「ビールないわよー?」
そう言いながらダイニングに行くと、さっき浩一さんが座っていた椅子におっさんがビール片手に座っていた。
「そう思って持ってきた」
「……何その準備の良さ」
「なんだよ。いいだろー? ちゃんと現金で払ったぞ。小銭持ってったぞ」
どうやらコンビニで買って来たらしい。いや、まぁ別にカードで支払ったっていいんだけどね、うん。
私は少しだけ残っていたカフェオレを飲み干して言った。
「で、どうしたの?」
「何が?」
空になったカップをシンクに出してくれる航を横目に見ながらもう一度言う。
「いや、どうしたのかなって。何かあって来たんじゃないの?」
「あぁ、俺か。えーっと、んー……そうだなぁ」
何かはわからないがえら言いよどんでいる様子に、航が口を開く。
「俺、いない方がいいカンジ?」
さりげに席をはずすでもなく、ストレートに聞いちゃうところが航っぽいと思った。
洗いなおしたグラスに麦茶を淹れ、1つをこっちに寄越した航に私から声をかける。
「何かよくわかんないけどここにいて。私からも、話、あるから」
「話って、さっきの? 軽井沢?」
返事をする代わりに航の方を見て頷く。
航は少し嬉しそうに、それでも深刻そうな顔を取り繕ってまた腰を下ろした。
「おっさんも、そういう話?」
「いや。夏は俺、山より海派だから。やっぱ水着だろ」
「は?」
明らかに不機嫌になった私の声に、航が声を殺して笑い出す。
おっさんはわけのわからんドヤ顔をしたまま、私の方をチラリと見た。
「俺はただ……さっきお前が変な顔してたから、それ気んなってきただけ」
「へ、変な顔?」
「あぁ。でもまぁ、なんかいらん心配だったみてーだし。高原リゾート計画なら、お前らだけで……」
何だかそのまま帰ってしまいそうな空気に、どうした事か、私は思わずおっさんの腕をつかんでしまっていた。
「帆波?」
「あ。いや。これは、その……」
演技なのかマジなのか、おっさんも驚いている。
はぁ……聞いてもらいたいって、心のどっかで思ってんだろうな、私。
「年長者様のご意見も、拝聴いたしたく?」
「姉ちゃん、何言ってんの?」
「いや、だからそのっ、おっさんにも聞いて欲しいっていうか、何ていうか」
苦し紛れにそう言うと、おっさんはちょっと意外そうな、でも小さく笑って頷いた。
さすが神様だな、とか? こういう時は思う。それとも大人っていうのはそういうものなの? おっさんがそういうのってだけなのかな。
最近になってやっとわかってきた。ここって時におっさんは絶対に茶化したりふざけたりしない。もしこっちが真面目なのにそういう言動をおっさんがとったとしたら、それにはそうしなくてはならない理由があるっぽい。例えば……私が素直になれない、とか?
今回もおっさんは腕を掴んだ私の手をそっと退けると、ビールを一口飲んでゆっくりと足を組みなおした。浴衣だから裾が肌蹴て脛毛の生えた足が丸見えになったんだけど、それはまぁ見逃してやろう。
「えーっと、何から話したらいいのか……」
いったい何を言い出すのかと、航がこっちを見つめている。そりゃもう超ガン見である。うわー、切り出しづれー。なんかあらたまっちゃったというか、あーもうどうしようかな。言い出しにくい。
さて、どこから? どこから……。
「なんだよ。プロポーズでもされたのか?」
「へっ!?」
おっさんがいきなり言うもんだから、自分でもびっくりするくらいに間抜けな声が出てしまった。
そんな声出しちゃったらさすがに航だって気が付く。目がもうなんていうか、そうなのそうなの? って言ってる。はぁ……まったく。
「されたよ。いや、言われたのはもうちょっと前か。花見の時にちょっとそんな話になって……」
立ち上がった航がこっちに身を乗り出してくる。
「は? 花見!? もう何ヶ月も前じゃんか、マジで!?」
「だっ、黙ってたとか、秘密にしてたとか、そういうんじゃないわよ? 何か言わないまんまで何となく来ちゃっただけで……」
驚きの第一波が通り過ぎた航が、脱力して椅子にまた腰を下ろす。
私は何となく気まずくって、いきなり切り出すことになってしまった原因のおっさんをじろりと睨んだ。おっさんはどこ吹く風、である。
「私、まだ20歳じゃない? だから浩一さんも別に急がないって、そういう前提でって、まぁそんなカンジの話だったんだけど」
「……けど?」
「んー。けど……今日またちょっと違う話をされてね」
そう前置きしてから、私は今日浩一さんに言われた話を簡単にまとめて2人に伝えた。
おっさんはビールを飲みながら無反応。まぁ、予想通り。
航はと言うと……。
「へーへー。なんか……へー。すげーな。なんか、なんかな。すげーな」
よくわからない。何が言いたい?
