「能力給、成果主義型報酬制度」について、よく考えを整理していないのですが、こういうことが言えるのでは?
これが日本の組織においてうまく機能しないのは、能力主義を忌避したがるマインドの人がいるからですね。それも、非常に根強いものがある。
で私は、なぜ彼らが能力主義を拒否するのかよりも、なぜ彼らが自分たちのほうに「正統性」があると思っているかに注目したいと思います。
日本企業では、入社選考を経て採用された社員は、等しく遇されることになっています(建て前上は)。後は、どんなに寝ころんでいようが、サボっていようが、処遇上は大した差が付きません。しかも、これが不思議な事とも思われていない。一旦、仲間に加わると、どこまで重荷になろうと仲間を引きずっていくのが集団主義の特性です。さすが、収穫を平等に分け合った農耕民族のメンタリティは不滅です。
そして、日本企業では、この特性はより顕著に発揮されます。なぜなら、日本企業は「株主への利潤還元を目的とする」という達成目標から無縁であるからです。では日本企業の目的とは何か、「集団の存続」です。それは積極的な目標ではなく、単に他に目標がないから存在するという消去法的目標設定です。
ここにおいては、能力主義導入の動機はほぼゼロです。だって、頑張ったってしょうがないんだもん。もし下手に頑張って利益を上げてしまい、株主に自分たちの権利を悟らせてしまうようなことをしでかすと、かえってマイナスになってしまいます。だから、出る杭を叩くことは、むしろ組織目的に適っているのです。
しかし、普通の人が能力主義を忌避したがるマインドを身につけるためには、なかなかたいへんな苦労を伴います。外部との接触を断ち、情報を遮断し(eメールなど)、そしてまともな人には非常な苦痛なのですが、思考を停止しなければこのようなマインドを維持することはできません。多くの人は、数々の修行の結果この姿勢を体得するのです。私にはとてもできない忍耐と克己心の結晶であると尊敬の念を抱かずにはいられません。