主宰の随想

上の写真は「啄木の歌」に詠まれた馬鈴薯の花 
(秦野市南が丘にて)
各写真はクリックすると拡大されます。
随想と新着ニュース見出し一覧

 (見出し一覧から表題をクリックして下さい。)

井上ひさし作「泣き虫なまいき石川啄木」10月公演 2012年発行の啄木図書(11冊の紹介
再び「無言館」の絵について 『風俗壊乱』外国人の見た検閲制度 リヤカーで全国横断の学生さんが
◎「ろくでなし啄木」がテレビ放映 若き日の啄木の逸脱行為 「無言館」の絵が横浜に来る ◎越谷達之助歌曲コンサートのお知らせ 最近の読んだ、おすすめ本2冊を紹介
秦野の文化誌
「遊塵」2号を発行
◎三枝昂之著『歌集 上弦下弦』を読んで想ったこと 小川美那子石川啄木を歌う ◎新潟 十日町市で5回の啄木講座 『クロポトキンの生涯』を読む
佐野市の啄木歌碑を訪ねませんか 啄木劇の傑作!
「泣き虫なまいき石川啄木」上演
10,3月に
NHKテレビに啄木研究家の池田功氏出演! 啄木の日記(実物)2ページ分が見付かる 三谷幸喜が「啄木劇」の書き下ろしを
文献紹介の更新につい 啄木の職業意識・池田功氏の論稿から 国際啄木学会20周年記念函館大会の報告記事は インド在住の青年が書いた「啄木日乗 山口で啄木の妻
一人芝居上演
小樽日報 第3号が小樽文学館より復刻 横浜啄木の集い(第3回) 山下多恵子著『裸足の女』書評を掲載 秦野歌談会の作品集
「遊塵」を発行
友人2人の作品展
「陶芸&写真」!
◎室生犀星の詩「ふるさとは遠きに」はパクリ 大きな活字の啄木全集 運河の街小樽で啄木短歌に作曲 雑誌「明星」と啄木
その周辺の青春歌人群像
啄木研究家の遺稿集 釧路新聞社から出版
遊座先生の教え子! 友の句集『蜃気楼』を読む 明治の職業往来
名作に見る明治人の生活
「新しい啄木」佳境に! ユキ爺の「三国志像」
★井上信興著『終章 石川啄木』 ★感動します!   三枝昂之著『こころの歳時記』 ◎北海道立文学館
「石川啄木展」

〜貧苦と挫折を超えて〜
★函館市文学館
生誕120年記念
石川啄木直筆資料展
◎盛岡市の「広報もりおか」が啄木特集号
◎「全国の啄木碑」一覧が冊子に! ★ 国際啄木学会
9月に東京で大会が!
★生誕120年記念・・・・・
ひとり芝居など
大根の花  啄木短歌から ◎東京で啄木の演劇2題
◎碓田のぼる著『石川啄木と石上露子 ◎函館市文学館が図録を発行 啄木と足尾鉱毒と水俣病 ◎6月3日に「啄木祭」 ◎盛岡の芸能と音楽の夕べ
◎荒波力著『啄木』 ◎花の歌人
    鳥海昭子
◎土岐善麿の短歌 「啄木追懐」21首 ◎演劇「石川くん」上演 ◎啄木学会春のセミナー
◎長岡健右『与謝野鉄幹評伝』 ◎菓子「啄木ごのみ」 ◎森 義真さんが講演 ◎上田博著『まるごと小説は面白い』 ◎来訪者が2000人
◎啄木評論2005年 佐藤勝 ◎三枝昂之「新しい啄木」を ◎岩手で120周年記念行事 ◎湘南啄木文庫の目録18号 ◎三枝昂之歌集『天目』
◎啄木が贈った洋書 ◎黒田英雄氏の啄木観を ◎小樽から「月刊おたる」 ◎啄木短歌を聴こう! ◎啄木ニュース2題
◎小樽に163番目の歌碑 ◎啄木学級東京講座17年度 ◎和綴じの啄木歌集 ◎春日井建氏からの手紙 ◎続・春日井建氏からの手紙
◎歌集『悲しき玩具』 ◎山田吉郎歌集を読む ◎『昭和短歌の精神史』 ◎岡村彩子歌集を読む ◎新潟啄木学会支部会報
◎有間皇子の歌 ◎小木田久富歌集から ◎西脇巽氏の啄木論 ◎埼玉「啄木を語る会」 ◎新潟啄木祭 開催

2012年発行の啄木図書(11冊の紹介)


 〈はじめに〉
 本年の1月パソコンを新しくしたところ、使いこなせなくて、この連休に息子(次男)の
指導を受けまして、何とか新PCを使用しての更新ができそうになりました。
 したがって、今後はなるべく早く、新入手の啄木文献の紹介に努めて参ります。
 2012年5月5日。湘南啄木文庫主宰・佐藤 勝

T.単行本2012(平24)年1月〜4月発行の本

近藤典彦編『復元 新啄木歌集』文庫判 1000円+税 桜出版H24・1

河野有時著『石川啄木』〈日本か人選35〉1200円+税 笠間書院 H24・1

長浜 功著『啄木を支えた北の大地 北海道の三五六日』2700円+税
  社会評論社 H24・2

池田 功著『啄木 新しき明日の考察』1900円+税 新日本出版社 H24・3

碓田のぼる著『石川啄木 風景と言葉』1905円+税 光陽出版社 H24・3

岡田喜秋著『人生の旅人・啄木』2800円+税 秀作出版社 H24・4

西連寺成子著『啄木 ローマ日記を読む』1800円+税 教育出版社 H24・4


※ 冊子・準啄木文献など

「別冊太陽 石川啄木」A4判 全160頁 2300円+税 平凡社 H24・4

真田英夫編『石川啄木 函館時代の気象表』<明治40年5月5日〜明治40年9月
  13日> A4横型判 本文50頁【付「啄木丁未日誌」抄】※ 啄木が函館に過
  ごした期間の詳細な気象記録を現存する資料から抄出した記録。
  著者刊(札幌市在住)H24・3

尾崎由子著『歌集 啄木の遺産』2000円+税※集中「啄木の遺産」12首は著者と
  啄木を繋ぐ歌などは貴重な啄木短歌継承の証言。 ポトナム社 H24・4

ヨシダノリヒコ著『啄木と盛岡』文庫判 87頁 定価不記載※見開きの各1頁に
  絵と文章で盛岡の啄木を紹介。 いわて教育文化研究所 H24・4

※ 上記の図書については、なるべく早めに随時紹介させて頂きます。


井上ひさし作「泣き虫なまいき石川啄木」10月公演
各プレーガイドで先行予約開始

主演:稲垣吾郎

 会場

公演日

開演時間

紀伊國屋サザンシアター
<JR【新宿駅】南口より徒歩6分・新南口より徒歩3分>
<東京メトロ副都心線ほか【新宿三丁目駅】E8出口より徒歩2分>
<JR【代々木駅】東口より徒歩3分>
<都営地下鉄大江戸線【代々木駅】A2出口より徒歩4分>

10/7()

18:30

10/8()

13:00

18:00

10/9()

13:30

18:30

10/10(月・祝)

13:30

10/11()

18:30

10/13()

18:30

10/14()

18:30

10/15()

13:00

18:00

10/16()

13:30

10/17()

13:30

10/18()

13:30

18:30

10/20()

18:30

10/21()

18:30

10/22()

13:00

18:00

10/23()

13:30

10/24()

13:30

10/25()

13:30

18:30

10/27()

18:30

10/28()

18:30

10/29()

13:00

18:00

10/30()

13:30


料金(全席指定・税込)
7,000


チケット先行予約の情報は下記の各プレーガイドで
☆2011/8/28(
)一般前売開始

詳しくは「
シス・カンパニー」のHPをご覧ください。

小学生未満のお子様はご入場いただけません。

「泣き虫なまいき石川啄木」チケット先行予約情報

一般前売日に先駆け、各プレイガイドにて抽選先行予約が実施されます。詳細は各公式ホームページや情報誌などでご確認ください。

優先予約ではありませんので、良席確保の保証はございません。
いずれもお一人様1公演2枚まで、電話抽選先行予約となります。
告知開始日は各プレイガイドによって異なります。


【チケットぴあ】

「ぴあ」特別 電話抽選先行
エントリー受付期間:7/21()8/3()
告知予定:7/21()発売予定「ぴあ」、「チケットぴあ」公式ホームページ、「ぴあ」メールマガジン

サークルK・サンクス 電話抽選先行
エントリー受付期間:8/8()14()
告知予定:8/4()発行「KARUWAZA STYLE9月号(サークルK・サンクス店頭にて配布)

セブン・イレブン 電話抽選先行
エントリー受付期間:8/16()21()
告知予定:8/1()発行「7ぴあ」8月号(セブン・イレブン店頭にて配布)

啄木の故 「渋民」で 達増 岩手県知事に出会った
「リヤカーで全国横断中」の青年、「たこのすけ」君は
東北の人情を忘れなかった!
東京新聞の「この人」欄(2011年6月3日)で 紹介


 昨年の8月、リヤカーで全国横断中の「たこのすけ」青年が、啄木の故郷「渋民」で達増岩手県知事に会って励まされた、
この記事を載せたブログ「たこのすけ大学」に、私は「湘南の啄木」名でエールを送った。
 
 そのご、私のエールに寄せた 気の効いたコメントから好感を持って 私はときどき「たこのすけ大学」のブログを訪ねた。

 そして、そのつど、このような若者が全国に広がってほしい、と思った。

 その「たこのすけ君」が 昨日の東京新聞 「この人」 の欄に 登場していたので嬉しくなった。

 彼のブログには、北海道から南へ向かう途中で 「渋民」に寄ったことをはじめ、宮城、福島、と 行く先々での「人と人と
の出会い」が綴られてている。

 渋民の記事 以来の読者である私も、思わず、頑張れ、良かったな、という気持ちであった。 が、大震災後は、
「たこのすけ大学」を訪ねる余裕も無くなっていたのである。

 そんな私に、昨日の新聞記事は とても嬉しかった。

 下に記事を添付しておきますので、興味のある方は「たこのすけ大学」を訪ねて見て下さい。

2011年6月4日。 佐藤 勝

再び、「無言館」の絵についての紹介を
 
 私の故郷、福島県いわき市の東京電力による「原発」被災は、今なお、続いておりますが、
これは福島県ばかりでは無く、日本中が巻き込まれている問題でもあります。

 このことには心が痛むばかりですが、先見性の無い、無責任な科学者と、政治屋を選んできたことの
「つけ」が、このような結果になったのでしょうか。

 昨日(5月31日)、横浜・赤レンガ倉庫1号館で開催中の長野県上田市にある「無言館」所蔵の
戦没画学生「祈りの絵」展を見て来ました。

そして、私は今回もまた、多くの絵や遺品の前に立ちすくんでしまいました。

 絵を見た帰りに図書販売コーナーによったら丁度、無言館の館長、窪島誠一郎さんが来場しておれれて、
少し話しました。

 平日にも拘わらず来場者の多いのに驚き、そして安堵しました。「無言の戦没画学生」たちを忘れないためにも、
今回の展示は、一人でも多くの人に見てほしいと思いまして、下記に詳しいご案内を記します。
 
 (2011年6月1日 佐藤 勝)
 
********************

 横浜に「無言館」の絵が来る!

横浜赤レンガ倉庫100周年《戦没画学生「祈りの絵」展》1022年5月26日(木)〜6月14日(火)

開催場所:横浜赤レンガ倉庫1号館(横浜市中区新港1−1−1)

電話:045−211−1515

入場料:大人 1000円/小中学生 500円

 上記「無言館」所蔵の戦没画学生「祈りの絵」は、無名画家の作品ですが、その前に立つと、
私は涙が込み上げてしまうほどの思いに駆られますが、今回も同じ思いでした。

 詳しい事は「無言館」の絵が横浜に来るのページをご覧下さい。

 **********************

国際啄木学会2011年夏のセミナー (入場無料)

 と き:2011(平成23)年7月3日(日)

 ところ:明治大学駿河台校舎研究棟4階第1会議室
 (東京都千代田区神田駿河台1−1)

<内容>
 講演: 三枝 昂之「現代短歌の中の啄木」

研究発表:(14時45分〜15時55分)

日景 敏夫:「啄木が読んだ英語資料のコーパス
      (14:45〜15:20)

大室 精一:「啄木の推敲意識」
      (15:20〜15:55)

ほかに「懇親会」(有料/事前申し込みが必要)があります。
(16時30分〜18時30分)

懇親会の会場は「カフェ・パンセ」(明治大学駿河台校舎アカデミーコモン1階)

夏のセミナーの詳細は下記の国際啄木学会HPへ
http://www.takuboku.jp/seminar/index.html
最近の読んだ お薦めの本2冊の紹介

(1)

藤沢周平・沢田勝雄『藤沢周平とっておき十話』(大月書店)
 2011年04月発行/価格:1,575円

 この本は啄木文献ではないが、今回、編者の沢田勝雄氏(「しんぶん赤旗」文化部の記者)の
文章を読んで、藤沢周平が「啄木伝記」を書きたいと思っていたことがわかった。

 しかし、それは残念ながら実現されなかったが、藤沢周平には「石川啄木記念館」を訪ねたときに
書いた、素晴らしい紀行文があります。
 
 本書では、その辺のことも紹介されておりましすが、私が何よりも驚いたのは、編者の沢田氏が
藤沢周平と遠縁の血筋にあたる人であったことでした。

 私が編者の沢田氏を知って20年近くなりますが、穏和で静かな人柄と編者の書く文章(多くは記事)は、
解りやすくて、優しみの伝わる温かさのある文章で、不思議な記者だ、私は長いこと思っておりましたが、
その根源が、藤沢周平の作品につながっているような気がして、嬉しくなりました。

 また、藤沢周平の講演録の中に「高村光太郎と斎藤茂吉」という講演記録がありますが、これを読んで
長編小説「白き瓶」を読み返したくなりました。

 周平は、小説の中に描く人物に、いつも優しく寄り添っている、と感じる作家でした。
 これは小説家も研究者も同じと思います。

 先般出版された池田功氏の『啄木日記を読む』(新日本出版社)の元文は、「しんぶん赤旗」に連載した
ものが、一冊の本になったものと思います。

 その機会は沢田氏が、池田功という啄木研究者と出逢ったことに発したものではなかったか、と推測して
嬉しくなりました。

 池田氏の本を読んで、何よりも感動したのは、啄木を見つめる池田氏の視点の温かさでした。

 その温かさが、啄木の本質的な人間性を捉えているから『啄木日記を読む』は、出版されてすぐに
増刷されるという事につながったのでしょう。

 池田氏の本と、今回の沢田氏の本に共通しているのは、読みやすくて、解りやすいということです。

 これは、藤沢周平や井上ひさし という大きな作家たちとも共通している点なのです。

 沢田氏の編まれた「周平十話」には、藤澤周平という作家が庶民に寄り添う作家であることを
誰よりもよく理解した編者であったからこそ、このように上手くまとめられたのだ、と思います。

 この本は、澤田氏でなければ作れない一冊だったと思いました。

 澤田氏の文章にも、何度か目頭が熱くなりました。

 このようなことは周平作品を読むときには度々あることなのです。

 久し振りに心にしみいる本を読めたことに感謝したい気持ちです。

(2)

ジエイ・ルービン著(木股知史/今井泰子/ほか訳)『風俗壊乱――明治国家と文芸の検閲』(世織書房)
2011年04月発行/価格: 5,250円

 本書には啄木に関係する部分も多くあります。特に「第3部/大逆事件とその後」などですが、
外国人の見た「検閲制度」に関する文献としては、大変貴重な文献と思いますので、
近隣の図書館などでの購入希望を出して多くの人に、そして永く保存されて読まれてほしいと
私は思いました。

 私は昭和の初期に改造社から出版された遠地輝武著『石川啄木研究』に「当局の命により削除」という
紙切れが貼り付けてあったことを思い出しました。

 「検閲」という行為が権力者によって、ここまでされていたのか、という気持ちを抱いたことが思い出されました。
『風俗壊乱――明治国家と文芸の検閲』を読んで、当時の政治の在り方にあらためて戦慄する思いでおります。


※上記本の書評が2011年5月29日付けの東京新聞に載ったので下に紹介します。(2011年6月3日/佐藤 勝)

※追記
 「日本経済新聞」(2011年6月12日付)の書評欄に、石原千秋(早稲田大学教授)の書評が載っております。
 この書評は「日経」のウェブ版で公開中ですから、下記の「日経・書評」をクリックしてご覧下さい。

 「風俗壊乱」の書評を掲載する「日経・書評」欄は、「ココ」をクリックしてご覧下さい。
(3)

石川啄木著『悲しき玩具』(ハルキ文庫/角川春樹事務所)
2011年04月発行価格:280円(桝野浩一のエッセイー「石川くんは」を収録)

※解説者?桝野氏の啄木認識の薄さが、少し気になるが値段の手ごろさから歓迎する一冊です。

越谷達之助歌曲コンサートのお知らせ
 本日(2011年5月12日)声楽家の青木純氏より下記のメールを頂きましたので、お知らせいたします。佐藤 勝

*****************

大震災から2ヶ月がたち、世の中は少し落ち着きを取り戻しつつあるようですがいかがお過ごしでいらっしゃいますか。災害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 さて今年は私のデビュー30周年に当たります。色々と記念イベントを行っていますが、下記の通り、日本の名曲「初恋」が収められている越谷達之助作曲歌曲集「啄木によせて歌える」全曲演奏会を行いますのでご案内申し上げます。

 なお、このコンサートの収益の一部を石川啄木の故郷岩手県の被災地に義援金として寄付致します。 
  ご来場を心よりお待ちしております。    青木 純


 日時:6月12日(日)14時開演 (13時半開場)
 会場:東京建物 八重洲ホール (東京駅八重洲口前)
 入場料:一般5000円 学生2500円

 独唱:青木純  ピアノ:山季布枝

 曲目:越谷達之助作曲歌曲集「日本の哀愁」より「夢の子守歌」「花のまつり」「亡き母への讃歌」
    越谷達之助作曲歌曲集「啄木によせて歌える」全15曲

******************

青木純は越谷達之助氏から高校時代教えを受け声楽の道に進み、イタリア留学から帰国した1980年から氏より「初恋」をはじめとする氏の歌曲の歌唱法を直接学び、デビュー年である1981年に、氏の朗読付きで「啄木によせて歌える」のコンサートに3度出演。その一年後氏は死去されたため、青木が最後の弟子となりました。氏から直接教えを受け、その歌唱法を受け継ぐ唯一の現役歌手として、氏の美しい歌曲の世界を是非多くの方にお聴き頂きたいと願っております。
 氏の歌曲の重要な部分をになうピアノ伴奏は、山季布枝。その繊細な美しい音色は越谷歌曲の魅力を更に際立たせます。

 会場地図ほか詳細はhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~jun204/025.htmlをご覧下さい。

 青木純公式サイト http://www5f.biglobe.ne.jp/~jun204/
 山季布枝公式サイト http://salondeart.com/yamaki/

 チケットのお申し込みはgoloso204@excite.co.jpへ。
                                     

横浜に「無言館」の絵が来る!

