0(ゼロ)で0を割ることも、また0でわり算をしないという背理法を使った理由にしても、どちらも納得でき、その中には間違いがないと私は思うのです。0でのわり算は禁じ手であると言うことの理由は、「数学の世界では0で割るということは禁じられていて、6÷0の答えは電卓の通り[エラー]と言うことになります。なぜでしょうか。6÷3=2のわり算においてはその背景に2×3=6のかけ算がしっかり成立しています。いま6÷0=6 になると仮定しましょう。そうすると6÷0=6→6/0=6→6×0=6 この式から6×0=6のかけ算が成り立たなければなりません。0には何を掛けても0にならなければならないので、この式が成り立ちません。もし成り立ったらかけ算がメチャクチャになってしまいます。また6÷0=0だったとすると6/0=0、0×0=6。この式から0×0=6とならねばなりません。同様な理由で、この式も成り立ちません。つまり[0には何をかけても0になる]というのが0で割ってはいけない理由になっているのです。 」(江藤邦彦著『算数と数学素朴な疑問』)とされています。0では割り算を行わないことの解説には「0ではない数 a を0で割って出た答えを b とすると a/0 = b、この割り算をかけ算に直すと a = b×0 = 0 となって前提と矛盾する。従ってそのような数 b はなかった。これを不能という。」などとするものがあります。すなわち0で割ることは出来ない、あるいは0で割ったものは数ではないと言うことです。電卓でゼロの割り算をしてもエラーと出ます。ここで電卓でエラーとされると言うことは、電卓では「E」と表示されるということを指しているのですが、電卓でゼロでわり算してでてくる「E」のことを、「計量できない巨大数」と解説している電卓の解説書もあります。0では割り算をしてはならないと言うこと自体、0が他の一般の数とは違う特異な数であると言うことになります。なぜならどんな数も割り算をしてはいけないという条件が付いた数は他にないからです。しかも前ページで述べたことなどはどちらも真と考えられるのに、その二つの命題は全く相反していることも事実です。これはどのように解決すればよいのか私にはうまい考えが思いつきません。

 どちらも真と思われるのに相反する結論になってしまう二つの命題を統一的に説明できる方法を誰か考え出せたらお聞かせください。簡単なことのように見える命題のようで、私には難しすぎるところです。事は数学の問題なので、多数決でどれが正しいのかを決めるわけにもいきません。また裁判官がどれが正しいという判決を下すことで決めることもできません。当然の事ながら腕力でもカネの力でも組織力でもまた政治力でも決着がつけられるわけではありません。数学の問題は数学的な考えで解決しなければならないからです。

そして00=1とする話においては『「a0=1」となるのではなく、「a0=1」と約束するのです。その理由は次の通りです。まず、aをm回掛けた

 a×a×a×・・・・・・×a   m個  を、aと書くことにします。すると m と n を正の整数としますと...........

m=n   am÷an = a(m-n) ・・・・・@

ではam-n すなわち a0

をどう定義したらよいでしょうか。m=nの場合には@の左側は

am÷an=1

となります。そして右側は

a(m-n) = a0

となります。これから考えて

 a0 =1

と定義することが妥当であることがわかります。』講談社ブルーバックス 矢野健太郎著『数学質問箱』

と言ったような理由が載っています。

また『算数と数学素朴な疑問』には

『103÷103の 計算をやってみます。[指数同士の引き算]として計算すると、

103÷103=103-3=100  ー@となります。 一方この計算は

103÷103=10×10×10/(10×10×10)=1  ーAとも書けます。

したがって@Aより100 = 1 と「定める」と、うまく計算の筋道があることになります。

つまり、数学では「100 = 1」でないと困るのです。

指数の値が0になると、「10を0回掛ける」と言ったような考えは当てはまらなくなります。これはもちろん20とか50でも1となります。このように「数学上、都合の良いように定める」ものがあり、それが「定義」なのです。「そういうルールにしておくよ」という意味に受け取ってください。 』とあります。

