7/13
9時スタートの島内ツアーを申し込んでいるので早めに起きてホテルのレストランで飯を食べる。レストランでは、雄の老犬がよろぼいつつ各テーブルを営業して餌をねだっていたが、ウエイトレスの姉ちゃんに、邪険に蹴っ飛ばされていた。
9時にレセプションに行ってみると、ガイドのおばさんがやってきて、午前中はアナタしかいないので、午後に変更してくれと言う。ここはリゾートなので腹を立てても仕方がない。またバンガローに戻って本を読む。
12時、いすに座っているだけなのにやたら腹が減る。バンガローのちょうど裏側、磯の上に立っているロック・ビュー・レストランという、名前だけのレストランで飯を食べる。
1時、ホテルから、トヨタの四輪駆動車に乗って出発。隣のホテルでスウェーデン娘を3人拾う。 クリスティーナ、スザンナ、カリーナ。3カ月の休みで、この後マレー半島に渡ると言っていた。観光コースは4169号線を辿る島内一周で、まず海岸べりにある金色の大仏を見る。 できたばかりのたいしたことはない、高さ15メートルの野ざらしの大仏である。
島の北側の、やや水深が深いので大型クルーザーが停泊している海岸線を走って、この島最大の町ナトンへ。ここで45分の休憩がある。
ナトンは3つの通りしかない小さな町で、真ん中の筋には独特の家屋構造が散見される。一階はやたら天井が高く、二階はそれと対照的に高さがなくて、道に大きく張り出している。暑さを防ぐ知恵であろう。
ここに港があるのだが、遠浅なのでかなり長い桟橋を造らなければならない。私は買い物をする気もないので、桟橋の先まで行ってみることにした。桟橋からほど近い海中に、座礁した漁船が半ば水没してうち捨てられている。
そのはるか先に停泊している、スラタニとこの島をつなぐフェリーは、何と私もお世話になった宇高連絡船の「おおすみ」である。こんなところで再会しようとは……と呆然としていると、もう一隻フェリーが入港してきた。これもおそらく瀬戸内海航路のフェリーである。幼少のころ、田舎の港でよく見ていた接岸作業を再び目の当たりにする。白人のバックパッカーがぞろぞろと降りてきた。
再び車に乗って山の中に。ここで私だけがエレファント・トレッキングを楽しむ。
インド象の背中に篭がくくりつけられていて、ここに乗り込むのであるが、篭はゾウの首と胴回りとしっぽに結わえ付けられていて、不思議と落ちない。ステーションという"乗り場"から、水平に乗り込むことができる。
ゾウは山道を歩いて、高さ18メートルの滝壺を見はるかす場所までつれていってくれる。それからまた山道を歩いてステーションに帰ってくる30分の旅程である。ゾウのアタマの上には折り取った木の枝を持ったガイドが鼻歌を歌いながら乗っていて、時々ゾウが道草を食ったりすると(文字通り道草を食うのであるが)、"アウン"と言ってたしなめるのである。
よく訓練されたゾウは、アルプスを越えることができる。ハンニバルはそれを確信していたのだろうと思う。ただし、アフリカ象がどのくらい人の言うことを聞くのか知らないが。
ふたたび車に乗って、今度は1970年に78歳で即身成仏した高僧のミイラを見る。
で、次にやや走って、サルのヤシの実取りを見物する。暑い中、ヤシの木陰に小猿が数匹と、訓練されたサル、それとおっさんが待っていて、おっさんが号令をかけるとサルがするするとヤシの木を上っていく。しかし、まだヤシの実を落とさない。客が見やすい位置に来るまで、スタンバイして待つのである。
で、号令一下、実をくるくると回して落とす。このサルは3年間訓練されているという。で、ヤシの木は実が採れるようになるまで20年かかるのだという。放っておいてもニョキニョキ生えてくるのかと思っていた。
そんなことでツアーは終わり。要するに、何もない島なのである。5時にバンガローに帰ってくる。
テラスでパソコンをいじっていると、電圧が安定しない。ゴーッと風が吹いたかと思うと、大雨が降り出した。部屋に戻ってインターネットに接続しようとするが、どうやっても電話が通じない。仕方ないので、しばらく寝る。
7時、再び接続を試みるがダメだ。レセプションに行って文句を言うと、全館通じてない、しばらくすると回復するだろうということなので、まあしょうがないかと納得し、飯を食いに出かける。