横浜赤レンガ倉庫100周年

《戦没画学生「祈りの絵」展》1022年5月26日(木)〜614日(火)

開催場所:横浜赤レンガ倉庫1号館
横浜市中区新港1−1−1

電話:045−211−1515

入場料:大人 1000円/小中学生 500

 
 「信濃デッサン館」(長野県上田市)の隣に、戦没画学生たちの遺作を収集して展示する「無言館」があります。


 私はこの「無言館」を三度ほど訪ねましたが、そのたびに展示された作品の前に立って、その場から動けなくなったほど、強い衝撃を受けました。

 展示されている絵の多くは、専門家が見れば「未完成」のもなのかも知れませんが、門外漢の私にそれは解りません。

 しかし、絵の知識をまったく持たない私の胸底が、何か、鋭いもので抉られるような思いにかられた事も事実なのです。


 また、絵に添えられた短い文章を読んでいたら、こらえていた涙があふれたこともありました。

 展示された絵の作者たちはすべて、「ココロザシ ナカバ」にして戦死した無名の画家たちです。

 彼らが、戦地へ赴く時に、多くは止まれぬ思いに駆られて、愛する人たちのために遺していった「未完」の絵が、今回、「無言館」を出て横浜に来るという案内を館長の窪島誠一郎氏から頂いて、私は感激で興奮しました。

 案内状の余白に書き添えられた窪島氏の「佐藤さま/図々しいお願いで申し訳ございません。どうかご宣伝下さい。」との言葉にも、「無言館」を守っている窪島氏の誠実な人柄が思い浮かびます。

 窪島氏のお名前を知ったのは、氏が今から
30余年前に出した『父への手紙』(筑摩書房刊・現在もネットなどでは購入可能)という著書を読んで感動した私が、その思いを著者に直接書き送ったことが、今日までの交流につながっています。

 このように、人と人との出会いの縁を大事にされる氏の著作の多くは、絵画を中心とした人物紹介などの書ですが、氏の著作にはいつも「真実」を伝えたいという思い(あるいは願いのような)が、込められているように思えるから、読後はいつも心の安ぎを頂いております。

 そこには「商業的」な打算など微塵も感じられない、純粋な窪島氏の思いが伝わって来るからだと思います。

 窪島氏は先年故人となった作家、水上勉氏の実子であることは知られていることですが、氏自身が水上氏の実子である事実を知ったのは
30歳を超えてからでした。

 この間のことは前記『父への手紙』に詳しく書かれております。また、その後の著作には戦没画学生の遺した作品を求めて全国を旅する話しなども書かれております。


その一部は下記の通りです。

『傷ついた画布の物語』(新日本出版社)
『「無言館」への旅』(小沢書店)
『信濃デッサン館日記』〈1〉〈2〉(平凡社・講談社文庫)
『詩人たちの家』(平凡社)

 この機会に私はもう一度これらの書も読み返してみたい、と思っております。

 そして多くの人には、ぜひ、この機会に「《戦没画学生「祈りの絵」展》(1022年5月26日(木)〜614日(火))の会場へ足を運んで頂きたいと思います。


<追伸>


 今、私の故郷(福島県いわき市)には、
311日の東日本大震災と、その余震の恐怖を超える、二つの「原発」から放出される「見えない物体」の恐怖に怯えながら多くの人々が暮しております。その中には私の親戚縁者や友人知人も沢山おります。

 その中の一人に、生後間もない娘と妻を他県の親戚宅へ、いち早く避難させたK君という青年がいるのですが、K君の妻と子は今、3ヶ所目の知人宅で世話になっていると聞きました。

 そしてK君は今も、いわき市内に残って私立病院の裏方業務に従事しているそうです。先日、私はK君の両親と話す機会がありました。K君は「目に見えない放射能」から、愛するものを守るためには、例え避難先で妻が「気苦労」をする生活であっても、それを妻に求めるのは、「目に見えない」敵の怖さをしっているから、ということでした。

 そしてK君が今も、いわき市内に残っております。それは、職場を放棄できない、ということのほかに、家族のための「暮らしを守る」ためでもあると聞きました。

 K君の両親の話を聞きながら、私の胸の中には50余年前に、福島「原発」を誘致した政治家たちの顔と、それを阻止しようと闘っていた、私の高校の先輩(当時私は定時制の高校生だった)、Sさんの顔を思い出しました。


 今日、K君たちのような「苦労」と「我慢」を強いられている人は他にも沢山おります。しかし、その人々に対して、東電や自冶体の援助は何も無い、というのが今の「いわき市民」の現状です。

 それは、いわき市内であっても「第一原発」からは38キロ、「第二原発」からは18キロ離れており、避難命令の指定区域外だからであり、政府や東電、そして、信用できない「保安院」とやらが、「心配無い」と、言い続けているからなのですが、若い父親のK君は、自分の妻子は自分が守ってやらねば、という気持ちで、今もさまざまな「苦難」と闘っているのでしょう。

 そして、50数年前から「原発」の誘致に関わって来た「国会議員」や「県会議員」たち、また、その後継者たちは何の援助の手も延べて無いと聞きました。


 それから、同じ地域から私の旧友であるT君夫妻が今、新宿区内の都営住宅に一時入居したと聞いて、先日訪ねてみました。

 T君の自宅は、いわき市四ツ倉町で、地震と津波によって食堂兼、自宅であった住居と店が半壊し、最初は市内の中学の体育館で過ごしたが、肉体的にも精神的にも限界を感じて都内の親戚を頼って上京したと、T君は言っておりました。


 60歳を過ぎた彼は今、都内で「食うため」の仕事を探しております。が、「こんな思いをするなら、津波で死んだ方が良かった、と思うときがある」とも言っておりました。

 都営住宅の入居は6ヶ月という期限付きです。国民年金だけで生活は出来ません。

 T君が、「原発」の町の再起を待つにも、年齢と言う時間を思うと先は真っ暗だと愚痴りながら、身体の弱い妻を気遣う姿が痛々しくて、私はT君に掛ける言葉を失いました。

 この事実が今、私の心の何処かで「無言館」の作者たちの時代とかさなってます。

2011年5月10日    湘南啄木文庫・佐藤 勝


私の知人のHP[斧 半顔]に載った「啄木の爪あと――35年後の真実」と、

村を逐われた教師―校長排斥事件・その(一)

 今年(2011年)の1月23日、旧知のA氏から久し振りにメールを頂いて、上記の表題で2篇の啄木に関する文章をHPにUPしたことを伝えてきた。
 私は早速、[斧 半顔]を開いて読んだ。

 そこには、啄木の、あまり褒められない若き日の良からぬ行状が紹介されていたが、それは決して啄木を責め立てるものではなく、若き日の稚拙な啄木の行為をありのままに記されたもので、執筆者A氏らしい、(ちょっとニヒルだが温かな人柄の)啄木紹介であったから、私は湘南啄木文庫のHPでもリンクして紹介します、と返信をしました。

 ところが粗忽モノの私は、その約束をうっかり忘れてしまって、本日(4月17日)、A氏から、未だリンクされてませんが、不都合なことがあるのでしょうか、という便りを頂いて、思わず「しまった!」と気付いたしだいです。

 湘南啄木文庫のHPを訪ねてくださった皆さんもぜひ、「啄木の爪あと」と「村を逐われた教師」を読んでみて下さい。
大変遅くなりましたが、そこには、若き日の啄木の良からぬ行状と啄木の歌に詠まれた哀れで気の毒な一人の教師が紹介されております。

 そして、啄木の行状も、ウッカリ屋の私の行状と同じように寛大な気持ちで赦してやってください。(2011年4月17日 佐藤 勝)


三谷幸喜(作・演出)の舞台「ろくでなし啄木」が
WOWOWで 2011年5月4日(水)に放映

 今年の正月に上演された話題の舞台が、早くも「WOWOW」テレビ(有料)で、来る5月4日に放映されることになって話題となっております。
詳しくは「ネット記事」ココをクリック)をご覧下さい。

 「国際啄木学会東京支部会報」第19号に、坂谷貞子氏が【「ろくでなし啄木」を観て】という随想を載せているが、坂谷氏の文章を少し引用して「ろくでなし啄木」を紹介します。

 なお、付記すれば、坂谷氏の文章は私が読んだ新聞や雑誌、ネット記事などの中で一番、臨場感の伝わって来る文章なので紹介したくなりました。

【以下は坂谷氏の文章から】

 「ろくでなし啄木」を観て  坂谷貞子

(前略)

「三谷幸喜生誕五〇周年大感謝祭記念連続企画」と銘打った作品の第一作目としてマスメデアなどにも大々的に取り上げられて前評判の高い作品だが、「ろくでなし」の冠を戴く啄木の劇中像にはたして共感できるのか?と私は多少の不安と期待を抱いて着席した。

 プロローグは渋民公園の啄木歌碑の前、既に『一握の砂』の評判で国民的歌人となった石川一はこの世を去っていて、啄木を偲び、回想する男女の会話で始まる。これは啄木の年譜には決して載らない架空の時間と物語。

 舞台は場面展開もスピーデイに、障子の開け閉めだけで二つの部屋を交互する仕掛けのシンプルな装置と林檎と蜜柑のトリックなどが種明かし的に進行する。観客を飽きさせない仕掛け、これは三谷の脚本家、演出家の手腕によるのは勿論だが、役者の要素も大きいといえる。

 シリアスな演技で石川一を演ずる藤原竜也(終いには啄木役の藤原は啄木そっくりになってしまって、それは東京支部の大室精一氏に対抗できるほど良く啄木に似ていた)、そして中村勘太郎が演じる架空上の人物で啄木の友人、テツが舞台の端から端まで飛び回るパワフルさなどはちょっと遣り過ぎのようにも思えたが、「本当の悪はそんなんじゃねえ」という場面には凄みもあって好感度が上がる。この二人の役者と、今回が初舞台という人気女優の吹石一恵(こちらも架空上の人物トミの役)が上手に手綱をとっている(浴衣以外の着物の裾がへらへらして気の毒。銘仙など時代に見合う衣装がなかったものかと思った)この危ういバランスが劇中の三人の関係である。

 回想の舞台は、啄木に誘われてきた温泉宿で、啄木の悪巧みが明かされて行く。啄木は女には男をそそのかさせて、男にはお前に気があるからと言い含めて自分の女を男に渡して女と手を切り、男からその代償として金銭を奪うというもの。

 啄木は舞台の奥に立ち、強雨に打たれながら自分のたくらみの成功を願っている。この一夜を最後にぷっつりと消息を絶ってしまった啄木に実は妻や子がいたと知った後も二人は一夜の出来事を懐かしみ、だました啄木を許し、愛さえ感じている。貧乏と借金、結核に病み、不幸な人生を歩んだ事ばかりが世間で喧伝される啄木は、こんなに愛される人間だったとこの劇を見た観客は思ったに違いない。

 「ろくでなし」と冠された啄木ではあるが、三谷幸喜のねらいは本当にこれだったのか?何かもっと見落としているのではないか?、と観終わって尚、私には一抹の不安が残った。

 (中略)

 観客席に着く前の劇場に、こんなに若者が並んでいる芝居を近年の私には観たことのない光景であった。劇場の扉が開くと、パンフレットを買うのにも行列が出来る。ロビーに展示された『ローマ字日記』のケースは、若い観客のもみ合う中に埋もれていたが、パンフレットには「石川啄木・その足跡」が数枚の写真と共に見開きで記事が載っている。「ろくでなし啄木」上演は多くの啄木を知らない若い世代にも、芝居の面白さと共に、啄木の業績を知ってもらえる機会にもなったことを私は喜ぶ。

 そして、私は三谷幸喜氏の芝居をいましばらく観ていきたいので、「生誕五〇周年大感謝祭」の次の公演を心待ちにしている。

(「国際啄木学会東京支部会報」19号より)

※ 上記の文中で(前略)、(中略)の部分をご覧になりたい方は、湘南啄木文庫まで「メール」でお申し込みください。
 実費による入手方法をお知らせいたします。

理崎 啓著『夢はるか雲の彼方に クロポトキン伝』を読む

先日、知人の理崎啓氏より新著『夢はるか雲の彼方に クロポトキン伝』(哲山堂)を送って頂いた。

 理崎氏には
『啄木評伝 詩人の夢』(日本文学館)の好著があり、私の最も好きな文体の本なので、啄木愛好者の会などでは、最近の読みやすくて正確な啄木評伝の一冊として紹介することの多い本だが、その理由は「難しい事も易しく」書いてあるということです。
 
 今回の著書を読んで私が「啄木評伝」を読んだ時に受けた印象の正しかったことを確信しました。そのことが私には何よりも嬉しいことでした。

 私は啄木にばかり夢中になって
50年も経ってしまいましたが、そのお陰にて、啄木の周辺に生きた人々や同時代者で、啄木の文学や思想などにさまざまな影響を与えた、と言われる人々について書かれたものを読む機会も多く頂きましたが、まさに今回の著書も啄木のお陰で読むことの出来た本でした。

 本書には啄木についてのことはほとんど触れられてないが、クロポトキンが啄木に多くの影響を与えたことは、いく人もが論じておられるが、私もそれらの何篇かは読んでおりました。
 
 しかし、本書を読むまでは、クロポトキンという人が、どのような時代に、どのような国に生まれ、どのように育った人なのか、また、何をどのように書き、どのように生きた人なのか、という事を本書ほどわかり易く、かつ丁寧に書かれたものは、恥ずかしい事ながら初め読みました。そして自分の知らなかった事の多さに驚きました。


 そしてクロポトキンが生きた時代のロシアという国や、彼の生活環境も含めて、多くのことが私にもよく理解できました。これからは他のロシア文学を読むときにも本書で教えて頂いたことが参考になると思います。

 これまでに私が読んだクロポトキンについての多くは、研究論文のようなものなので、私は「難しい」という先入観から、つい敬遠しておりましたが、理崎氏の前著「放哉評伝 底抜け柄杓」(田畑書店)の本もそうでしたが、氏の文章は「平明であって深い」という書き方なので、今回もそこに惹かれて読んだことが、今の感謝につながりましたが、それは理崎氏が、私の好きな言葉(これは作家の井上ひさし氏の言葉ですが)である、「難しいことを易しく書く」を実践しておられるからだと思います。

 また、最近『啄木日記を読む』(新日本出版社)を出して版を重ねている
、国際啄木学会の池田功氏も「難しいことを易しく」という言葉の実践者ですが、こういう解りやすい文体の本を出してくださる学者さんの増えてきたことにも感謝したいと思います。

 「難しいことをやさしい言葉で書く」という言葉は、昭和20年代に、時の総理大臣から請われて文部大臣になった、天野
貞祐がその後に東大学長に就任して、新入生を迎える時の歓迎の言葉で使っていたことを、私は50年ほど前に貞祐全集を読んで、「良い言葉だ」と記憶しました。

 それが偶然にも先年亡くなられた作家の井上ひさし氏が、数年前に国際啄木学会の東京支部会の研究会に出て来られた時に、氏が小説を書くときの十ヶ条にしている言葉のひとつとして話されたがのが、「難しいことをやさしく」書くということでした。
 私はあの時も井上氏の話しを「偉い人は違うものだ」と感心しながら聞いておりました。

 本の紹介から少しずれてしまいましたが、とにかく一読をおすすめしたい本なので下記に購入連絡先を記します。
 なお、「アマゾン」のネット販売で購入で来ますのでご利用下さい。(2011年3月7日 佐藤 勝)



理崎 啓著『夢はるか雲の彼方に クロポトキン伝』四六判 205頁 1500円+税


発行所の連絡先: 〒252−0004 玉県新座市大和田4−9−23  啓山堂
FAX:048−478−0343


講座「石川啄木その生き方と文学の魅力」

新潟・十日町市で、5回の啄木講座

下記の情報は2010年11月16日の「十日町市新聞」紙上からの引用です。


講座「石川啄木その生き方と文学の魅力」

 国民読書年記念・近代日本文学講座「石川啄木その生き方と文学の魅力」が来月8日から5回にわたって情報館で開催される。
 講師は市内在住の山下多恵子さん。山下さんは岩手県出身で高校教諭を経て、現在は長岡高専非常勤講師や国際啄木学会理事などを務める。
 時間はいずれも午後7時からで、申し込みは同館(電話025?750?5100)へ。日程は次の通り。
 ▼ 12月8日 「啄木と金田一京助・土岐哀果」
 ▼12月22日 「啄木と宮崎郁雨・平出修」
 ▼1月5日 「啄木と節子」
 ▼1月19日 「啄木と智恵子・小奴」
 ▼2月2日 「啄木と一禎・カツ」

石川啄木を歌う 小川邦美子コンサ−ト
下記のような催しがありますのでお知らせします
 
 啄木「一握の砂」発刊100年記念
     石川啄木を歌う 小川邦美子コンサ−ト
        2010年11月28日(日)12:30開場 1時開演

場所:ともしび新宿店 

   演奏予定:東海の/初恋/たはむれに/友の恋歌/ふるさとの訛り
   /地図の上新しき明日の/初恋/落松葉/かやの木山/露と話した

   お話/碓田のぼる(新日本歌人協会)

  問い合わせ:ともしび事務所03-3352-0231
  ともしび新宿店03-3341-0915
  前売り券2000円(1ドリンク付)
三枝昂之著『歌集 上弦下弦』を読む

――日常の中の幸福、そして祈りの歌集――
2010年8月 角川書店発行

 三枝昂之著 『歌集 上弦下弦』を読んで想ったこと

 今年のお盆には、久しぶりに福島県いわき市の故郷へ帰省した。この帰省は春に不慮の死を遂げた弟の新盆の供養もかねたものであったから、切ない帰省でもあった。

 また、ひとりでの帰省でもあったので、上野駅発の各駅停車(鈍行)の窓際に座ったが、車内は空席も多くて最適だった。

 この列車の中で私は、持参した三枝昂之氏の新著『歌集 上弦下弦』(角川書店)を読んだ。

 第一章の「遠い声」の章題に引き込まれたわけでは無いが、最初の章から、一首一首を繰り返し、そして、行きつ、戻りつしながら読んだ。

 その理由は皆さんにも「一首、一首」の歌を読んで頂くほかはないが、例えば歌集の2ページと3ページに置かれた二首の歌を並べてみよう。

 2頁
  
   日蝕やみんな影無きものとなる切り株、私、苔むすかばね

   抱かれて無窮の空がまぶしいか「あくう」と声をこの世に返す

 3頁

  石階(いしきだ)をのぼれば雲は墓標なりこの世の五衰死者らは知らず


   寝返りをくるりと覚えてほほえんできっと世界が見えたのだろう


 という具合で、「遠い声」の章には○付きの@〜Kまでの数字があり、1頁の@と20頁のKは各一首で、ほかの頁には各二首の歌が据えられている。

 これには作者が意図的に読ませたい何かがあるのだろう。なぜなら他の章には○付き番号は無いのだから。

 私には作者の意図するものが何かは分からないが、この章の歌を読みながら、人の世の生と死を思い続けた。

 故郷の家の仏壇には、65年前に学徒出陣をして「名誉の戦死」を遂げ、勲章を戴いた、23歳の叔父の、凛々しい海軍服姿の写真も飾ってある。

 前記の弟の行年は65歳。偶然にも叔父の死亡年月と弟の誕生年月は、昭和20年4月であった。

 僧侶の読経を聞いていたら、列車の中で読んだ歌集の中の一首、「石階をのぼれば雲は墓標なりこの世の五衰死者らは知らず」が脳裏をかすめた。

 帰りの汽車も鈍行にした。車中ではまた、『上弦下弦』を開いた。その中に下記の二首があった。


  缶振りて赤き一粒手にのせる「火垂るの墓」のサクマドロップ

  今もわれに戦争ありててのひらを春まだ浅き光にひらく


 私はここで、しばし、歌集を閉じ、眼を閉じて、65年前に23歳で戦死した叔父と、今年の春に65歳で事故死した弟のために祈った。

 『上弦下弦』の歌々が、私に祈りの思いを起させたのかも知れない。この歌集には、人の心に祈りを思い起させるような歌がたくさんあるから。


  一枚の窓をおのれとして暮らす坂口弘『常しへの道』


 この歌からは、死刑囚という状況下にある人の生と死を思った。そして、非業の(あるいは無意味な死なのか)死を遂げた、あの事件に関わって失われた多くの命のあったことを思う。が、私には今も、非業な死か、あるいは無意味な死だったのかの真実はわからない。

 ただ、さまざまな死は今も続いていると思った。

 先年の秋葉原で起きた、あの忌まわしい事件。先月、大阪で起きた幼児置き去り事件。などなど、誰が、どのように祈れば彼らの命は浮かばれるのだろうか。


  政局のありて政治のなき国に竹山宏「眠って」はならず


 この歌にもまた、忘れてはならないひとりの被爆歌人の名があって祈りへと誘われる。

 また、ほかの章に置かれた次の一首も気になった。


  なにひとつ欠けるものなき暮らしあり八月十五日がそうして終わる


 私は歌集を読むときはいつも、作者の立場や背景よりも先に歌から伝わってくる「言葉」に、心が勝手に反応してしまうから、その反応にしたがって、歌の中の「言葉」が、勝手に私の胸中を駆け巡るのだが、私にとってはそれが、歌集を読むときの至福のときでもある。

 今回も多くの至福の時間を頂いた。何よりも深い祈りを捧げたような時間を持てたことは有りがい。

 しかし、この歌集全体には、著者が日常身辺の中からつむぎだした「普通の生活」を詠んだ歌が多く収められている。

 そしてそれらの歌からは、「普通の生活」に生きる幸せが、今の自分たちの暮らしの中にもたくさんある、ということも再確認できた。

 それが、歌集『上弦下弦』から頂いた、私の大きな歓びでもあったことも書き添えたい。

 2010818日 湘南啄木文庫にて記す。  佐藤 勝


秦野の文化誌 「遊塵」2号 を発行

暑中お見舞い申し上げます

 猛暑の中におかれまして皆様には如何がお過ごしでしょうか。
 さて、このたび秦野市在住者が中心に集っております「秦野歌談会」(代表:山田吉郎)から「(ゆうじん)」第2号が発行されました。

 小生も1号の短歌に続きまして今号には、随筆「前田夕暮と石川啄木〜夕暮れの父、祖父の墓碑との遭遇から〜」を載せさせて頂いておりますので、ご笑覧頂ければ有難いです。

 なお、小生の駄文は3年前に、秦野市立図書館発行の「前田夕暮記念室だより」の編集者に依頼されて書いた原稿でしたが、秦野市の予算削減によって年一回発行の「記念室だより」も4年前から休刊状態になっております。

 このようなウラの事情もありまして、掲載されず3年の月日が経ってしまいましたので、このたび「遊塵」に載せた次第であります。

 文化の面に対する各地方自冶体の予算削減は、何処においても同じ様な昨今と思いますが、不景気な社会の中で多くの人の心もまた、貧しさに負けてしまったような社会面の新聞記事などを読むたびに、人の心の潤いの根源は「小さな文化から」育つのでは無いか、と私は思うのです。

 啄木の歌のように「誰もが口ずさめるような」小さな文化を、私は大切に思うのです。

 この手紙を書いている最中に、大坂で「2幼児の死体遺棄容疑で母親逮捕、部屋に放置」という哀しいニュースが流れました。

 最近の幼児虐待死のニュースの多いことには、耐え難いほどの思いですが、これらは政治や社会の対策の貧困以前に、親となるべき人が育つ過程において、如何に金銭とは別な、豊な心を持たずに育ってしまった「貧困」な人の多い事か、と嘆くのは、私ばかりでは無いと思います。


 せめて私たちは、たとえ少数であっても、心の豊かさの大切さを思い続けて行きたいものと思っております。

 それでは暑さの中、どうぞくれぐれもご自愛下さい。 2010730日  佐藤 勝拝


※「遊塵」第2号は定価500円+送料(B5判)48頁、購読ご希望者は下記の発行所、または湘南啄木文庫までお申込み下さい。

 発行所=〒257−0028 神奈川県秦野市東田原1 山田方「秦野歌談会」
三谷幸喜「啄木劇」書き下ろしを宣言!
ネット上で各紙が報道

三谷幸喜 」氏の談話を伝える「エドガドットコム」(記事)
(前略)
一気に4本の新作を書き下ろす舞台では、これまで終始一貫してきたコメディ色からの路線変更を宣言した。薄幸の天才歌人・石川啄木の素顔に迫る文芸ミステリー「ろくでなし啄木」は、藤原竜也中村勘太郎吹石一恵が出演。ナチス政権に立ち向かったドイツ映画人たちの姿を描く「国民の映画」は、小日向文世が主演するほか段田安則新妻聖子が三谷組に初参加する。(後略)
(上記の文章は2010年7月23日更新の「エドガドットコム」より引用)

※詳しくは湘南啄木文庫のHP扉「最新の啄木ニュース検索」から

啄木の日記(実物)2ページ分が見付かる!
岩手日報(2010年4月11日)に詳細記事


4月4日 NHK教育テレビに 啄木研究家の池田功氏出演!

