「いらっしゃいませ! 2名様? 窓側のお席どうぞ」
にこやかに客を迎え微笑む宮司はまるで別人。とてもオープン直前まで接客を嫌がってごねまくってた男とは思えない爽やかさ。そして私、望月帆波(彼氏絶賛募集中!)は、何とも盛り上がらないバレンタインを、何故かここ『MIYAJI』で店の手伝いをしながら過ごしている。
宮司のお祖父さんの代から続くこの店は、渋いネーミングにも関わらず世代を超えたファンを持つ地元、駅前商店街屈指の洋生菓子屋だ。いや、屈指も何も、こんな店この商店街には1つしかないっていうのが本当の理由なんだけど。それでもなかなかの好立地でそれなりのニーズはあるはずなのに、チェーン店の一つも出てこないのはこの店の底力なのか、何なのか。
シャラシャラというウィンド・ベルの音が店内に響く。その涼しげな音が冬でも不思議と心地良く聞こえるのは、この店の雰囲気のなせるワザか。カウンターに戻ってこようとしていた宮司が顔を歪めて小さく舌打ちするのが見えた。目敏いおじさんがそれを見逃すわけもなく……。
「諒!」
やや怒りテイストの混ざった声が響く。オーナーっていうのかな? 宮司のお父さんの祥太郎さんは、あれこれ紆余曲折の末にこの店を引き継いだ2代目店長。もちろん店に並ぶ絶品のケーキ類も全ておじさんの手によるものである。時代に合わせて変化しつつも、変わらず愛され続けている味は評判も良く、かくいう私もファンの一人だ。
「……いらっしゃいませ!」
息子のフォローをするかのように、おじさんの甘い声が店内に響く。常連のオバサマ連中の中にはおじさん目当てで来店している人も少なくないそうで、おじさんの作り出すケーキ達と、それに負けると劣らぬおじさんのスイートボイスでオバサマ達は日夜メロメロなんだそうである。それを言ってるのが宮司のお母さん、つまりはおじさんの妻だから面白い。何でも『そんなもんで売り上げが上がるんだったら、愛想の一つや二つ振りまいて来い』とある日おじさんはおばさんに言われたそうだ。そんな二人だが、なんだかんだで近所でも有名な仲良し夫婦である。
シャラシャラと涼しげな音をたて、またウィンド・ベルが来客を店内に知らせる。
うんざり顔の宮司が溜息を一つ、踵を返して店の入り口に向かった。
「いらっしゃいませ……って、え……何?」
案内の声が聞こえず、ついナニゴトかと顔を上げた。棒立ちしている宮司の影になっていて客の顔は見えない。
もともと店内での飲食がメインの店ではないから、カウンターとテーブル合わせても入れる客数は限られている。空いているのはもうカウンター席だけだ。
「……どうぞ。こっち」
振り返った宮司は困ったような変な顔をしている。その後には……げ、例の黒いコートが……。
ぶすっとした顔で案内する宮司の後ろを、脱いだコートを腕にかけたおっさんがゆっくりと歩いてくる。いや、歩いてくるってほど店内は広くはないんだけど、でもスローモーションみたいにゆっくりに見えるの。みんながおっさんを見てる。そしてそれはたぶん、チャラいおっさんだからって理由だけじゃない。存在感? こういう時だけは無駄に神様っぽいよなっと半分呆れつつも感心する。
「いらっしゃい。失礼、うちの倅と顔馴染みのようですが……」
ショーケースにケーキを補充していたハズのおじさんがいつの間にか隣にいて、私が用意していたミネラル・ウォーターの入ったグラスをカウンター越しにおっさんに差し出す。おっさんはそれを、これまた見事なヨソ行き神スマイルで受け取った。
「えぇ、ちょっと。そちらのお嬢さんを通じて息子さんと知り合いまして」
そう言っておっさんが私を見る。え……ここで私に話振るの!?
