康大のマダガスカル紀行 B アンチラベの日々


 翌日真っ先に向かったのは銀行だ。3つの銀行を回り、一番レートのいい銀行で換金することにした。銀行に入ると簡単な申込用紙があり、書き終えたらそれをカウンターに順番に置く。立ち食いそば屋で食券を並べる様に似ていた。行員はそれを一枚ずつ順番に裁いていく。客層をみると、僕らのように両替目的の人もいれば、自分の給料をもらいに来る人、預金をしに来る人と様々だった。数にして25〜30人くらいはいたか。行員はたったの2人ときたら、辛抱強く待つしかない。たまにはのんびり気長に待つ経験もいいかなと僕は覚悟して列に並んだ。シスターに「1時間はかかるね」と軽く言われたが、意外に早く(それでも40分待ち)順番が回ってきた。150US$を320100Ariaryに両替無事完了。これでようやくお小遣いができた!!


 銀行を出て、近くの市場をブラリとのぞいてみることに。そこには生肉が無造作にぶら下がり、果物、野菜、米、塩、砂糖、コーヒー豆などが売られていた。そばの簡易食堂では、子供たちが食べ物を頬張っていた。衣類はボロボロ、足はもちろん裸足、ハエが止まっている食べ物を平気で口にしている。僕はカルチャーショックを感じてたじろいたが、子どもたちは飽くまで屈託なかった。僕が思わず手を振ると嬉しそうに満面の笑顔で応えてくれて、何だかホッとした。
市場で出会った子供たち

市場などの人が集まる場所の外に待機しているのが、『プスプス』という日本でいう人力車だ。あるスーパーからの帰りにシスターと一緒にプスプスに初挑戦してみた! 僕とシスターの体重に荷物の重さを合わせたら、130kgは優に超えていたというのに、表情ひとつ変えず懸命に担いで走る姿には感心した。シスターに聞けば、プスプス業を始めるには、試験に受かって資格を取らなければならないそうで、そのために少年たちは早朝からジョギングをして体を鍛えているという。僕の走りこみや体力作り(サッカー練習での)でプスプス試験に合格できるか、試してみたい気になったが、無理だろうな。

プスプス
 プスプスで産院まで戻り、ひと休憩してから今度は産院の周りを自転車で散策することにした。もちろんシスターも一緒だ。かつて鉄道が通っていたアンチラベ駅や、18種類の部族の名が刻まれた記念碑にも行った。お世辞にもいい道ではなかったのに、シスターの自転車を漕ぐ姿は年齢を全く感じさせないほど力強く、僕はここでもシスターのパワフルさに圧倒されたのだった。
シスタ〜! 


 日が変わって翌日、エリーの運転で木工品で有名なアンブシトラに行った。店頭に並んでいた木彫りのマダガスカルホシガメやワオキツネザル、イエスキリスト像やお産をしている妊婦さん像、歯科医院の診察風景を表した作品など、どれもその精巧さは驚くほど。嬉しいことに、シスターの計らいで、製作中のアトリエを見ることが叶った。そこでは
10人ほどの男性が、写真だけを頼りに彫刻作品を作り上げていた。何度も何度もその写真を覗き込みながら、丁寧に指先を動かしていた。一朝一夕には身に付かない卓越した職人芸だ。マダガスカルの人の手先は、極めて器用に違いないと思った。大勢の観光客がわざわざここまで足を運ぶ理由がわかる。僕は小遣いを叩いて記念に木彫り作品をいくつか買った。


 アンブシトラをあとにして、次に向かったのはチーズで有名なベネディクティー。その道中、牛の行列とすれ違うはめになった時、牛どもがお構いなしに車に迫って来たから慌てた。ここでは車よりも牛のほうが優先するということだ。牛に交通ルールを教え込むことなど出来るはずがなく、車は止まってひたすら通り過ぎるのを待つしかないのだ。牛の行列を見送って、さて再び出発。シスターが昔お世話になったことのある修道院でチーズを購入。ここの人たちはチーズだけで生計を立てているそうで、立ち寄った時には必ず買って帰るとおっしゃっていた。

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