 国際啄木学会の副会長である池田功氏(明治大学教授)が、 来る
 4月4日放送のNHK教育テレビ(6:00〜6:25)の「NHK短歌」
 ゲスト出演して啄木について話されます。

 啄木の好きな皆さんには、おすすめの番組です。
 
 池田氏は国際啄木学会の副会長として活躍されておりますが、
 その研究視点の幅も広く、あらゆる角度から啄木を捉え、多角的に
 論じておりますので、今回の放送が短時間であっても、啄木について
 どのようなコメントをされるかなど、とても楽しみです。

 また、当日の短歌講座の担当講師は、現代歌壇のトップで活躍する、 
 みやびな女流歌人の今野寿美氏です。

 私は今野氏の歌のファンでもありまして、毎月一回の「NHK短歌」講座を
 楽しみに見ておりまして、今野氏の流暢な短歌講義に酔っておりますが、
 啄木愛好者の皆さんは如何でしょうか。

 
※「NHK短歌」の時間は4月から放送時間が変更になりますのでご注意ください。
 したがって、啄木研究家の池田功氏が出演される 「NHK短歌」(NHK教育テレビ)
 放送日は4月4日(日)朝6:00〜6:25、再放送は4月7日(水)2:30〜2:55です。

3月27日(土)〜31日(水)に、演劇「泣き虫なまいき石川啄木」が上演!
啄木劇の傑作、井上ひさし原作の「泣き虫なまいき石川啄木」が、
劇団「ハイリンド(主宰・多根周作)」が、水下きよし氏の演出で、
下記の案内のように上演します。
啄木の愛好者には、オススメの笑いと涙の必見舞台なので、ぜひ
この機会に、「こまつ座」以外の上演の楽しさを味わってみませんか。
※上記の観劇についての詳しい事は、info@hylind.net http://www.hylind.net/ 劇団「ハイリンド」の公式サイトをご覧下さい。

なお、湘南啄木文庫と湘南啄木短歌会の仲間には、個別にメール通信(観劇希望者にはチラシを郵送)で、お知らせいたします。(佐藤 勝)

インド在住の青年(アルカカット)が
日本語で書いた「自分の日乗と啄木

HP「これでインデア」

インド在住の青年(アルカカット)が自分のホームページ「これでインデア」に日本語で「自分の日乗と啄木」について書いた文章がアップされています。
そこには、昨年の11月にインドで開かれた国際啄木学会についての詳しい事が、日本語で書かれています。
インドでは、啄木がどのように紹介されているのかなど、とてもわかり易く記されているのと、インドという国のことを
何も知らない、という私のような人間にも、あっ、そうなのか、と思われる事が満載なのです。皆さんもちょっと覗いて見て下さい。
あなたも、インド人の心と文化に感動するはずです。私と同じように。(2009年11月19日 佐藤)

ここ「これでインデア」をクリックして下さい。

啄木についてはこちら「国際啄木学会インド大会」です。


啄木の妻に光/中高年の劇団「波」初公演
朝日新聞〈山口版〉2009年11月19日
このたび、山口県山口市にて、啄木の妻 節子を描いた一人芝居が上演される、という記事をネットで発見した。
ネット上でのニュースは、このままでは見られなくなってしまうので、下記にコピーを貼り付けたが、09年11月20日現在はasahicomuで直接閲覧できるので、クリックして下さい。(2009年11月20日 佐藤)

公演を間近に控え、けいこに励む主演の岡本博子さん=山口市大内御堀

◆あすから山口 1人芝居で描く
  石川啄木の妻節子の生き方を通じて、啄木の功績や夫婦の愛情を描いた1人芝居「節子星霜」の公演が20〜22日、山口市の「クリエイティブ・スペース赤れんが」である。1月に50〜70代のメンバー6人で発足した劇団「波」の初公演だ。メンバーは「歴史に埋もれた節子に光をあて、夫婦が目指した理想を伝えたい」と意気込んでいる。

  啄木が19歳で結婚する1905年から、1912年に肺結核で亡くなるまでを、節子の回想による1人芝居で構成。詩への理想は高いが、放浪や借金を重ね、一時は生活苦に陥った啄木。そんな夫を献身的に支え、その志を理解し、ともに苦難を乗り越えていく節子の姿を描く。啄木の短歌や生前の様子の写真なども、スライドで上映される。

  「節子がいなければ、啄木の作品は日の目をみていない」。創作・演出担当で、脚本を書いた山本卓さん(72)は言う。劇の冒頭は無名で死んだ啄木の遺作を友人に託すため、節子が作品を整理しているシーンで始まる。山本さんは「啄木の成長と功績の影には節子がいる。節子を描けば、啄木の心にしみる詩が生まれた背景を伝えることができる」と話す。

  節子を演じるのは岡本博子さん(65)。俳優歴35年のベテランだが、1人芝居は初めて。「ともに困難を乗り越えてきずなを深める夫婦の姿は現代にも通じる。1人の人間の生き方をじっくり見て欲しい」という。

  劇団「波」は、10年前にプロの劇団を辞めたメンバー6人が「海できらめく波の光のように、人間一人ひとりに光をあてた劇をしよう」と立ち上げた。8年前から、ホテルの受け付けのアルバイトや字彫りなどの仕事をしながら準備。劇団を立ち上げてからは、週3回ほどのけいこに励んできた。

  劇は約2時間で、20、21日は午後6時半、22日は午後2時に開演。前売り券の購入などの問い合わせは、「節子星霜」公演実行委員会(083・922・5143)。

国際啄木学会20周年記念「函館大会」の報告記事は

去る9月5〜7日に開かれた国際啄木20周年函館大会について、二人の新聞記者が書いた記事(「しんぶん赤旗」と岩手日報(夕)の)を読ませて頂いたが、赤旗の澤田氏の記事の的確さには、ただただ敬服して読ませて頂いた。
お断りもせずに、写真版を載せるのは憚られるので、皆さんには申し訳ないが、ご覧になりたい方は最寄りの図書館、又は各地の日本新聞協会、あるいは湘南啄木文庫へ連絡してご覧になって下さい。(2009年9月25日 佐藤)

啄木の職業意識──啄木新刊図書『職業の発見──転職の時代のために』から
このたび(9月)、池田功、上田博共編『職業の発見──転職の時代のために』(世界思想社、2100円+税)が、発行されたました。

明治から昭和に活躍した作家や文人たちの書き残した作品の中に彼らが、自分の職業(転職)の事をどのように考え、また、捉えてそれを体験したのか、について、17名の執筆者が、それぞれの得意とする分野の対象人物をとりあげて、分かりやすく、面白く、そして「転職と天職」について解説しながら、転職のすすめ?、をしております。

石川啄木についての執筆者は、実際に会うと、その肩書(明治大学教授、文学博士、国際啄木学会副会長)に驚くような若い?、池田功氏が執筆しておられます。

啄木が、どのような思い(自分の職業に対する)で、転職を繰り返したのか、特に啄木が、代用教員という職業体験を通して書き残した、素晴らしい職業意識については、池田氏の付けた論題「詩を書く事は天職ではない──石川啄木」からも察しられますが、ここには職業(教育者)に対する啄木の、真摯な姿が語られておりました。これは私(佐藤)にとっても、新しい啄木の発見でした。

なお、啄木以外の項目では、芹沢光治郎、永井荷風、松本清張、柳田国男、羽仁もと子、林芙美子、石橋湛山、坪内逍遥、夏目漱石、特にその中でも、私がこれまでに全く触れることのなかった人物、相馬愛蔵などは、今更に、新しい発見の喜びも一緒に感じられて、嬉しい一冊でした。

どうぞ、皆さんも是非ご一読下さい。そして人物再発見をお楽しみ下さい。(9月2日。佐藤勝)
池田功、上田博共編『職業の発見──転職の時代のために』(世界思想社、2100円+税) 09年9月20日発行

文献紹介の更新について
この1年半ほど詳細な文献紹介を怠ってきたが、一昨日、久しぶりに会った知人のTさんから、「最近は単行本の紹介が中心みたいですね」と言われた。

私にとっては、嬉しくも、また、返答に困るお言葉であった。単行本主流のつもりは無いのですが、たしかに読んで紹介する、という作業を怠っていた気がして、反省しきりであった。

本日は、雑誌、単行本の一部に収められた文献を中心に「湘南啄木文庫収集目録」(第21号・09・01発行と第22号・未発行)から、主な論文を紹介した。

2冊の目録から補遺篇などにさかのぼったこともあって、約50点の文献となった。今後はまた、小まめに啄木文献紹介に努めて行きますので宜しくお願いします。 (2009年7月20日 佐藤勝)
友人2人の作品展「写真&陶芸」の個展

謹 賀 新 年

 皆さまには健やかな新年をお迎えのことと拝察申し上げます。
 さて、このたび、私の二人の友人が「写真と陶芸」の個展を同時に同じ場所で開く事になりましたので、この作品展を皆さまにもぜひ、ご覧になって頂きたく思いまして、ここにご案内させて頂きました。
 場所は少しばかり遠方ですが、車の人はドライブを兼ねてちょっとした田舎訪問の気分でお出かけして見るのには最適な所です。

 電車を利用される方は、日帰りの小旅行の気分でお出かけ下さい。神奈川県松田町寄(やろろぎ)は、いつ訪ねても四季折々に風情のある所です。
 秦野の隣町ですが、下車駅は小田急線「新松田駅」です。駅前から富士急湘南バスの「寄(やろろぎ)行」に乗車して終点に下車。徒歩3分です。


 写真のベテラン、會 肇さんの作品は、その得意とする分野の幅は広くて、芸術性の高いものですが、今回は丹頂写真に限定して展示されております。

 近藤祖雄(こんどう もとお)さんは秦野市にある曹洞宗寺院の副住職です。
 若き僧侶でもある近藤さんの作品には、趣味の域を超えて静寂さと気品が漂っております。

 特に今回の展示会場には、販売コーナーもありまして、誰もが日常生活で使えるような陶芸品を廉価な価格で出品されるとのことです。
 本物の焼き物を日常生活の中に取り入れて、お茶やコーヒーを召し上がってみては如何でしょうか。


 ちなみに
 會 肇さんは私の元の職場の先輩でもあります。
 近藤祖雄さんは、秦野市のボランテア活動を通じての友人であり、一昨年前からは、私の陶芸の先生でもあります。それではよろしくお願い致します。  2009年1月5日   佐藤 勝拝

 追伸
 レストラン「荷風」のメニューの中で私がおすすめしたいのは、懐石風の料理で、江戸時代のレシピからの再現料理という荷風江戸料理膳「蓮華」(2000円)です。
 あなた様もきっと、この料理と丹頂写真と陶芸作品に触れて、日本人であったことの歓びを再確認されることと思います。

※下の写真はクリックすれば、大きく見られます。

開催期間:2009年1月7日〜2月28日(毎週、月・火は休み) 11:30〜18:00

場所:神奈川県秦野市足柄上郡松田町寄(やどりぎ) 4097- 1

レストラン「荷風」のホームページ http://www2.tbb.t-com.ne.jp/kafoo/ 
 
 ※ 地図をクリックすると大きく見られます。
秦野歌談会の作品集「遊塵」を発行
 神奈川県秦野市に住む、文学(特に短歌)に関心を持つ人たちによって結成されている「秦野歌談会」(代表:山田吉郎)が、このたび、作品集「遊塵」(ゆうじん)を発行しました。
 この「遊塵」を紹介する記事が地域の情報紙に載ったので掲載します。湘南啄木文庫でも「遊塵」は取り扱いますので、講読の希望者は湘南啄木文庫までメールでお申し込み下さい。ちなみに、私は短歌を3ページ掲載しております。
 なお、タウン紙の記事には、連絡先の電話もありましたが、削除して掲載してあります。(2008年11月23日。佐藤勝)


第3回 「横浜啄木の集い」についてのお知らせ
啄木横浜上陸100年記念の集い
 
 石川啄木が横浜港桟橋に上陸したのは、明治41(2008)年4月27日の午後であった。
啄木は上陸してすぐに、港の近くにあった「長野屋旅館」に宿をとって何通かの手紙を書いた。
 その中の一通は「明星」の仲間であった小島烏水にである。
 烏水は日本近代登山の先駆者であり、山岳紀行文の名手でもあるが、当時は「明星」の同人で啄木と一緒に作品を発表している仲間であった。 

 啄木は先ず、烏水に会って聞きたいことがあった。
 それは・・・・・・・(この続きは当日の会場にてお話しします)

  その日からちょうど100年目となることを記念して、このたび、湘南啄木文庫と横浜啄木文庫の共催にて、第3回「横浜啄木の集い」を開くことに致しました。

 啄木の好きな皆さんと一緒に「横浜の啄木」を語り合いたいと思いますので、どうぞお出掛け下さい。

 また、今回は佐野短期大学教授の大室精一先生に特別講演をお願い致しました。
 大室先生は、ご専門が「万葉集」の研究ですが、石川啄木研究の第一人者であった、故岩城之徳先生の愛弟子の一人でもあり、大室先生ご自身も日頃から、啄木は大好きな文学者のひとり、と仰ってます。

 大室先生は、啄木研究においても、すでに多くの論文を発表されております。特に歌集『一握の砂』の編集をめぐる一連の研究は、他の追従をゆるさないもので、広く知られておりますが、今回は、ご無理を言って特別講演をお願い致しました。
 殘念なのは、会場が50名の定員を守らなければならない、ということです。

 開催についての詳細は下記の通りですから、どうぞお早めにお申し込み下さい。
 ご連絡、問い合わせは湘南啄木文庫(佐藤勝)又は横浜啄木文庫(小木田久富)までに。(2008/02/12)

<満席のため上記「横浜啄木の集い」参加申し込みは本日(3月12日)午後6時で締め切りました。>


 沢山の方から お申し込み頂きまして有り難うございました。遠くは福井県、埼玉県、千葉県の方からも参加申し込みを頂きました。主催者のひとりとして、こんな嬉しい事はありません。

 大室精一先生のご講演(今回予定されている内容)を、私は今年の一月に、国際啄木学会東京支部会の研究発表という場で拝聴致しましたが、その斬新な、そして奥深い真実の追究に、私の胸の内は激しい鼓動に打たれつづけました。

 大室先生が指摘される『悲しき玩具』編集の問題点は、誰よりもほかならぬ啄木が一番望んでいた研究だったのではないか、と私は思うのです。

 どうぞ、皆さんもぜひ、一緒に聞いてみて下さい。たぶん皆さんにも、啄木の得意気に頷く姿と、「やあ、よくやってくれたね」という啄木の声が聴こえて来る筈ですから。(と私は思うのです)

佐藤勝 2008年3月12日

  
 「啄木横浜上陸100年記念企画・第三回 横浜啄木の集い」


 今年は啄木が横浜に上陸して100年目。湘南啄木文庫と横浜啄木会の合同企画にて下記のように「第三回 横浜啄木の集い」を開催します。

日時:2008426日(土)13001500

場所:横浜開港記念会館
会場の住所:横浜市中区本町1−6 (ここをクリックすると地図が見られます)

特別講演:「啄木最後の歌集『悲しき玩具』編集の謎」

講師:大室精一先生(佐野短期大学教授/国際啄木学会会員)


ミニ講演3題  「石川啄木と横浜に関わる人物と建物」

(1)大庭主税(国際啄木学会会員)
<啄木の友人小島烏水の顕彰碑を訪ねて

(2)小木田久富(国際啄木学会会員/横浜啄木文庫主宰)
<横浜で啄木が立ち寄った二つの建物について>

(3)佐藤 勝(国際啄木学会会員/湘南啄木文庫主宰)
<横浜と啄木の二人の友人〜童謡「赤い靴」の作詞者、野口雨情と日本近代登山の先駆者、小島烏水>

※他に特別参加「赤岡綾子とコーラスグループ」の指導による童謡「赤い靴」の合唱があります。

※参加費:400円 (資料&飲み物代です。当日受付にてお支払いを)

 「横浜啄木の集い」に参加を希望される方は「湘南啄木文庫」または「横浜啄木文庫」まで、メール又はハガキでお申し込み下さい。会場の都合で入場は先着50名様迄です。

<満席のため上記「横浜啄木の集い」参加申し込みは本日(3月12日)午後6時で締め切りました。>

 また、希望者は午前中に春の横浜港近辺の散歩を楽しむ計画等もしております。散歩への参加希望者は、合わせてご連絡下さい。集合場所などを直接お知らせ致します。

(写真説明) 啄木が宿泊した「長野屋旅館」の跡地。現在、平和プラザホテルというビジネスホテルが建っている。ここは、「明星」の同人で啄木が横浜で面会した、ただひとりの人、小島烏水の勤める「横浜正金銀行」(当時の建物が「神奈川県立博物館」として現存している)のすぐ裏側になる。

小樽日報 第3号の復刻版 
啄木が書いた記事掲載
小樽日報の社会面で啄木が様々な記事を書いていたことは広く知られていることだが、昨年、その小樽日報の第3号が小樽文学館から復刻されて、特別展の入場者に無料配布されている。
 啄木ファンはもちろん、研究者にとっても魅力あるものなので、文学館をこれから訪れようとしている人はぜひ、早めに行かれることをおすすめします。

 上の新聞記事の写真は小樽在住の知友M氏のご好意によるものです。(2008年1月8日 佐藤勝)
釧路の啄木研究家 遺稿集 釧路新聞社から出版

鳥居省三著『私の歩いた文学の道』は感動的な回想記!

釧路新聞社発行の鳥居省三著『私の歩いた文学の道』は大変感動的な随想集です。

 本書は「鳥居省三遺稿集」でもあります。著者が亡くなった一年後の本年五月、奥さまによって刊行されたものです。

 収録の文章は著者が生前に五十回にわたって、釧路新聞に連載されたものですが、このように一冊の本となって読めたことに、私は感謝したい気持ちでいっぱいです。

 著者は石川啄木の研究家でもありました。啄木研究における著者の名前は、『石川啄木─その釧路時代』(釧路新書)の著書や国際啄木学会での活躍と、多くの啄木研究論稿によっても知られております。

 また、北海道文学の発展に寄与した業績も多大である事は、本書によってさらに認識を深くしました。
これらの業績は、釧路における大きな啄木研究者として、ながく記憶されるものと思います。


 遺著となった今回の『私の歩いた文学の道』を読みながら、私は何度か涙の込み上げるのを禁じ得ませんでした。

 特に「挽歌」などの作品で著名な釧路出身の作家 原田康子氏が世に出るまでの、ガリ版印刷の同人雑誌、「北海文学」の編集者の苦労や、若くして自殺した同人仲間、宇多治見の死を止めることの出来なかったことへの悔恨、そして、彼の全集を出そうと奔走し、慟哭する鳥居先生の姿に泣かされました。

 私は、啄木愛好者として何度か鳥居先生とお会いし、お世話になったのですが、今も文学と人間愛に生きた鳥居先生の飄々としたお姿を思い出します。
 そして、今さらに敬慕の想いを深くするばかりです。
(2007年11月7日 佐藤勝)

鳥居省三著『私の歩いた文学の道』46判 298頁 3200円 釧路新聞社 
”啄木研究「歌が重要」”などの論稿も収録

雑誌「明星」と啄木 その周辺の青春歌人群像

 私の地元である秦野は近代を代表する歌人の一人である前田夕暮の故郷である。が、私はこの偉大な歌人のことをあまり知らなかった。
 前田夕暮を知るきっかけになったのは夕暮研究家の山田吉郎先生の書いた「前田夕暮の啄木観」という一篇の啄木文献であった。
 
 その後、平出修研究会で偶然に山田先生と知り合って、依頼昵懇にして頂いている(と私は思っている)。

 その関係で、このたび秦野市立図書館で開催してる「前田夕暮と明星派展」に少しばかり展示資料を提供したら、ぜひ、この展示を記念する講演会で「啄木と夕暮」についての話しをしてほしいと図書館からたのまれてしまった。

 夕暮についてはまったくの無知であるが、夕暮が若きに日に刺激を受けたであろう周辺の青春歌人の話しなら少しだけ話してみたいと思って引き受けたのだが、それはほかならぬ啄木の周辺歌人でもあるからである。

 与謝野晶子、山川登美子に続く啄木周辺の歌人群像はすごいのである。
 北原白秋、平野万里、木下杢太郎、などなど。そして場外には土岐哀果や若山牧水がいる。

 これらの人々が如何に熱く生きていたかを、少しだけでも伝わるような話しができたら良いと思っている。
 講演の日時予定は下記の通りです。なお、会場の都合でご来場頂けるのは先着80名様までになります。

 お近くにお住まいの方で興味のある方は、ご希望の講演日にどうぞ足をお運び下さい。(佐藤勝)

第1回・11月17日(土)午後1:30〜3:00時
講師:永岡健右先生(日本大学通信教育部教授)
演題:鉄幹・晶子の夫婦像〜夕暮のあこがれたものは何か〜

第2回・12月1日(土)午後1:30〜3:00時
講師:佐藤 勝(湘南啄木文庫主宰)
演題:短歌雑誌「明星」と啄木・夕暮〜同時代の青春歌人群像〜

第3回:12月8日(土)午後1:30〜3:00時
講師:山田吉郎先生
演題:青春期の前田夕暮〜夕暮・牧水時代とな何か〜

※入場無料です。ご希望者は秦野市立図書館まで電話で申し込み下さい。
 電話:0463−81ー7012 (11月1日より受け付け開始です。)



運河の街小樽で啄木短歌に作曲
 昨日、小樽啄木会の会長から、次のような趣旨のメールを頂きました。

「先日の『啄木祭』”朗読と歌のゆうべ”で、小樽にある3基の啄木歌碑に曲をつけて発表されました。
指揮をした中村浩さんはこの度の作曲者で、合唱の皆さんと同じ「小樽市グリークラブ」のメンバーです。
この模様は小樽のHP「運河のある街小樽」
http://www.k-otaru.com/index.html
にアップされましたのでお聞きください。」

 早速に、上記アドレスの小樽市グリークラブHPにアクセスして、啄木短歌に作曲された合唱を試聴いたしました。
 試聴出来るのは、「こころよく/我にはたらく仕事あれ・・・・・」の一曲ですが、素晴らしい男性合唱です。
 そこで、「運河のある街小樽」HPの管理者にぜひ、全3曲を試聴させて頂きたい、とお願いしたいと思います。

皆さんもぜひ、試聴してみて下さい。運河の街 小樽と啄木の歌が美しい夜景のようにひろがってゆきますから・・・・・・。
なお、「運河のある街小樽」HPへは、「全国71の啄木リンク」からもアクセスできます。

※作曲者した方は中村浩さん。小樽市グリークラブのメンバーで、小樽合唱連盟の理事長です。

(2007年11月1日 佐藤勝)

※上記の中ほどに、試聴出来るのは、「こころよく/我にはたらく・・・・・」の一曲、と書きましたが、先刻、私の操作ちがいを知らせて下さる下記のようなメールを頂きました。ご指導頂きましたM様有り難うございました。

 私と同じように、早とちりをしている人は無いと思いますが、念のために、M様からのメールの一部を、参考までに貼り付けます。(07/11/01 PM.09:00)

湘南啄木文庫 佐藤様

 HP「運河のある街小樽」の件ですが、 2と3曲目を聴くには、
トップページ右下の「次に」をクリックして、次の画面の左側に
「演奏曲目のみお聞きになりたい方は再生ボタンをクリックして・・・・」
というのがあります。これを右向きの三角をクリックすると3曲とも
聴けるはずですので試してください。(M)


大きな活字の啄木全集
全作品が
『ザ・啄木』
(第三書館)一冊に!

