康大のマダガスカル紀行  C 「僕の泊まったペンション」


 
アンチラベ滞在中の僕の宿は、産院の道路を挟んだ向いにある家族経営のペンションだった。B&B、つまりはベッドとブレックファースト付きサービスで、朝ご飯を食べたら、産院に行き、一日シスターのお伴であっちにこっちに。寝る頃になったら道路を渡ってペンションに帰る。これを繰り返す1週間だった。

ペンションの僕の部屋は、籐製のベッドが2つに机、椅子とテーブル、奥にクローゼット。部屋の隣には広いバスとトイレ、洗面台…。何とも贅沢で落ち着くスペースだった。人気のペンションだとシスターが言ったのも頷ける。

 朝目覚めてダイニングに行くと、ペンションのママが「ボンジュール」と、最高に愛想のいい顔で僕を迎えてくれる。眠気はこれで一辺に吹き飛ぶのだ。やっぱり、ペンションのママはこうでなくっちゃ。すぐに朝食の準備をしてくれ、「さあ、できたよ」の掛け声が「ボナペッティ=enjoy your meal」。僕は「メルシーボク」と返すのだ。朝がフランス語で明けるなんて、何とも言えない気分だった。さらに食卓には正真正銘のフランスパンがドンと乗る。元フランスの植民地だった経緯で、フランスパンは朝食に欠かせず、これがまた言葉にできないほど美味しい。パン嫌いの僕が毎日あの長いバゲットを一本ペロリと食べたのだ。コーヒー豆の生産地としても有名なマダガスカル。味にもコクがあって、ご飯に納豆の僕がフランスパンとコーヒーでなくては、朝が来た気になれないと思えるほどだったから、自分の嗜好の変化に我ながら驚いた。

 このペンションには、ママの他に男の子4人と女の子1人の5人兄弟がいた。長男は社会人で会う機会がなかったが、他の4人とはよく話したり、遊んだり。と言っても彼らはフランス語かマダガスカル語で、僕は英語。辛うじて3番目の12歳の男の子が僕の英語を少し理解した程度で、後はお手上げだった。そこで登場したのがこんな時のためにと持参したマダガスカル語の本。そこから言葉を拾い、話してみたら、通じた! 必要は発明の母、じゃないけれど、伝えたい何かがあると必死に言葉を覚え使おうとするもんだ。僕は簡単なフランス語の挨拶とマダガスカル語で自己紹介ができるまでになった。

 そんな数日が過ぎ、いよいよ明日はアンチラベを発つ前日の夕方。夕飯まで間があったので、クリスト(20歳)とブリーズ(14歳)、エメ(12歳)の3人とサッカーをすることにした。ボールに見立てたのは、何と果物の柿!何故なら午前中に彼らが使って遊んでいたサッカーボールが破裂して、使い物にならなくなっていたからだ。しかし、彼らはそれが果物の柿であることを全く感じさせないほど、上手に扱い、素足で見事にリフティングしていたから驚きだった。サッカー命の僕より上手かったな。

 1時間ほど遊んだ後、僕は町に急いだ。最後の日の最後の時間を何に使ったかって? サッカーボールを売っている店を2,3軒覗き、一番安い店でお得意の値引き交渉をしてボールを購入。それを町の人に気づかれないようお腹の中に押し込んでペンションに戻った。サッカーボールを持って歩いていると、みんなが羨ましそうに見るからだ。彼らへのサプライズギフトにしようと思っていたのに、ペンション入り口でクリストに見つかってしまい、大喜びされてしまった。

 翌日、僕がプレゼントしたボールでサッカーをした。近くの広場にはネットの張っていないゴールが2つあって、あとは広大なスペースがあるだけ。近くにいたおじさんも交えて、5人でサッカーを楽しんだ。クリストたちがボールを懸命に追いかける姿に、サッカーが本当に好きなんだなぁと嬉しくなり、どこで覚えたのか驚くほど高い技を随所に見せてくれたから、びっくりした。草野球ならぬ草サッカー。そこにはマダガスカル語もフランス語も不要だった。声を掛け合い、必死でパスを回す時、僕は彼らとすっかり気持ちが通じ、心が溶け合った気がした。



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