ホテルの敷地を出ると、真の闇である。停電なのだ。しかし、たいていの観光客向けのホテルやレストランは、自家発電装置を持っているのである。原住民の民家は闇の中に溶け込んでいる。日本では、停電の時に電話だけ通じるという事態は想定できるが、この地では停電すると電話が通じなくなって電気は点いているのである。
ソウテンを拾って町に向かうが、灯が消えたようである(実際消えているのであるが)。しかし、よくしたもので、レストランでは松明を振って客引きをしている。蝋燭で飯を食べるわけだ。また楽し。町の中心に向かう道路は、舗装していない上に大量の水が流れ込んで、完全に川に変じている。まったくひどい状態だ。おそらくこの乗り物は、地上でも最悪の乗り物であろう。ゾウよりひどい。
やっと町の真ん中で降りて、さて、今日はシーフードでも食べよう。高級そうなレストランの前で、ロブスター(600B)、小鯛のような魚(150B)、牡蠣2個をタイ風に味付けしてもらい、ウエートレスのお姉ちゃんをからかいながら白ワインで食べる。勘定は1300Bになった。
カードで払うというと、カードは受け付けないとのこと。「なんでやねん、店の前でカードOKって聞いて入ったのに」と言うと、停電で受け付けられなくなったとのこと。仕方ない、チップなしの刑に処す。「停電の原因は何だ?」と聞くと、「さあ、電気が無くなったんでょう」。そんな訳あるかっ。
ビールを買ってバンガローに戻る。
7/14
レストランで飯を食べて水着を着る。今日は海に触ってみようか。
ビーチチェアを出して、初めてビーチで寝そべって本を読む。気持ちがいい。暑くない。ナイス・シー・プリーズである。
昼飯は、ホテルの前の飯屋でカーオッ・パという焼きめしと、バーミーというヌードルを食べる。うまい。
2時。ビーチの真ん中あたりまで歩いて、ジェットスキーを30分借りる。800B。初体験である。この乗り物は意外と安定感があり、ひっくり返らないようにできている。沖に出てガンガン暴走する。海面はほとんど波が立っておらず、鏡面のようになめらかだ。しかもほかにボートやヨットが出ていないので、貸し切り状態である。爽快である。
見よ、この勇姿! ジェットスキー屋のあんちゃんに撮ってもらった
引き続き、夕方までビーチで寝転がる。ジェットスキーに乗ったときに着たライフジャケットの跡が首についてヒリヒリ痛い。
8時、また町に出る。タイ飯を食べて屋台型のバーをひやかす。ここでニーダという垢抜けた美人に会った。30歳には見えない。アユタヤの近くの出身だが、8年前から海外に出て、今はローマに住んでいるという。そこからエジプトに行って、紅海や地中海でダイビングするプロのダイバーだそうだ。最高で水深72メートルまで潜ったことがあるとか。観光案内に名前が出ていると威張っていた。
ニーダは本名の一部を省略した愛称。 つきあっていた彼氏が交通事故で死んだという。傷心の身だが、「死は誰の身の上にも遅かれ早かれれれくるもの。くよくよしても仕方がない。私は前向きに生きることにしたのよ」。語るねえ。
それがきっかけで、とりあえず11月まで一時戻ってきたのだそうだ。今日サムイ島についたばかりでやたらはしゃいでいる。彼女の友人がここを含めた並びの4軒のバーを持っているのだそうだ。でも、道から奥まった2軒は効率が悪いから売った方がよいとか、勝手なことを言っている。
彼女自身もバンコクのディスコのパートナーで、月末にはバンコクに戻らなければならないと言っていた。なかなか手広くやっている。
英語もイタリア語もよくできる。どこで習ったのと聞くと、「海よ。海の中には総てがあるの」ときた。こりゃ脱帽するしかない。この店から2ブロック離れたバーのオーナーの家に泊まっているという。
さらにバーを何軒かからかって帰る。
7/15
一日中ビーチで寝転がる。パソコンを打つ。小鳥や犬と遊ぶ。
帰りの切符を手配しようとするが、満席だいうので延泊することにする。
6時、チャウエンにも飽きたので、隣のラマイという最近開発が進んでいるビーチに行ってみることにする。4169号線まで出てソウテンを待つが、全く通りかからない。15分ほど待ってやっと100Bで行ってもらう交渉をする。
町に着いてみると、道は片車線だけ舗装が完成しているが、それでもチャウエンに比べるとずっと道がきれいで、レストランも新しい。金がなくなったのでATMを探すが、この町にはないと言われる。