 かつて発行されていた『ザ・啄木』(第三書館)が、このほど旧版をそのまま大きい活字本として再発行した。
 A5判 617頁。値段もてごろで(1900円+税)なのでおすすめです。

 私は最近特に目の疲れを感じていたので、昨日、神田神保町の古本祭りに出掛けたついでに、探して買って来た。
 さすがに新刊なので、古書店にはなかったが、新刊書店で手にしてみたら、やはり大きな活字は読むのが楽なので、そのまま購入して来た。

 この全集は、啄木作品の全集なので、日記や書簡は収録されてないが、歌、詩、小説は全作品が収録されている。
 また、主な評論やエッセーも収められているから、ちょっと引きだして見るのにも便利なので、ぜひ、日記と書簡も大きい活字本として刊行して頂きたい、と思う。そして、あなたもお手許に一冊いかがですか。(2007年10月29日 佐藤)

第三書館発行の大活字版『ザ・啄木』A5判 617頁 1900円+税
※収録作品・詩・歌・小説、ほかに主要な評論、エッセーも収録。


室生犀星の代表詩「ふるさとは遠きにありて」は、啄木のパクリ?

 去る7月7日の産経新聞に掲載された、石井英夫氏の文章、「犀星は啄木におんぶした」は、安宅夏夫氏の論文「室生犀星が啄木から得たもの─ふるさとは遠きにありて思ふもの」考─(「人物研究」第19号に掲載)を紹介したものである。

 私はこの論文のコピーを知友のMさんから、早くに頂いていたのに、雑用に追われて読まないままにしていたから、別の知人から産経新聞の記事を頂いて、Mさんから頂いたコピーとは別なもの、と勘違いして「人物研究」なる雑誌を購入したいと思い、ネットで検索したが見つからず、「人物研究」19号は国会図書館にも無くて、神奈川県立図書館に所有図書館を調べて頂いたら、貸し出し禁止扱いで福島県立図書館が所有しているというので、発行所の連絡先を教えて頂いてようやく入手した。
 
 何時も啄木文献の蒐集でお世話になっているMさんにも、私からコピーを送るか、Mさん自身が現物を購入されるかを問い合わせて、初めて、Mさんから送って頂いたものと同じ、という事に気づいて苦笑した。
 が、Mさんは、私の間のぬけた問い合わせには、さらに苦笑されたことと思いながら、安宅夏夫氏の論稿を読んだ。

 安宅氏は室生犀星の研究者のようだが、私は氏の論稿を一心に読みながらも、心打たれず、疎ましさを感じるのは何故だろうか、と考えていたら、読後にはこの欄で紹介しよう、と思いながらも億劫なってしまった。
 これは安宅氏の犀星に対する表現が、私の気性には合わなくて、それがたまらなく嫌だったからと、理解した。

 安宅氏の論は、犀星の代表詩である「ふるさとは遠きありて思ふもの」は、東京毎日新聞に連載された啄木の小説、「我らの一団と彼」の第26回の登場人物、高橋彦太郎の台詞、「故郷は遠くから想ふべき処で、帰るべき処ぢゃない。」という箇所からヒントを得たものである、というものであった。
 しかし犀星は、啄木の小説からヒントを得ことを世間に知れ無いようにと、さまざまな工作をした、というのである。

 この論は安宅氏の大きな研究成果であると思いながらも、私には氏の表現が、どうしても嫌な言い方にしか読めなくて、正直ウンザリしてしまった、というのが私の主観的感想である。
 が、これを啄木ファンの中には、犀星も啄木文学の継承者だった、と喜ぶ人もいるかも知れない。しかし、いくら啄木作品の模擬かも知れない、といっても、このような言葉で詰問することを私は好まない。

 例えば、犀星が啄木の小説に触発されて書いた、ということを記述する安宅氏の文章は、次のような言葉で表現される。

 「その事実は無かった、という”完全犯罪”を生涯にわたって貫き通すために、どのように韜晦(とうかい)<註:1>あるいは現場不在証明(アリバイ)を作り続けたか」と記し、さらに、「先にも記したが、これは犀星の戦略的な韜晦であり、「アリバイ」作りであった。」と。
 そして、「啄木から得た恩恵については、おくびにも出さなかった。」、とか、「犀星流のヌケヌケとした言い方」、などという表現が頻発し、如何に犀星が、陰険で狡賢い人であったか、ということを印象付けるような表現が続く。

 私はこのような安宅氏の文章について行けない気分になった。

 啄木の研究者、または啄木批評家気取りの人、さらには啄木を主人公にして小説を書いた人の中には、安宅氏のような書き方に近い表現をした人も居たが、私の知る限りでは、彼らの多くは啄木を媒体として自己主張したに過ぎなかったことはいう迄もないが、小説家にも研究者にも、啄木関係に限って言えば大成者は見当たらない。

 が、このような人とは反対に、研究の対象である啄木の欠点を同じように指摘しながらも、例えば故・岩城之徳氏のように、啄木への深い信愛の情を持って表現した人もいる。私はそこに真の研究者の姿をみてしまう。
 しかし、私は根っからの啄木愛好者ですから、あなたはご自分で安宅論を読んで見ては如何でしょうか。
 (2007年9月2日 佐藤勝)


 ※「人物研究」19号の購入希望者は、代金1000円+送料240円です。申し込みは下記の連絡先へどうぞ。
 
人物研究会連絡先 = 〒311−2223 茨城県鹿嶋市林 314 久保様方 林 栄子 宛

註:1 「韜晦」→ 自分の才能、地位、形跡などをごまかしてわからないようにすること。他人の目をくらまし、隠すこと。「自己韜晦」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

ユキ爺の三国志群像

ユキ爺の三国志群像と仏像彫刻 http://(HPは閉鎖されました。2008年10月)

ハンドルネーム「ユキ爺」さんのホームページに、爺さまの労作「三国志」の群像が公開されている。この作品に私は驚嘆した。いや、もう少し正確に言えば、作者の「三国志群像」彫琢に傾けた熱情とその迫力。そして作者が記した習作期などの経歴から推測した時間の短さに驚いたのである。とにかく作品を直に拝見出来る機会がある、とのことなので、是非お訪ねしたいと思っている。

 昨夜、高校生の頃に「三国志」が大好きだった我が家の次男坊が、久しぶり(半年振り?)に顔を見せたので、「ユキ爺」さんのホームページを覗かせたところ、「いやー、驚きだねー」という感想だった。高校生だった二男も今は32才の壮年?だが、我ら父子はしばし、「ユキ爺」さまの「三国志群像」の感想からはじまって、懐かしい昔話しに花を咲かせた。

 昨夜は久しぶりに息子と話したことが嬉しくて、「ユキ爺」さまに感謝したい気持ちになった。ユキ爺さま、有り難うございました。
(07年8月7日 佐藤)

三枝昂之氏の「新しい啄木」(雑誌「歌壇」に連載中)は、
いよいよ佳境に入ってきました!
 
 連載16回目の4月号では「生活者啄木」と題されて、金田一との「蓋平館」生活に訣別して、家族と一緒の「喜之床」生活の苦悩が語られてます。
 毎回、歌人ならではの見解に頷かされているが、4月号のテーマは特に興味深いものがあって、啄木関係者には必読です。
 啄木の妻節子と母カツの確執についても、啄木の伝記研究の権威であった、岩城之徳氏の小さな読み落としなども、三枝氏はしっかりと見て、指摘しております。
 私にとってこの連載が、何よりも嬉しいのは啄木の生活を「明治」という時代の中でのみ捉えているのではなくて、今日の一般常識から見た社会人として、どうであったのか、という視点が伺えることです。先ずはご一読あれ。(2007年3月21日 佐藤勝)
池田功・上田博編『明治の職業往来』
 〜名作に描かれた明治人の生活〜
世界思想社 2300円+税(07・3 発行)

※上記『明治の職業往来』の詳しい書評が2007年6月17日の読売新聞に「職の倫理はいつ消えた」と題して出ております。評者は磯田道史(茨城大学准教授)。
磯田 道史いそだ みちふみ1970年 - )は、日本歴史学者。2004年より茨城大学人文学部助教授。専門は日本近世史岡山県岡山市出身。
2002年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。慶應義塾大学・宇都宮大学などの非常勤講師を経て現職。1998年から2003年まで日本学術振興会特別研究員。
2003年の著作『武士の家計簿』で第2回新潮ドキュメント賞を受賞した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

私の読後メモ帳から  佐藤勝
 
 世界思想社から発行された『明治の職業往来』という本はユニークで面白い。
 この本で紹介されるほとんどの作品は、一度は読んだ事のあるものだが、こうして解説と一緒に抄きだされた要所を読むと、まったく気づかずにいた事が沢山あって、はじめて読むような新鮮さを感じる。

 また、多くの作品に今日的な問題を示唆するものが多いこともあらためて感じた。
 例えば泉鏡花の『夜行巡査』。辻本千鶴氏の解説によれば、当時の庶民の目に映った巡査は「犯罪の危険性に備えて頼れる存在であると同時に、国家権力の末端で生活に介入、干渉してくる厄介なものであった」ということだが、これは現在のアフガンやイラクの庶民が体験している生活ではないか。百年前の日本人が体験し、苦しんだことを彼の国の人たちは今・・・・・・・ 
 また、新五千円札の図柄になった樋口一葉が見た、娼妓たちの生活。これは今日の日本に外国から来た多くの人たちが置かれている現状ではないだろうか。

 夏目漱石の『坊ちゃん』の項では、上田博氏の解説がとても解りやすくて、明治日本の教職員制度の決まり事と今日の制度の相違も理解できた。 そして、なるほど、アベ シンゾウさんが教育改革を叫ぶのは、この所為なのか?、と思いながら読んだ。

 ほかに、二葉亭四迷『浮雲』(田口道昭)/徳富蘇峰『将来之日本』(若林敦)/内村鑑三『基督信徒の慰』(河野有時)/田山花袋『蒲団』(伊藤典文)/国木田独歩『窮死』(池田功)/平出修『畜生道』(若林敦)/夏目漱石『坑夫』(田村修一)/徳田秋声『足跡』(外村彰)/与謝野晶子『八つの夜』(古澤夕起子)/長塚節『土』(河野有時)などが収録されている。 ※()内は解説者

 肝心な啄木については、池田功氏が啄木の小説『我等の一団と彼』から”新聞記者の世界”を丁寧に案内してくれる。特に腐敗した新聞記者の世界って怖─い世界だと。このような記者は現在もいるのじゃないか。ここで思い出したのは、昨年、民主党の某議員さんが偽メール事件で辞職した話しだ。イヤ イヤ今日的には振り込め詐欺の犯人達の方が似てるだろうか。
 
 編者の一人である池田氏の「新聞記者の世界」は、啄木に興味のある人には必読。池田氏は今日の啄木研究を担う一人。池田氏の論考には説得力と深さがある。
 蛇足ながら氏は昨秋、文学博士の称号を明治大学において授与された若き啄木研究者である。

 ところで今日なお、戦いっぱなしの中に放置されている、アフガンやイラクの庶民たちと、明治の日本人が体験した事はよく似てる、と思う。そして日本もまた、何時、明治という時代に逆戻りするかも知れない、という不安を感じた。それでこの本を多くの人にすすめたくなった。 (2007・3・13)


 
友の句集『蜃気楼』を読む
 つい先日、長いこと年賀状の交換のみになっていた友人から一冊の句集が届いた。
 私は驚きながら読みふけった。面白い?句がたくさんある。私は早速に礼状を書いた。以下はその礼状である。

 前川敏夫様
 この度は句集『蜃気楼』をお送り頂きまして有り難うございました。
 先ずは驚きました。しかし、兄の場合はかつて小説を書いておられたことを私は存じておりますから、作品を拝読しながら句の巧さも十分に納得できました。
 檜氏の序文の言葉にもありましたが、いずれも期待を裏切るものはなく、味わいのある句で、短編小説や心地よいエッセイを読んでいるような気持ちになりました。
 今から37、8年以上も前の事ですが兄の書いた小説に、ラッシュアワーの横浜駅ホームに、満員電車から吐き出された足の不自由なひとりの少女と、それを見守る青年を描いた作品がありました。このたびの句集を繰りながら、あの小説を読んだ時と同じ暖かいものを感じました。
 障害者の少女を見守る青年の目線が、作者の兄の人柄と重なったことが、今も心に残っております。この記憶は私の勘違い、あるいは思い違いか、確認しておりませんが、私は今、あの40年近く前に感じたものと同じ気持ちになっております。
 本当に良いものを読ませて頂きました。心よりお礼申し上げます。

 なお、私の歌集があったら交換に読ませてほしいとのご所望を頂きまして有り難いかぎりですが、殘念ながら、歌集は30年前に出した私家版の『海の鳴く声』というのがあるのですが、この本は手元に一冊残してあるのみなので、今回は『啄木の肖像』を同封させて頂きました。
 これは私の啄木に関するエッセイなどと、近年の雑誌などに書いた詩歌に関する文章をまとめたものです。20年近く会う機械のなかった兄にも近年の私の事を少しばかり知って頂けるかと思います。どうぞ時間のある時にご笑覧下さい。
 それではまだ寒い日もあると思いますがご自愛下さい。  拝具
2007年2月10日  佐藤 勝拝

 <追記>
 以下は句集を読みながら思い浮かんだ事をそのままメモ帳に記したものと、さらに気に入った句を幾つか抄き出したものです。

※ 句集『蜃気楼』を読む (メモ帳より 2007・2月)

  気丈さのうちに寂しき久女の忌

 高浜虚子ほど嫌いな文学者はいない。ゆえに俳句を読む時はなるべく一茶や蕪村の句を思い浮かべるようにしてから、読み始める事にしている。
 なぜ虚子が嫌いなのかはよく分からないが、若い頃からとにかく嫌い。
 それがある時、田辺聖子の小説『花衣』(杉田久女の句「花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ」からの題名)を読んで、我が虚子嫌いの原点を見つけたような気がした。


 拉致といふひとの消えかた鰯雲

 最近の嫌いなもの。北○鮮。だが、北にも言い分はあると言うから可笑しい。昔の帝国△本という軍事国家を思い出す。東条将軍サマに多くの国民は騙された。この時事句から自分はいろいろな事を思い浮かべた。
 北の拉致を自分の国政選挙に利用したい、と思っているらしい政党のアベ党首サマの顔も思い浮かべた。
 時事句とは面白いものだ。が、この句自体は自分の想いとは関係なく、鰯雲のように千切られゆく同胞(はらから)の哀しみを伝えた佳い句だと思う。


  漱石忌心を映す鏡欲し

 近代短歌で百年後の今も、その作品が読まれているのは、啄木と牧水くらいだろうか。小説になると漱石だけではないか、こう言えば異論もあると思うが、自分はそう信じている。
 ではなぜ漱石なのか。それは簡単。漱石の小説は己自身の心をみつめた作品が多いからで、「智者は己を知る」と言うけど、私のような凡人は智者に憧れるから。


 胸焦がす想ひは知らず雪女郎

 鳥曇優しき顔の自衛官

 真つ当に咲いてるつもり狂ひ花

 近松忌涙にもある嘘まこと

 一人旅一度もせずに西行忌

 戻る巣にやすらぎのなし親燕

 葉桜や皇居に人の気配なし

 信じたる声に叛かれ西瓜割り

 一巻は貸して戻らず漱石忌

 多喜二忌や責具に耐える自信なし


 ※前川敏夫氏の句集紹介は下記の通りです。
前川敏夫著句集『蜃気楼』 本阿弥書店 07・1・24発行  定価2500円+税


盛岡市の「広報もりおか」8月号が啄木特集号
 たまたま盛岡市役所のホームページを見ていたら、「広報もりおか」8月号が啄木の特集号でした。
 現在、盛岡では「ザ・啄木展」と称して、市内の4つの記念館(石川啄木記念館・盛岡てがみ館・盛岡市先人記念館・もりおか啄木・賢治青春館)が、それぞれ独自の啄木展を開催し、これをセットで入館出来るようにしているので、私もぜひ開催中に行きたいと思っています。
 「広報もりおか」8月号には、「ザ・啄木展」の詳細な案内をはじめ、函館市の啄木研究家 桜井健治氏や小石川図書館長の馬淵文代氏などのメッセージなども掲載。さらに啄木の生い立ちなど、分かりやすく紹介されています。
 盛岡を訪ねるには、便利な「広報」です。

啄木研究家、遊座昭吾先生の若き日の教え子から便り
今日、遊座昭吾先生の教え子という、ネットを通じた啄木友人のJ.T氏から、下記のような便りを頂いた。遊座先生は大病を克服されて、今も、盛岡に健在で、啄木を語り続けておられます。若き日の遊座先生の教え子が、啄木ファンになっていたことを知ったなら、どれほど喜ばれることでしょう。J.T氏の便りの一部を次に紹介します。
   (略)
 「啄木生誕120年の催しが盛岡、函館、小樽、釧路、東京をはじめ各地で開催され、文学に音楽に演劇にと多彩である。
 歌声のともしびは啄木の魅力をうたうコンサートを開催する音楽企画も全国的に盛んである。啄木ファンにとっては魅力ある行事の話題と選択に事欠かない一年である。(略)
 私は全国で開催される「啄木生誕120年企画」の様々な情報を取材したいと思っている。啄木は120年間生きたのではないが、永遠に26歳2ヶ月の人生の記録を私たちに示し、自由な感情と思考の場を提供し続け、世代を超えて生きていると言える。読者はいつでも啄木のある世代、ある土地、あるジャンルに飛び込み、アクセスして、個人がそれぞれの関心のあるテーマに接し、自らの解釈と理解で納得を得ることが出来る。
 私は45年前、岩手県立福岡高校で、啄木研究家の青年、遊座昭吾先生に国語の授業を受けたが、この秋、遊座先生を慕う同年前後の有志で、啄木を語る会を企画している。
 文学に熱心だった同期の友人を偲ぶことも動機のひとつだが、今を生きる旧友たちで、どのような啄木同窓会になるか、楽しみである。」(2006年8月10日)

 この便りは、啄木愛好者の私の気持と一致するところが多く、今日は嬉しい残暑見舞いを頂いたことで、感激してます。同期の集いには、遊座先生も招待されるのでしょうか。次回には集いの様子などをぜひ、お聞かせ頂きたいと思います。 佐藤(06.08.14 )

特別企画展  石川啄木〜貧苦と挫折を超えて〜

 浪漫派天才少年詩人として出発し、短歌の世界に大きな足跡を残した石川啄木(1886〜1912)。彼は、貧苦と挫折を繰り返しつつ、時代の閉塞状況に抗いながらも、みずからの思想と文学を追求し続けました。日常のささやかな出来事をテーマに平明な言葉でその内面を歌った啄木の短歌は、今でも多くの人々に愛され歌い継がれています。また、生涯を通して抱き続けていた詩への情熱は、生前には詩集として刊行されなかった「呼子と口笛」など複数の詩稿ノートからもうかがえます。

 この特別企画展は中村稔氏(詩人・日本近代文学館理事長)の監修のもとに、「T 啄木の生涯」、「U 詩歌の世界」の二部からなっています。日本近代文学館蔵の直筆原稿、書簡類、詩稿ノートなど、北海道初公開の数々の貴重資料を展示するとともに、「啄木と北海道」のコーナーを設け、函館・釧路など道内各地の資料も公開します。

 あなたの心にある啄木の歌はどんな歌でしょうか。ふと口ずさむそんな歌を、この夏、北海道立文学館で確かめてください。

会 期 2006年7月22日(土)〜8月27日(日)
休館日 月曜日
開館時間 午前9時30分〜午後5時
(入館は午後4時30分まで)
会 場 当館特別展示室
観覧料 一般600(480)円、高大生350(280)円、
小中生250(200)円
主 催 北海道立文学館、(財)北海道文学館、
北海道新聞社
後 援 札幌市、札幌市教育委員会
協 力 日本近代文学館、函館市中央図書館、
函館市文学館
関連事業 7月22日(土) 文芸講演会

*<おことわり>上記の告示は「北海道立文学館」HPからの写しです。
「石川啄木展」(図録)〜貧苦と挫折を超えて〜

感動のエッセイ

 歌人 三枝昂之氏のエッセイ集です

三枝昂之著『こころの歳時記』
(山梨日日新聞社)
2006年7月10日発行 四六判 210頁 2000円+税

 気障な言い方になるが私はまた、心の宝となる一冊の本とめぐりあった。
 以前に氏の歌集『農鳥』(ながらみ書房)を読んだ時に、何年かぶりで歌集を読んで涙の出るほど感動したことがあった。
 その私がまた、今回のエッセイ集に感動して、泣いてしまった。
 年の所為で涙もろくなったのでは、という人はその前にぜひ、一読して頂きたい。
 一篇が原稿用紙四枚ほどの短文で52篇。どこから読み出しても、どこで閉じてもよい、という短歌を読む感覚で読めるエッセイ集なのが嬉しくて、つい頁を繰り続けてしまったが、読み終えるのがもったいない、と思って閉じた昨夜の頁をまた、今日も読み返してしまった。
 同じようにまた、涙が滲んで来た。
 どの文章のどこに感動したか、と具体的に書きたいと思ったが、それを書くのは野暮なことと気付いたのでやめた。
 このエッセイ集は三枝氏が故郷の山梨日日新聞に連載したものをまとめたそうだが、三十一文字の短歌を四枚の原稿にしたものなのであろう、歌人にしか書けない文章だ、と思いながら、そしてひたすら感動しながら読んだ。
 明日もまた私は、この本のどこかの頁を開いていると思う。
 いつ、どこで、どこを開いても一篇を四、五分の時間で読めることや、歌人・三枝昂之の後ろ姿?も見え隠れするから、氏の短歌ファンには何とも嬉しい一書である。(2006年6月30日佐藤勝)



今年5冊目の啄木図書!


