康大のマダガスカル紀行 A  アベマリア産院

 
 一夜明けて翌日、僕のためのアベマリア産院ツアーが始まった。まずは分娩室からスタートだ。ベッドが思いのほか小さく、予備知識のない僕でも医療器具の不揃い、保育器の不足を一瞬に感じ取った。しかもそのいくつかは壊れていて使える状態になかった。最初から軽くパンチをくらった気がした。しかし、そうした十分ではない医療環境を乗り越えて、新しい生命が誕生しているのは、シスターの懸命の働きと病院関係者の努力の賜物だろう。待合室には長い木彫りのイスが置いてあった。妊婦さんたちはそこで診察の順番を待つのだという。「どれどれ」と妊婦になった気分で座ってみたら、結構座り心地がよかった。あれなら何時間待っても大丈夫かも?(笑) ある部屋には、なんと生後2〜3日の新生児を抱えた母親がベッドで横になっていた。僕が成田を出発した日に生まれたそうな。うーん、惜しかった…。もう少し早く到着していれば、出産に立ち会えたのに? ただこの時期は月が三日月であるため、子供は生まれないとのこと。出産は半月(はんげつ)よりちょっと膨らんだ時に多いそうだ。出産と月に相関関係があるとは知らなかった。またひとつ賢くなりました。シスターが最後に案内してくれた部屋は、日本から届いた援助物資のストックルームだった。僕たちが送った衣類は配給済み。粉ミルクも全部使い切ったとかで、今回重量オーバーにもめげず、たくさん持ち込んで良かった。毛布20枚は各ベッドで使われており、健在だった。送ったものが役立っている様子を確認できて、嬉しかった。

分娩室のベッド 新生児を抱く母親とシスター

 
 産院の外には野菜畑・果物畑が広がっていて、そこで取れた野菜はちゃんと食卓に並ぶという自給自足の生活。無農薬で育てているだけあって、味も抜群だった。他にも、牛や豚、鶏も飼われていた。とにかく広大な庭だった。その中を疲れた顔ひとつ見せずにひょいひょいと身軽に歩き回って案内をしてくれたシスターに感謝!

 この日(329日)は『犠牲者の日』。マダガスカルでは休日同様で、みんな何もしない日だという。街に出ても店も銀行も閉まっているということだったので、午後はアンチラベから約7キロ離れたアンドライキバ湖に連れて行ってもらった。まわりの山々が湖面に反射した様はひとしお美しく、それは見事だった。子供たちは湖に裸で入り、シャワー代わりにしてじゃれていた。牛の餌のための草を刈っている少年にも会った。すれ違った男の子たち3人に、「写真を撮るよー」と言ったら、嬉しそうな顔をしてポーズを作ってくれた。彼らの表情はくったくがなく、貧しさを少しも感じさせない。むしろ生きていることが楽しいんだと無垢な顔を向けてくれて、何だか心がほんわかした。

アンドライキバ湖
少年と僕

 
 
2時間ほど湖の散策を楽しんで家路へ。もと来た道を戻ってバス停に向かっていると、後ろから来た1台の車が僕たちの横で止まった。運転手が、どこまで行くのかと聞き、良かったら乗っていきな、となった。シスターに「親切な人ですね」と言ったら、「私はよく乗っけてもらうのよ。それだけ歩き方がおばあちゃんくさいのかな?」と笑っていた。いやいや、おばあちゃんがあんなに長い湖のほとりを歩かないでしょ!(笑)

 この日は暑さも相当で、まだ若い僕ですら結構ハードな行程だったのに、シスターはケロッとしていて、その体力には驚かされた。明日からはもっといろんなところに連れて行ってくれるそうだ。

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