不動産鑑定評価 第4章 揺れる心

揺れる心


「じゃ、俺戻るわ。邪魔したな、ザイン」
「いや。俺の方こそ引き止めて悪かった」

 執務机の書類に目をやりながら答えるザインを横目に、ヒリュウは扉の取っ手に手をかけた。
 だがすぐには出ていかず、そのまましばらく固まっているヒリュウに、ザインは何事かと声をかけた。

「まだ何かあるのか?」

 ヒリュウは振り返らず、そのままの体勢でザインに言った。

「さっきの、話だけど……」
「ん?」

 ザインは作業の手を止めて、不思議そうに首を傾げて先を促す。
 ヒリュウはその次に続く言葉を、苦しそうにしぼり出した。

「俺にはもう、他の道がわかんねぇんだ、ザイン。だから俺はこのまま行くから。あとはお前が、考えてくれるか? お前は俺より頭がいいんだからさ。もっとマシな道、見つけてくんねぇかな」
「……何の話だ?」

 ザインが問い返したが、ヒリュウは一言だけ告げて部屋を出て行った。

「……そのうちわかる」

 扉が静かに閉まると、その向こう側からヒリュウの立ち去る足音が聞こえてきた。
 どんどん遠くなるそれが聞こえなくなると、執務室にいつも以上の静けさが戻ってきた。

 出ていいものかどうかと迷いながら、奥から女官達が執務室に入ってくる。
 ある者はただ黙って茶器を片付け始め、またある者はザインの下で働く文官に届ける書類を持って部屋を出て行った。
 ふとザインは我に返って、ふらふらと長椅子に歩み寄り崩れるように腰を下ろした。

「何なんだ、あれは……」

 そうぼそりとこぼし、先ほどまでの会話を何度も反芻する。
 だがそれだけではヒリュウの問いの答えは見つけられそうになかった。

 今朝の朝議、その後の行動。
 いや、それ以前のヒリュウの言動、すべてがあの問いにかかってきているのかもしれないとザインは思った。

 ――考えるくらいならいくらでも考えるさ、ヒリュウ。でもお前……。

 悔しそうにザインが歯を噛み締める。

「なんで肝心な事を言わないんだ、いつも……!」

 握り締めた手の爪先が白く変わっている。
 ザインの中に、怒りにも似た焦燥が湧き上がってきているのだ。
 漆黒の翼のザザからの報告も気になった。
 だが全ての情報を突き合わせても、ヒリュウが自分に何を望んでいるのか、ヒリュウが実際にどう動き始めたのかすら、見当もつかなかった。
 ザインはぎりりと唇を噛み、視線だけを動かして執務室の中を見渡した。
 そして部屋の中に女官がいない事を確認すると、おもむろに立ち上がり、その足を奥の間の方へと向けた。

 そこは薄暗く、一見誰もいないようにか見えなかった。
 だが、ザインはその薄暗闇に向かって静かに言った。

「ザザ、頼みたいことがある」

 奥の間の空気が一瞬だけ少し揺らいだのを確認すると、ザインはそこにいるはずの男に向かって言った。

「ホムラ郷に行け。調べて欲しいことがある」

 ザインが具体的に指示の内容を告げると、次の瞬間、奥の間から完全に男の気配が消えた。
 ただ一人薄暗闇の中に残ったザインは、何かをしきりに考え、そして執務室に戻ってきた。

「どなたか、いらっしゃったのですか? 声が……」

 ザインの声を聞いた女官の一人が、お茶を用意するかどうかを聞きに執務室に出てきていた。

「あぁ、ごめん。ただの独り言だよ」

 ザインはそう言って笑うと、執務机の書類にちらりと目をやった。

「君達はもう上がりなさい。今日はちょっと遅くまでかかりそうだからね。調べたいことがあるんだ」

 女官達にそう言って微笑みかけると、ザインは退出の挨拶をしてくる女官達の方を見向きもせずに書棚の本をいくつか手に取った。
 やがて一人になったザインは、何かに憑かれたように調べ物に没頭した。
 おびただしい数の文字を目で追い、何か気になる言葉を見つける度に自分の中にある情報と突き合わせて答えを探す。
 やがて多くの文字の中から、どうしても引っかかる言葉がいくつか洗い出されてきた。

「砂漠の龍、黄龍……か」

 何の気なしにつぶやいたその言葉に、これから自分も深く関わっていくことなろうとは、さすがにその時のザインにはわかるはずもない。
 ただひたすらに、結局そのまま明け方まで、ザインは自分の探しているものが何かもはっきりとしないまま、しかし諦めることもできずに本の山を築き続けた。