井上信興著『終章 石川啄木』渓水社
2006年6月26日発行 四六判 209頁 1800円+税
大室精一氏(佐野短期大学教授)が「しんぶん赤旗」に書かれた書評、

「井上信興著『終章 石川啄木』 若手研究者への激励と”論争宣言”」は、
「渓水社」のHPに新聞社の好意によって、掲載されてます。
書評を読むには、ここ⇒「書評.紹介欄」をクリックして下さい。

このたび発行された井上信興著『終章 石川啄木』(渓水社)は、著者の7冊目の啄木研究書である。80歳を超えてなお、啄木研究の情熱に燃える著者の姿に私は感動します。
 これまでの著者の研究は、啄木研究史において誤解されているものを補正する、という姿勢を一貫して来たのですが、本書の書名に「終章」と付けられたのは、その総仕上げと言う事になるのでしょう。
 今回の稿には、著者が長年こだわってきた「東海歌」に関するもの、「節子の晩節問題」などのほかに、独自に研究をすすめてきた「啄木の筆跡」などの新論11篇が収録されています。
 井上氏の論稿は、だれが読んでも解り易いという文章スタイルが特徴ですが、ここに、研究論でありながら、読み物としても面白い、という秘策があります。(06・6・30記  佐藤勝)

 <お知らせ>
 *国際啄木学会東京支部会員の方で著者の井上信興氏と交流のある方に限り、湘南啄木文庫までご連絡下さい。上記の『終章 石川啄木』を進呈致します。(但し送料340円は自己負担でお願いします)著者が療養中のため進呈などの代行を湘南啄木文庫が致しております。(申し込み連絡は下記のメールにて2006年8月10日まで受け付けます)
*期日前ですが上記の受け付けは数に達しましたので締め切りました。ご了承下さい。
 なお、上記の井上さんの著書は現在「渓水社」より発売中です。お近くの書店、またはネット書店に申し込まれて、ぜひ、ご覧になって下さるようにお願い致します(佐藤勝・7月2日)

 「湘南啄木文庫へのメール
★国際啄木学会・東京大会のお知らせ!

国際啄木学会・東京大会

とき  2006年9月9日(土)、10日(日)
ところ 明治大学駿河台校舎リバティタワー1階・1011番教室
   (東京都千代田区神田駿河台1−1 電話03−3296−4545)

 9月9日(土) <聴講歓迎・無料>

■開会式(10時00分〜10時10分)
 挨拶 近藤典彦(会長)
 挨拶 大室精一(大会実行委員長)

■研究発表(10時10分〜12時00分)

  細谷朋代(明治大学大学院生): 「葬列」に見るまなざしの相克

  文屋 亮(歌人): 塚本邦雄から見た石川啄木

  加茂奈保子(立命館大学研修生):『一握の砂』における<秋>

  司会 河野有時(都立産業技術高専助教授)

■総会(12時00分〜12時30分)

■連続講演「歌人 石川啄木」(13時30分〜16時00分)

  高 淑玲(台湾景文技術学院副教授)

  今野寿美(歌人)

  木股知史(甲南大学教授)

  三枝ミ之(歌人)

  司会 望月善次(岩手大学教授)
■講演(16時20分〜17時30分)

  草壁焔太(五行歌の会主宰)
  演題:「意識人・啄木」

■閉会式
  挨拶 池田 功(副会長)

■懇親会(18時00分〜20時00分)(アカデミーコモン1階・カフェパンセ)
 会費5000円(学生3000円)

文学散歩
 9月10日(日)
  文学散歩(10時00分〜12時30分)
  (1)本郷コース(10時「赤門」集合)
  (2)浅草・吉原コース (10時「雷門」集合)

事務局
〒168−8555 東京都杉並区永福1−9−1 明治大学和泉校舎 池田 功研究室 電話03−5300−1300

大会実行委員会
〒327−0821 栃木県佐野市高萩町973 佐野短期大学 大室精一研究室
電話0283−21−1200(代表)FAX0283−21−2020



「全国の啄木碑」を冊子に! 
釧路の北畠さんがまとめました。


(写真をクリックすると拡大されます)

このたび、釧路市在住の啄木研究家 北畠立朴氏から「全国の啄木碑」という冊子を送って頂きました。頒布価格は記してありませんが、氏は長年、釧路における啄木の足跡を研究されている人で、『啄木に魅せられて』という著書もありますが、氏の功績の一つは、現在 釧路市内に28基あるという啄木歌碑の多くの建立には、氏が裏方となって尽力された、ということでしょう。
 また、昨年は、氏が講師を務めていた学習会「啄木講座」が100回を超えたという新聞記事を見ましたが、ここにも地域における啄木文学の顕彰者としての北畠氏に、私は心から拍手を送ります。
 このたび、まとめられた冊子「全国の啄木碑」は、A4判 12頁(別表「建立年代別表」付き)で、本書によれば、今年5月7日に除幕式があった県立盛岡第一高等学校(啄木の母校で旧制盛岡中学)の歌碑が、啄木文学碑としては164番目ということです。
 本書はこれらすべての碑について、建立年月日、所在地、碑面に刻まれている文字、が一覧できる他に、都道府県(市町村別)の配置などが解りやすく一覧できるような工夫もあって懇切です。
 また、氏は釧路の地域紙「朝日ミニコミしつげん」に100回以上の啄木エッセイを数年間にわたって連載しているが、このエッセイは、これまでも多くの啄木研究者から、研究のヒントを示唆するものが多い、と言われて定評のあるものなので、一本になる日が待たれています。

 冊子や釧路の啄木に関しての問い合わせは氏がアドバイザーとして勤務する「港文館」(釧路市新富10−9)まで。
 なお、「港文館」はかつて啄木が勤務した「釧路新聞社屋」を移築したもので、社庭にはインバネスを纏い、腕組をした啄木像が颯爽と立っています。釧路を訪ねる人は、事前に連絡してぜひ「港文館」で北畠氏の講話をお聞きになられることをおすすめします。
(2006年6月20日 佐藤勝)
啄木の演劇2題上演! (平成18年7月)
その1.

「泣き虫なまいき 石川啄木」(井上ひさし原作)

場所:theatre(シアター) iwato(イワト) <東京都新宿区岩戸町>
第一日目:平成18年7月8日(土)、(昼講演)午後1時30分開演 (夜講演)午後6時30分開演

第二日目:平成18年7月9日(日)(昼講演一回のみ)午後1時30分開演
(3講演とも開場は開演30分前、上演時間は約3時間)

入場料金(全席自由席)
前売/2500円 当日/2800円

作 :井上ひさし
演出:遠藤正教

出演
石川啄木・・・・大森健一
   節子・・・・島川加代
   一禎・・・・伊勢二朗
   カツ・・・・畑中美那子
   光子・・・・永井志穂
金田一京助・・・千葉 伴

【チケット取り扱い】
チケットぴあ

主催:盛岡市・盛岡デー実行委員会

【問い合わせ】盛岡観光コンベション協会(電話:019−604−3300)

その2.

畑中美那子一人芝居
SETSU-KO〜啄木ローマ字日記より〜
上演日時:平成18年7月6日(木) 午後6時30分開演
(開場は開演30分前、上演時間は約1時間)

入場料金(全席自由席)
前売/2000円 当日/2500円

作 :おきあんご
演出:山元清多

出演:畑中美那子


【チケット取り扱い】
チケットぴあ

主催:盛岡市・盛岡デー実行委員会

【問い合わせ】盛岡観光コンベション協会(電話:019−604−3300)


啄木生誕120年記念…一人芝居など東京公演 (この記事はネットニュース「ZAKZAK」 2006/6/29号掲載記事からの引用です)

「SETSU−KO」  石川啄木の生誕120年を記念し、盛岡リージョナル劇場の東京公演が行われる。

 7月6日は啄木の妻・節子が、夫の死後に残された「ローマ字日記」を読みふけったさまを描く「SETSU−KO」(畑中美耶子による一人芝居)=写真。8、9日は、井上ひさし原作の「泣き虫なまいき 石川啄木」が、いずれも東京・神楽坂の「シアター イワト」で上演される。

 また、首都圏での盛岡ブランドをアピールする「盛岡デー・イン・東京」が1日から9日まで東京・新宿駅西口イベント広場などで開かれる。

 公演の入場料は前売り2000円、当日2500円。問い合わせは、盛岡観光コンベンション協会TEL019・604・3300まで。


盛岡の芸能と音楽の夕べ

日時:平成18年7月3日(月) 午後6時30分開演

第一部:盛岡の芸能
盛岡は民族芸能の宝庫、民謡名人位と勇壮華麗な伝統さんさ踊り

出演
畠山孝一(民謡歌手)
「南部牛追い唄」ほか
中里福次郎(民謡歌手)
「外山節」ほか

三本柳さんさ踊り

第二部:盛岡出身の音楽家たちの夕べ
盛岡出身の音楽家たちが啄木、賢治の楽曲を奏でる

出演
細江紀子(ソプラノ)
高橋織子(ソプラノ)
中野亮子(ソプラノ)
ほか

入場料金:前売/予約 2000円/当日:2500円
予約申し込み:盛岡市東京事務所(電話:03−3289−1522)/盛岡商工観光部観光課(電話:019−604−4111(内線3725)

岩手日報(記事)3日に啄木祭 あんべさんも出演 

歌人・石川啄木の生誕120年を記念した「啄木祭〜あんべ光俊・啄木を歌うコンサート」(同実行委主催)は3日、盛岡市玉山区の姫神ホールで開かれる。
 シンガー・ソングライターのあんべ光俊さんが啄木の短歌に曲をつけて披露するほか、玉山区の女性コーラスグループ・コールすずらん、楽団・ビッグサウンズ姫神、渋民小児童鼓笛隊も出演し、ステージに花を添える。
 入場料は2800円(当日3000円)。高校生以下は無料だが整理券が必要。午後1時30分開演。問い合わせは石川啄木記念館(019・683・2315)へ。
【写真=3日に開催される啄木祭のポスター】


啄木と足尾鉱毒と水俣病   近藤典彦
しんぶん赤旗 2006年5月26日号に掲載
上記の「しんぶん赤旗」に掲載された近藤典彦氏の記事は、赤旗のホームページでは読めないのが残念だ。出来る事ならぜひUPして頂きたいものである。啄木ファンのみならず、多くの人に読んでほしい内容だから。
 盛岡中学の4年生であった啄木が公害問題に関心を抱き、仲間たちと一緒に作っていた短歌の回覧雑誌に「鉱毒」という詠題で、作った歌がある。

   夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや

 足尾鉱山によってもたらされた、渡良瀬流域の「公害」は深刻なものであった。その「公害」についてもっとも早く救済運動をはじめたのは、田中正造である。その田中に若干14歳の地方の中学生であった石川啄木が呼応する行動を起こしていた事は以前からよく知られている。
 岩手日報の号外を街頭に売り、その収益金を足尾鉱毒に苦しむ人々のために送金した、という事実もある。

 近藤氏の論は、当時の啄木の心境と行動を更に考察したもので、考察の深さによった前掲歌の解釈も秀逸である。
 氏の論を読みながら私は、天才歌人石川啄木の誕生も、啄木自身の早くからの問題意識の捉えかたにある、ということがよく解った。
 氏の論が意図するものとは少しずれるかも知れないが、今回の論は、啄木が単なる抒情歌人でないことの確証ともなっている。

 余談になるが先日、知人の出版祝賀会に行った時、茨城県鹿島市在住のAさんから、貴方の名前も載ってましたから、と上記の「しんぶん赤旗」5月26日号を頂いた。
 定年退職後の私は東京新聞を講読しているが、それ以外の新聞を見る機会がめっきりと少なくなって、現在の情報源はテレビとネットニュースが主流の日々なので、啄木情報以外にもメールや電話を含む知友の助けは嬉しい。
 東京新聞を講読している理由は単純明瞭で講読料金が安いから。敢えて理屈を付けるなら東京新聞の夕刊に掲載されるコラム「大波小波」は昔からファンであった。この欄だけは他紙の如何なるコラムよりも読むに値する内容が比較的多い、ということが理由でもある。
 (2006年6月1日 佐藤)

石川啄木生誕120年記念

『石川啄木と石上露子』─その同時代性と位相─ A5判 2381円 238頁 光陽出版社 06・4

 啄木歌「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風をきく」の鋭い分析と今日的意義を解明し、明治の社会主義詩人山口孤剣、半封建社会のなかで真実の愛を求めた石上露子との同時代性を探る。(帯文より)
「函館市文学館 石川啄木生誕120周記念図録」
このニュースは「北海道新聞」の記事からの情報です
生誕120年記念・石川啄木直筆資料展
平成18年4月29日(土)〜10月11日(水)
啄木の日記
日記について1
日記について2
日記について3
10冊の日記1   10冊の日記2   
ローマ字日記1
    ローマ字日記2 
    ローマ字日記3  
図録発売中!
函館市文学館
北海道新聞 2006年5月2日

未知の啄木像に迫る 函館市文学館が図録、歌人ら6人が評論 
<写真:啄木関連の資料写真をまとめ、道内関係者の評論も載せた図録>

 【函館】道内にゆかりのある歌人、石川啄木(一八八六−一九一二年)の生誕百二十周年を記念し、函館市文学館は図録「生誕百二十年記念 石川啄木」を出版した。啄木の足跡を約三十点の資料写真で振り返るとともに、道内の文学関係者が独自の視点で分析した評論を寄せ、学術的な色彩の濃い内容に仕上げている。

 図録では、函館に滞在した一九○七年(明治四十年)に文芸誌の同人らとともに写した写真や、その後札幌、小樽を経て旧釧路新聞社(のちに北海道新聞に統合)に勤めた際に書いた新聞記事などを基に、波乱に満ちた啄木の人生をたどっている。

 六人の文学関係者が文章を寄せた。札幌在住の歌人で評論家の田中綾さんは、関東大震災直後に大逆罪に問われ、獄中で自殺したアナキストの金子文子(一九○三−二六年)に着目。金子が獄中で啄木の作品集を求める手紙を知人に出したことに触れ、金子の残した文章に見られる啄木の作品との共通性について考察している。

 このほかの評論も、啄木とほぼ同時代を生きた小説家、有島武郎(一八七八−一九二三年)との比較や啄木の草稿と全集の比較など、独自の切り口が特徴だ。

 図録はA4判、五十二ページ。千円。二千部発行。同文学館のみで販売し、実費で郵送も受け付ける。

 問い合わせは同館(電)0138・22・9014へ。

-------ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 上記の図録購入希望者は、一部につき1000円を小為替と送料290円を同封して下記の住所へ郵便にて申し込みを。(在庫の確認を上記の電話でして下さい。佐藤)

〒040−0053
函館市末広町 22−5
函館市文学館
「石川啄木生誕120年記念図録」係



土岐善麿の短歌 「啄木追懐」21首   佐藤勝

先日、盛岡に住む友人の古書店主から、大正13年6月10日発行の土岐善麿歌集『緑の斜面』(紅玉堂書店)と同じく土岐善麿著、昭和2年4月15日発行の随想集『春歸る』(人文会出版部)を頂いた。

 歌集『緑の斜面』の冒頭には「啄木追懐」として21首の啄木の臨終前後とその妻のことを詠んだ歌が収録されている。

 土岐善麿が啄木を詠んだ数首の歌は夙に知られているが、私がこのようにまとまった善麿の「啄木追懐」を読んだのは初めてなので、少し感動した。

 善麿は啄木晩年の友人として、又、啄木没後にその家族の庇護者として奔走したことなどはよく知られている。
 
 啄木と善麿の出会いは善麿が土岐哀果の名で出したローマ字歌集『NAKIWARAI』であった。その『NAKIWARAI』が『一握の砂』の三行書き短歌に大きなヒントになった事も知られている。

 しかし、啄木の名が更に高まってゆく戦後という時代における善麿は、何処か啄木を敬遠しているように思うのは、私ばかりではあるまい。

 そんな土岐善麿も、啄木没後の数年は、啄木への熱い哀悼の念を抱き続けていたことを歌集『緑の斜面』に収めた21首の「啄木追懐」によって知ることができた。

 同じ啄木の友人に金田一京助がいる。彼はその生涯のすべてにおいて啄木を庇護し、弁護し、賛美した。

 最近の啄木図書に西脇巽著『石川啄木の友人 京助、郁雨、雨情』(2006年2月・同時代社)がある。この本では三人の啄木に対する感情を、精神医学者でもある著者が、専門的見識も加えて論じているが、これに土岐善麿も加えて論じたなら、更に面白かっただろうと思った。

 参考までに土岐善麿の歌「啄木追懐」21首を次に紹介しておく。
(表記は歌集にしたがった。2006年4月17日 佐藤勝)

啄木追懐       土岐善麿

かくあれば今日をしもあらしめし亡き
友の前にひそかにわく涙

友としてかつて交はり兄として今はもおもふ
渝(かは)ることなし

かれ遂にこのひと壺の白き骨たつたこれだ
けになりにけるかも

おほきなる悲しみをここにうづむるとかのな
きがらを土にうづめし

あきらめてこころひそかに憤るこの病友を慰
めがたし

人のよの不平をわれにおしえつるかれ今あら
ずひとりわが悲し

病ひやや癒ゆといへるにいつしかもみおもな
りけるその妻あはれ

その妻もおなじ病ひに死ぬことか日に日に痩
せて死ににたるなり

いまはかの北の濱邉に住みてある孤兒(みなしご)の顔の
おもひ浮かばず

あのころのわが貧しさにいたましく悲しく友
を死なしめしかな

いまも眼にかたくからびて悲しきはかの鼻の
血のくろきかたまり

しろき布(ぬの)そのかの妻がかかげたるいま死にし
てふ顔のうへの布

いまぞわれら柩(ひつぎ)のなかにをさむるかまけずぎ
らひのかれの體(からだ)を

まともに夏の西日のさすなかにこの一室に病
みて眠るか

そのあとに病ひかならずおもれどもわれら語
れば憤るなる

病みあがりの眼をひからせてあるきたる浅草
公園の人ごみの中

むかうのベットにゐたりし舞踏病者かの青年
は癒(なほ)りつらむか

いたましくくるしき呼吸(いき)をひきとりしかの室
内にまた入りがたし

ほのぼのとうらの邸の椎のはな枕もたげて仰
がしめにき

かれ遂にわれに許さず死に近くはじめて金を
欲しけるかも

『おいこれからも頼むぞ』と言ひて死にしこの追
憶をひそかに怖る


【書誌】「啄木追懐」 (2頁〜9頁)/土岐善麿著『歌集緑の斜面』/発行 大正十三年六月十日/発行所 紅玉堂書店


第2回 「石川啄木を語る会」
2006年4月9日、 さいたま文学館(桶川市)で開かれた、第2回 「石川啄木を語る会」については、「啄木の息」HPのyuさんが大変良かったと感激しておられましたが、その詳しい報告が昨日、yuさんのHPにUPされました。ぜひ覗いて見て下さい。そして第3回が開かれる時は、お近くの方はぜひお出掛け下さい。(06・4・16)

