テレビは、村上ファンドに初期投資した福井日銀総裁の辞任を期待するキャスターコメントであふれていますが、全くおかしいと思います。
福井日銀総裁を初めとする、村上ファンドへの初期投資者の魔女狩りは、まったく意味のないレッテル貼りでしょう。彼らはスタートアップ期のリスクマネーを拠出した、この臆病な原始資本主義の日本では褒められるべき人たちなのですから。
「空気」=単なる感情論で、なんの違法性もない中央銀行総裁の地位に圧力をかけています。「総裁がファンドや株を持っていたら、政策判断が変わるだろう」というのは、公私混同をいつもやっている下司の勘ぐりでしかないでしょう。村上ファンドが初期の純粋な気持ちから運用資金を増やすに従って資本の重みで性格を変えていったことは、文藝春秋7月号「村上ファンド「マネー帝国」の全貌」/水島愛一朗でちゃんと指摘されています。 責められるべきはルール違反であって、リスクマネーの拠出や改革の志ではありません。
なんなんだこの魔女狩りは!と思いますね。「日銀の福井総裁、個別企業株も保有=朝日新聞」って、この国は資本主義国じゃないのか? 日銀総裁の個人資産の信託が必要だと主張するのなら、それは今後の問題提起とするべきであって、現任者に遡及して罪をかぶせるべきではない。これは当たり前のことでしょう。
どうやら振り子が反対に振れてひどいことになっています。小泉以後の反動の萌芽が垣間見えます。秋になったらどうなることやら。
なるほど、福井総裁を袋叩きにするのはおもしろいでしょう。小泉政権の悪弊極まれりと。でも、ほんとにそれでいいんですかね? 福井氏(ら)は、守旧派の抵抗を押さえて崩壊寸前だった日本の金融を立て直した功労者だという認識が必要です。「国家の品格」を云々できるほどの自信回復ができたのは痛みをともなう改革のおかげです。公的資金が注入された時点で、ほとんどの日本の銀行は潰れていたんです。本来的には経営者は全員クビだったはずですよ。
小泉首相は日本経済を立て直しわれわれに再び希望を与えました。しかし、制度的に守旧派の跋扈を押さえるような仕組みづくりまでは手が届いていません。
だから歯を食いしばって改革をリードした福井氏(ら)へのレッテル貼りを通して、改革の流れを全面否定し、ふたたび守旧派に主導権を与えれば、またバブル~バブル崩壊の過程で国債残高を天文学的に増やした、日本的美徳に溢れた暗黒時代へ逆戻りですよ。
いつか来た道、果たしてそれでいいんですかね。