ビッグ・クエスチョン
 
 
【2018】
久々の回線速度測定
日の入り(日没)時刻
WiMAXの検討
毎日1万歩で病院通い
ADR(裁判外紛争解決手続)
ホモ・デウスの時代
軽快なSSD起動
携帯電話料金の検討
簡易葬の実践(2008
荒海や佐渡によこたう
鶏が先か、卵が先か
いずれ買物難民に
世界アルツハイマーデー
体育会系的価値観
次のノートパソコン
サマータイム
海洋葬の復活か!
海水浴場発祥の地
どうしたするめいか
終戦の日(73年)
Topは終身がお好き
オー!カオル君
御巣鷹山事故から33年
これが最後の?柏崎
越後の高校野球
夏のバカンス
越後人気質
えんま市とぎおん
人類の寿命予測の変更
シンギュラリティ
最後の?免許更新
 
 
巷のYAMANEさん
突然アーサー・キット
ああそれなのに
葛飾柴又を歩く
何の意味もないこと
(パソコン回顧)
ブロードバンド
 (回顧)
ハローワーク
(パソコン回顧)
一太郎よさようなら
 

新・郡山市長 
  2025年4月20日の市長選挙での新市長
新潟大学農学部卒、同窓であり、後輩になる。
   昭和52年1月生まれ、48才
新潟大学の移転騒動の頃の生まれに当たる。
 
   この地での社会人としてのスタートは、昭和39年のPARAの時代、新潟大学出身者は4名、その中には「農学部出身」もいた。
ただ、当時の新潟大学は昭和24年に発足した新制大学であり、所謂「たこ足大学」。学部は県内各地に分散
 
新潟大学はかつて1980年始めまで新潟島内の西大畑(現新潟附属小・中学校)・旭町に立地していた。古町まで徒歩5分の位置である。新潟大学はもともと「たこ足大学状態」で、必ずしも全学部が新潟島にあった訳ではなく、学生数も今の約13000人(大学院生含む)に比べれば、ずっと少なかったとは思うが、当時でも人文学部・理学部・医学部・農学部・工学部(長岡市)教育学部(上越、長岡、新潟3分校)を有する総合大学であり、関係する教職員を合わせれば、相当数の関係者がいて、古町に相当なお金を落としていたことは間違いない。(名画座や古本屋は当時、古町に集中していた。)
 その新潟大学が新潟市中心部から十数㎞離れた五十嵐キャンパスに移転していったのは昭和50年代中盤。(医学部、歯学部だけは大学病院がある関係で残留。)
十数㎞郊外の五十嵐(移転当時は本当に何もなく五十嵐砂漠と呼ばれた)に移転
この時代は私にとっては「空白」の時代であり、その衝撃は現在でも残る