運営者 やっぱり通らなければならない道だったんでしょう。
開発独裁国家だった日本には、そういうステップが必要だったんですよ。
だけどその後のスピードがね、遅かったんですよ。
田中支配の流れがバブルにかかってちゃったというのは、悲劇だったのでは。
てゆうか、ひょっとして、バブルは田中支配が起こしたのでは。
飯坂 ほんとうは列島改造論の頃から10年ぐらいかけてゆるやかにバブルをやるべきだったのかもしれないけれど、オイルショックがきちゃったから、バブルの流れがせき止められて、そのエネルギーがプラザ合意以後に噴き出た、というのはどうです。
運営者 なるほどねー。
飯坂 で、岸・池田的な開発独裁国家というのは行き詰まるのは明らかだったわけで・・・。
運営者 経済が成熟すればね。
開発独裁体制というのは、やっぱり60年代で終わりにすべきだったんでしょう。
飯坂 だから、これは僕の印象だけど、70年に佐藤栄作が4選しないで福田に政権を禅譲していれば、スムーズに行ったのに。あれが一番の禍根だと思いますよ。
福田はずいぶん恨んだでしょうねぇ。
運営者 それはそうでしょうね。自分が首相になっても2年で退かざるを得なかったし。
主計局長までやって、本流意識は強かったでしょうし。「佐藤政権を支えてきたのに、何でこんな目にあわなきゃいけないのか」と。
飯坂 ケネディ大統領の誕生っていうのも、あれもやっぱりハプニングだったと思うんですよ。それと田中角栄の台頭というのは、日米両政権のハプニングということで。
運営者 田中角栄が総理大臣になったのって72年でしょう。そのころに彼の自伝を読みませんでしたか。小学生向けに角栄は『わたくしの少年時代』という自伝を書いていて、それは当時ベストセラーになっているんです。
それは僕は小学校2年の時に読みましたね。今でも覚えてますよ。
飯坂 そんなことよく覚えていますね。
運営者 親に読まされたんですよ。「この人は小学校しか出ていないのに偉くなって、総理大臣なったのよ」みたいな。あれは講談社から出てたような気がするなぁ。そういうのが全国津々浦々あまねく、四国にまで行き渡っていたわけですよ(笑)。
この話は2003年の話で古くなっているかも知れないし、そもそも酒飲み話だし・・・