食事が済むまで待とうと思ったんですが……すみませんね、気の利かない隊長で」
「いえ、別に……」
副長の言葉にどう答えたものかと言いよどむと、そこはお前否定しとけよと隊長が笑う。
そんな隊長にはおかまいなしに、副長はまた俺に話しかけてきた。
「ジェルファ。食事をしながらで構いませんのでちょっと、いいですか?」
副長の言葉に甘えて俺は、いや、俺とテートは小さく頭を下げて、食事をしながら話を聞くことにした。
俺達の様子を見て副長が隊長の方へちらりと視線を投げる。
それまで副長に無視すんなとか、スルーかよとか悪態を吐いていた隊長がすっと俺の方を向いた。
「あー、そのぉ……なんだ。お前、明日っから休んでいいぞ」
「えっ?」
隊長から出た突然の言葉に思わず食事をしていた手が止まる。
副長から呆れたような溜息が漏れ、テートが気まずそうに視線を逸らした。
あぁ、なるほど。テートが手紙の事を隊長達に言ったってことかな。
「あの、お聞きしても?」
グラスに少しだけ残っていた水を飲み干して、俺は隊長の方を見た。
「ん。なんだ?」
隊長が組んだ腕を椅子の背に乗せて身を乗り出す。
促されるまま、俺は思った事を口にした。
「テートから何か聞きましたか? その……母の事、とか」
隊長は少し考えるような素振りをしてから、ふっと息を吐いて笑った。
「そうだな。テートから聞いたのもあるが……気にはなってたんだよ、俺達も」
隊長の言葉に副長が頷く。
それを確認してから隊長がまた口を開いた。
「時々出してる休暇願い。あれ、実家に帰ってるんだろ?」
「はい、そうです」
「おふくろさん、その……どうなんだ?」
「元々丈夫な方ではないですから。ただ最近は……はい、あまり良いとは言えない状態のようです。今日もまた連絡が来ました」
「……なんだって?」
「風邪をこじらせたとか何とか。熱がなかなか下がらないと書いてありました。まぁいつもの事と言えばいつもの事なんですが……」
そこまで言って何故か言葉に詰まった。
いや、言葉にしてみる事で改めて心配になったというか、言葉が続かなくなったのだ。
正直自分でもこれには驚いたが、どうやら驚いていたのは自分だけのようだった。
「お前、兵舎入ってからもう随分経つよな?」
「そうですね、はい」
「そんだけ、お前のおふくろさんだって歳とってるって事だぜ? わかってんのか?」
「……わかっているつもりです」
「ん〜……いや、わかってねーよ。俺達の10年とおふくろさんの10年は同じじゃねーだろ。いつもの事で済ませてて、お前ホントに大丈夫って思ってるのか?」
返す言葉が見つからない。確かにその通りかもしれないと思ったからだ。
それでもどうにか言葉を探していたら、ガタッと音を立てて隊長が立ち上がった。
驚いたわけでもないが俺がびくりと身体を硬直させると、隊長は宥めるかのようにそんな俺の肩にポンと手を置いて言った。
「帰ってやれよ、ジェルファ。つか帰れ! これ、命令な」
「め、命令……ですか」
「っそ、命令な。熱が下がるまで、お前おふくろさんの側にいてやれよ」
「ですが……」
「何だよ。命令って言ってんだろ?」
「はい。ですが自分が帰ったところでできる事など何も……」
まくし立てるように言う俺の言葉を遮るかのように、肩に置かれた隊長の手に力がこもる。
「あのねぇ。お前がいるってだけで安心なの。おふくろさんも、連絡くれるっていう子も。お前がいてくれたら心強いだろうよって言ってんだよ。違うか?」
「ですが……」
「ですが……じゃねーの。聞いてなかったのか? これは命令なんだよ、ジェルファ」
「そうだよ、ジェルファ。隊長もこう仰って下さってるんだ。こっちの事は気にしないで帰ってやれよ」
テートが向かい側から口を挿むと、さらに副長がそれに続いた。
「すみませんでしたね、気が付いてあげられなくて。こういう事は私達の方から言ってあげるべきでした」
「だな。悪かったな、ジェルファ。さっき俺とウォラスで地味に反省会したとこだよ。な?」
「……はい。反省会かどうかは知りませんが」
ここまで言われてしまっては、もう俺の方から言うべきことは何もない。
肩におかれた手がぽんぽんと二度ほど肩を叩いて下ろされる。
俺はその場で立ち上がり、隊長と副長に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。あ……ありがとうございます」
「おー。気にすんな。俺達の方こそ悪かったな」
「こちらの事は気にせずに、母君の側にいてあげて下さい」
「……はい」
何だかいろいろこみ上げてきて顔を上げられずにいると、その背をまたポンと叩かれた。
「帰ってくる時には何かうまいもんでも土産に頼む。侍女連中のところに持っていってやってくれ」
「そうですね。できたらお願いします」
「いや、実はこれ、シグネのバァさんの入れ知恵っての? 気が利かねー隊長だって、怒られちゃったのよ、俺」
拍子抜けして顔を上げると、静かに笑って副長が言った。
「こういう事は部下からは言いづらいからって。やはり年長者の方は気遣いも違いますね」
「おいウォラス。お前、暗にシグネ殿の事ババァって言ってるぞ」
「言ってません。あなたと一緒にしないで下さい」
「へぇへぇ。何だよ、お前だけいい子ぶって。だからいっつも俺ばっかり……」
ブツブツと言う隊長を先に追いやりながら、副長がにこりと笑って立ち去った。
呆気にとられて立ち尽くしたまま2人を見送る俺にテートが声をかける。
「さ。とっとと食って荷造りだ」
「あぁ」
座り直し、すっかり冷めてしまった料理を口に運ぶ。
向かい側からテートがぼそりと俺に言った。
「俺、余計な事しちゃったか?」
あまりに情けない声だったから、俺は思わず吹きだしてしまった。
そんなこと、あるわけがない。
「いや。ありがとう、テート」
「そっか……ならいい」
テートは安心したように静かに笑った。
そして、この時の俺は思ってもいなかった事だが、このやりとりがテートと交わした最後の会話となった。
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