 これらを元にして考えると、m=n とした場合 m≠0 n≠0 では 0m/0n = 0 ÷ 0 = 0(m-n) = 00 = 1と言うことにもなってしまいます。これは 0÷0= 不定 としたこととは違ってしまい、0以外の整数においてそれ自身の数でそれ自身と同じ数を割ると解が1になるのと同じ結果になります。それともここでも0は例外の数として計算は行わないことにしておくかです。高校の数学の教科書の指数関数についての説明のところなどには「a0 = 1 ただし a ≠ 0 」と解説されたりしています。また『異端の数ゼロ』では、「00は無意味」と述べられています。『ゼロの博物誌』にもこのことに関する記述がみられます。そこでは「03= 0は認めなければなりません。02も01もそうです。また、今しがた01/2=√0を求めたところで、バースカラ(1114〜?:インドの天文学者で数学者。ブラフマグプタと同じくインドの天文台長を務めた人です。中学の教科書などで紹介されている正方形の中に直角三角形を四つ埋め込み真ん中に小さな正方形を作ることでピタゴラスの定理を証明する方法を考えたとも言われています。)は√0 =0であることを教えてくれました。同様に、01/3は0であり01/4も01/5などもそうです。こんなふうに(指数を0の方へだんだん小さくしていき)00の方へにじりよってゆくと、00=0以上に説得力のある説があるでしょうか。もっとーあるいは同等のー説得力があるとすれば、次のようなものでしょうか?50が1となることは、ここでみたとおりです。40も30も20も同様で、いずれも1です。実は(1/2)0も1にならざるを得ませんし(1/3)0も(1/4)0も以下同様です。こちら側から指数を0にして、底を0に向かって小さくしていくことで00に近づいていくと、困ったことに00=1になることは明らかです。どうすればいいでしょうか。0になるのでしょうか。それとも1になるのでしょうか。それとも両方なのでしょうか。指数の考案に貢献した人々の魂が集まってきます。ノルマンジーの僧正ニコル・オレームがいます。この人は西暦1360年頃、分数の指数を考えつきましたーところが指数を0にすることは考えませんでした。その100年後には、前章でお目にかかった医師のニコラ・シュケがいます。この人はa0に到達しましたが、指数を分数にすることは考えませんでした。ふたりは自分の工夫のことを相手に説明しようとして首を振っています。ふたりとも自分たちをあざ笑う高慢な数字に対して何とすることも出来ませんでした。」これらのことの数学的にもっと高度で精緻なベルヌーイの定理やロピタルの公式などを使ったカオスのような状態をも含む解法はこの本の中のこの記述のかなり後に出てきますが、カオスそのものの数式は述べられていませんしそこでも決定的な解は得られていないように思えます。ここで述べられている指数や底を0に収斂させてゆく00=0や00=1の求め方は私が述べたものよりも巧妙で私の00=1の求め方などは稚拙と言ってもよいでしょう。しかしそこでの数学は高校1、2年レベルのもので多くの人が理解できる水準のものです。またこのカオスへとつながる部分は大学で教えられるべき内容もっと言えば理系の学部それも数学科の人向けあるいは高校生なら数学オリンピックに出場するようなレベルの人向けの内容になるのかと思いますので私の理解できる水準を超えていますが興味のある人は一読して下さい。なにか弁証法論理学の「正・反・合」のような印象も私には浮かんできてしまいますが、少なくとも「0と1がお互いに主張し合って対立しているのだから、中を取って0.5を正解にしておこう」などと言う折衷案(妥協案)は数学の世界では正しい答えとはされないでしょう。また0と1だけでなく0/0の不定も解になりうると私には思えますが、そうすると三通りの考えがあり得るという条件で考えなければならなくなります。それはカオスを一層複雑なものにするかもしれません。これを文学で表現すると「それはそうですよね。みんなの正義がとおって、みんなの幸福が達成されると言うことは原理的にはありえないですからね。だからどうしょうもなくカオスがやってくるわけです。」ー村上春樹『ノルウェーの森』よりーとなりそうです。私はこれまで数学の世界での話を紹介してきていましたが、人間の社会では「自分の言っていることが正しいと言うことが確かなことだとすると、他の人の言っていることは間違いであることが自動的に証明されたことになる」とは言えないことがたくさんあると思います。それは法律の分野での出来事で言えば諫早湾の干拓事業訴訟の隠喩として見ることはできるのかも知れません。福岡高裁は水門を開けるべきとの判決を下し長崎地裁は開けてはならないという反対の判決を下し、その後両者は自分たちの言い分が通らないのは支払金の額が少ないからだとして支払金の増額などを求める裁判になり、それまでにも国としては開けても閉めても違反金を支払うべきと最高裁から勧告される立場になっていたという事柄です。安倍内閣の菅官房長官は「最高裁の統一見解を待ちたい」としています。私は法律には全くの素人ですが最高裁がどのような判断を下すかには私は興味のあるところです。この場合でも「堰を半分開門し半分は閉じておく」という折衷案(妥協案)は成り立たないのではと思います。最高裁はカオスの問題と言ってもいいような難しい課題を背負わされることになるかも知れません。しかし政府が最高裁に判断を求めるのも政府自身にも有効な解決のための妙案が思いつかないことの裏返しのようにも思えます。まあ、諫早湾の問題は漁獲量が閉門前の水準を回復したりそれを上まったりすれば自然に解消する問題でもあります。話を数学に戻すと00が無意味(無意味という言葉の内容やなぜ無意味なのかの理由などは『異端の数ゼロ』には述べられてはいませんが)だったとしても、では0m/0n = 0(m-n) においてm>nとm<nの場合はどうなるのでしょう。m>nでは答えは不定か0となるのかも知れませんし、m<nの場合は∞と不定と言うことにもなってくるのかもです。あるいはこれは両方とも同じ解になるのか、そうではなくてやはり無意味なのでしょうか?「ロピタルの公式は、微積分の隅々に現れる厄介な0/0に初めて挑むものだった。これはある点で0/0に近づく関数の真の値を突き止めるすべを提供していた。ロピタルの公式によれば、この分数の値は、分子の導関数を分母の導関数で割ったものに等しい。たとえば、x=0の時の式x/(sinx)を考えてみよう。x=0で、sinx=0だから、この式は0/0に等しい。xの導関数は1、sinxの導関数はcosxだから、ロピタルの公式を使えば、この式は1/(cosx)に近づく。x=0の時cosx=1だから、この式は1/1=1に等しい。巧妙な操作をすれば、ロピタルの公式によって他にも変わった式、∞/∞、00、0、∞0の値を出すことが出来る。∞/∞などが計算できるというのは、「無限は状態を表すもので数ではない」とする考え方からは不思議に思えてくるものです。なぜなら0は数直線上に表すことができますが∞は数直線であらわそうとする場合プラスの∞もマイナスの∞も数直線の端に矢印記号をつけて表示することくらいでしか表現の方法がない概念だからです。すなわち0は数直線上の位置として表すことができますが無限は位置としては示すことができず方向性としてしか表現できないものです。また、ある数 a を0で割った時、一般に a/0=∞ と考えられてもいたわけなので「a/0 = b でそのような数 b はなかった」ということなら∞は数ではないことになるからです。∞が数ではないとするなら、ではいったい無限とは何なのかと言うことになります。そして∞が状態ではなく数であるとして∞/∞が計算できると言うのなら、それは百三十七億年前と言われる宇宙の始まりよりもさらに遙かに遠い果てしない過去から宇宙の消滅よりもさらに遙かに遠い果てしない未来へと延々と流れてゆく無限の時間を永遠と呼ぶことにすれば「永遠を永遠で割ることなどは可能なのだろうか?」という問いにも似てきます。そして永遠を永遠で割る事が出来たとしても、ではその答えはいったい何を表しているのかも気になるところです。時間を時間で割っても意味はないというのであれば、無限の距離を無限の時間で割れば時速が出るはずですが果たして答えはどうなるでしょう。時間の単位は分に細かく分かれ分はまた秒に分かれるので無限時間と無限分そして無限秒とでは無限の整数と無限の無理数との間で考えられるような無限の濃度のような問題も生まれそうです。したがって無限を数のように扱うことの難しさは存在するといえます。ですがかつてはゼロも状態を表すもので数として扱うものではないと思われていたのかも知れないのです。ただ、バスカラが考えたとされる a/0=∞ とすることは間違いだという意見もあります。「7を2で割ると3.5になる。3.5に2を掛けると7になる。7を0で割った答えを見つけるときには0に何を掛ければ7になるかを考えないといけない。実際のところ答えはない。0を掛けて7になる数は存在しないのだ。だから、ある数を0で割ったときの答えは[解なし]となる。ゼロで割った答えを[解なし]とする解釈は直感的には分かるものではないので、現代の教科書の中にも答えを[無限大]としているものもある。これはある意味恐ろしいことだ。九百年前のバスカラの主張が、未だに正しい答えよりも、人々の頭の中に残っていると言うことだからだ。」とピーター・J・ベントリー著『数の宇宙』にあります。この本の著者はコンピューター・サイエンスと応用数学の分野を専門とする人でユニバーシテイー・カレッジ・ロンドンの名誉研究員、韓国科学技術高等研究所の共同研究教授、そしてケント大学名誉客員研究員を務めている人だそうです。現在の日本の高校の数学の教科書ではゼロで割った答えは「解なし」とされています。しかし0で割った場合の解が数であるべきだという考えからすれば「解なし」とも言えるのですが、∞は数ではなく[状態]だとするのであれば∞であってもいいように私には思えます。私が示した先の単位円や反比例のグラフなどでa/0=∞と直感的に想像できることは果たして間違いなのかと言うことでもあるのです。確かに私の単位円では0で割る場合にはOP2 /OH=OQのOHが0になりOQとAQは直線lがY軸と重なり直線mと平行線すなわちl‖mになって点Qは消滅し[解なし]の状態にはなるのですが、少なくとも平面では無限も想定できそうにも思えるのです。どんなに遠方であったとしてもどこかで交わって交点を結んでしまうのであればそれは[解あり]と言うことで、その交点は有限の数値であり無限ではなくなるのもこれまた確かなことだからです。有限の数値の解を持たないものが無限であるとも言えます。ゼロで数を割った答えが「解なし」であったとしても「解なしは無限を意味しない」ということにはならないのではと思います。「解なしは無限だけとは限らない」と言えるでしょうが、少なくとも「無限は解なしでもある」と言えると思うのです。平面図で無限を表した場合には「無限の遠方で交わる」と言った表現が使われている場合も見受けられますが、無限は交わることがないと言えます。無限は無限で考えなければならない問題が別にあるにしても、ゼロで割った場合のゼロと無限の関係での無限においては平面では[解なし]と[無限]とは必ずしも相反したり矛盾したりするものではないことのように私には思えます。「無限」は当然のことながら「解なし」となるからです。もしそうでないなら分数の分母を0に近づけて極限値を求める微分の答えも「解なし」に近似させざるを得なくなるからです。あるいは微分の極限値は∞ではあっても0それ自体で割った場合は「解なし」ということにもなってしまいます。『異端の数 ゼロ』でも特異点を説明するものとして触れられている絵画の遠近法における消失点すなわち無限遠点にしても、どんなに消失点の方へ進んでいってもやはり同じ光景が続いてその先にはやはり消失点が存在しているように見えるということで、消失点は実在はしていない点ということができます。確かに面の縦横が1/2の長さになる位置が存在し、そのまた1/2になる位置も存在し、消失点の場合はそれらが無限に繰り返されるということなので面積は1/4=1/∞=0と無限小になり、面積がゼロなのは点を表すので見え方としては点にはなりますが、その点は実在はしないということなのです。見かけ上の点とでもいえばいいでしょうか。あるいは無限小と無であるゼロとは異なったものと考えるべきかもしれません。無限小はと表し、無を0と表すことにするといいのかもしれません。 と同じと考えてもいいでしょう。ただ、∞が状態を表すもので数ではないとするならも数値ではないことになります。)こうした式すべて、とくに0/0は、分子と分母に入れる関数次第で、望みの値を取り得る。だから、0/0は不定だという。これはもはやまったく神秘というわけでもなかった。数学者は、注意深く0/0に取り組めば、いくらか情報を引き出すことが出来た。ゼロはもはや避けるべき敵ではなかった。研究すべき謎だった。・・ロピタルの公式は0/0の問題の一部を解決する上で極めて重要だったが・・ロピタルの公式は、0/0に基づいた道具で0/0を検討する。循環論法だ」と『異端の数ゼロ』にはあります。0/0=aをかけ算に直す場合においても、ゼロをかければどんな数もゼロになると言うことではありますが、両辺に同じ数をかけても等号は成り立つので(0/0)×0=a・0とし(0/00=a・0すなわち0=a・0であるのでaは不定であるとなるわけですが、0/0をかけ算の形に直して求める計算の過程の中で0/0=1として使ってしまっているという問題があるように思えます。求めようとしている問題の答えをその問題を解く課程の中ですでに使ってしまっている訳だからです。