「帆波ちゃんと?」
「えぇ。まぁいろいろありまして。なぁ、帆波?」
驚いたようにこっちを見るおじさん。
「そうなの?」
「え? えぇ……まぁ…………はい」
心配そうなおじさんに対して、おっさんは何とも楽しげに笑いを押し殺している。そんな中、宮司がカウンターの中へ。
「おい、帆波」
「えっ!?」
宮司が小さく耳打ちして腕を掴む。私が顔を向けると、宮司はバックヤードの方に視線を投げた。
「ちょっと……」
そう言って腕を持つ手に力が籠もる。
「親父。ちょっと帆波いい?」
返事を待たずに私はバックヤードへと連れ込まれた。いや、訂正。引っ張って行かれた、ね。
バックヤードって言ったって自宅兼店舗の個人経営の店だから、厨房というか作業場というか……そしてすぐ横には休憩室として使ってる宮司家の中の一室へ続くドアがあったりなカンジ。で、その部屋に押し込まれる。宮司家ではここだけ土足OKなんだよね……って、宮司、なぜドアを閉める?
「何あれ。お前が呼んだの?」
「何のこと? あぁ、おっさん? 呼んでないわよ」
「じゃーなんで来んだよ。チャレぇおっさん一人で来るような店じゃねーだろ。何しに来た?」
「私が知るわけないでしょ。っつか何でドア閉めるのよ?」
「変に勘繰るなよ、何もイミねーし。だいたい神様うんぬんの話って誰かに聞かれていいもんなわけ? やっぱまじぃんじゃねぇの?」
腕組みとかしてこっちを睨みつけるように見下ろす宮司。くそー、何かムカつくなー!
「マズいかどうかわかんないけど、おっさんのことなら何かテキトーにごまかせばいいんじゃないの?」
「俺相手にごまかしきれねーお前が言うな」
そこでノックの音。心なしか、音がコワイ。
「おい、諒っ。店出ろ、バカ」
おじさんの声だ。そしてまた舌打ちする宮司。
「……すぐ行く」
ドアの向こうに向かってそう言って、またこっちを見る。
「帆波、お前おっさんになんで来たのか聞いとけよ」
それだけ言って、怒ったようにバックヤードを出てった。ドアの影から、心配そうな顔がのぞく。
「おじさん……」
「祥太郎さん、ね」
「しょ、祥太郎さん。どうかしましたか?」
私の言葉におじさんがちょっと驚いた顔。なんだ?
「いや、何もなかったんならいいんだ。諒がなんかバカやらかしてないかと思ってね」
「何もされてませんよ。おじ……祥太郎さん、心配し過ぎです」
「そうか? まぁそれならいいんだけど……」
ちょっとばつが悪そうに照れ笑いをするその顔、親子でそっくりだ。私が見ているのに気付いて、おじさんは小さく言った。
「今日はこっち手伝ってもらっちゃって悪いね」
「いえ、大丈夫ですけど……いいんですか? 宮司、接客嫌がってましたけど」
そう。ずっと嫌がってたのに、おじさんに何か言われた途端に渋々OKしたのよね。いったいどんな魔法の言葉だったんだか……。
「あぁ、いーのいーの。あいつはアレで。それにね、女の子の中には自分以外の女から手渡されたショコラ系のケーキを彼氏が食べるのは面白くない、なんていう子もいるからね」
「そうなんですか? 女っつったって運んできただけの店員じゃないですか。うへー、女はめんどくさいですねぇ、そういうのとか」
「いやいや、男でもめんどくさいのはいるさ」
そう言っておじさんは笑うんだけど、その生温かい視線が私はオソロシイ。
「さて。店に戻ってくれるかな、帆波ちゃん」
「……はい」
バックヤードでまた作業を始めたおじさんを残して私は店内に戻った。あら、カウンターにおっさんがいない? 店内を探すと、一つ空いたらしいテーブル席におっさんはいた。向かい側には驚いた事に航、そして注文をとる宮司。むすっとした顔で振り返ったところで目が合っちゃって、そしたらそのまま、まっすぐこっちに向かってきた。え? え? 何!?
