1歳半で阪神大震災で天国へ旅立った息子と生きていてくれた娘のために
 

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学校からいただいた感想のお部屋2

 

【 学校との交流 】
中学校2年道徳の副読本 
2009年版「あすを生きる」
に掲載していただきました
 
福岡県中間中学校 訪問

福岡県中間南中学校 訪問

石川県N小学校5年生 訪問
大阪府高槻市 阿武野中学校
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授業案の紹介『TOSSランド』など
感想をお待ちしています

授業でHPを使ってくださる方は、こちらからご一報くださいね(o^-')b


学校からいただいた感想のお部屋 1へ   
学校からいただいた感想のお部屋 2へ(2012年11月22日から) 

みなさんからいただいた感想をHP(ブログ)に掲載させていただいています。
掲載していいよとおっしゃっていただける学校は、感想を送っていただけるときに
その旨を書いていただけると嬉しいです。宜しくお願いします。

※学校名は、基本伏せさせていただいておりますが ご希望があれば 掲載させていただくことも可能です。


兵庫県A小学校 5年生からいただいた感想



一昨年、昨年と将君のホームページを使って授業をして感想を送ってくださった、兵庫県のA小学校の先生から、今年もメールをいただきました。

「お母さん、元気にされていますか?今年は、何の縁か将君と同じ年の子どもたちを担任しており、将君のことを同じ学年の子どもたちに知ってもらうことができました。わたしにとっても、大変うれしく思います。今の子どもたちとは、11月に新潟の中越地震で被害に遭われた方や台風23号で被害に遭われた方のために、少しでもできることをしてみようということで募金活動をしました。19人みんなの必死の活動のおかげで、31万円の義援金を集めておくることができました。
 いつになっても天災から逃れることはできないように感じますが、人とのつながりや助け合いはいつでも保つことができる。そんなことを感じた活動でした。今回、将君のホームページを見ていた子どもたちの顔も真剣そのものでした。お母さんが書かれた手記を通して、今、生きている自分の存在を見つめ、命の大切さや家族の温かさ、そして何より、これからも一生懸命に生きていかなければという意志を子どもたちも持ってくれたように思います。
 毎年、将君がたくさんの子どもたちに生きる元気と勇気を与えてくれます。本当に感謝です。そして、これからも将君のこと、人の命の重みを語り継いでいきたいと思います」

3年間、私たちのホームページを使ってくださってありがとうございます。私の思いを綴っただけのこのホームページからいろんなことを感じてくださってそれをクラスの皆さんに伝えてくださったことが、皆さんからいただいた感想を読ませていただいて伝わってきました。ありがとうございました。