 ダランベール(十八世紀)が考え出した極限の概念を使って考えても   an/bn = an/bn = a/b とされ極限値は a/b となるはずです。n 同士は約されてしまうのです。と言うことは  n/n = 限りなく0/0に近い数は =1 と考えたのと同じ結果です。0/0 = 不定  とされるなら極限値すなわち   an/bn = 不定 となっていってもよいはずのようにも思えるのですが、極限の概念の数学ではそのような処理にはなりません。以下に紹介している『異端の数ゼロ』には「現代の数学者は、ニュートンとライプニッツ(ともに十七〜十八世紀)がしたようにゼロで割るのではなく、ゼロに近づいている数で割る。この割り算を行いーゼロがないのだから、これは文句なく正当だーそれから極限を出す。 無限小を二乗すると言う誤魔化しは姿を消し、ゼロで割って導関数を得る必要はもはやなかった。」とあります。果たして  n/n  の終着点(極限)は 1 なのか 不定 なのか?? 極限の概念では 1 になってゆくはずの   n/n が、ゼロそのものでの割り算 0/0 自体では 不定 となって全く異なる様相へと変化してしまうことは、先の  a/nの極限値と0それ自体での割り算a/0とで無限と[解なし]とに分かれてしまうことと同様に不可解といえるのではないでしょうか。しかも限りなくゼロに近い数でも同じ数同士での割り算ならその解は 1 になるのは納得できますし 0/0 が不定になることも十分に納得できることであるにもかかわらずなのです。ダランベールが考え出した極限の概念によってニュートンやライプニッツの考え出した微積分の計算をする上でゼロで割ると言う問題点を解決できたかに思えるわけですが、しかし新たな疑問も生まれてしまうわけです。一方  0/0 = a が不定であるとする考えからするなら、 0/0  はY軸、あるいはカルダーノ(十六世紀の人物ですがけんかで殴られてからどもるようになってしまったので[どもりのカルダーノ]とも呼ばれたようです)が便宜的に使い始め、それをガウス(十八世紀〜十九世紀)がグラフ上に示すことによって実体を与えたと言われる虚数もそして複素数も数に含める事ができるので、虚数は実数のグラフ面には表示できないにしてもガウスが実数部と虚数部との和として表される複素数とすることよって作り出した複素平面(別名ガウス平面)とした複素平面全体にもなるので、全ての整数と無理数そして複素数とを含む存在になります。虚数も数として考えられるので 0/0 = a  の式を満たしその中に含まれるので、整数と無理数そして虚数と複素数は  0/0  の範囲内にある事は確かです。従って集合{x=0/0}= 集合{x | 全ての数}と言うことにもなります。雑誌『Newton』の二千十三年三月号には”宇宙はほんとうに無から生まれたのか”との特集が載りましたが、『ゼロの博物誌』では、0すらも存在しない全くの無から有を生み出すことは数学の分野では可能であることも述べられています。雑誌『Newton』の記事には”虚(数)時間”という概念も紹介されていますので、先に私が記した永遠を永遠で割ると言うことも違ったものになるのかもしれません。私は実時間で考えていたからです。虚時間の概念を採用した場合の四次元距離はs^2 = (ct)^2 - (x^2 + y^2 + z^2) \,なのが虚時間を \tau = it と置くとs^2 = - \{(c\tau)^2 + x^2 + y^2 + z^2\} \,となりアインシュタインの特殊相対性理論にも関係してくることのようで非対称とされていた時空間が対称性を持たせた形に書き換えることができるとされるのですが、数式としてはそれほど難しくなく高校の数学の範囲に収まるものなので式自体は私にも理解できるとはいえ物理学的にそれが何を意味するものなのかまでは分かりません。そして話題を集めているハーバード大学の美貌の女性理論物理学者であるリサ・ランドール博士(彼女は高校生時代には全米の数学コンテストで最優秀賞を受賞したそうです。)の五次元宇宙を記述した数式は ds2=e-klrl(dx2+dy2+dz2-c2dt2)+dr2 とされています。式の形は虚時間の式に部分的に似ているように見えるところがあるのは私にも分かりますが、ここまで来てしまうと私には皆目理解できなくなります。興味のある方は探っていってください。また素数は普通「素数とは、それ自身よりも小さな数同士の積としては表現できないような自然数」(『五分でたのしむ数学50話』のように、正の領域の数すなわち自然数を対象にしていますが「自然数」という条件を外してゼロを含んで負の数へと続く整数の領域にまで拡張して考えても正の素数を負に置き換えた数も(例えば素数である7を負の数にすると−7となり、−7=1×−7と−7=−1×7と、±1とマイナスその数自身以外にはその数をそれ以上小さな数の積の形で表すことの出来る数はない訳ですし+7はすでに素数である訳なので−7は)素数的な性質を持つと言えますが、ではゼロは素数かそうでないかを考えると、素数の定義を1かそれ自身以外にはそれを割ることのできる数がほかにない数とするとゼロで割ることになってしまい混乱が生まれるので、素数の定義を先のように積の形のものにすると、ゼロは1以外にもどんな数をかけてもゼロになるので素数的ではない性質の数という結論になります。ただ、素数の発見法として有名なエラトステネスのふるいなどは、ふるいの中の数は2から始まりますが・・・。素数が自然数の範囲内の数とされるのは、これは後に述べるように古代ギリシャではゼロの概念がなかったのでゼロがまだ数としての重要性を認められておらず「数ではない数」でしかなかったこととマイナスの数はまだ知られていなかったという古代ギリシャ時代の歴史的経緯に由来する伝統を踏まえているからなのかもしれません。

