これは書かずにはいられない。カラオケから出て、バスに乗って帰ろうとすると、なぜか知らない中国人が乗っている。それも妙に目つきの悪い若者二人だ。気にもとめなかったが、ホテルで降りてエレベーターにまで乗り込んできた。
いささか狭い。
翌日、なにげに真相が明らかになった。カラオケ屋はカードを受け付けず、現金しかダメだと言ったらしいのだ。O社広報3人の現金を集めてもとても足りない。それで「ホテルまで来たら払ってやる」と言って、広報部員のホテルの部屋にまで、店の用心棒が取りに来たという訳なのだ。付け馬である。私も中国まで来て、馬につけられるとは、思いもよらなかった。しかし、O社広報は、平然としていた。
O社広報部員は、全員、妙に酒が強い。記者が部屋に帰りたがっているのに、平気で深夜まで酒を飲んでいる。部屋に帰った後も、ミーティングと称して、ミニバーがなくなるまで酒盛りをしているらしい。大変な体力だ。しかし、彼らを上回る酒飲みがO社にはいる。それは、O社長であった。
広報のY氏は、翌日上海に移動する途中、北京の空港で、ビールの原料を取引する商社を経営しているという30歳代の女性に声をかけられた。それで飛行機の最前列の席に彼女と座り、中国語の通訳の座席まで確保した。飛行機は満席だったので、都合二人を彼女が飛行機の後ろに追いやったのである。上海までの1時間半みんなが業寝している間に、楽しくというか必死でというか、この女性と話していたY氏は、住所を交換し、「彼女が日本に留学する際の保証人になることを約した」と得々と我々に報告したが、これは自殺行為といえるだろう。下手に保証人になると、彼女の一族郎党の世話を日本で見なければならなくなるからだ。私は、Y氏の勇気に感動を禁じ得なかった。
空港でホテルまで移動する白バスさがしをしている間に、Y氏はタバコの投げ捨てを民間監視員のおばさんに咎められ、「お金持ってない」で逃れようとしたのだが逃れきれず、「岡本さん、10元貸してくれない?」と聞いてきました、ハイ。肝の据わった広報マンもいたモノである。
ちなみに我々が乗った白バスは、たいそう魚臭い、クッションの悪いバンだった。一方、O社広報部は、タクシーを雇ってホテルまで移動した。そのタクシー代の支払いでもめたため、我々はホテルでたいそう待たされることになった。いやはや肝の据わった広報マンもいたモノである。