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曖昧な凶器 |
"help me, help my..." 『 』 自分でも信じられなかった。 あのとき、発せられた言葉はワタシの一番嫌いな単語で どの世界でも人に向けてはならないタブーだ。 国・地域によっては本気の血沙汰・殺し合いにまで発展する。 日本語はとても曖昧で誤解を生みやすい言葉なのに 「この単語」だけは嫌に明確で、真っ直ぐに突き刺さる凶器。 ワタシはその単語を見るのも聞くのも好きじゃない。 もし自分が人に向けたら、ワタシもそうしよう、と。 それほどに嫌う単語だ。 なのにワタシは ソレを無意識にも口にしてしまった 信じられない。 「自分」が「発した」という事実。 その口が「本当は自分ではない」と 自分が? ワタシが? 言ったの? 「 」と? 誰が? なんて? 言った? ワタシが 言った? それはワタシじゃない 自分じゃない ワタシであってワタシでない。 自分の口でもそれは違う。 ならば言葉を発したこの口は、誰のもの? ワタシ以外の何物でもない。 ならばあの言葉を発したのもワタシ? 違う ちがう そんなこと言わない。 「ジブン」がショートして 現実から目を逸らした ![]() 「臆病者の話を、少し聞いてくれないか?」 俺は本当に臆病だ。 他人(ヒト)が自分を如何思っているか・とか、 ほんの些細な出来事も、怖くて怖くて常にビクついている。 生きることだって、怖いんだ。 "夢"を叶えるチカラがあるんだろうか。 自立して、一人で生計を立てられるのだろうか。 …考えただけで怖くなる。 「自分には 無理なんだ」 って、そう付きつけられる現実が 怖いんだ。 あまりに臆病な自分がイヤでイヤで、自殺を考えたことも幾度とあった。 車の行き交う車道に突っ立ってみたり 自室に火を放ってみたり 橋から飛び降りようとしたり…。 けれど、結局ダメだった。 本当に死んでしまうのが恐ろしくて…。 生きるのも、死ぬことさえも、怖くて中途半端で…。 救い用のない臆病者だ。 それでも、生きる先に 少しでも"楽しみ"を…希望を見出せたら 支えて、背中を押してくれる仲間と一緒なら その恐怖も、少しは緩和されるんだよ。 「臆病者の話を、少しでいいから聞いてくれないかな」 俺は、本当に臆病だけど… 毎日に怯えながらでも、 一握りの希望の光を支えに ほんの僅かだけど、 恐怖から抜けだし、前向きに…なれるときもあるんだよ。 「臆病者の話しはこれでお終い。 少しだけ、気持ちが軽くなった気がするよ」 ※ サイト内の、画像・文章の無断転載・加工・盗作・再配布などはお控え下さい。 ※ Please do not use any images on this site without permission. ※ 無論是否有再次加工,收集本站作品並公開在網路中即已侵犯著作權. |