啄木の歌から
 昨日、秦野市内の小さな老人施設を訪ねた。その施設の横ににある、これまた小さな菜園に大根の花が咲いていた。
 啄木が貧しい農村の若い夫婦の「生活の窮状」を詠んだ有名な歌がある。

    宗次郎に
    おかねが泣きて口説きおり
    大根の花白き夕ぐれ

 だが、この歌には「貧しい農村の」では無くて、「農村の若い男女の恋歌」と解釈するひともある。
 作者の啄木に聞いて見なければ真実は解らないが、小さな老人施設の横で雨にぬれて咲いていた大根の花は、寂しすぎる花だった。(2006年4月6日)

秦野市・渋沢丘陵にて
写真をクリックすると拡大されます。




鳥海昭子歌集

『ラジオ深夜便 誕生日の 花と短歌 365日』
(NHKサービスセンター発行・933円)

ジャガイモの花の畑にしゃがみいし
姉さまかむりの母こちら向く(5月17日)

思い出す母の姿といえば、手ぬぐいを
姉さまかむりして働く姿ばかりです。
あの時は、
ジャガイモ畑の草をとっていたのでした。


親のない子が握りいしひと粒の
白粉花の種ぬれていし(9月1日)

ぎゅっと握っていた子供の手が開くと
オシロイバナの種があったのでした。
かたくなな心がほどけた瞬間でしす。
人は誰でも
幸せの種を持って生まれてきたのです。

  『ラジオ深夜便 誕生日の 花と短歌 365日』を読む

  花の歌人、鳥海昭子さんを偲ぶ  佐藤 勝

  鳥海昭子歌集『花と短歌』には心にしみ入るような歌がびっしりと詰まっております。
  そして一首、一首の歌に、短く添えられた言葉の清々しさは、哀しいほどに美しい言葉たちです。

 私が鳥海さんと会ったのは二十年以上も前になりますが、その時に一度会ったきりです。が、爾来、鳥海さんという人を私は何時も身近に思い、あるいは感じながら生きてきたような気がするのです。

 その出会いは私が親しくして頂いた知人のTさんの葬儀の日。鎌倉の谷間の山の上にある火葬場の待合室。木枯らしの吹く寒い日でした。
 私の隣に座っていた鳥海さんから、Tさんとはどういうご関係ですか?、と聞かれました。

鳥海さんの穏やかで温かな話し方は、どこかTさんにも似ておりました。Tさんは私より二十歳ほど年長で、当時、相模原市の公民館の「文学講座」で、私が「啄木」を担当した時の受講生でした。
 Tさんは講座の終了後に文学愛好者のサークル結成を呼び掛けて、私にその指導者になってほしい、と言ったのです。
 Tさんとのお付き合いはそれから3年ほどの短いものでしたが、はからずもこの時に知った鳥海さんとは二十年以上の長きにわたり、何かとご指導も頂きました。

 と言っても直接的なお付き合いは年に一度の賀状の交換のほかに、時々書簡を頂く、又は私が差し上げる、という程度のものでした。
 しかし、月々に送って頂く短歌雑誌でその歌を拝見しながら、私は何時もこのような歌を作りたいもの、とあこがれの気持ちを持ち続けていたのです。また、時にはそのような思いを記したハガキなどを差し上げた事もありました。
 鳥海さんがある結社誌の編集担当であった時は、その雑誌に部外者の私にも啄木に関する一文を載せる機会を頂いたこともあります。
 そして、私が福祉施設に勤務する職員であったことと、鳥海さんもかつて同じ職に就いていた、という事もあって、私にはそれが鳥海さんを親しく感じる要因ともなっていたのです。
 
 それだけのお付き合いでしたが、昨年の夏頃であったか、明け方に目が冴えてしまってラジオをつけたら、花の歌人、鳥海昭子の歌から、と言って鳥海さんの歌が放送されました。
 私は嬉しくなりました。それからは時々早い時間にラジオを聞くようになったのです。
 それが十月のある朝、鳥海さんの訃報を伝える男のアナウンサーの声が流れました。

 私は、何故?、何故?、と自分の心に問いました。鳥海さんは私にとって遠くに住む姉のような存在の人でした。

 後日、書店で鳥海昭子歌集『花と短歌365日』を偶然に見つけました。どの歌もやはり佳い歌なのです。
 鳥海さんが逝って五ヶ月の時が流れました。

 花の歌うたいつゆきし人思ふ今日の山路の花見つゆけば
                             (故 鳥海昭子に)
 
 
 この歌は、先日、歌好きな仲間数人と野歩きをした時に即興で詠んだ私の歌です。私のこの歌を同行した仲間の一人が「恋人への挽歌のようだ」、と言いました。
 その言葉を私は嬉しいような、また、切ないような思いで聞きました。

 私はこの歌の詞書きを「鳥海昭子先生」とせずに、「鳥海昭子に」としました。それは、「先生」としたのでは鳥海さんがあまりにも遠くに行ってしまったような気がするからでした。

    (2006年4月1日・佐藤 勝)


「新日本歌人」の4月号は毎年啄木特集号ですが、本年は「石川啄木生誕百二十年記念」号で、同人外からの執筆者は、望月善次「石川啄木と宮沢賢治の戦争歌」、佐藤 勝「二十一世紀の啄木を読む」の2点。ほかに会員の小論6篇が載っております。

購入希望者は(定価800円+送料240円)、下記の新日本歌人協会へお問い合わせ下さい。

発行所:〒101−0064 千代田区猿楽町1−4−8松村ビル401号(新日本歌人協会宛)
電話:03−3219−6070
待望の啄木評伝が出ました!
荒波力著『啄木』
〜よみがえる20世紀を代表する歌人の生涯〜 
第一部(154頁)

A4判 (週刊誌大) 定価は2冊組にて2000円+送料340円
購入案内は下記に!

第二部(148頁)

(本書についての詳しい紹介は下記にあります)

湘南啄木文庫HP来訪者の皆様へ

 本日は知人が書いた啄木評伝の新刊書のご案内を致します。
知人の作家、荒波力氏がこのたび「啄木〜よみがえる20世紀を代表する歌人の生涯〜」という本を刊行致しました。

 自費出版のために書店には流通致しません。したがって口コミで読んで頂く他はありません。この本は今迄に無いほどの熱い作家のハートで、啄木の生涯を書いております。

 各章立ての表題は刺激的(HP単行本コーナーを参照)ですが、作者の啄木へのひたむきな熱い心に、私もつい引き込まれて一気に読みました。そして、今は深い感動に包まれております。

 この感動を一人でも多くの方にお知らせしたくて、この文を書いております。もし、興味がありましたなら、是非、作者の下記の住所へ直接ハガキを出して申し込むか、湘南啄木文庫の新刊書頒布コーナーへメールでお申し込み下さい。代金は著者直接の場合も、湘南啄木文庫を経由の場合も同じです。本の到着後に同封の振込用紙でお支払い下さい。
 ぜひ、皆さんも啄木への熱い心を持った作家、荒波力氏の筆力を一緒に味わって見て下さい。

申込先=
メールの場合は湘南啄木文庫の頒布書籍(古書)のご注文メールにて、お申し込み下さい。
(住所・氏名・電話(携帯以外の)・書名を必ずご記入下さい)

ハガキの場合は、
 〒428−0104 静岡県榛原郡川根町家山778−1 荒波 力 (著者宛て)
(ハガキに「啄木」購入希望と書いて、住所氏名電話番号を記し下さい。)

*作家、荒波力さんについて。
『火だるま槐多』(1996年。春秋社)『青嵐の関根正二』(1997年。春秋社)『よみがえる万葉歌人 明石海人』(2000年。新潮社)などの本で話題となった作家です。

先ずは啄木図書新刊ご案内まで。2006年3月28日。佐藤勝

湘南啄木文庫への書籍注文メールはここから
メール

★推 薦 文 献コーナーにも紹介あります。)


★盛岡で短歌甲子園 (サンスポニュース 2006年3月14日号から)

岩手県出身の歌人・石川啄木の生誕120年を記念して、全国の高校生が短歌の腕前を競う「短歌甲子園」が今秋、盛岡市で開かれる。

盛岡市によると、「俳句甲子園」はあるが、高校生による短歌の大会は全国初。個人戦と3人1組での高校別対抗戦を企画しており、近く、市などのホームページを通じて参加者を募集する。


第34回「新潟啄木祭」のご案内

期日:4月16日(日)午前10:00〜

会場:長岡市中央図書館(学校町)

資料代一人500円

講演:10.10〜 大室精一先生
(国際啄木学会会員。佐野短期大学教授)

演題:【一握の砂】の推敲〜編集による表現〜

主催:短歌結社「日本海」/国際啄木学会新潟支部/新潟詩人会議


本日(2006年3月11日)、入荷の啄木文献新刊書です!

安元隆子著『石川啄木とロシア』翰林書房 4800円 A5判 386頁 
詳しい紹介は後日いたしますが、取り敢えず帯文を下に記します。

啄木が遠く仰ぎ見たロシア
時代閉塞の状況に悩む啄木が生きた時代---
ロシアの文学・思想を日本は深く受容していた

岩手で、生誕120年の記念行事3題 

*石川啄木生誕120周年を記念して 来る4月12日「第3回啄木忌前夜祭」が開かれます!

日時:2006年4月12日(水)18:00〜

場所 おでってホール(プラザおでって3F)盛岡市中ノ橋通1-1-10

入場無料

第1部 :「啄木を歌う」 テノール・森田純司(大仙市)、ピアノ・平井良子(盛岡市)

第2部 : パネル・ディスカッション 「若者達は、啄木をどう見ているか」

      コーディネーター 望月 善次(盛岡支部長) 

   パネリスト
       王 福萍(ワン・フクヘイ)〈中国・精華大学大学院生〉
       結城 奈津子〈岩手大学4年生〉
       阿部 正樹〈盛岡大学2年生〉

第3部 : 私の啄木 <参加者スピーチ>

第4部 : 「啄木と盛岡弁」(主宰 黒澤 勉)

主催 国際啄木学会盛岡支部
    連絡先:岩手大学 望月研究室  TEL 019‐621‐6520)
共催 (財)盛岡観光コンベンション協会、もりおか啄木・賢治青春館、
    盛岡てがみ館、岩手県歌人クラブ、他


盛岡市、玉山合併記念として・・・・・・

「第95回啄木忌法要」 

日時:2006年4月13日(木)
    10:00〜11:00
 法要 コールすずらんによる献歌
    11:00−12:00 
 講話 「啄木短歌の魅力」 講師 望月善次先生
    12:00−13:30 昼食会 (会費 千円)
会場 宝徳寺(盛岡市玉山区渋民)



 第16回文化サロン講演会

「石川啄木と金田一京助〜京助の“愛”に支えられた啄木〜」

 ゲストスピーカー 森 義真氏 近代文学研究家

京助の側から見た、啄木との初めての出会い、盛岡中時代、本郷での下宿時代、啄木の臨終、そして没後までのさまざまなエピソードを紹介。

日時:2006年4月20日(木)13:30〜15:30  (受付 13:00より)

場所:地域交流ひろば
    所在:地岩手県盛岡市上田1−6−49 (株)熊谷印刷 2階
    TEL  019−653−4151

参加費 500円

*ゲストスピーカーの紹介

 森 義真 氏は1953年 盛岡市生まれ。盛岡一高を経て一橋大学社会学部を卒業。
 大阪の精密機械メーカーに17年間勤務した後、1993年に帰郷し岩手県産株式会社に入社し現在に至っています。
 その間、関西啄木懇談会に入会して以来、石川啄木についての愛好と研究を深め、1994年に国際啄木学会に入会、現在評議員として活躍されています。
 啄木関係の著書としては『盛岡中学校時代の石川啄木』、分担執筆に『啄木からの手紙』、『石川啄木事典』、『論集 石川啄木・』などがあります。
 今回の文化サロンでは、盛岡高等小学校でのふたりの初めての出会いから盛岡中学時代、本郷での下宿時代、啄木の臨終、啄木没後の顕彰に至るまでのさまざまなエピソードを紹介していただきながら、京助の側から見た啄木像を語っていただきます。

       問合せ:NPOいわてシニアネット   TEL019-604-6280
           熊谷印刷出版部       TEL019-653-4151

この本は面白い!

上田博著『まるごと小説は面白い』

 この度、発売に先駆けて面白い本を読む機会があった。上田博著『まるごと小説は面白い』(1800円+税 晃洋書房 06・4・1発行)である。

 書名にも「面白い」と付いているが、これは小説(特に近代の)についての案内書なのだが、こんな面白い案内書を私はこれまでに見た事も無いから、何と言って紹介すれば良いかわからない。
 とにかくこの本を読むと、紹介されている小説を是非とも読んでみたい、という気持ちになるし、実際にそれを読まなくとも、なるほど楽しいものだな、と思ってしまうから不思議だ。

 私は先ず、世の中にこんな面白い読書のすすめ方があるのか、と思った。それでも紹介されている小説を実際に幾つか読んでみた。
 そして、なるほど、そうなのか、と言う気持ちになった。やはり不思議な本なのである。

 以下にその内容を想像して貰うべく、項目(目次)を記して見よう。そして私が「不思議だ」と言っている事も含めて興味のわいた人はすぐに、図書館なり、書店なりで読書の手続きをはじめて頂きたい。(2006年3月2日 佐藤勝)

 上田博著『まるごと小説は面白い』目次

1.女の嘘というものは  森 鴎外「身上話」
(房州大原に一夏をすごす男に、宿の特別の女が)

2.五重塔を建てたのは誰か  幸田露伴「五重塔」
(人間修羅場の中から一人の天才が)

3.夫も姑も恐れぬ女  森 鴎外「半日」
(苦学の末に博士になった男の結婚生活は)

4.私の身の上はまるで小説  佐藤春夫「お絹とその兄弟」
(柳田国男の「山の人生」を地でゆくような田舎女の話)

5.今夜、いい女のところへ  張 赫宙「ガルボウ」
(一人のガルボウ(夫持ちの娼婦)をめぐって三人の男が)

6.小説家になる法  森 鴎外「青年」他 
(画家になるには美術学校へ、小説家になるためには)

7.過去に在る未来  木下杢太郎「安土城記」
(織田信長の長男ドン・ジェロニモの苦悩を通して)

8.自分が亡んだら、世界は亡ぶ  正宗白鳥「人間嫌ひ」
(昭和二十年夏、疎開地軽井沢から上京してきた老作家の眼に)

東京ネジ第5回公演
「石川のことはよく知らない」
詳しい案内は劇団「東京ネジ」のホームページにてご覧下さい!
http://blog.livedoor.jp/tokyoneji/archives/50174854.html

桜待つ季節に、「石川」のために集まる三人の男女。
郷里岩手の歌人、石川啄木の詩を織り交ぜた、
少しオトナの出会いと別れを描く短編

       不来方のお城の草に寝ころびて
       空に吸はれし
       十五の心

                  (石川啄木)
    
東京ネジ第5回公演「石川のことはよく知らない」

☆当サイト予約フォームにてご予約受付中☆
作:佐々木なふみ、かよこ
演出:佐々木香与子
出演:佐々木香与子、佐々木なふみ、大原裕人(bus)、佐々木富貴子
     ☆
【日時】3月24日(金)〜26日(日)
【タイムスケジュール】
 24日(金)15時/20時
 25日(土)14時
 26日(日)15時/18時
 ・受付開始は開演の1時間前/開場は30分前になります。
 ・上演時間は約40分を予定しております。
【料金】
 全席自由 1000円 
こいびと割引 ペアで1600円(男女のペアに限る)
 ご予約は当サイト予約フォームにて受付中!
【場所】
 山下公園 レストハウス・ラウンジ(山下公園内、横浜産貿ホー ル向かい)

【MAP】
 
【最寄り駅】
 みなとみらい線日本大通駅 (3番出口より徒歩5分)
 みなとみらい線元町・中華街駅(1番出口より徒歩7分)
 ☆周辺の地図及び交通案内http://www.idec.or.jp/shisetsu/s5-sanbou.php4?f=sanbou/5-map.htm


【スタッフ】舞台監督/照明:福島早紀子(明かり屋)
 衣装:大原裕人(bus)
 写真撮影/宣伝美術:大倉英揮
 制作:柴田優子

【主催】
AAPA企画 『アウェイ箱庭』(2006年3月企画参加公演)
AAPAWeb http://aapa.jp/
【助成】
横浜市創造的芸術文化活動支援事業補助金(平成17年度)

『アウェイ箱庭』とは:
多くのひとが利用する公共・公的空間に、さまざまに使える箱を用意することで、アウェイな舞台や展示もできてしまう、庭的な空間を作り出そうという企画。

「何もない空間に箱があると、目の前の景色が少し遠くに離れた気がする」(awayat)

「東京ネジ」ホームページアドレス:http://www.tokyoneji.com/index.php


啄木愛好者の皆さん、国際啄木学会で啄木を学んでみましょう!
私も参加します。詳しくは下記の表をご覧下さい。 (佐藤勝)
2006年度 国際啄木学会・春のセミナー

★ 日時 2006年4月22日(土)

★ 場所 甲南大学
(兵庫県神戸市東灘区岡本8ー9ー1)
(JR神戸線摂津本山駅下車徒歩10分)

★ 日程
<4月21日(金)>
■理事会 (17時〜19時)(甲南大学10号館)(教室は当日玄関に張り出します。)
<4月22日(土)>
■評議員会(11時00分〜12時00分・昼食付)(10号館1階演習室)
■総会    (12時00分〜12時30分)(10号館1011番教室)
■研究発表(12時40分〜14時40分)(10号館1011番教室)
1,大田翼(明治大学大学院生)
 「啄木『鳥影』論ー『職業婦人』のまなざし」
2,外村彰(立命館大学講師)
 「岡本かの子『浴身』にみる自責と自己愛ー石川啄木を合せ鏡としてー」
3,照井悦幸(盛岡大学文学部助教授)
「坂西志保訳A Handful of Sand(『一握の砂』)」
■講演    (14時50分〜16時10分)(10号館1011番教室)
  太田登(天理大学文学部教授)
 「短歌史における啄木という存在」
■懇親会(生協レストラン)(16時30分〜18時30分)
 会費5000円(ただし学生3000円) 


 啄木と与謝野鉄幹・晶子の関係も詳細、かつ明らかに・・・・・
永岡健右氏が新著『与謝野鉄幹研究』ー明治の覇気のゆくえー
    おうふう社から06年1月に刊行。
    定価15.000円
  詳しくは「単行本」のコーナーをご覧下さい!
  

  

石川啄木ごのみ」(東京 銀座の源吉兆庵のお菓子)が、大阪空港にあった!



 昨日、元の職場の友人から「大阪空港のロビーで売ってたから」と言って、【石川啄木ごのみ】という菓子折りが送られてきた。私が根っからの啄木ファンであることを知っている、元の職場の友人であるが、退職して4年、今もこうして思い出してくれる友人に感謝しながら、「啄木ごのみ」の包を解いた。
 以前に買い求めた時とはちょっとデザインのちがった付録の冊子も嬉しい。菓子は幼い頃の啄木が、好んで食べた、と啄木の妹光子の図書にも記してある「ゆべし」、それに煎餅風のビスケットの詰め合わせ。それと啄木の肖像をデザインした箱も啄木ファンには嬉しいかな。
 この文人シリーズ菓子は、七、八年前から和菓子の老舗である「源吉兆庵」(本店は岡山市)が、一ヶ月限定で文学者の名前を冠したお菓子を発売しているもの。私も何度か銀座店に足を運んで入手したこともあったが、退職後は出かけるのが億劫になってしまっていた。それだけにこの度の友の厚意は嬉しかった。
 源吉兆庵の東京銀座店では毎年この時期に店が所有する啄木資料数点を、店の階上にある特設会場で「石川啄木展」として展示している。ほとんどは複製の書簡や写真だが、それをわざわざ遠方から見に来る人も多い。私もこの機会にまた、出かけてみようと思っている。(2006年2月3日)
 
 通巻499号の地域誌「月刊おたる」新年号
このたび小樽在住の啄木研究家から、啄木文献として「月刊おたる」(2006年 新年号)という雑誌を頂きました。
 この雑誌が通巻499号で、現在日本で一番長く発行されている地域誌、(「月刊おたる」の社長さん曰く、「文藝春秋」に次ぐもの?)と知って驚きました。
 しかし、皆さんも、啄木が小樽で3カ月あまりを過ごしたのが、今から99年前である、と知れば少しは納得出来るのではないでしょうか。
 啄木は小樽の町の第一印象を次のような歌に残しました。

    かなしきは小樽の町よ
    歌ふことなき人人の
    声の荒さよ

啄木が暮らした99年前の小樽は、活気溢れる一大商業都市だったから、軟弱に歌など詠む暮らしをしてる人など一人も見当たらない、というのが啄木の第一印象だったのでしょう。
 私は今、「月刊おたる」について詳しいことは知りませんが、通巻500号にならんとする、この地方誌の発行を今日まで続けてこられたスタッフは勿論ですが、それを支えてこられた小樽という地域の人々に、心からの敬意と拍手を送りたい気持ちになりました。
 そして通巻500号となる次号を読んで見たいと思っております。(06・1・29 佐藤 勝)


 最近の啄木文献のおすすめ!
「新しい啄木」三枝昂之氏の連載を読む!