  以上のように0はなかなか扱い方が難しく、一貫してそれを扱う整合性の保たれた統一的な方法がないような数だと私には思われます。高度で抽象的な数学を用いればこのそれぞれの背反や相互の矛盾は統合できて説明ができるのか、あるいはまたどのようにしてもこの背反や相互矛盾は解決することが不可能であるのか、それらを数学的に証明してみせるだけの力を残念ながら私は持ち合わせません。私がここまでに使っている数学は小学校の算数から高校レベルまでの範囲の数学でしかありません。そして年配の世代はともかく現在の日本人の高校進学率は九十七%になっているので、たとえ問題が解決できなくとも若い世代の日本人のほとんどの人は私がここで述べていることが理解できておかしくないものです。私がここで述べているものは極く限られた研究者にしかわからないというものでもなく、また数学科や物理学科など理数系志望の高校生にしか理解できないという訳のものではありません。大学まで進学した人ならましてものことです。またここで述べた以上の高度な数学を駆使する能力は私にはありませんが、もっと高度な数学から考えるとどうなのでしょうか?大学などで数学や物理学を専攻している人たちにはこのような問題がどのように見えどう考えるのかを聞いてみたくもあります。個々の言い分としてはそれぞれ正しいにもかかわらず、全体としては矛盾すると言うことなのです。これからのコンピューター社会においては「問題発見能力・問題解決能力」が必要とされるそうです。しかし問題を発見した人とその問題を解決した人とは同一人物でないことが数学の世界ではよくあることです。「ギリシャ三大不可能問題」などはその代表的な例です。数学的な証明がされて決着がつけられるまでには二千年もかかってしまっています。ゼロの難しさは多くの人が指摘していますが私も私なりに以上のような問題のある部分を発見したのかもしれません。このような問題をどのように頭の中で整理すればよいのでしょうか????? ゼロの問題を考えて私にオカネが入ったならそれはそれで私には嬉しかったはずなのですが、私が問題を発見した部分があったとしてもそれで私はオカネが手に入ったわけでもないので、問題が解決できても大金が手に入るなどという保証は全くないとも言えるでしょう。そのことだけは自分の経験から私はかなりの自信を持って言うことができます。数学の能力にはあまり私は自信があるわけではないにしてもです。オカネになりそうにないこのような問題を手がけて解決策を考え出ししかもそのことでオカネも儲けることができる人がいるならその人のことを私は「すごいなあ〜!」と思います。ですが私がやった限りではオカネにはならなかったことを逆に言えば、金儲けをしたい人はカネになる見込みのないこのような問題を手がけ何年もの歳月と労力を費やしてみようなどとはしないでしょう。「自分はこれだけの年収を得ている。」と胸を張る人がいるならゼロの問題を考えることでもそれと同等の収入が得られるかどうかよかったら是非試してみて下さい。ニュートンはイギリスの大蔵大臣も務めたりしていますしガーフィールド・アメリカ大統領はユークリッド(紀元前300年頃)以降だけでも100通り以上考え出されていると言われるピタゴラスの定理の証明方法の内の一つの証明方法を考え出しています。ユークリッド以前を含めると「その証明方法は400通りを遙かに超えその数は増え続けている」とE・オマール著『ピタゴラスの定理』にあります。またかつてのヨーロッパではピタゴラスの定理の新しい証明方法を考え出すことが数学の修士号を取得する上での必要条件だったとも記されています。(ピタゴラスは釈迦とほぼ同時代人でイエス・キリストはかれこれその五百年後に登場するわけですが、かのアルバート・アインシュタインのピタゴラスの定理の証明方法が遠山啓/銀林浩編:霜越松太郎著『ピタゴラスとその定理』に載っています。その証明方法を考えついたのはアインシュタインが十二歳の時のことだとはE・マオール著『ピタゴラスの定理』にあります。またイラクがクエートに侵攻した湾岸戦争時にイラクの人質になってしまった日本人の中には、人質として身柄を拘束されている間にピタゴラスの定理の証明方法を考えようとしていた方もいたようです。最初の本格的な射影幾何学者となったポンスレもナポレオンの軍隊に入りロシア遠征の時に自軍が敗走する中でロシアの捕虜となり収容所の中で射影幾何学をじっくり考える時間が得られたようです。大学で数学を教えたり研究したりする学者でもない限り数学を考えるような人は世捨て人的な条件におかれた人なのかも知れません)。ですがガーフィールドもそれで大統領になれたと言う訳でもないので、日本の政治家が票にならないことはあまりやらないのにも似ています。私としては数学の定理や公式を一つ二つでも残すような日本の政治家がいて欲しくもあります。社会情勢はいろいろに変化してしまうので五十〜六十年で改正を余儀なくされるような教育基本法や歴史教科書問題で騒ぐよりも何百年もあるいは何千年も普遍的真理として認められる数学の分野で政治家の業績が日本の数学の教科書や世界の国々の数学の教科書にでも載るなら素晴らしいことだとも思えます。そうなれば閣僚や首相が「国に誇りを持て」などと国民に要求しなくても自然に人々はそれを誇りに思うことでしょう。ひょっとしたら政治家としての業績は忘れ去られてしまっても、数学の分野での業績は長く語り継がれその人を有名にするかも知れません。ニュートンがイギリスの大蔵大臣であったということよりも万有引力の発見者そして微分数学の創始者の一人として広くまた長く知られていることなどはその一例といえるでしょう。しかし多くの日本の政治家はそう考えませんし、また同じくオカネを儲けたい人はそれを考える個人となれば労多くして益少なきことに手を出さないのが通常です。また金儲けに成功した金持ちの人ならこの問題が必ず解決できるとも言い切れないことでしょう。問題を解決した人に賞金を出すことはできたとしてもです。どこかの大金持ちがこの問題に多額の賞金を懸ければ金儲けをしたい人たちの興味を引きこの問題への関心もそれだけ高まるかも知れません。フェルマーの大定理の証明を実現できた人には賞金それも当時としては大金が与えられることになっていたようにです。ただし日本人を含め何人もの世界中の優秀な人たちが挑んだにもかかわらずこの定理が実際に肯定的に完全証明されるまでには三百六十年ほども経ってしまっていたので、そのころには貨幣価値が当時とは大きく変わってしまっていて、賞金の価値は微々たるものでしかなかったそうです。(賞金をつけたのはフランスの科学アカデミーとドイツのそれに相当する機関で、フランスの場合は金メダルと300フランで千八百十五年と千八百六十年の二回申し出があり、ドイツの方は千九百八年に十万マルクだったが千九百二十九年のインフレで七千五百マルクー現在価値としては米ドルで約四千四百ドルーだったが未だ支払われてはいないと『ピタゴラスの定理』にあります。)ですが証明した人の名は残りました。単なる賞金目当てのためだけの怪しげな数学の解答を投稿してきた人も多かったようですが、千九百九十四年に完全証明に成功したプリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ教授は屋根裏部屋に籠もって証明方法を考えていたとも言われています。二十世紀末から三百六十年ほど前というと日本の数学史ではまだまだ数学の知的覚醒過程だったとされる江戸時代のことで江戸幕府が始まってから四十年ほど経つか経たないかの頃のことですが、ヨーロッパではこのような整数論が生まれていたと言うことでもあります。そして二千十二年夏には日本の京都大学の望月新一教授が「abc予想」を証明したらしいと報道されましたが、もしその証明に間違いがないと認められるとフェルマーの大定理ももっと簡単に証明できるとのことです。ただどちらも私には到底理解の届かないレベルにある証明ではありますが・・・。というのも以前アンドリュー・ワイルズ教授のフェルマーの大定理の証明をそれほど数式を交えずにわかりやすく解説したNHKの教育テレビの番組を見て何となく分かったような気になった程度にしか私の数学への理解力はないからです。ましてや「証明した本人以外に完璧に理解できる人は世界にいないのではないか」と言われるような「abc予想の証明」など私に理解できようはずもないことです。しかしどんなに難解な論文で一般人には理解が届かぬものであるにしてもそれをこのようにインターネットで誰でもが目にさせてもらえることができるのは画期的といえそうです。なぜならグーテンベルクが活版印刷を発明したことで古典とされる数学の書物も印刷され始め「数学はもはや学者の独占領域ではなくなり、心を開いて教えてほしいと望むすべての人にとって利用可能な分野になった」と『ピタゴラスの定理』にありますが、インターネットはそれに匹敵するほどの発明品だと思うからです。そして日本の政治家が数学の定理や証明を残すと言っても日本の政治家の多くは文化系で「数学は理科系の人がやることだ」と思われるかも知れません。しかしフェルマーは弁護士、すなわち日本的な言い方をすれば文化系の人でもあったのです。フェルマーは数学を娯楽として学んでいたと『ピタゴラスの定理』で紹介されています。フェルマーはパスカルと共同で確率も考えたとは高校の数学の教科書などで紹介されてもいます。またカネにもならないことを考えるのは馬鹿な人間のやることだという意見もあるかも知れませんが、その馬鹿な人間が見つけたものでも本気で解決しようとしたら大変なことになってしまう問題も場合によってはあるわけです。話をゼロの問題に戻せば、ゼロの問題はその市場価値までもが全くのゼロだと言うわけではないと私は思うのです。ゼロの問題を考えることが経済システムの中で成立できるようなビジネスモデルを考え出して下さる方がいればありがたいところです。引用などした『ゼロの博物誌』を例に取るなら、この本は二千二年四月に翻訳本が発売されたようですが、私が二千八年四月に書店に注文して購入した時点でもまだ初版です。初刷りされたのが何部かはわからないものの発売から六年も経っていながら初版と言うことはそれほど売れていないと言うことなのでしょう。発売直後に何十万部も売れたちまち増刷されたりするわけでもないようです。著者自身は言うに及ばず訳者もかなりの時間と労力を割いて書き上げられたであろう著作でありながら経済的にはあまり報われていないと言えるのかも知れません。少なくとも日本においてはゼロの問題の領域の受け取られ方とはそのようなものだと言うことが現実のようです。まあだからこそこの問題は私の興味を引くのかも知れませんが・・・。宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキングは彼の著書『ホーキング宇宙を語る』の中で「この本の中に数式を一つ入れるたびに本の売れ行きは半減すると教えてくれた人がいる」と述べています。そのためその著書には「しかし、とうとう一つだけは入れることになってしまった。アインシュタインの有名な式E=mc2である。この式が私の本の潜在的な読者をおびえさせ、半分に減らさないことを願っている」とのことです。これから考えれば、解説書とはいえ数式が含まれた本が如何にベストセラーにはなりにくいかが分かるというものです。数学その物の本ともなればましてやということにもなります。『ホーキング宇宙を語る』の中には「楽しみながら金儲けが出来るのは娼婦と科学者だと誰かさんが言った」ともあります。楽しんでいながらオカネまで儲けようとするのは虫がよすぎることなのかも知れません。またある数式が必要不可欠なものとして認められるまでには非常に長い時間が経ってからである場合が往々にしてあります。現在の日本では教育に市場原理を導入しようという話がかまびすしく聞こえてきますが、後々の世になってから必要と認められるようになる数式もそれが考え出された時代には利用価値が無く市場性はなかったと言うことにもなります。後の世に必要になる数式もそれが考え出されていた時代の中では使い道がわからない場合がしばしばあると言うことです。しかし科学の発展の歴史を見ると数学者が科学の発展に必要な数学を先に準備していたことがままあることは認めてよいでしょう。すなわち市場性だけでの評価が万能と言うことではないわけです。必要性がわからないものは市場に参入のしようがないからです。核物理学などが生まれ出ていなかった時代にはウラン鉱石などはなんの市場価値もないただの石ころだったはずです。また、現在までに人類が発見している素粒子の数は十六(二千十二年七月四日には十七番目の素粒子であるヒッグス粒子がほぼ実在することがスイスのセルン研究所の実験施設での実験で確かめられたとのニュースが流れました)あるそうですが、「人類が産業にまで利用できている素粒子は電子だけだ」とはノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊教授の話です。最近では火山内部のマグマの状態などを調べることに使われる素粒子ミューオンも注目され始めています。この素粒子は福島原発の事故でメルトダウンした核燃料がある場所を特定するためにも使われるとのことです。当然人類がまだ知らない未知のものは沢山あることでしょう。しかし知ってはいても人類にとってどう活用したらいいのか利用方法が分かっていないものもたくさんあるということのようです。確かに本田技研の創業者である本多宗一郎さんの言葉のように「知ってるだけでは何にもならない」のかも知れませんが、利用方法を見いだすのも並大抵ではないようです。桜井進さんの言葉を借りるなら数学は「数学を作る人(数学者)・伝える人(教師)・使う人(その他の人)」と分けられるのが現在の姿です。そして高校で教師から数学を指導されなければならない学生の中には「こんな数学が社会に出てから役にたつのかよ??」と言う人も実際にいます。しかし高校の数学やそれにプラス・アルファーした数学がどうしても必要になるところで働く人もいるでしょう。中には希に仕事上の必要性に迫られて新たな数式や数学分野を開拓するような人もいるかも知れません。高校での数学が将来的にその人にとって必要かどうかはその人がどんな職業分野に進みどんな職場で働くのかに関わることでもあるでしょう。二千十二年十一月四日のTBS”夢の扉”では父親の建設会社が苦境に陥り、それまで数学の研究者としてやってきた息子が研究者としての道をあきらめて親の跡を継ぐために畑違いの土木の分野に入り、液状化対策などに有効な新型の土嚢を開発した話が放送されました。そこで利用されていたのは高校の数学でも習うベクトルでした。これは実際の現場で高校で習う数学がどのように利用されたかの一例ですが、しかし高校で勉強した数学は全て無駄で小学校の算数だけで一生事足りてしまうところで働く人もいることでしょうし中には小学校の算数さえ必要のないまま働く人もいるかも知れません。計算は機械がおこなうので数を間違いなく数えることができさえすればそれでよいと言う環境で働く人もいるはずだからです。人類が数を数えはじめた最も古い痕跡は三万年前(二千十四年二月二十三日の朝日新聞朝刊の[櫻井進:数と科学のヒストリー]では「アフリカのスワジランドの洞窟で発見されたヒヒの骨に刻まれた数が約三万五千年前のもので、人類最古の数の記録とされています。」と記されています。これは後期旧石器時代のことで当時の数にはゼロなどは含まれない自然数だけだったことでしょう。三万年以上前というとだいぶ昔のことと言えますが、宇宙が誕生してから百三十七億年、地球が誕生してから四十六億年、六千六百万年前にはまだ恐竜が生きていて、最古の猿人類と思われるものが出現したとされるのが二千五百万年前、最古の人類でさえ六百万年〜七百万年前とされるのですから、それらからすれば三万年前などはつい最近のことだとも言えます。)のものと言われますから、三万年前に人類が獲得した能力がありさえすれば済む部分もあるわけです。すなわち数学的な生活レベルで考えれば三万年前とあまり変わっていない水準での生活というわけです。日本のスーパーなどで使われているレジスターの高機能機種などでは、商品の値段はバーコードで読み取って料金の合計を出し、客から受け取ったお金は機械が読み取って料金との差額であるおつりを自動的に計算して受け皿に出すものもあります。すなわち店員の人はディスプレイの数字を読むだけで数を数える必要さえないのです。ましてやnanakoやsuicaなどの電子マネーに至っては言わずもがなです。店に客がいないときの棚卸しで在庫を確認するには店員の人も陳列棚にある商品の数を数えることが必要になるときもあるでしょうが、極端な言い方をすれば普通に店を開いているときにはレジでは計算どころか数を数えることすらもなく済む場合もあるのです。そして世界最古の宗教といわれるゾロアスター教の開祖であるザラスシュトラ(ドイツ語読みにするとツゥラスストラ)でさえ古くても紀元前十三世紀あるいはもっと後だとすると紀元前七世紀の人ともされるのですから、数を勘定することは人類が宗教を生み出した時期よりも遙かに古い時代からのことといえます。古代人にとっても数を数えることは生活してゆく上で必要性が高かったのだろうと思われます。したがって古くから延々と人類は数学の分野を作り続けてきたわけですが、現在の高校の数学がその人にとって将来的に市場価値があるものとなるかどうかははっきりとはしているわけではありません。なんだったら自分の親に大人(社会人)になってからどんな数学を使ったかを聞いてみるといいのかもしれません。ほとんどの親は小学校の算数だけで間に合っているかもしれないのです。であったとしたら高校の数学はできなかったとしても、それだけで社会の中で生きてゆけないと言うことでもありません。できた方がいいことは確かでしょうができないからと言ってそれで人生を悲観してあきらめてしまわなければならないと言った訳のものでもないでしょう。しかし理論物理学や理論経済学などにおいては数学は必須のもので大きな影響力を発揮するものでもあります。しかも資材や試料そして実験機材などが必要な実験科学の分野とは違って使うのは人間の頭だけなので費用はきわめて少なくてすみます。極端な言い方をすれば蜜柑箱の机と紙と鉛筆があればできるのです。後は考えることのできる頭脳だけが必要だと言うだけです。二千十二年四月十一日の読売新聞朝刊には同志社大学などの研究者グループが二十代から七十代までの働く男女九千人を調査した結果として、大学入試で数学を受験した文系の出身者は大企業に就職する割合がそうでない人よりも高くしかも高収入だとあります。数学で大学を受験した人の大企業への就職率は四十%で平均年収は五百三十二万円なのに対し未受験者の就職率は三十四%で年収は四百四十三万円とされています。論理的な思考ができることが様々な仕事に適応できる条件になっているからで、理科系の人でも生物や化学よりも高い論理性が求められる物理を得意とした人の方が年収が高い傾向にあるとのことです。オカネの面でも数学的思考方法は実利があると言うことなのです。ただ、数学的な論理思考が就職に有利に働いたりそれによって年収も高くなったりするとしても、「だとすれば数学者にでもなればそれこそお金持ちになれるなず」なのですが、果たしてそれがそうかどうかは私は知りませんしわかりません。そして上のようなゼロの問題が女性の関心を引くものかどうかは私には分かりません(世界初の女性数学者はアレクサンドリアのヒュパティアだと『ピタゴラスの定理』にあります。美人で聡明だったが為に悲運に見舞われたそうです。また二千十四年にはマリアム・ミルザハニさんと言うイラン出身のアメリカ・スタンフォード大学教授の世界初である女性のフィールズ賞受賞者も生まれています)。しかし解決策を出すのは女性でも男性でもかまわないわけですからどなたかこの問題を解決してくださる方の登場を望みます。まあ、この問題に関連して私自身のオリジナリテイがどこかにあるとすれば  0/0 にx軸方向とy軸方向の数値を独立して別個に操作可能にした幾何的な説明を与えたことくらいでしょうか?微分式での導関数Δy/ΔxだとΔyとΔxはその名の通り関数なのでΔyとΔxは一対一対応でx軸方向とy軸方向が連動して動いてしまうからです。曲線の接線の傾きを求めるときには Δy/Δx を求めるわけですが、しかし接点そのものは 0/0 になってしまうのでこれも極限として 0/0 に限りなく点に近づけることを考えなければなりません。微分するわけです。ですがあくまで微分であり零分ではありません。ゼロで割る事から引き起こされる混乱は多くの人が指摘してきましたしゼロで割ることを数学や物理学は最大限に回避しようとするわけです。またそのために多くの工夫がなされてきたというわけです。しかしそれでもゼロで割ることにつきまとう疑問は払拭できているとは言えないと思います。私の以上ような考えは「取るに足らない低レベルのもので貧乏人の寝言に過ぎない」と思われる方は無視してくださって結構です。また「お前は数学が分かっていない・・」と思われる方もおられるかと思いますが、どこがどのように分かっていないのかをご指摘下さればありがたいです。そしてゼロという数字が存在しさえすれば全ての数、少なくとも数直線上に表される全ての数あるいは複素数を加えれば複素平面全体と実数のグラフ上では表されない虚数も含めて表現でき無限も生み出すことが出来ると言えそうに思えます。したがって「ゼロは対立と混乱の根源であり、また同時に創造の根源でもある」と言った何か哲学めいた結論も引き出せそうです。

