康大のマダガスカル紀行 その後 D 「久しぶりの荷造り」

 シスター宛の荷物をなかなか送れずにいた。マダガスカルの政情不安定が理由だ。法律はご都合主義でしょっちゅう変わる。昨日良かったことが今日になれば、平気で駄目になる。荷物に法外な税金が掛かることも毎度のことだ。法律であるはずのいろいろな約束事も、簡単に反故になる。荷物もよく行方不明になる。箱がボロボロになって1年遅れで届いたとかで、シスターも心を痛めておられた。心ある支援品だからと言って、その心がうまく先方に届かない。そんなわけで、シスターから状況が安定するまで、しばらく送るのはストップして欲しいと言われていた。最後に荷造りをしたのはいつだったか。

 それがやっとシスターからOKサインが届き、いつもの仲間が集合した。相変わらず、ご近所の母の友達たちと僕の組み合わせ。体力仕事もたくさんあるから、僕は必要とされていて、大事な一員として評価は絶大だ(笑)。

 段ボールは松本さんが5箱、提供してくれた。粉ミルクは12缶で2万円ちょい。粉ミルクだけで相当な重さがあるから、ひと箱20キロまでの荷造りも案外コツが入る。粉ミルクの隙間に古着やら文房具。バッグやぬいぐるみ。今回はシスター用にふりかけを何袋か。それに歯ブラシを20本近く入れた。僕によくしてくれたシスターたちすべてに1本ずつ。ほんの気持ちばかりのプレゼントだ。さらには、アンチラベで泊まったペンションの息子たちに、僕が愛用していたサッカー用のシャツや靴下や練習着を入れた。帰る時に約束したままで、気になっていた。シスターに「お向かいのペンションに届けて下さい」と手紙を添えた。彼らとサッカーに興じたことがすごく懐かしい。みんな元気にしているかな。英語を勉強してくれているかな。

 荷物は5箱で送料が4万2千円ほど。粉ミルク代と合わせて6万3千円。あらためて送料の高さが堪える。支援も資金の確保があってこそ。また寄付金集めを始めなくては次の荷物が送れない!

そんな心配があっても、作業の後のお茶会はいつも盛り上がる。安崎さんの作ったアップルパイと栗、平野さんが持ってきた野菜の砂糖漬けみたいなお菓子、松本さんのおじさんがエチオピアから一時帰国していて、お土産のコーヒーと紅茶もテーブルに乗った。あとは母のフルーツケーキ。荷造りで使った体力を回復するのに十分で、僕の胃袋も気持ちもすっかり満足していた。

           2006.10.23   康大

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