 三枝昂之氏が「歌壇」1月号から連載をはじめた「新しい啄木」を読んだら、嬉しくなって、その気持ちを年末年始に、さらには昨日今日も啄木友人に話つづけている私ですが、今日は下記のようなハガキを「歌壇」の編集部宛に書いてしまいました。
 今、もっとも誠実な歌人の一人であると私が信じる、三枝昂之氏によって、啄木の評価がまったく新しくなされようとしております。
 啄木ファンのみならず、短歌や文学に興味ある多くの方々に、一読をおすすめしたいと思います。(2006年1月28日 佐藤 勝)

 短歌雑誌「歌壇」編集部御中

 拝啓  昨年の12月末に黒田英雄という、ちょっと変わってますが、実直な感じのする(実際の人は知りません)歌人のホームページをみておりましたら、「歌壇」1月号から三枝昂之氏が、「新しい啄木」という連載をはじめた、とありましたので、早速、購入して読みました。
 第一回目の文章を読んで、啄木大好き人間の私には、近年になかった啄木の捉え方に感動致しまして、ほうぼうの知友に知らせて、一読をすすめております。(遅れて2月号からの人もおりますが)
 歌は人なり、という事ですが、人間啄木とその周辺の人々の捉え方にも、三枝昂之氏の温かな人間性が感じられまして嬉しい連載です。
 私の住んでいる秦野の書店には「歌壇」が1冊しか店頭になかったので、増やしてくれるように頼みましたら、2月号は3部置いてありました。
 雑誌の発行もご苦労の多い事と思いますが、編集者と書き手の内容によっては、それなりの良いこともあると思いますので、どうぞ頑張って下さい。
 「新しい啄木」については私の個人的ホームページでも紹介させて頂きますが、嬉しい連載をはじめて頂きました、編集者と書き手の三枝昂之氏に、先ずは一言お礼を申し上げたく思った次第であります。     拝具
2006年1月28日   佐藤 勝


 主宰の「啄木評論2005年」が、 しんぶん赤旗に掲載されました。未読の方のために転載致します。
 *この文の一部分は、渓水社のHPにもUPされております。
 
医師の目で語る啄木ー今年刊行された評論からー   佐藤 勝

 今年の啄木に関する評論、論評の刊行は、私が掌握した限りでは三点だった。四十年以上も啄木文献を収集してきた筆者にとっては少しさびしい年であったが、少数の中にも「啄木」への熱い思いの伝わる書もあった。
 井上信興著『薄命の歌人・石川啄木小論集』(渓水社・二月)は、勤務医の著者が長年続けてきた啄木研究の五冊目の論集である。本書は前著の補論的な側面もあるが、一冊の啄木論集として充分に堪能できた。本書によって気になっていた小さな疑問の解消できたこともうれしい。
 啄木短歌論の中でも「東海の小島の・・・」の歌に関する論は多い。それはこの歌の魅力が如何に大きいかということでもあるが、著者はこの歌の詠まれた場所にこだわって幾度も論じてきた。ほかに、妻節子の不貞問題を論じた「不愉快な事件」や北海道の「釧路から脱出」する主因となった事件など十六篇の小論が収められている。
 西脇巽著『啄木と郁雨 友情は不滅』(青森文学会・三月)。著者は、近年つづけて啄木研究書を刊行しており五冊目の書。昨年ある雑誌の座談会で作家・井上ひさし氏や国際啄木学会会長の近藤典彦氏などが語った「啄木の妻節子の不貞」を示唆する内容に対して、意義を唱えたのが本書である。
 啄木と宮崎郁雨は無二の親友であったが、晩年の啄木は一方的にその関係を絶った。その理由は妻と郁雨の間に不貞があったから、と伝えられてきた。しかし著者は啄木の真情は違っていた、と一首の啄木短歌の解釈をもって真相に迫り、温厚の人と言われた宮崎郁雨の名誉快復を念じている。現役の精神科医でもある著者の眼を通して語られる独自の啄木論には、深くうなずかされるものがあった。
 永田龍太郎著『われ泣きぬれて−石川啄木の生涯』(永田書房・十一月)は、参考文献の掲示はないが、心理学的云々の箇所以外はかなり以前の資料を参考にした論考ではないか、と思いながら読んだ。啄木の名声が今日に残ったのは「貧乏と肺病」のせいだという乱暴な見方をする人は著者以前にもあった。が、詩集『呼び子と口笛』などを評価できない、とする著者の考えについて行ける読者はいるであろうか。伝記の記述も含めて誤りは気になったが、著者の啄木短歌の解釈は親切で丁寧である。
 ほかに冊子であるが倉田稔著『石川啄木と小樽』(成文社・三月)は、小樽と啄木などの関係を紹介した案内書だが、貴重な一書である。  (湘南啄木文庫主宰)

*(上記の文章は2005年12月28日の「しんぶん赤旗」文化面に「医師の目で語る啄木ー今年刊行された啄木評論ー」と題して掲載されました。 2005年12月31日・佐藤勝)

湘南啄木文庫HPの訪問者が2000人を突破しました。
 下記のように、2000人目の訪問者には「湘南啄木文庫収集目録」第18号を進呈させて頂きます。(2005年12月25日)
 湘南啄木文庫のホームページの訪問者記録カウントを始めてから、半年近いのですが、本日2000人を突破しました。
2000人目の訪問者となったO.Sさんからメールを頂いて気がつきました。有り難うございました。
O.Sさんには只今、作成中の「湘南啄木文庫収集目録」第18号が刷り上がりましたなら、その1冊目を進呈させて頂きます。なお、発行日は2006年1月15日です。18号目録には437項目,616点の文献を紹介してあります。(2005年12月25日・佐藤勝)


*(以下は「湘南啄木文庫収集目録」第18号(2006年の1月発行)のあとがきです。)
<訂正>
 下記の「編集者のつぶやき」の中で、後半部分に記した「岩手日報社が毎年一回発行している」は、「岩手芸術祭実行委員会」が毎年公募しているもので、熊谷印刷出版部から発行されたものです。 小生の誤記を、ホームページを訪ねて下さった盛岡の森さんからメールで教えて頂きまして、下記のように訂正致しました。森さん有り難うございました。(2005年12月27日・佐藤)


 「湘南啄木文庫収集目録」第18号(2006年の1月発行)
編集者のつぶやき・・・・・あとがきにかえて

本号での「啄木図書」紹介は5冊であるが、この数が多いか少ないかは個々によって分かれるところと思う。が、私には少し淋しい数である。
読まれないから刊行されない、ということか。何故読まれないのか。このような中にあって、西脇氏のような話題提供者の居たことは、啄木ファンにとっては嬉しいことだった。
が、井上ひさし氏や近藤典彦氏は西脇氏の、たびたびの誌上(「青森文学」71、72号2004年)での質問に対して、何も応えておられない。無視も応えのうち、というならさびしい限りである。
小説家も研究者も、そしてファンにも、それぞれの啄木への思い入れがあってこそ、面白いのではないだろうか。自分の好きな啄木を、好きな立場で語ることが、一番良いことなのでは、と思うのだが・・・・・。
 編集の途中で岩手芸術祭実行委員会が毎年一回発行している公募作品集「県民文芸作品集 No.36」(熊谷印刷出版部)の情報が、盛岡の森義真氏の好意で届いた。この誌にはこれまでにも何度か優れた啄木研究論が掲載されたが、今回は2篇の啄木研究論が載っていた。詳しくは次号の紹介になるが、芸術祭賞の赤崎学「石川啄木・ローマ字日記考」と奨励賞の宮まゆみ「啄木日記〜への遙かなる探求の旅〜」である。
特に「奨励賞」の宮氏は二十歳の若人である。岩手大学の「地域の文学誌」の講義で学んだのが啄木との出会いだったというところに、素晴らしい教育機関と感性の豊かな若人の結びつきを知って感動した。宮氏は研究対象の啄木を知るために、啄木の書いた手紙を模写したというが、その真摯な姿にも敬服する。
2005年の最後にこのような良いものを読ませて頂いて嬉しい限りである。
(後略)
2005年12月16日          佐藤 勝


<新刊歌集>
三枝昂之歌集『天目』を読む(05・11 青磁社 3000円)
 例のごとく歌集を手にした時の癖で、好きな歌に○印を付けながら読んでいて、中程まできた時に、ふと○印を数えてみたら66個になっていた。全編ではその倍数を遙かに超えてしまった。
 著者は昭和19年の生まれ。私は17年であるから、時代への思いは重なることが多い。先の著書『昭和短歌の精神史』から受けた感銘が、本集の歌によって再び蘇ってきた。特に「まれびと」の章に収められた歌々には、胸に込み上げるものを禁じ得なかった。
 又、ひとり、ふたりと減ってゆく身辺の友への「いかんともしがたき」哀悼の詞が、静かで胸に沁みいるのも、切ないけれど癒されるような思いにもなった。
 一昨年に故人となった春日井建氏を追悼する10首の挽歌「すずかけ」は、今あらためて読んでみても、管見だが、ほかの誰が詠んだ挽歌よりも佳くて、故人との間に多少の縁をもっていた私には殊に嬉しかった。ほかにも幾つかの挽歌が収めてあるが、いづれの歌にも涙が込み上げてきたのは、あながち年齢のせいばかりではない。歌に作者の持つ天性の優しさが滲み出ているせいなのであると思う。(2005年12月18日)

IBCニュースエコー
啄木賢治にみる酒展[12:50] 2005年12月14日
石川啄木と宮沢賢治がどんな人たちとどんな酒を飲んだのかをテーマにした企画展がきょうから盛岡で始まりました。
企画展では、日記や作品に記された酒に関する出来事などをパネルで紹介すると共に、酒に関する品々を展示して当時の雰囲気を再現しています。石川啄木は未成年の禁酒が法律で規制されていない旧制中学の時代にはじめてビールを飲み、その後、金田一京助などとよく酒を飲んでいます。会場にはカレーライスを食べながらビールを飲むなどハイカラな流行を楽しんだ東京のレストランの様子も再現されています。また、宮沢賢治は、酒は弱い方ではなかったようですが、羅須地人協会での活動が始まった頃から、密造酒問題や禁酒運動に関心を深め、作品に影響が現れる様子も紹介されています。この企画展は来年2月26日までもりおか啄木・賢治青春館で開かれています。(以上は、IBCテレビのニュースエコーからの情報です。

啄木ゆかりの釧路と函館、互いに訪問 来月、JTBなど企画
 以下は「北海道新聞」(05・12・9)の記事です。
 【釧路、函館】歌人石川啄木生誕百二十年の来年、啄木が青春を過ごした釧路と函館のゆかりの地を互いの市民が訪ねる旅を、釧路と函館の北海道新聞支社とJTB支店が企画している。数多くの歌や新聞記事を残した啄木の足跡を探るユニークな旅となりそうだ。
 函館発着の釧路行きツアーは、啄木が一九○八年(明治四十一年)に来釧した一月二十一日をはさむ二十−二十二日の二泊三日。記者として働いた旧釧路新聞社(北海道新聞の前身)の復元社屋や下宿先跡に立つ歌碑など釧路市南大通周辺を、北畠立朴・国際啄木学会評議員の案内で散策。北畠氏の講演「啄木が心引かれた女性たち」を聞く。
 釧路発着の函館ツアーは同月二十七−二十九日。函館市内で啄木一族の墓や青柳町の下宿跡、代用教員を務めた旧弥生尋常小(現弥生小)、函館市文学館を歩くほか、日本近代文学会会員で啄木研究家の桜井健治さんによる講演「啄木の墓」を受講する。
 費用は一人五万千−六万五百円。問い合わせはJTB釧路支店(電)0154・22・9181か同函館支店(電)0138・56・1711へ。

啄木特集号雑誌「青森文学」73号(600円+送料)入荷しました。


(ご注文及び詳しくは★推 薦 文 献コーナーへどうぞ)

啄木が贈った洋書
 啄木が友人の金矢朱弦(七郎)に贈った洋書『SARF AND WAVE』が、盛岡市 先人記念館に収蔵されていることを 先日、友人のM氏から送って頂いた「先人記念館だより No.35」に、館長の吉丸氏が書いておられる文を読んで知った。
 私はこの本が後の啄木が「東海」という言葉にこだわって行く発端になった、と思うが、この書には「波じめ、節子」という署名と献辞もあるという。
 この本は最初、後に啄木の妻となる堀合節子が啄木に贈った本である。
 啄木の名を不朽のものにしたのは、妻の節子が啄木の遺言を守らずに「啄木日記」を焼却しなかったことに拠るところも大きいが、二人がまだ、少年少女期であった頃に、節子が恋人である石川一(啄木)に贈った一冊の洋書詩集から、すでに節子の啄木への献身ははじまっていたのでしょう。
 胸のうちの痛むような思いのする話です。(05・11・7)

 黒田英雄さんの「安輝素日記
」ホームページhttp://hideo.269g.net/

 今、一番楽しくなれるホームページは「黒田英雄の安輝素日記」である。もちろん他にも、楽しくさせてくれるHPは沢山ある。が、現代歌人の旗手?が、ここまで啄木讃歌を宣言してくれると、まことに「無条件幸福?」である。
 黒田英雄さんの歌は以前から好きであったが、名前の字面が何となくオジサンくさい感じで、年齢不詳の歌人って印象だったが、このたび迷い込んだ「黒田英雄の安輝素日記」なるページで、黒田さんの啄木讃、讃の日記を読んで一目惚れしてしまった、という事です。
 啄木ファンにはもちろん、研究者の方々にもおすすめです。また、教職の方々(特に国文系の)にはぜひ、黒田さんの日記を参考にして、啄木とは何かも知らないような今日の学生さんたちを、啄木のみならず、短歌の、否、和歌の道へと誘って頂きたいと思います。
 なお、ホームページに入ったら右の検索コーナーで、「啄木」を打ち込むと啄木に関するページがズラリと表示されるのも、たまらなく嬉しいです。さあ!みんなで押しかけて見ましょう。啄木と短歌の勉強?のために!(05・10・18)


石川啄木『一握の砂』(和綴本)A5判 154頁 4800円 文章工房すばる(奈良県上牧町)04・11

 上記の本は、先日ネットで見つけて購入した和綴本で、清楚な装丁も良く、また、二段組の割り付けながら、初版本にしたがった歌の配置も良い。
 しかし、残念なのは藪野椋十の序文を割愛してしまったことである。序文付きであったなら、おすすめできる一冊であったのに。まことに残念。制作者は序文の持つ意味の重要さを、理解しておられなかったようである。(05・10・15)

啄木の歌(8首)に、素敵な曲が付きました! 試聴できます!

(発行所 スタジオ・ビエイ

村中良治 作曲 「歌曲集「一握の砂」より&カラオケ」 (楽譜A2判 31頁 CD12曲入り) ネット販売・連絡先→http://ramueermusic.sakura.ne.jp/ 送料共 1080円 発行所 スタジオ・ビエイ 05・10・5(湘南啄木文庫の受け入れ日)

小樽に163番目の啄木碑、「歌碑」が建立されます!。

 啄木に関係するホームページでも情報の幅と質の高さで群を抜いているのが、yuさんのHP「啄木の息」である、と思うのですが、その頁に、このたび建立される「小樽の啄木歌碑」の案内が載っております。

 今月20日までに協賛金を送られた方は、その氏名が碑陰に刻まれます、とありますが、「小樽啄木会」の代表者である水口忠氏は今、その対応に追われて嬉しい悲鳴をあげているようです。 「啄木の息」を見た人も何人かが送金された、と聞きました。

 先日、水口氏から「現在、啄木碑は全国で何基くらいあるのですか」と、メールで問い合わせを頂きまして、すぐに「湘南啄木文庫で把握しているのが160基」と返信したのですが、正確な事を知るには、2冊の「啄木碑」についての著書を出されている、岩手県滝沢村在住の浅沼秀政氏が一番、と思って浅沼氏を紹介しました。

 その結果について本日(9月11日)、水口氏からメールで「岩手、滝沢の浅沼さんから詳細な資料とともにお手紙をいただきました。163番目になるだろうとの事です。」との、これもまた、大変丁寧な返信を頂きました。

 全国にある「啄木碑」は今、浅沼氏(啄木碑の研究における第一人者)が把握しているもので、162基あるという事に、私は何故か嬉しくて幸福な気分になりました。

 浅沼氏の2冊目の著書『啄木 文学碑紀行』は1996年2月の刊行で、124基が紹介されています。しかし、この中には我が町である、神奈川県秦野市の歌碑(建立1964年)は漏れておりました。
 浅沼氏は今、碑の情報遺漏にも最大の気配りをされています。この方には「啄木碑」に対する一途なものがあって、頭が下がります。私も協力したいと思っております。そして私は、浅沼氏の3冊目の「啄木 文学碑」の出るのを楽しみとしている昨今です。

(2005年9月11日)



 お知らせ・主宰が「啄木学級東京講座」で講演します!
*(下の告示は主催の盛岡観光コンベンション協会、玉山村観光協会発行のチラシ内容です)

 平成17年度 啄木学級東京講座
と き
   平成17年10月10日(月曜 祭日)
   午後1時から(受付:12時15分から)
ところ
  有楽町朝日スクエア
  東京都千代田区有楽町2−5−1
  有楽町マリオン 11F

講座内容
1.入学式
2.授業
  1時間目
  講演「啄木愛好者の道」 講師 佐藤 勝氏
  2時間目
  対談「啄木直筆資料の魅力」 佐藤 勝氏と山本玲子氏
3.卒業式
  卒業生代表に卒業証書を授与
4.アトラクション
  抽選で参加者40名の方に記念品プレゼント
*.課外授業
  啄木や盛岡市、玉山村のパネル展示
  啄木関連の書籍やグッズ及び盛岡市、玉山村の物産紹介

*注・この講座は申し込み制です。(授業料 1000円)受講希望者は下記の方法で、玉山村観光協会へお申し込み下さい。

募集人員200名
授業料 1000円
 入学方法
往復ハガキに郵便番号、住所、氏名、電話番号をご記入のうえ、玉山村観光協会へお申し込みください。受け付け後、返信用ハガキにて入学許可証を送付いたします。
*定員になり次第締め切りとさせて頂きます。

締切日 / 9月26日(月)
申込先
玉山村観光協会
〒028-4195
岩手県岩手郡玉山村渋民字泉田77−1
電話 019−683−2111
FAX 019−683−1130


*第20回 岩手日報文学賞「啄木賞」は、木股知史氏に決まりました!
<和歌文学大系>『一握の砂ほか』(共著)(明治書院・04・4)
詳しい事は上、又は右の「啄木賞」をクリックしてください。
 なお、第15回「啄木賞」の受賞は拙著『石川啄木文献書誌集大成』(武蔵野書房 99・11)で、岩手日報文学賞第15回「啄木賞」のHPで、私(佐藤 勝)のコメントもご覧になれます。

(その7)

 三枝昂之著『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店)を読んで!

 (以下は「りとむ」短歌会の掲示板に投稿した主宰の文章です。2005年8月21日)

私はこのたび三枝昂之著『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店)を読み終えました。そして、これは歴史的な大著というべき書だと思いました。

このような事をこの掲示板に書き込むのは、何方から見ても目的外になってしまいそうですが、やはり一言、書かせて下さい。すでに寺尾登志子氏(7月29日)の投稿や藤原龍一郎氏の日記には、紹介されておりますが、お二人にはご寛恕頂きまして、これでは今の私の読後感は満足しないのです。

「りとむ」7月号の誌上「百舌と文鎮」で三枝先生は自著『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店)について、この書を「<昭和短歌史>としないで<昭和短歌の精神史>としたのは、それが短歌史的なできごとの網羅的な作業を意図していないからである」と書いておられましたが、私はこれまでの短歌史には、ある一面のみが意図的に強調され過ぎたきらいがある、と思っておりましたが、本書については、とにかく、ここまで親切で公平に「戦中戦後」を記された短歌史(敢えて短歌史)を、私は知りません。このような読者の私を浅学ゆえ、と言われる方には、その例をあげて欲しい、と反論したくなるほど、三枝氏の言葉は冷静であるが熱く、しかも公平に、当時を生きて詠み続けた、あるいは、詠む事も出来なかった人たちの無念も含めて語られています。未読の方は是非ご覧になって見て下さい。そして、あなたの読後感をご披露下さい。

 「りとむ」の会員でも無く、短歌の一読者にすぎない私なので、ちょっと場違いと思いましたが、大著を読み終えて昂ぶっている思いを、先ずは日頃から三枝先生の歌や文章などに接する機会の多い、掲示板読者の皆さんと一緒に、語り合ってみたかったのです。そして、この感動を一人でも多くの短歌愛読者とともに分かち合いたいと思うのです。2005年8月21日


(その6)

 春日井建の手紙ーひとり言のようにー

 昨年の6月、このページ(随想・その2)に、故人となった歌人の春日井建氏から、筆者が頂いた40年前の書簡について少し記したが、その後、数人の方から「書簡を見せてほしい」あるいは「ネットで公開して」と言ったメールをを頂いた。
 先ず、公開について、私にはその気は一切無く、コピーも差し上げられない、と返信した。
 私は自分が書いた書簡でも、相手に迷惑になるかも知れない、と思った時には公開しないように注意して来た。が、このページには私の書いた何通かの手紙も公開されている。しかしそれらのほとんどは、公刊の雑誌や新聞などに私が書いた文章と同じ内容のものだからである。
 ネットも公刊誌(紙)と同じだから、この気持ちはこれからも変わらないものである。
 ましてや故人となった人の書簡を公開しては、手紙を頂いた時の信頼関係を、自らの行為で一方的に崩すことになる。そんな行為は、私には出来ない。
 なら、何故、このネットで書簡のことなど書いたのだ、と言う人もあるかも知れないが、私の文章は今も削除してないから読み返して頂きたい。私は春日井建という歌人の生き方に感動して、あの文章を書いたのであって、私の頭には書簡の公開などはじめから無い。
 私はひたすら、最後までガンと闘って生き抜いた歌人の姿に感動し、激励されたことを記したのであって、本意は、一人でも多くの人が、春日井建という人の歌を読む機会となり、その生き方、あるいは歌の魅力に触れて欲しい、と思ったのだが・・・・・・・・。(2005年6月10日 記)

(昨年は春日井建追悼の雑誌数冊が発行された)



(その5)