 0や無限などについての歴史的な経緯や逸話がチャールズ・サイフェ(イエール大学の数学修士号取得者)著『 異端の数 ゼロ』にも紹介されています。この本の日本語訳のタイトルは『異端の数 ゼロ』ですが、原題は『Zero:The Biography of a Dangerous Idea(ゼロ:一つの危険な概念の伝記)』です。興味のある方はご一読下さい。ポピュラーサイエンスの本で最後の付録の部分以外の本文中には数式はそれほど登場しないので数式が苦手な人にも理解できます。古代バビロニアで空位を表す表記としてだけのために考え出されたもの(紀元前六世紀から三世紀の間にシュメール人が二重になった斜めの楔文字で表し始めたとロバート・カブラン著の『ゼロの博物誌』[この本は千九百九十九年に書かれ二千二年に邦訳されたものです。著者はハーバード大学などを始めいろいろのところで数学を教えている数学者だそうです。また、『異端の数 ゼロ』は千九百九十九年に出版され訳本は二千三年に発売されているので、ほとんど同時期のものと言えます。またどちらもアメリカ人の著者によるものです。]にあります。同じくその本にはアレクサンドロス大王の時代になって古典ギリシャの時代が終わろうとするまでの間は古代ギリシャではゼロを表すものがなく、紀元前331年にバビロニア帝国の流れをくむ国を侵略してゼロを戦利品にしたので紀元前三世紀のギリシャの天文学のパピルスには「0」という文字が見つかっているとも述べられていますが、当時は0は数字としてというよりも他の文字と同じような使われ方をしていたとされています。インド数学は古代ギリシャの影響を大きく受けて成立してきたことも記されています。)がインドでゼロとして数の性質を与えられたとされます。(インドでゼロが考え出されたのは五世紀頃と言われます。誰がゼロを考え出したのかはわからないのですが七世紀にインドの天文学者で数学者のブラーマグプタが数としての性質を与えゼロの問題が生まれ出たとされています。ブラーマグプタのゼロの定義は「ゼロとは、ある数から同じ数を引いた答えである」と『数の宇宙』にはあります。そしてインドの「ゼロが西洋にやってきたのは、おそらく九百七十年頃」と『ゼロの博物誌』の中にあり、またブラーマグプタではなくブラフマグプタと名前を紹介されていますがそのブラーマグプタでさえ0/0=0とするような間違いを犯していたとあります。そのことは『数の宇宙』でも指摘されていますが、『数の宇宙』にはそのことを含めてブラフマグプタのゼロの概念が十項目(*1)ほど上げられていますので参考にご一読下さい。)インド記数法は天文学を通じてアラブの天文学者達に取り入れられそれがヨーロッパへ伝えられたのでアラビア数字とも呼ばれるようになりました。また、インド記数法はその数字自体を使って計算を行うことが出来るので算用数字とも呼ばれます。それまでの数字であるローマ数字もまた漢数字もその文字を利用して直接計算を行うことは難しく(銀行にはコンピューターが普及している現在でも日本国内で小切手を切る場合にはアラビア数字ではなく漢字や漢数字で金額を記入することになっています)、そろばんなどの計算手段を利用して計算した結果を記録するだけの手段でしたがインド数字は数字自体を利用することで計算を可能にした文字であることが最大の特徴と言えます。そしてこのゼロと無限との関わりが歴史的に受け入れられてゆくまでにどれほど多くの障害があったかなどがわかると思いす。0にまつわる数学がそれまでの数学ばかりでなく哲学や宗教(古代マヤもゼロを発見していたといわれますが、近代科学の発祥は南米やアメリカ大陸ではなくヨーロッパであり、インドで発見されたゼロがインド記数法となってアラビア経由でヨーロッパに伝えられ[レオナルド・ダ・ビンチがヨーロッパで最初にゼロを取り入れたと言われます。十五世紀のこと言えるでしょうか]、それまでヨーロッパで一般的な記数法であったゼロを示す表記法を持たないローマ数字に取って代わって近代数学へと結びついていったので、またイギリスに始まる産業革命以降の近代世界システムというヨーロッパの近代化を手本に明治期以降は日本もそれまでの和算から洋算へと転換してヨーロッパと同じ計算方法で数学を考えるようになったので日本でもゼロを同じように考えるようになりましたが、ここでの宗教とはヨーロッパで普及していたキリスト教のことで、ゼロが仏教の開祖である釈迦の生誕国インドで数としての性質を与えられたとは言っても日本で広まっている仏教ではありません。江戸時代の日本にもそれまでに中国や朝鮮半島を経由して五百五十二年に初めて日本にもたらされた仏教を通じて「空」や「無」という概念はありました。「色即是空」や「空即是色」などの「空」のことです。また「無限」という概念もあったかも知れません。奈良の大仏の高さ14.98mは無限を表すものとされていたともいわれます。しかし「無」と「無限」がどのような関係にあるのかなどは仏教の教義から導き出されたわけではなく数学によって明らかにされてきたものだろうと理解しています。また仏教の「空」という概念もゼロを仏教徒達が研究して生み出したと言われますが仏教の考えの「無」や「空」などはもっぱら人間の意識の内面を表す領域のものであり、それが後々このような無限や宇宙物理学などへと波及するような問題とは考えられなかったわけです。ゼロを研究した結果仏教が「空」の概念などを生み出していったのでインドの民衆の心は仏教から離れていったと言われます。そのため紀元前に生まれた仏教ではあっても現在インドで広く信じられている(インド人の八割が信じている)宗教は仏教ではなくやはり紀元前からインドに存在していたヒンズー教になっています。インドの文化は宗教を含め数の文化と言っていいほど数との関係が深い文化のようです。仏教が日本へ伝わったことに大きな関係を持つ中国で古い時代に考え出されたのはマイナスの数の計算方法だったといわれます。それがヨーロッパに伝えられて借金を計算する上でマイナスの数がヨーロッパで受け入れるようになりましたが、小説『赤と黒』や『恋愛論』で有名なフランスの作家スタンダールはマイナスの数とマイナスの数をかけるとプラスになることを知って「借金と借金をかければ財産になるのか」と数学への不信感をあらわにし、数学を捨てたといわれます。スタンダールは十九世紀の人です。X座標とY座標の座標軸で表される現在のグラフの元となったカーテシアン・グラフを考え出した十七世紀のフランスの哲学者で数学者のルネ・デカルトのグラフにおいても正の数の領域だけで負の数の領域のグラフはなかったようです。1340年以前のある時点でイタリアで複式帳簿法が考案されたことがマイナスの数やゼロがヨーロッパ世界に受け入れられてゆく後押しをして普及の大きな原動力になったと『ゼロの博物誌』で紹介されています。複式帳簿法とは現在の複式簿記あるいは貸借対照表のようなものかと思いますが、このことに関しては私よりも商学部の人や会計学を専攻している人の方が詳しいことでしょう。また中国を旅した宣教師から「中国では陰と陽で占いをする」と言うことを聞いたライプニッツは0と1で計算をする二進法を考え出しました。