「親父と何話してたんだよ」
困ったような顔で宮司はそう言うんだけど、別にそんな宮司が困るようなコトなんておじさん、何にも言っちゃいない。いったい何だっていうの? すると宮司はおっさん達の席の方をチラリと見てから私に言った。
「航は彼女と待ち合わせだってよ。そのうち迎えに来るとか言ってる」
「ふぅ〜ん……なのにわざわざ窓側の席に通したの?」
「それがさ、なんか様子を見たいとか何とかって、おっさんがさ」
「え? 様子って、何?」
私はそう言ってまたおっさん達の方を見た。特にこっちを窺っている様子はないが、窓の外をしきりに気にしているようではある。何だろう? 誰かいるのかしら? 宮司も私の視線を辿って外を見る。でもやっぱ何も見つけらんなかったみたいで、怪訝そうな顔で手にしていたオーダー票をカウンター越しに私の方へ差し出した。
「これ。ジンジャーエール2つ、航んとこ」
「何それ。おっさんもそれでいいの?」
「知らねーよ。航が言ったら、おっさんもそれでいいって」
「ここはケーキを美味しく食べてもらうためにって、そのついでにコーヒー紅茶の類を置くようになったはずよね? 喫茶店みたいになってきちゃったら、おじさんも大変なんじゃないの?」
「……それこそ知らねーよ。あるんだから、出しゃいいんじゃねーの? ほら、ジンジャーエール2つ!」
差し出したオーダー票を、まるで念を押すかのようにぶんぶんと小さく振る。私はまぁ手伝いに来てるだけだし、言われるままに働くだけだからいいけどさ。宮司、態度悪ぅ。そう思って小さく溜息とか吐いて、グラスに氷を5つ、ジンジャーエールの栓を抜いてそこに注ぐ。シュワシュワという音が、この季節には何とも寒々しい。
「はい、お願い」
「ん……」
短く返事をした宮司が、グラスをトレイに乗せ、器用に運んでいく。私なんかだとけっこうこぼさないようにとか倒さないようにとか、自分でも笑っちゃうくらいおっかなびっくりなんだけど、宮司はそのへん、接客嫌がったりするワリには上手だったりするからムカつくわ。
カウンターに背を向けて、作業台で注文の入ったケーキを皿に乗せる。あいかわらず、おいしいだけじゃない、すごくセンスのいいケーキ。さすがはおじさん。宮司に持っていってもらうためにカウンターにケーキの乗った皿を二つ並べる。戻ってきた宮司がまた無愛想に短く返事をして、オーダー票を見てテーブル番号を確認、店内をスタスタと歩いていく。中には振り返って宮司を目で追う女性客もいたりで。
へぇ……そういう客もいるんだ。こちらに戻ろうとした宮司を横を通るタイミングでつかまえて、何やら話しかけている。人当たり良さそうな笑みを浮べ、宮司はその客の相手をしていた。
「へぇ。あんな顔もするんだねぇ、あいつ」
ボソッとつぶやいた私の横に、箱詰めされた生チョコを補充しにきたおじさんが並んだ。
「あれでけっこう声かけてもらったりしてるんだよ、諒も」
「そうなんですか?」
「うん……」
「……あの、何か?」
「いや、別に何でもないんだけどね」
おじさんは何か言いたげな様子だったけど、特に何を言うでもなく、ショーケースの中に箱をとんとんと並べてそのまままたバックヤードに消えてしまった。
えっと……私は何か言った方が良かったのかな? え、でも何を???
「ちょっと。何、親父と話してんの?」
戻ってきた宮司が不機嫌そうに言った。まったく、この父子は私に何をどうして欲しいの!?
「何って……あんた目当ての客もけっこういるんだよって、教えてくれただけよ」
「余計なことを……クソ親父が」
そう言ってまた舌打ちとかしてるから、カウンターを指でとんとんって鳴らしてとりあえず言った。
「接客中。それ、良くないよ」
「……はいはい」
そんなテキトーな返事をして、宮司がエプロンをはずしながらカウンターの中に入ってきた。
「何?」
「俺、休憩。親父が代わりに出るから」
「そんなの! 私が出るのに」
「いいからいいから……」
そう言って話に割り込んできたおじさんが髪の毛をささっと整えてにっこりと笑う。
「帆波ちゃんはとにかく今日は中でね。諒の休憩中は俺が出るから」
「? はい、わかりました」
「うん」
おじさんが出てきた事に気付いたお客様から早速声がかかる。おじさんは私の肩をぽんと叩いて「じゃ、よろしくね」と言って呼ばれたテーブルの方へと歩いていってしまった。思わず宮司の方を見る。
「航達のところに呼ばれてんだわ。紅茶、お湯頼む」
「う、うん」
耐熱のポットを渡されて、私はそれにお湯を注ぐ。リーフはお客さん用だからと自宅で普段飲んでいるというティーバッグを宮司がポットの中に放り込む。すぐにキレイな琥珀色が透明なお湯の中に漂い始め、宮司はポットを手に、もう片方の手にはこれまた自分用のカップ&ソーサーを持ってカウンターを離れた。窓際の奥の席から、宮司を迎える航の声が聞こえた。