                                   2005年1月18日

2003年 兵庫県A小学校6年生の感想

2004年 兵庫県A小学校1年生の感想

2005年 兵庫県A小学校5年生の感想
1
私は、阪神淡路大震災にあいました。1才だったから、何にも覚えていないけど、お母さんから聞いたことでは、私は、地震が起きているのに知らずに寝ていたと言っていました。お母さんと私たちきょうだいは、おばあちゃんちにいて、お父さんは、ちがう場所にいました。おばあちゃんちには仏壇があり、将君とにていて仏壇の下敷きになり、その中には赤ちゃんがいました。将君は、私たちと同じ1才だったのに、命をなくしてしまい、私はとっても悲しいと思いました。うまく言葉がいえませんが、将君は、天国で見守っていると思います。私は、涙が出そうでした。私は、これからも忘れずに、命を大切にしていきたいです。お母さんとお父さんが守ってくれたからがんばって生きてこられたと思います。これからも5人家族でがんばっていこうと思います。
2
将君のお母さんは、弱くない強いお母さんだと思います。一生懸命に将君を助けようとする心があるからです。将君に生きてほしいから、必死に助けたんだと思います。これからも、強い心を持って、将君の分までゆうちゃんといっしょに生きていってください。将君は、やさしいやさしい神様になっていると思います。この手紙は、天国にいる将君にも読んであげてください。これからも、家族みんなで手を握りしめて、強い心をもって生きていってください。
3
ぼくは、6433人の死者をだした阪神・淡路大震災で、たった一人の死者でもこんなに悲しくなったことはありません。阪神・淡路大震災の時、ぼくは、将君と同じ年でした。どの親の人も、目の前で子どもがなくなってしまうのはとてもつらいと思います。将君が、残してくれた精一杯の思い出は、お母さんにとってとってもうれしいものだと思います。ぼくは、今を生きていることをありがたく思います。将君も1年半の短い命だったけど、お母さんに大事にされてとてもうれしかったと思う。
4
ホームページを見て、気持ちがよく伝わってきました。子をなくすのはつらいことです。あまりにかわいかったのでしょう。悪い思い出は忘れたいものです。でも、1.17はどうしてもどうしても忘れることはできないはずです。かわいい子をなくしてしまったから。
5
この前、ぼくたちは新潟中越地震で困っている人のために募金活動をしました。そのことをふっと思い出しました。もし、そのときにぼくがもどれるなら助けてあげたいです。将君をなくしたころは、どんぞこに落ちた気持ちだったと思います。ぼくも、おばあちゃんをなくしました。そのときは泣けませんでした。何がなんだか分からなかったのです。今でも仏前の前にくると泣きそうになります。人が死ぬということは人にとって一番つらいことだと思います。もう一度会いたいと思うと思います。そんなことも思いながら生きていくのはしんどいと思います。けど、このことを忘れることなくこれからもホームページを書いて、多くの人に自分の気持ちを伝え、その気持ちがその人たちに伝わっていけばいいとぼくは思います。これからもがんばって生きていかれることを願います。
6
将君のホームページを見て、本当にかわいそうだと思いました。本当なら同級生の人がなくなったと聞くと、悲しい話です。この先どうなるかなんて、今の自分では、その時予想もしないでしょう。ぼく自身、これから先、将君と同じ目にあうかもしれません。そう考えると、今生きていることに感謝したいです。そして、将君の分も生きていきたいと思いました。自分もこんなことになっていたかもしれないのですから・・・。
7
たった1年ちょっとしか生きていない将君が、夜ねた場所で死んでしまったのが1番悲しいことだと思いました。今、将君が生きていたら同じ年で、同じ勉強をして遊んだりしているんだと思いました。将君が、たまたま神戸に遊びに来ただけなのに、タンスがたおれて、屋根が落ちてきて死んでいることがとても悲しいです。
8
ぼくは、何度も地震を体験しているけど、全部震度5以下なので、震度7なんて最初は考えもつかなかった。将君は、生きていたら僕たちと同じ5年生だったけど、1歳6ヶ月でなくなってしまったので、ぼくは、今生きていられるだけで幸せです。そして、何より、一番幸せなのは、お母さんやおばあちゃんと一緒に生活しているということです。同じ兵庫県なので、もしかしたらぼくも家具に押しつぶされていたかもしれないので、今は生きているだけでうれしいです。ぼくにはお父さんが今はいないので、1歳のときの将君がとてもうらやましいです。ぼくが、20歳になるまでに、東南海地震が起きるといわれているので、ぼくは、絶対に生き延びてやると決心しました。
9
将君のホームページを見ました。将君は、僕たちと同じ1歳のころに地震にあいました。将君は、偶然がいくつも重なり、この世をさってしまいました。ぼくたちも地震にあったけど、今は、11歳なので何も覚えていません。将君のホームページを見ていると、将君がかわいそうでなきそうでした。地震は怖いし、平気で人の命も奪っていくので、地震は嫌いです。4年生のとき、防災未来センターへ行って、神戸の映像を見て、ひどいと思いました。もう、地震はきてほしくないと思いました。
10
阪神・淡路大震災で、私の家族はだれも亡くならなかったです。でも、今日(2005年1月17日)、将君のお母さんのホームページを見させていただいて、私と同じ年の将君はたった1年半しか生きられなかったことが分かりました。でも、お母さんの思いは将君に伝わっていると思います。偶然は偶然だけども、地震が起きることが分かっていて、将君の寝る位置を決めたわけではないのだから、そんなに後悔しなくていいと思います。たった1年間半の命でも、将君の笑顔が見れたし、将君は楽しい生活だったと思います。亡くなった時(将君の顔をみたとき)、笑っていた将君の顔がその証拠だと思います。お母さんが将君の分まで長く生きてあげてください。