 岩手日報のコラム「学芸余聞」を読んで

 先日、岩手日報のコラム・学芸余聞を読む機会があった。啄木に関する記事なので知人が送ってくれたのもだが、嬉しいことが書いてある。
 話題の内容はこの4月に国際啄木学会の副会長に就任した、明治大学教授の池田功氏が語った今後の抱負についてである。
 「学会は創立16年目で、外国大会4回を含み、20回の大会とセミナーを行ってきた。その歴史を踏まえ、今後も国内、国外へと研究の輪を広げていきたい」と語る。
 2年間の任期で、今回は事務局長も兼務する。「他の研究会との交流を図り、マンネリ化を打破したい」と目標を掲げる。(略)「強力なホームページの立ち上げとともに、若手研究者、愛好家を増やしていきたい」と意欲を見せている。」と紹介されている。
 池田氏自身が若き研究者であるから、大いに期待できることと、何よりも嬉しいのは「若手研究者、愛好家を増やしていきたい」というくだんである。世の中には愛好者の少ない文学者を研究する学者も多い。それはそれなりに意義もあると思うけど、私の好きな啄木は多くの人に愛される啄木であり、多くの人を励ます啄木なのだから、研究者だけの啄木というのでは無い。
 今回(平成17年5月23日夕刊)の岩手日報コラム・学芸余聞の執筆者も、このような私の気持ちと近いところに居る人のように感じられて嬉しかった。(05・6・4)

(その4)

 湘南啄木文庫への寄贈図書に書いた主宰の礼状から

 「国際啄木学会新潟支部報」 第8号

 この度は「国際啄木学会新潟支部報」第8号をお送り頂きまして有難うございました。昨年は新潟の皆様にとって本当に大変な年であったにも拘らず、充実した支部報の内容には敬服するばかりです。
 塩浦先生の「啄木の継承について」は、相沢源七氏の遺著『啄木以後の悲歌の系譜』のような貴重な先行論を、引き継ぐ分野の研究として、さらに発展されることが嘱望される貴重な論と思いました。
 また、清田先生や金子先生の論稿が、この支部報に掲載されたことは、論稿の先の掲載誌が入手困難であったり、講演が聴講できなかった私たちにとっては、とても有り難く有意義なものであります。(中略)
 最後に若林先生の「春のセミナー」のまとめの見事さには、若林先生の能力から言えば当然なのに、しかし、やはり驚いております。山下さんの発表についての報告も、このようにまとめて頂ければ、セミナーに参加出来なかった人も、国際啄木学会会報20号に掲載のレジメと併読することで、主意が良く伝わる事と思うと嬉しくなります。 これは田口さんの発表につても同じなのですが、特に最後の「少し裏話を」は良いです。この文章は報告文であって論文ではない、と言う意味かと思いますが、若林先生の人柄が読み取れる文章で感激しております。(後略)2005年5月2日.佐藤 勝

(その3)

 今回は私が書いた最近の3通の手紙を公開します

 <手紙の前に>
 有名歌人の歌集は誰もが取り上げて紹介するが、それ程読んでも楽しく無い、というのが素人読者である私の正直な感想です。
 しかし、ここに紹介する歌集は素人が読めば、楽しくなり、嬉しくなること間違い無し、の歌集ですから是非お読みになって見て下さい。貴方も感動しますよ。ただし、屁理屈を語らず、ただの読者の心を持って読まれる事をお勧めします。


(↑岡村彩子著歌集『グレゴリオ暦』)

<手紙1>

 拝復
 先日はご歌集『グレゴリオ暦』をご恵送頂きまして有難うございました。また、お礼状をかくも遅速したことを深くお詫び致します。

初対面からの言い訳になりますが、10月8日から12日にかけて、韓国ソウル市での国際啄木学会に参加させて頂きましたが、年甲斐も無く感激することが多くて疲れてしまったのでしょうか、帰国後は体調不良と雑用に追われる毎日でしたが、この一週間程前から、ようやく本来の自分のペースに戻ることが出来まして、ご歌集を拝読させて頂きました。

 私は人さまの短歌を読むのが好きな人間です。しかし、読む歌には好みがあって、大変偏狭な読者ですが、岡村様のお手紙に今野寿美先生のおすすめで、お送りして頂いた事が記されておりましたので、心して拝読しなくては、と思いましたら、失礼な言い方になるかも知れませんが、なんと私の好みの歌風なので驚き、また今野先生に自分の心が見られているようで、嬉しいような、恥かしいような気持になりました。

 「りとむ」の今野先生や三枝浩樹氏の歌集は、啄木学会で知る以前から、愛読しておりましたが、三枝ミ之氏の歌は雑誌で拝見する程度でした。ところが、啄木学会で知ったのがご縁で歌集を読むようになり、すっかりファンになってしまいました。特に歌集『農鳥』の歌を読んだ時などは、涙が出てしまいました。

 さて、岡村様の例えば「掲示板」の章に掲げられたような歌は大好きです。いづれの歌からも感じられることではありますが、それぞれの一首の歌にドラマ性があって、時にはそのドラマが自分も演じた事のあるドラマであったりすると、胸の奥の方が切なくなって参ります。それと歌言葉の巧さにも、身震い致しました。その意味でも「掲示板」や「ほたる」の章の歌群は傑出してると思いました。

 本当に佳い集をお送り頂きまして有難うございました。これを機会にこれからも宜しくお願い致します。「りとむ」誌上でもますますのご活躍をお祈り致しております。             拝具

2004年11月5日                佐藤 勝拝

岡村彩子様

*歌集『グレゴリオ暦』(本阿弥書店)2500円

*歌集『農鳥』三枝ミ之著(ながらみ書房)2800円

*短歌雑誌「りとむ」(短歌結社の機関誌)

私信その(2と3)

これは近年立て続けに啄木図書を刊行している。青森県在住の啄木研究者で、精神科の医師でもある、西脇 巽氏が「青森文学」71号に書かれた論文「石川啄木・宮崎郁雨 義絶の真相」の読後感を著者の西脇氏と、ドイツに滞在中の知人宛てに書いた手紙です。

(↑西脇巽氏の論考掲載誌)

<手紙2>

西脇 巽先生

拝復
 この度は「青森文学」71号をご恵送頂きまして有難うございました。

 先ず、先般、西脇先生より質問されました『石川啄木事典』の近藤典彦氏執筆の宮崎郁雨の項に「『一握の砂』を読む」を執筆したのは、郁雨の弟の文章で、近藤氏の誤記、と伝えましたが、この度の先生の論稿を拝読して、その箇所が引用されているので、もしや、と思いまして調べて、深く反省致しました、とともに、さすがに、と先生の徹底した調査に心服致しております。

 郁雨も弟の省三と同時期に、「函館日日新聞」の方に書いていたのですね。しかも同じ「一握の砂を読む」という題名ですね。小生は自分の思い込みに今更恥入るばかりです。

 また、この度の先生の論考には感服致しました。雑誌「国文学」(H16・2/至文堂)誌上の座談会発言者に対する、言葉は多少直情的ではないだろうか、と感じましたが、石井勉次郎の著書(論文も)から見ればまだ、穏かな方かと、自分に言い聞かせながら拝読した次第です。(先生ご自身も石井の調子を真似た、というようなことを記されてますが)

 とにかく近年にない挑発的で興奮させるに充分な、しかも筋の通った論考を読ませて頂き、小生は興奮しております。

節子や郁雨の名誉もさることながら、啄木本人にとっても名誉回復の論考なので、啄木ファンの小生には嬉しい限りです。

 このような西脇先生の、率直で貴重な啄木論争の兆発(呼びかけ)?は、特に研究集団のリーダー的存在にある国際啄木学会の先生方も、無視するような事は無いと思いますが、これを機会に、啄木論争の盛り上がりと、更なる流れの勢いを、と願っております。

 今回の論考の中で先生は「友の為替の……かなし」の歌の解釈を、論考の主軸としておられますが、これは西脇先生の独自の解釈であり、読者である小生は充分に納得させられましたが、三浦光子の発言を一方的に否定するような、論の進め方には多少の危惧も感じます。金田一京助や丸谷喜市の証言(発言)を更に検討され、また、函館関係者の中にも補強するような文言がないものか、と思っております。

 ますますのご活躍と、今回の論考が一本になる日の早いことを願っております。
                         拝具

2004年9月30日           佐藤 勝

<手紙3>

  I・I先生
 ご無沙汰しました。ソウル大会もあと少しですが、体調は如何ですか。前回の時には旅行の疲れなどもあったのでしょうか。ロンドンに行ってきた後だったかと思いますが。私の方からは何を何時報告したのか忘れましたが、東京支部会の事は何方かの便りもあったと思いますので省略致します。
 先日、青森の西脇巽氏から「青森文学」71号が送られてきました。これには「石川啄木・宮崎郁雨 義絶の真相」という180枚の論文が載っております。今年の国文学雑誌で、井上、近藤、平岡の3氏の座談会がありましたが、この中の「郁雨、節子の不倫」に関する発言への反論なのです。
 沢山の既発表の論を読み込んで、なお、自分は「不倫はプラトニック」であった、というのが主論ですが、気になるのは3人の発言者に対する批判です。
 先生もご存じの石井勉次郎という関西の研究者がおりましたが、あの方に似た語調で書いたりしてるのです。(想像がつきますか?)論考の中で新しく感じたのは『悲しき玩具』の中の「買ひおきし/薬つきたる朝に来し/ 友のなさけの為替のかなしさ」という歌についての解釈で、この「かなし」は郁雨に対する、啄木からの和睦を意味するものを持っている歌である、と論じているのです。
 つまりこの歌をノートに入れていた、という事は郁雨との義絶は、事の成り行きの結果だったから、啄木の本心ではなかった、後年になって騒ぎ立てた光子が悪い、それを学者ともあろう人が、わざとスキャンダラスな物言いをしている、あの座談会の内容は黙認できない。というものです。
 私は西脇氏の論も筋は通ってると思いましたが、「不倫は無かった」と決める証拠に歌の解釈だけでは弱い気がしました。ただ、せっかく論争を、と書かれたものなので「田舎の素人研究者の論文」とせずに、国際啄木学会でも、きちんと反論して頂きたい、と思いました。
 西脇氏は近藤先生に対して個人的に、言いたいところがあり、これが論考全体の品を落してる気もしますが、さて、近藤先生は「素人の論」として無視するのでしょうか。今日はちょっと、下らぬ事を長く書きすぎました。ゴメンナサイ。では再会の日まで。
2004/10/1 佐藤 勝

*西脇巽氏の著書や論文については、★単  行  本★新聞・雑誌の論文★推薦図書のページをご覧下さい。

  (その2)

私の短歌講座メモ   (2004年6月22日・佐藤 勝)


(↑山田吉郎氏の歌集3冊)

 * 亡き人が姿を変えて帰りくる猫坂権現魂(たま)くぐりの木
            (山田吉郎歌集『猫坂物語』より)

 岩波書店や角川書店の「短歌辞典」に、その名前は載って無くとも、心を打つ多くの歌を残した歌人、あるいは今も、佳い歌を作りつづけている歌人はたくさんおります。
 山田吉郎氏もその中の一人ではないでしょうか。氏のことは『蝶の記憶』や『実朝塚の秋』などの好歌集で知る人も多いと思いますが、上記の歌を収めた歌集は、集名が示すように、ある種の遊び心を持った歌集です。
 私などは、作者と歌と読者の間に、心の交流を求める人間なので、その歌(人)に共感できなければ、それは意味のない言葉の羅列に過ぎない、と感じてしまうのです。
 映画や小説でもそうですが、真面目さの中にあって、茶目っ気のところを見聞すると、何故かほっとするのです。
 『猫坂物語』はそんな歌集の一冊なので、歌を読むことの好きな人には、まず一読をおすすめします。

(春日井建氏からの書簡)


(↑春日井建氏の歌集『行け帰ることなく』と氏からの筆者宛て書簡)

 * 学友の語れる恋はみな淡し遠く春雷の鳴る空の下
              (春日井建歌集『未成年』より)

 永遠の青年歌人、というイメージを抱いていた春日井建氏が最近、闘病の甲斐もなく急逝されました。
 私はこの清冽な歌人に、ついに会う機会の無かったことをさびしく思う。
 そして、40年前に氏の歌に惹かれてファンレターのような手紙を書き、丁寧な返信を頂いたことなどを思いだしている。
 その頃の氏は作歌から離れていた時期であったが、誠実な人柄のにじむような手紙であったから、今もその記憶は鮮やかに思い出されます。
 氏の歌のどこに惹かれたかなどは、一言では語れませんが、氏の歌集には二十歳の青年だった私の心の一面を表現するような歌がたくさんありました。
 当時、孤独だった私の心は、氏の歌によってどれほど多く、慰められたことか知れません。
 同世代の歌人で私の好きな歌人がもう一人おります。岸上大作です。
 しかし彼は理由を残さずに自殺しました。「春日井建歌集」にも、自殺を想像させる歌は何首も入っております。
 私は今も、人の生死を簡単に語れるとは思いませんが、最後まで生き抜く人の強さは讃えたいのです。
 だから、その生を精いっぱいに生きぬいた春日井建氏の姿に感動しているのです。



 * 新しき明日の来るを信ずといふ
   自分の言葉に
   嘘はなけれど−−
            (石川啄木歌集『悲しき玩具』より)


日本近代文学館所蔵の「悲しき玩具」
 冒頭歌二首の歌稿と初版本
 (同館発行の絵葉書より)


 啄木もまた、自分たちの明日はどのように生きられるのか、という不安を抱きながら、「新しき明日の来るを信」じて、時代の権力に対して果敢に立ち向かった青年でした。

 私は今、明治というあの時代の中で、何がウソで何が真実であるかを真っ直ぐに見つめた、啄木という詩人の眼差しを感じて、身の震いる思いがします。

 いつの時代の権力者も、自分に都合の悪い人間を抹殺し、正義の言葉を掲げて見せるようです。今、イラクという国で起きていることにも、ウソと真実があるかも知れません。
 私たちも自衛隊の派遣を含めて、本当にあれで良いのか、ともう一度考えて見たいのです。日本という国に生きる私たちにとって、これは命にかかる問題なのですから。

 私は自分で歌を作るよりも、歌を読んで楽しむことの方が、性分合っているのかも知れません。
 だから、好きな歌人もたくさんいて、万葉集に登場する人から、現代のトップスター?的な歌人まで、さまざまです。 そして、好きな歌もたくさんあります。


啄木17歳の肖像と小説「雲は天才である」の直筆原稿
(日本近代文学館所蔵)同館発行の絵葉書より


  * 磐代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまたかへりみむ
(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきくあらば またかえりみん)
                    (万葉集・有馬皇子) 

 現代の若者たちの中にも、占いを信じる?人たちが多いと聞きますが、それは、明日の暮らしが見えにくい、という不安から起る現象なのでしょうか。
 私なども時々、占いのようなものにすがりたくなるような時もあります。上記の歌は占いの歌ではありません。作者である有馬皇子は路傍の松の枝を結んで、時の権力者から狙われた自分の命を、どうか救ってほしいと祈った歌なのです。
 皇子の生きた古代の世では、権力者に背いて生きる事など不可能に近いものであったことでしょう。
 有馬皇子はその時代の権力者であった皇太子(中大兄皇子、後の天智天皇)から謀反の嫌疑をかけられ、訊問を受けるために呼び出されました。
 この歌はその護送の途路で詠んだというものです。この一首の歌に込められた皇子の願いは、今なお、有馬皇子の墓と伝えられながらも路傍の草むらに埋もれたままの墓石が、哀しい結末を語りかけます。
(2004年6月22日 記)


主宰随想・・・・・・・(その1)
             佐藤 勝著『啄木の肖像』から

*歌に見る子を失った親の嘆きは

* 病名を聞かされかえる道すがら見えしものみな異国の如し

* 臨終の間近き折に尋ねたる「し・ぬ・の」の言葉脳裏離れず

* 子に訣れしこの悲しみや幾星霜巡り来れば消える日の来る
      (小木田久富著『流星』(私家版)平成三年刊)

 上記の歌の作者小木田久富氏は、その著のはじめに「とても短歌などと呼べる代物ではありません」が、「僅か十五年ではありますが息子が生きた確かな証としてこの本を作り」ました。と記している。

 私がこの歌文集を手にしたのは、今年の六月であった。それはこの三月に上梓した『資料 石川啄木〜啄木の歌と我が歌と〜』を読んで大変共感した、との便りを頂き、その便りに、一昨年十五歳になる息子さんを、白血病で亡くされた事などが記されてあったので、私の妻が小木田さん夫妻の少しでも慰めになれば、と言って押し花の栞を送ったところ、そのお礼として送られてきたのがこの美しい歌文集であった。二百余首を収めた手書きの歌集の、一首ごとに息子さんの発病から闘病、そして死別とその後について、ワープロで起こしたという短い文章が付いている。

 作者はこれを「拙いもの」と記しているが、この集のどの歌からも、血肉を分けた親の嘆きと、悲しみが伝わってきて、読み継ぐのも辛いほどで、深く感動した。

 健康であった我が子が、ある日突然に死に至る病である、と告げられたときの親の胸中は、察するに思い余るものがある。縋るものもなく、ただオロオロとする哀れな親の姿と、子供の死と、その前後の嘆きの歌は、技巧を超えて読む人の胸を打つもので〃鬼神をも泣かしむ〃ような歌である。
 小木田氏はまた、この書の中で、抑えながらも、医療に携わる者への不信感も綴っておられる。
 小木田氏の書かれた意味とは少し異なるが、私にも医者に対して大きな不信感を抱いた事が何度かあった。

 一度目は妻が次男を出産するときに盲腸炎に罹ったが、それを陣痛と間違えられて、危うく命を落とすところであった。

 二度目は長男が三歳のとき、三種混合ワクチンの予防接種を受けた直後に、耳の下側が腫れて、高熱が三日三晩続いたのであるが、これはたんなる〃おたふく風邪〃と診断された。が、私はその三日目の夜、長男が鬼にさらわれて天に昇って行く夢を見た、私は大声で叫びながら、鬼の手から長男を取り返したのであるが、私が夢の中で発した声はそばに寝ていた妻を驚かせるほどに大きな声であった、と妻は言った。私は翌朝、子供を他の病院に連れていったが、その時も手遅れ寸前であった、と聞かされて身体が震えた。

 三度目は次男が中学三年のとき、突然下腹部の激痛を訴えて苦しみ出したので救急車を呼び、運ばれた秦野市のY病院でのことだが、この病院長が診察をしたのだが三日経っても病状が変わらず、三日目に秦野日赤病院に移したところ、全くの誤診であと一日遅れていたら命が危なかった、と言われて驚愕した。

 前述の妻と長男が誤診されたのは横浜市内の開業医であったが、二つの医院ともその後廃業してしまった。が、秦野市のY病院は今も救急の指定病院として活動している事を思うと、複雑な思いになる。

 〃親身になって〃という言葉があるが、親以上に子供の命を守れる医者など、居ないのかもしれない。
 話は横道にそれたが、小木田氏の著『流星』は、鬼神から子供を守れなかった父親の、慟哭の書である。
 野球少年であった息子、一郎君への鎮魂として綴られたものだが、私はその中に限りなく深い親の愛を見て、感動している。

 昨年の秋、国立劇場で清元の「隅田川」が上演された。このとき中村歌右衛門の格調高い舞踊が評判となった。「隅田川」は能作者、観世元雅の原作で、浄瑠璃や歌舞伎の舞台でも有名で、昔から多くの人に感動を与えているのである。
 この「隅田川」の人気は、その中に人間の持つ最大の愛と、悲しみが語られているからではないだろうか。

 話の筋は、京の都の吉田少将の奥方である班女の前が、わが子梅若丸が人攫いに連れ去られ、その悲しみのあまりに狂女となり、子の行方をたずねて来た東の国の隅田川の渡し場で、去年この辺りで死んだ子があり、それが梅若丸であったことを船頭から聞かされ、その塚へ案内されるが、狂女となった母の嘆き悲しみの深さに、塚に眠る子がほんの一刻だが幻となって姿を現す、というものである。

 この物語は子を失った母の悲しさを語りながら、人間の最大の愛は、親の無償の愛であり、その愛が〃人攫い〃という行為によって絶たれたことへの憤りを伝えるものなので、能や歌舞伎という古典芸能には縁のない私などにもそれが解り、感動が伝わってくるのは、そこに、本物の愛と悲しみがあるからなのである、と思う。


* 花に埋もるる子が死に顔の冷たさが一生たもちて生きなむ吾か
* 棺の釘打つ音いたきを人はいふ 泣きまどひゐて吾はきこえざりき
     (五島美代子歌集『新輯 母の歌集』より)

 上記の歌は昭和二十五年に、当時東大生であった長女を病死させた母、五島美代子の嘆きの歌である。
 この大きな歌人の原点は、その娘を急逝させたところにある、と私は思う。『母の歌集』の第三章「子をうしなひて」は、読む人の心を抉るものであり、それゆえにこの歌集もまた、子を失った親の慟哭の書なのである。

* 埋めむとする子の骨もちて夫とひそかにひと巡りせし東大構内 
     (同上記歌集より)

 五島美代子には次女が産んだ初孫と亡き娘を重ねて詠んだ歌などを収める歌集『時差』のような好歌集も多くある。

*本稿の初出は俳句誌「多羅葉」平成4年9月号/『啄木の肖像』(平成14年刊・武蔵野書房)所収


(小木田久富氏の著書)

*下記のアドレスに、ご意見、ご感想をお寄せ下さい。(佐藤 勝)
*湘南啄木文庫・メールは↓

 湘南啄木文庫へのお便り  


上の写真は啄木と函館を結ぶ
紅苜蓿(べにまごやし)の花
(秦野市南が丘にて)
TOPページへ