「で?」
「え?」
「だから姉ちゃんはそれで、どうすんの?」
「どうすんのって……」
「考え中っつったって、どっちかはだいたい決まってんっしょ?」
航に促されて言葉に詰まる。それが航に思いもしない言葉を吐き出させてしまった。
「俺の事でGO出せないっているとか、ないよね?」
そんなのあるわけないじゃんって、すぐに言い返したかったけど……いや、ないわけない。私達、たった2人っきりじゃない!
「あーのさぁ、姉ちゃん。俺は姉ちゃんが幸せだってんなら、もう何でもいいって思ってっからね? そこいら、変に気遣ったりすんなよ」
「……わかってる。でも全く考えないでとかは、無理よ?」
「まぁそれはそうだろうけど」
「うん。でも何だろうな……すっごく嬉しくって、けど何だかポーンと飛び込めるかって言ったら、それはそれでちょっと」
航が不思議そうにこちらを窺う。
「なんで? ジェンさん、好きだろ?」
「え? う、うん。好きだよ、大好き」
「うわ」
「だったら聞くな!!」
「ごめんごめん」
くしゃっと笑う航が少しだけ大人びて見える。弟だけど。高校生だけど。でもしっかり自分の考えとか、ちゃんともう持ってる。
「けどまー、姉ちゃんのトシだったらさ。まだそんなん早いってか……正直、ちょっと思うわ」
「うん……」
あ、なんだろ。ちょっと今のは凹む。
「思うけどね。でもジェンさんと付き合うようになってから、姉ちゃんすげーいいカンジとは思うわけよ、弟的に。ジェンさんだったらいいんじゃねーの、っとか思うよ」
「ジェンさん……」
「あ、浩一さん」
「……いいよ、別に。ジェンさんで」
ちょっと笑っちゃった。
おっさんの方をチラッと見たんだけど、なんかまたよくわかんない表情。
そしてまた航が口を開く。
「なんか迷う理由、あんの?」
「え?」
「だからさ、前提でとかそういうのもアリなわけでしょ?」
「うん」
「いつかは軽井沢とか行ったりもすんのかもだけど、でも返事くらいはできんじゃねって俺は思っちゃうわけ」
「え。だって結婚だよ?」
「結婚だろ? ずっと姉ちゃん見てきたカンジでは、答え出すのを引っ張る意味が俺にはわかんね」
そう言った航の言葉に、心なしかおっさんの口許に微かな笑いが浮かんだような気がした。
「そ、そんなん航はヒトゴトだから……でしょ」
「まーね。姉ちゃんの話だけどさ、相手ジェンさんじゃん」
「何よそれ。じゃーあんたは今の彼女と何だかそういう話になっちゃったりしたら?」
「は? 何だよその切り返し。でもまぁいいわ。高校生っつーのを抜きにしても、俺はソッコー断わるね」
「断わるの!? 彼女、好きなんじゃないの?」
「好きだよ」
ちょっと不機嫌そうに、でもこっちを真っ直ぐ見てそう言った航は、もうだいぶ気が抜けてしまったであろう炭酸を一気に飲み干して言った。
「好きだけど違うべ。あの子とは、そういうんじゃない。そりゃー俺らがまだガキだってのもあるけど、でもそういう相手じゃないってのは何となくわかんじゃん」
「ちょっと……好きで付き合ってんでしょ。それはちょっとひどくない?」
「そっちが聞いてきたんじゃん。ガキなりにちゃんと答えたつもりだけど?」
「そ、そんな……夢のない……」
「……なんだそれ」
ペットボトルを流しに放り込んで、航がこっちを向く。
「話戻すよ。姉ちゃんとジェンさんの話は、夢の有る無しじゃなくって現実っしょ。俺にだって、その先がちゃんと見えるもん」
「う、うん」
「何のつもりで俺にムチャ振りしたかしんねーけど、だけどジェンさんの話、もうちょっと真剣に考えてあげたら?」
「かっ、考えてるわよ! 考えてるに決まってるじゃない!」
「まぁ……その、なんだ」
っと、いきなりおっさんが割り込んできた。
「ちっとばかし姉ちゃんそっとしといてやれや、航」
「いや、でもさ。姉ちゃんが聞いてっつったんじゃ……」
「帆波も」
「え?」
おっさんが一息吐いてから後を続けた。
「酒屋の兄ちゃん。浩一、だっけ? 急がなくてもいいっつってんなら、それに甘えてゆっくり考えりゃいいだろ」
「いや、そうは言っても……」
「少なくとも、今日言われて明日返事くれってんじゃねんだろ?」
「そりゃーまぁ、そうだけど」
「お前自身がまだ混乱してんだよ。自分なりの考えを俺らに話して頭ん中整理したかったみたいだが……お前ん中でまだそこまで追いついてねぇんだよ、いろいろ。わかってんだろ?」