11
ぼくは、このホームページを見て、「いつもなら将君のお母さんが寝ているところに将君を寝かせて死んでしまった。」という考えもあるけど、将君が、将君のお母さんを守ってくれたのだとぼくは、思いました。
 たぶん今、天国にいる将君は、将君のお母さんを恨んじゃいないとぼくは思う。というより、将君のお母さんを助けることができて喜んでいると思う。だから、将君の分も長く生きてほしいと思う。
12
将君をタンスの近くに寝かしてしまったのは、心残りだと思います。たまたまのことがいっぱい重なっていなかったら、学校は違うけど同じ5年生としてがんばっていけたんじゃないのかと思います。家の人に怒られたとき、すねたりしますが、将君のことを考えると、「こんなことしてちゃいけない。将君に負けないように明るく生きていかないと。」と思うでしょう。将君の話を聞いて、改めて命の大切さを知りました。これからも、明るく元気に、一生懸命生きていきたいと思っています。
13
ぼくは、ホームページを見て、自分が死んでいたかもと実感しました。だれも死んでしまう確率は同じ・・・。 僕たち5年生は、11歳です。将君が生きていたら同学年ですね。たくさんの命を奪った大震災。将君が死んでしまったのは残念ですが、将君にとって最高の1年半だったのではないでしょうか。将君は短い人生を思い切り楽しめましたね。すごく満足だったでしょう。それは、お母さん、お父さん、ゆうちゃんの思いがあったからだと思います。お母さんに元気に生きてほしい。将君は、そう思っているでしょう。
14
将君の話を聞いていると、私は、今生きていることはすごいことだと気づきました。同じ体験をしていても、これだけ人生が変わるなんて思えません。私は将君と同じ年齢です。1歳ちょっとという人生は、将君にとって宝物だったんじゃないでしょうか。私も、1年間ですごく思い出って作れるものだと思うので、将君と過ごせた1年間ちょっとを大切にしてこれからもがんばって生きてください。
15
ぼくは、このホームページを見て涙が出そうになりました。いつ起こるかわからない地震はすごくにくい感じです。心臓マッサージを続けていれば心臓が動くかもしれないという文で、すごく悲しい思いでいっぱいでした。たった、1歳半の短い人生は、どんな感じなのかは分からないけれど、もし、あの地震がなかったら、もし時間がもどせたらとぼくは思いました。もし、将君が生きていたら、同じ年でした。これからは命は大事にしようと思いました。
16
今日。このホームページを見て、ぼくと同じくらいの年齢の子が、ぼくが何も覚えていない地震で死んでしまったと知った。そんな子がいる中で、今、家族や友だちといること、生きていることが本当に幸せなんだと感じた。どんなにつらいことがあっても、そんなことを感じるだけで幸せなんだと思い、一生懸命生きたい。
17
将君のお母さんは、将君を亡くして、1.17はとてもつらい日だと思います。でも、ぼくはまだ、将君と同じ年の1歳でした。だから、震災のことはよく覚えていません。でも、お父さんやお母さん、おばあちゃんから話を聞いて、震災がどれだけひどかったかは分かりました。それに、神戸から少しはなれたこの場所でも、とてもゆれてお父さんにテレビが落ちてきたそうです。ぼくのいる町では、家が壊れることはなかったけど、将君のお母さんのところは、とてもひどくゆれて、家などがたくさんこわれたんですよね。ぼくは、避難生活をしたことがないので、どんな気持ちかはよく分かりません。でも、なんとなくならわかります。とてもつらく、苦しいものなんですよね。将君のお母さんやお父さんのように、子どもを亡くした人、逆に両親を亡くした子どももいます。将君のお母さん、元気を出してこれからもがんばってください。
18
将君のホームページを見て、私は、お母さんが将君のことでくやんだりして将君に申し訳ないという気持ちがとっても分かりました。もしも、将君が生きていたら、将君は5年生になって難しい勉強を学校の5年生のみんなと一緒にして、遊んで楽しいくらしをしていると思います。ゆうちゃんは、将君のことをずっといい兄妹として忘れていないと思います。お母さんが、将君のことを助けてあげられなかったという思い、私は、心にとっても伝わりました。涙もでそうになったけど、がまんしました。お母さんと家族の人にとっては、本当に悲しいことだと思いました。将君は、天国でお母さん、お父さんありがとうと私は言っていると思いました。
19
みんな私たちと同じ5年生の子。けど、早く命を落としてしまった将君だけど、お母さん、お父さん兄妹に囲まれ、楽しかった1年と半年だったと思います。たまたまの出来事が重なり起こってしまったこと。話を聞き、同じ学年の将君がなくなってしまい残念です。地震のこわさ、おそろしさ、人の命の大切さがすっごく分かりました。ふだん生活して過ごしている一日一日をとっても大切しなくてはと思ってきます。地震は、いつ、どこで起こるかがわからないので、こわいです。お母さんにとっては、子どもは何にもかえられない宝物だと思います。そんな将君がなくなりとっても悲しくショックだと思いますが、将君や地震で亡くなられた人のためにも一生懸命何にも負けないようがんばってください。私も、なくなった人のためにもがんばって精一杯生きていきます。
    

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