オリジナル版「デブのひとりごと`98」

問題設定の問題

「銀行処理策さえなんとか決めれば、日本はきっとよくなる」とみんなが思いこもうとしているのはナンセンスの極みです。

 いくら公共性のある業界だと言っても、国会で、金融機関の処理法案ばかり議論しているのはバカげたことだと思います。これだけ国民の代表達の時間を拘束しているからには、民主党のいうように銀行が国有化されても何をされても文句は言えないと思います(菅のファッショ性についてはまた別の問題)。


 仮にですよ、日本の金融機関のごたごたを、公的資金やら特融やら合併やらブリッジバンクらを使って収束させたとしましょう。

 それで、日本経済の成長センターが新たに見つかるというのでしょうか? 国民のぶら下がり意識が変化して、企業家精神が開花するというのでしょうか。日本の産業構造が知識集約型/高付加価値型産業になり、各企業がROE重視のまっとうな経営になり、労働力の再編成が進むというのでしょうか。リスクマネーが供給される基盤ができるというのでしょうか?

 恐らく、「大手行にブリッジバンクは無理だ、救済合併方式がいい」なんてことをいまさら言っているようでは、金融秩序を維持するということは、旧体制を温存する結果にしかならないと思います。

 国会やメディアで、ことさらに「金融恐慌」を煽っている裏には、官僚にも政治家にも、どうすれば日本経済の成長力を取り戻せるかがはっきり見えていないという、消極的な問題選択があることを見逃してはならないと思います。にもかかわらず、「金融さえ何とかすれば日本は助かる」と集団催眠にかけようとしている……、ここにも日本病の一端があります。

 「金融問題」は、実は本筋ではないのです。


 山形に遊びに行きました。国道をドライブして山の中を走っていると、「現在の気温は25℃です」という電光掲示板が道端にいっぱい立っています。なぜこんなものが必要なのかまったく理解できません。そのうち時計やテレビも道路脇に立て始めるのではないでしょうか。

 やや里に下りてくると、目に入ってくるのは場外車券売場(競輪です)、特別養護老人ホーム、なんとかふれあいの里といった、愚にもつかない公共施設ばかり。道を走るだけで腹が立ってきます。地方の人は、景気が悪いなどとは実感していません。
そりゅそうですわな、雇用はそういうところが保証してくれているし、公共事業は前倒しで実施されているし……。

 彼らは、税金で食べているタックス・イーターです。しかし彼らには他に選択の道がないので、それが自然なことだと思っているし、むしろ何が悪いと思っているでしょう。これを愚民政策と言わずしてなんと言うのか。「公共事業のカンフル注射で景気を回復させよう」という遷延策は、こうしたぶら下がり型人間を増やして、国力を疲弊させることにしかつながらないでしょう。

 金融行政も全く同じで、いままで大蔵省は新しい金融商品の開発に歯止めをかけてきました。他社がつくることの出来ない商品の発売は許可されなかったのです。こうした掣肘の結果、中堅以下の金融機関はまったく経営能力のない、数千人の無為徒食の人間を抱えた穀潰し集団になり果てています。彼らには、自分たちの利益源泉がいったい何なのか分析する力も、どのように体質転換を図っていけばいいのかもまったく見えていません。

 対する外国資本は、高度な商品をつくる技術と、邦銀に比べると1/3というコスト競争力で、戦略的に市場を切り取ろうとしているのです。とても邦銀に勝ち目はありません。

 このままでは、5年以内に日本の金融業は、産業として壊滅してしまうでしょう。



 果たして、個別銀行に如何に税金をつぎ込むかについて、国民が選んだ代表が時間を費やすことにどれだけの意味があるのでしょうか?

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