街路樹のライトアップが一斉に点灯され、頭上にはイルミネーションがキラキラと輝いている。
寄り添いあう恋人たちは人目も憚らずに愛の言葉を囁き合っている。
人混みの中を急ぐ人達はきっと、自分を待っている誰かのもとに向かっているのだろう。
街全体が、ここぞとばかりに寄せ集めた愛で溢れかえっている。
そんな中、私、望月帆波は、やさぐれてささくれ立った心を持て余し、一人きり思いっきりアウェイ感を迸らせながら、肩で風を切り歩いていた。
「……ったく。何だっての、あっちもこっちもイチャイチャイチャイチャ! 恥を知りなさいよ、迷惑この上ねぇっつーの!!」
かくいう私も、ほんの10分前までは、この公害を撒き散らす側にいたハズだった。
ただ待ち合わせていた彼氏が30分遅れてきた上に、ずっと考えてきたであろう謝罪の言葉の中に思いもしない地雷が仕込まれていたのだ。
『……ごめん、ホントごめん! 愛してるから許してよ、可奈、子。じゃね、えっと……』
『ぁあ? 誰よ、それ』
『いやいや、母ちゃん、かな。いや、帆波。ホントにごめん!』
てめぇの母ちゃんは小百合さんだろう!
私は帆波だ、バカヤロー! 百万歩譲っても「な」しか合ってねぇっつの!
あぁ、ムカつく! 思い出しただけでムカつく!!
ヤッてやりましたとも、えぇ。蹴りくれてやりましたとも!!
おかげでブーツのヒールも折れて、とんでもなく歩きづれぇったらねぇよ!
「あぁもう……こんなイブ、これで何度目?」
思わず溜息が漏れる。私はどうやらクリスマスイブというヤツに、聖なる夜というヤツにとことん嫌われているらしい。子どもの頃からロクな事が起こらない。毎年毎年、今年こそは……っと思っては土壇場に突き落とされる。
そして今年もそれは同じで、まるでイブの街から逃げ出すみたいに、私は電車に飛び乗った。
――あぁ、神様。いったい私が何をした!?
もう慣れっこになって涙すらも出てきやしない。そんな私も今年でついにハイティーンギリギリの19歳。さすがに図太くなってきましたよ、私も。
街の灯りが横に流れて、窓にうつる私の顔を切り裂くように通り過ぎていく。やがてその窓を水滴が濡らし始めた。電車の中がざわざわとさざめきのように騒がしくなる。傘がないという言葉があちこちから聞こえてくる。
あ、やだ。私だって持ってないじゃない。駅からアパートまでは歩いて10分ちょっと。どうしようかな。いいや、駅前のコンビニでビニール傘買って帰ろう。
そして電車は最寄り駅に着き、流れ出す人の波に押し出されるように私は歩き出した。
雨はけっこう強く降りだして、コンビニの傘は私の次の人で売り切れ。ありがとうございましたという店員の声に送られて外に出ると、私は傘を手に歩き出した。
雨と共に気温が一気に下がってきて、夜の闇に吐く息がぽんぽんと白く浮かび上がる。見上げる夜空から、まるで銀色の針みたいな雨が落ちてくる。
透明なビニール越しにそれを見てたら、何だかトゲトゲしていた心がどんどん丸くどんどん鎮まっていく。代わりにこみ上げてくるのは、またこの夜を独りで過ごすことの空しさ。あぁ、寂しいって思えたあの可愛い私はどこへいっちゃったの!?
ぽつぽつと独特な音をたてながら、銀色の針達は私の透明な傘ではじけて流れていく。
私はもう一度空を見上げた。
「……? 何!?」
上空で何かが動いたような気がした。目を懲らしても捉えきれないけど……。
あれ、見間違いじゃないよね? それとも眼鏡、替え時なのかな。あぁでもあんな空の上で何か動いたってそれが何よ、私! 感傷的になってんなよ、私! 自嘲するように顔を歪めてまた歩き出そうとしたその時、何かが私のすぐ横に落ちてきたの。
「ぃよぉぉおおおおおっしゃぁっ、着地キマッたぁぁぁぁ!!!」
あ、嫌だ。変なの落ちてきた。知らん振りして急いでこの場を去らなくちゃだわ。
「あれ? ノーリアクション? 今かっこ良かったよね? 俺、かなりキマッてたよねぇ!?」
ヤだヤだヤだヤだ! なんか話かけてきてるかも……何? 人間? 人間なの?
そう思っておそるおそる振り返ってみると、そこにはヨレヨレの黒スーツを着たあやしげな小汚いおっさんが立っていた。
髪はボッサボサ。この季節なのになんか日に焼けてるし、耳にはいくつものピアス。ネクタイは緩めてあって、シャツも前が寛げてある。そこからはまたネックレスかチョーカーらしきヒカリモノが見え隠れしてる。怪しい。怪しすぎるよ、何? 何なのよ、このおっさん!!
