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苫小牧の消えた沼を探して見てみたい!

 
 今から約20年前に沼巡りをし、苫小牧に現在ある沼をHPにまとめてあって、それに対する質問が閲覧者からあったことがきっかけで、消えた沼をさがしはじめた。
 ネットで探しても出てくるはずもなく、図書館に行って古地図と古い書籍を閲覧して一覧にしたものを作ってみた。

 消えた沼は、長尾の沼(大沼)、法華寺沼(上の沼・墓所の沼)、神社沼(下の沼)、カラス貝沼(小佐羽内沼・小沼)、佐羽内沼(坊主山沼・マチイネ沼)、グレーン沼(人工の沼)、裏沼(うら沼)、底なし沼、オテーネ沼、大沼(緑ヶ丘リンク)、カラス貝の沼、ヘビ沼、遠浅沼、安藤沼であるが、現存する沼も沢山あるので、現在ある沼のHPも参照されたい。

 下に苫小牧の消滅した沼一覧を記載したが、経度緯度は現在の地図上に消えた沼を落とし、そのおおむね中心となるものを掲載してあるので、大体の沼の位置がわかるようにしてある。

 ネットに消えた沼を発見したとの動画投稿があったが、聞いたことのない沼名で、位置を示さないものであったが、知っている限りその位置の水の溜りは再開発で人工的にできたもので、過去に小川が流れ、その西側をサスケの森と呼んでキャンプをしたところである。

 
 

35:長尾の沼・大沼
 
この沼は、現在の糸井駅南南東にあり、長尾氏が所有していたことからの名前で、同氏が放流したウナギやコイ、フナなどが多く生息していたが、有珠川の改修や昭和29年頃からの干拓で消えていった。
 

36:法華寺沼・墓所の沼・上の沼
 墓所の沼(上の沼・町所有)は、北側に墓地があったことからの地名で、氷を取っていた。また、国道を挟んで中央院北側に法華寺(日蓮宗説教所)があったことから、法華寺沼とも呼ばれた。

37:神社沼・下の沼
 
神社沼(樽前山神社所有)は昭和6年に冬はリンク(町営)、夏はプールになったが、昭和14年に王子製紙のリンクができ不要となり、昭和14年の有珠川改修により埋め立てられ、陸上競技場に生まれ変わった。


 
38:カラス貝沼・小佐羽内沼・小沼
 佐羽内沼の西側にあった小さな沼で、沢山のカラス貝が生息していたからことからそのように呼ばれるようになった。

39:佐羽内沼、坊主山沼、坊主山公園沼、マチイネ沼
 佐羽内沼は、坊主山の直ぐ下にあったことから坊主山沼と呼ばれていたが、大正末期頃マチイネという町名番地で呼ばれるようになったので、マチイネ沼と呼ばれたこともあった。昭和6年にここで淡水魚養殖をおこなっていた佐羽内氏が払い下げをうけたことから佐羽内沼と呼ばれるようになった。沼は、1975年に埋め立てられた。
昭和9年3月版の苫小牧案内圖に坊主山公園沼とあり。
坊主山から見た昭和40年代の佐羽内沼
 
昭和30年中ごろの佐羽内沼
 

40:グレーン沼
 王子製紙は明治5年に佐羽内沼南東にドイツ製の移動式ケーブルグレーンを設け、この設備を人々はグレーンと呼んでいた。この付近に氷をとる溜池があり、この人工的に作られた溜池をグレーン沼と呼んでいた。近くに大鋸屑で作った氷蔵庫があり、取った氷を保管していた。

ネト沼