■権利意識
自分の権利を擁護するのは自己中心的で平和を乱す不当な行為とみなされる
道徳や法の当為と、現実の間に緊張関係はなく、なし崩し的な妥協が求められる。そうした態度が「融通性がある」として高く評価される
■所有権
所有者が所有物に対して独占排他的な権利を持っているという意識がない
所有物が所有者の支配をはなれて、他人の現実的支配におかれた場合には、所有者の「権利」は弱くなり、非所有者の現実支配が、その支配事実そのものに基づいて新たに一種の正当性を持つようになっている
■契約
日本人が人と約束する場合にはその約束そのものよりも、そういう約束をする親切友情そのものほうがむしろ大切なのであって、こういう真心さえ持ち続けておれば、約束そのものは必ずしも言葉通り正確に行われなくても差し支えない 経済取引が同時に当事者間の他の利益関係、特に継続的な感情(家族的ないし友情的)を伴うものとして意識される場合には、経済取引に関連する問題はそれらの他の問題との関連なしには解決されがたい。それら他の利益関係が・・・感情を伴っている場合には、それらを尊重しようとするかぎり、当該の契約の内容をあらかじめ明確且つ固定的なものにすることを欲しないのは、当然であろう
■民事訴訟
社会関係は不確定・不固定にしておいたほうが望ましい
権利・義務が明確的でないということによって当事者間の友好的な或いは「協同体」的な関係が成立しまた維持されているのであるから、いはゆる「白黒を明らかにする」ことによってこの有効な「協同体」的な関係を破壊する
紛争は「協同体」的関係を破壊しないような・或いは「協同体」的な関係をつくるようなしかたで「丸く納める」ことが望ましい
善悪を超ゆるところに和の妙趣がある
「 三人吉三」……三人で義兄弟、支配=服従および庇護=奉仕の関係という犠牲的親族関係をつくる、報恩奉仕のたぶんに儀礼的な一連の行為によって、紛争をめでたく「丸く納め」る
岡本:これらに通底しているのは、日本人のよいところであり、すべての悲劇のスタート地点でもあるのですが、他者との関係をうまく維持することがすべてに優先する。それが招来する、法的意識の低さ、ひいては前近代性がこの本の中で指摘されているわけです。自分の権利は主張しないし、所有権の所在も曖昧にするし、契約もいい加減だし、裁判も恐れる。
裁判では、事実認定の後どうするか決めるわけですが、日本人は一般に事実に白黒をつけるということを嫌います。
曖昧なほうが便利なんです。「曖昧な日本の私」なんです。
21世紀になってもこうした、法律の精神と日本人の意識のズレは、根本的には変わっていないと思います。
特に、一般的に所有権が明確に意識されないということが、官僚が公僕であるにもかかわらず特権意識を持って税金による異常な好待遇に胡座をかけることや、他人の財産を預かる「信託」という概念が輸入されなかったこととつながっているような気がします。 それは、「人のものはオレのもの、オレのものはオレのもの」というジャイアニズムに近いということで、やっぱり前近代性が残っているとしか言いようがないことなんでしょうね。