傘もささず、いや、それよりも空から降ってこなかった? この辺、飛び降りるような高い建物なんてないわよ? あ、やだ何? こっち見てるし……かっ、関わりあっちゃダメよ、帆波。ここは無視して帰るのよ、帆波ぃっ。
そう決めて歩き出した私の背後で、そのおっさんが何か言ってる。雨音に混ざってよくわかんないけど、酔っ払いか何かよね、きっと。面倒に巻き込まれる前に立ち去るに限るわ、そうそう。
って思うのに……なんだろう。足が自然に止まってしまった。それどころか、おっさんのところまで戻ったりして、私、どうかしてる。
「……何わめいてんのよ、近所迷惑でしょ」
そんな風に声をかけたら、おっさん、泣きそうな情けない顔をしてこう言ったの。
「あ、あのさ……肩、貸してくんない? おじさん、足捻っちゃったみたい」
「は? おっさん、何言ってんの?」
「いや、マジちょっと助けて、コレ。痛いって、マジで痛いんだって!」
なんかもがくように妙な動きをしてるおっさん。嘘は言ってないようだけど、見ず知らずの若い女にそんな事頼むか、普通!? っていうか、戻ってきちゃった私もどうかしてるんだけどさ。
いや、でもさすがに肩貸すとか、ちょっと……ね。
「家は? 遠いの? 傘はあるの?」
そう言って傘をかざしてやると、おっさんは驚いたように顔を上げた。
――あ、笑った。
その笑顔に、私の中のどこかが大きく揺れたんだけれど、それはときめきとか運命とかそういう類のものじゃなくて、一瞬チラついてすぐに消えて行った。
だいたいこんなおっさんにときめいてたまるもんですか! これはほら、ただ私が今ちょっと、すごく心が弱っていて、それ以上にひどくやさぐれていて、それで何だか自分に向けられた笑顔が何だかちょっと、ほんの少し、極々僅かに嬉しいような気分がしただけであって……
「家? 家はまぁ、ん〜なんつーか、まぁかなり遠いな。傘なんてねぇよ。雨降るとか、思ってもなかったしなぁ」
そうヒトゴトみたいにつぶやいて、ずぶ濡れになってるっていうのに私の方に傘を押し戻して、おっさんは力なくまた笑った。
「傘、あげるわよ。私んち、すぐそこだし……ほら」
また一歩近付いておっさんの前に傘を突き出したら、首を横に振っておっさん、顔をくしゃくしゃにしてこう言いやがった。
「俺はいいから。それよかお前、なんかあったのか? あいかわらず笑ってんだか泣いてんだかわかんねー顔してるし。もうちょっと幸せな笑顔が見れるかと思ってたんだがなぁ……」
「……? 私のこと知ってんの? っつーか、関係ないでしょ。余計なお世話だわよ! 傘いらないってんなら私もう行くから。あんたもそのかなり遠いっていう家に早く帰んなさい! 風邪ひいちゃうわよ!」
そう言い捨てて、私はその場におっさんを残して歩き出した。
背中におっさんの視線を感じる。なんだろう……妙に切ないような懐かしいこのカンジ。でもあんなチャラいおっさん、私知らないわよ? 何でこんなに気になるんだろう。そんなに私の心ってば弱ってんの?
どうしても気になってまた足が止まる。ゆっくりと振り返ると、おっさんは道端に座り込んで塀によりかかって空を見上げてた。隣にあるのは荷物かな、ひょっとして家出とかそんなの? イマドキ、おっさんも家出なんてするのかしら。
うっかりじっと見つめていたら、視線に気付いたおっさんが手を振ってきた。
――あぁ、もうっ!
どうかしてる。今日の私は絶対にどうかしてるって。そうは思ってもどうしても気になって仕方がなくて、気が付くとまた私は、おっさんの目の前に立っていた。
「……うち、来る?」
何言ってんのよ、私! おっさんをうちに呼ぶとか、あり得ないでしょ、私!
言った自分が一番動揺してるけど、だけど差し出した傘はもう後戻りできないってカンジで。
おっさんはまた驚いたように目を瞠って、その後今度はニカッと笑った。
「あら? 逆ナン?」
思わずおっさんの頭にカカト落としが炸裂する。あぁ、今日は蹴りがよくキマるわ、私。
「そういう事言うならやっぱ置き去りだわ。どうする、おっさん?」
「……ず、ずびばぜん……お世話にだりばず」
その一言で、私のおっさんお持ち帰りが決定した。