飯を食おうとレストランの前のメニューを繰っていると、私が世界で一番うまいと信じているハンガリー料理のグーラシュがあると書いてある。ウソだろうとてんから信用せず、隣の店に入ってみると、こちらはスープタイプのグーラシュがあるという。ものは試しと、グーラシュスープとTボーンステーキを頼んでみる。なんせ50Bである。運ばれてきたグーラシュを食べると……イケルではないか。
ひょっとして、この島は世界の中でもすごいところなのではないだろうか。こんな小さなレストランのくせに、味覚の麻痺したアメリカ人用のハンバーガーから東欧の料理まで、世界中の料理を即座に料理して持ってくるのである。しかも、世界のどこにTボーンステーキが700円で食べられるところがあるだろうか。ここはほとんど地上の奇跡である。
すっかりうれしくなって(と、この辺が単純な観光客である)、露店の果物屋でパイナップルとマンゴーのジュースを作ってもらい、露店をひやかす。20B。
しかし、金をおろさないと5%のコミッションを載っけて飛行機の切符を買わなければいけなくなるので、チェウエンの町に行くことにする(しかし、よく考えるとこの交通費だけでコミッション分が吹っ飛ぶのだが、この辺は酔っぱらって判断力を無くしている)。
とぼとぼ歩いて4169号線まで出てソウテンを拾うと、運良く人が乗っているので、50Bで行ってくれることになった。ロンドンからきたという二人連れ。やはりチャウエンに飽きてラマイに来たのだそうだ。何より道がいいという第一印象も一緒である。「ここは交通がひどい。イギリスの国鉄みたいだ」と言うと、「知ってるのか」というので、ベッケナムに2ヶ月いたと言うと「近所だ」というので盛り上がる。
男の方はweb関係の仕事をしているらしい。女性はオーストラリアのブリスベン出身で、6年間ロンドンに住んでいるという。1ヶ月の休暇で、バンコクからまっすぐここに来たという。
私は「この島はドイツ人が開発したと聞くが、どこにもドイツ風なところがない。インタナショナルだ。それがすごい。もし日本の業者が開発したら、どこもかしこも日本語になっちまうぞ」と言うと、女性が「ゴールドコーストはもうそうなってるわよ」と言うので素直に謝るしかない。ゴールドコーストには一生行かないことにしよう。
女性は(名前忘れた。スザンナとか、リンダとか、ありがちな名前だった)タイマッサージがえらく気に入ったらしく、1時間たったの200B=£4よ。マクドナルドでビッグマックを買ってポテトと飲み物をつけたくらいなのよ。日本ではどう? と聞くので「それよりちょっと安いくらいかな」と答える。話していると、あっという間に町に着いた。彼女は「これから2時間コースに行くわよ」と喜び勇んで降りていった。
私はニーダの友達がやっているバーに行って、「ATMはどこだ?」と聞くとすぐ先だというので、やれやれ金が下ろせると思っていくと、なんとCITICARDは使えないのであった。この地球上に、CITICARDが使えないところがあったのである。CITICARDが使えないくせに、東京でも食えないグーラシュが食える……このアンバランスをどう受け止めればいいのだろうか。
両替がまだやっていたので、カードで金を借りようと思ったが、パスポートのコピーを携帯し忘れていたのでだめだと言われてしまった。今日は遊べないっす。
仕方ないので、またこの前のマッサージ屋に行くと、みんな顔を覚えていて歓迎してくれた。「一番うまいのは誰だ?」と聞いて、やや年輩の女性にやってもらう。さすがにうまい。でも、実は前回の女性は始めて2ヶ月で、この女性は半年程度なのだそうだ。そんなものか。
で、またニーダの友達の店に行って、ラムのコーク割りを注文する。"COKE"という世界のどこでも通用するはずと勝手に思いこんでいたが、ここでは通じない。奇異なことだ。ニーダはどこだと友達に聞くと、指さすので、彼方を見ると友達と忙しそうにせかせか歩いている。さっきまで私の後ろにいたのだが。ほんとにじっとしていない女だ。「彼女によろしく」と言い置いてソウテンを拾う。
帰りのソウテンでは、スイス人と乗り合わせた。「この町にはストレスというものがない。クレージーだ」という。なるほど、そういうことだろうな。3ヶ月の休みで、これからオーストラリアに行くという。