陰陽の考えは紀元一世紀に仏教(釈迦の生誕は一説に前463年 - 前383年前560年 - 前480年)が中国へ伝わった以前から中国の民間信仰となっていた老子(生没年不詳、紀元前5世紀)の道教によるものです。道教から生まれた陰陽が日本で全盛を誇ったのは映画にもなった陰陽師たちが活躍した平安時代(794年-1185年/1192年)で現在の日本では過去のものになりつつあり今では道教にまつわるものとしては陰陽より風水占いの方が広く知られているようです。そしてライプニッツが考え出した二進法をコンピュータに応用することをユダヤ系アメリカ人のフォン・ノイマンが提唱し現在のコンピュータが形作られることになりました。そのため現在は中学生の教科書には二進法が紹介されたりしています。ただ、二進法ではない新しい考えのコンピュータの提案も出始めているようですが、それらが現実になるとしてもまだ先のようです。そしてインド記数法やマイナスの数の計算などを含めてヨーロッパから日本に近代数学が導入され日本の数学が世界共通の洋算になっていたのでフィールズ賞受賞者の数学者である広中平祐さんは海外の研究機関に行っていても数式を使ってコミュニケーションがとれたので語学が少々苦手でも孤独にならずに済んだとも述べています。ただし広中さんは海外へ行かれているときにも数珠は肌身離さず持っていられたようですが・・。また、鬼畜米英の思想の下で英語を使うことすら敵国言語とにらまれた戦時中の予科練においてさえ、数学は洋算で教えられていて和算ではなかったようです。それは反共を掲げる日本の右翼団体が共産国の中国を毛嫌いしていても中国の発明によるところの漢字は使わざるを得ないようなものです)とどれほどの格闘をせざるを得なかったかなどが述べられています。また『異端の数 ゼロ』では現代物理学の宇宙論である「ひも理論」(アインシュタインの一般相対性理論と量子論との統一理論になるのではと考えられている)などに0や無限がどのような関わりを持っているのかにまで言及されています。日本人のこの分野での著作には吉田洋一著の有名な『零の発見』があります。この本が最初に発刊されたのが千九百三十九年で最後の改訂版が千九百七十九年にだされているものです。岩波新書の中に含まれていますが、ゼロに関する本としては異例とも言えるロングセラーのようで、岩波新書のシリーズの中では売り上げ第十位にランクされています。二千八年五月の時点で総売上九十八万部とされています。しかしそこまでに至るには六十九年がかかっています。岩波新書の中では千九百九十四年に発売された永六輔氏の『大往生』が売上高第一位で十四年間で二百三十九万部ですので、売り上げにかかった期間と売り上げた部数では二つの本の間には大きな開きがあるといって良いでしょう。単純に計算した年平均の売り上げ部数で考えれば『大往生』は十七万部であるのに対し『零の発見』は一万四千二百部だからです。これは二千八年六月三日の讀賣新聞朝刊に記事として載っています。『異端の数ゼロ』は原著が千九百九十九年に出され日本語訳は二千三年に出されているので、出版は『零の発見』の方がはるかに先でゼロに関する著作としては先駆性があり、また『異端の数ゼロ』と重複する内容も含まれていますが、『零の発見』は『異端の数ゼロ』のように宇宙論との関係までには話が拡大していない時代の著作といえるでしょう。余談ですが私が先の単位円の部分を出したのは千九百八十一年頃です。また、雑誌『数理科学』二千五年十一月号では「0の発見ー無限なる可能性の開花ー」と言う特集記事が載っています。ここまで来ると私の数学の理解力では理解するのが困難と思える水準の文章がほとんどといえます。しかし数学に造詣の深い人には一読の価値があるかも知れません。そして前のページで単位円と述べました。Struikの『簡約数学史』では単位円は十八世紀における世界最大の数学者と言われるスイスの数学者オイラーの発案によるとされ、また「sine, cosine, tangent と言う名称を与えたのもオイラーで、それまでは s, c, t と表現されていた」と竹之内脩・永田雅宜共著『理系のための数学T』で紹介されています。三角関数のsine,cosineは先のインドのグータマグプタが最初に考え出した人と言われています。 また、三角比の値を細かく計算できるようにし三角表の作成を可能にしたのはニュートンだとも『理系のための数学T』に記されています。「ひも理論」にもオイラーの残した数式が大きな影響を与えているようです。オイラーは両眼を失明した後もメイドに数学のアイデアを口述筆記させていたようで、生涯に残した論文は二千を上回ると言われますが、東京の秋葉原の街で「ご主人様〜」とやっているメイド姿の女の子達やその客達とはちっと訳が違っていると言ってよいでしょう。秋葉原のメイドとお客は現実のパロデイでしかないからです。「ひも理論」のエネルギーのひもは現実的には観察できないほどの極小の一次元と考えられるのかも知れません。ゼロ次元は点になってしまいます。ひも理論が誕生した背景には、ブラックホールの特異点や宇宙誕生のビックバン開始の瞬間の状態の特異点が解消できないと言う問題があったからのようです。点はその背後に無限を想定しなければならなくなってしまうので問題が生まれるのでしょう。広中平祐さんがフィールズ賞を受賞したのも「複素多様体の特異点の解消」という論文だったようです。そして私が指摘した 0/0=不定 だと、グラフ上ではゼロ次元の原点であるものが一次元の直線である軸上のどの点でもよいことになります。ゼロ次元の原点が一次元上の任意の点と同じものになるのです。『異端の数ゼロ』の中には「0と1が存在すれば神である無限が生まれる」とあります。ですが私からいわせると「0が存在しさえすれば1もまた神である無限も生まれ出る」と言うことになります。従って神である無限はゼロの申し子であり、神である無限で全ての数を割ればゼロになるので神である無限は全てを無に帰する力を持つといえます。まあ、私が 「非ユークリッド幾何学のリーマン(十九世紀)が述べた曲面(球面)での平行線では1÷0=πr/2」などと述べることも異端の言い分といわれることでしょうが........。アインシュタインが重力による空間の歪みを表現したロート状の形あるいは開いた朝顔の花の形も、ガウスの後任である十九世紀の数学者リーマンが考えた非ユークリッド幾何学のスードスファー(擬球と訳されています)でした(タイム『数の世界』)。ガウスも非ユークリッド幾何学を考えてはいたのですが、それまでの数学とあまりに異なるためにその発表をためらったとも言われます。「科学者に洞察力がなければ、公式だけでは何もできやしない」とペニシリンの発見者アレキサンダー・フレミングは述べたそうですが、アインシュタインも自分の洞察力を発揮した相対性理論の完成には非ユークリッド幾何学の専門家の協力を必要としたようです。二千五年は国際物理学年です。千九百五年にアインシュタインが3つの論文「ブラウン運動の理論」「光量子理論」「特殊相対性理論」を発表し、”奇跡の年”とも呼ばれている年から百周年を記念してのことだそうで、ドイツではアインシュタインの顔とE=mc2 の有名な数式が書き込まれた記念切手が発売されるそうです。