そ、そう言われてしまうと……そうかもしれないけど。でもね、浩一さん、たぶんすごく答えを欲しがってると思うんだよね。
浩一さんの事が好きなのはもう絶対にそうだし、何がひっかっかってるのか私だって不思議なくらいなんだし。年齢はね、確かにまだ若いよって、早いよって思うよ。けどそんなんじゃない何か……。
そんな風に考えに考えて、探しても探しても、おっさんに言い返す言葉は見つからなかった。
航はそれでも私の次の言葉を待っていたみたいだったけど、目を合わすコトすらしない私に諦め入ったのか、テレビを見るとか何とか言って、そのまま自分の部屋に消えてしまった。
ダイニングには私とおっさんの2人だけ。おっさんは何を言うわけでもなく、ビールをちびちびと飲んでいる。
私はと言うと、顔を上げることもできずにただまたぐるぐるしていた。
「帆波」
「…………」
「帆波ちゃーん?」
「……何よ」
とにかく刺さる視線が痛くて、私は根負けしたみたいにおっさんの呼びかけに返事をした。
「お前が浩一に惚れてんのは見てりゃわかるよ」
「あー、そう……」
「……引っかかってんのは何だ?」
「え?」
私の反応をどう思ったのか、おっさんは困ったような顔で先を続けた。
「だからさ。なんかあるからソコで詰まってて、考えが先にいかねーんじゃねぇのかって、そう言ってんだよ」
「なんか? んー、なんか、なんか……ねぇ」
「ま、もうちょい頭ん中まとまったらまた航にでも聞いてもらえ。おじさんはもう帰る」
そう言って立ち上がりながらおっさんはビールを一気に飲み干すと、部屋に戻った航に向かって声をかけた。
「航きゅーん! おじさん帰るからねー」
声に応えるように航の部屋からドタドタと音がして、航が慌てて飛び出してきた。
「マジで? もう帰っちゃう?」
「帰っちゃう帰っちゃう。これでも神様よー? いろいろとあんのよー、いろいろとー」
「ふーん。まぁ姉ちゃんばっかみてもいらんねーよなー」
「そうそう。えこひいきしちゃいかんのよ。俺、神様だもん」
「のワリには十分ひいきしてくれてんじゃねーの? まぁソレわかるけど、けどやっぱ俺じゃーどうもなんねぇあたりは、姉ちゃんの話聞いてやってくれると助かるわ」
「……まぁ、ボチボチな」
「うん」
来た時のテンションが嘘みたいに、おっさんは静かに帰って行った。
航もそのまま自分の部屋に行っちゃって、私は何となくポツンと取り残されたみたいになってしまった。
何なんだろ、おっさん。何だかもう神様っていうか、親戚の世話焼きな不良おじさんみたいなポジションになっちゃってない?
そう思ったらちょっとだけ笑えた。
ゆっくりと立ち上がって、空いてるグラスを洗い始めると、頭の中も少しずつだけどすっきりしてきたような気がした。
そもそも私がここまでもやもやしてきた理由って……なんだっけ? きっかけみたいのが何か……。
「んー」
軽井沢、かな? 前にもその……け、結婚とか何とかみたいな? その、そんな事にはなってたけど……前と違うのは軽井沢、だよね。
そうだよ。私、本当にここを離れてもいいのかなって思ったりして、いやでも軽井沢に行くって、別にでもずっととか、そういうんじゃ……いやいや、そこじゃないよ。
そんなんじゃなくてもっと他の……何かもっと、もっと別の感情だったような。
「なんだっけ」
言葉にしてみても、何も出てこない。
こりゃ諦めて部屋戻るか。シャワーも浴びたいし……
ダイニングキッチンの電気を消して、のそのそと部屋に戻る。ドアを後ろ手に閉めて電気のスイッチを入れようとした瞬間。
「あ……」
思い出した。思い出してしまった。
一人になって思い出した、寂しいっていう感覚。
それを思い出すと同時に、一瞬だけ頭をかすめた何かが何だったのか、はっきりとしてしまった。
「そうだ、私……」
今までわけわかんない感覚だったけど、もうわかる。そうだよ、私、思っちゃったんだ。
浩一さんに軽井沢って、一緒に来て欲しいって言われた時に……ここを離れるって思ったら寂しいって、そう思っちゃったんだ。
== The End. Thank You!! ==
創作の励みになります。
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