*1:『数の宇宙』に紹介されているブラフマグプタ(598−665) のゼロの概念はゼロに関する分野のその後かれこれ千四百年間にわたる数学の歩みを考えるときに興味深いのでここに引用しておきます。マイナスの数を借金の計算に使い始めてのはバスカラだとの指摘もあるので幾分か年代が部分的にずれることも考えられますが、千四百年前というと日本では邪馬台国の卑弥呼の時代から三百年〜四百年ほど経った頃で、大和政権が日本をほぼ統一したあと五百三十八年に百済から仏教が日本に伝来して、その仏教の思想を国の基本にしようとして聖徳太子(574-622or629)が活躍した頃に近い時期、そして高松塚古墳やキトラ古墳が造られた時代とほぼ同じ時期、また奈良の大仏が建立され始めたのは七百四十五年で完成したのが七百五十二年なのでそれよりも一世紀ほど早い頃と言うことになりますが、日本にインド記数法が入って来たのは一般的にはフランシスコ・ザビエルの布教活動の一五四九年とされるキリスト教伝来に伴うものではなく、それよりもずっと後の明治維新期以降といってよいようです。そして少なくともブラフマグプタの考えが数としてのゼロの始まりであり7世紀におけるゼロについての当時の世界最高峰の考え方であったというわけです。ゼロについての現代の世界最高水準の研究内容を理解することは数学を専攻したという人でもない限り私も含めて一般の人にはかなり難しいものと言えるのでしょうが、当時の一般の人にとっても以下のゼロについての考えを理解することは容易いことではなかったことでしょう。

借金からゼロを引くと借金が残る −7−0=−7

財産からゼロを引くと財産が残る 7−0=7

ゼロからゼロを引くとゼロになる 0−0=0

ゼロから借金を引くと、財産になる 0−−7=7

ゼロから財産を引くと借金になる 0−7=−7

財産か借金にゼロを掛けるとゼロになる 0×ー7=0 0×7=0

ゼロにゼロを掛けるとゼロになる 0×0=0

「正または負の数をゼロで割ると分母がゼロの分数になる」 7÷0=7/0、−7÷0=−7/0

「 ゼロを正または負の数で割ると、答えはゼロになるか割る方の数を分母、ゼロを分子に持つ分数で表される」 0÷7=0 または 0/7

「ゼロをゼロで割るとゼロになる」 0÷0=0

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