先が見えた不良債権処理
大企業は最終段階 来春までに年で実質半減
デービッド・アトキンソン ゴールドマンサックス証券東京支店金融調査室長 10月3日
この人の独自の分析によると、日本の不良債権の実質額は2年前のほぼ半分まで減少しているそうです。
全国預金取扱金融機関ベースでの実質不良債権は2001年3月末現在で170兆円
2003年3月末現在で87.4兆円まで激減した模様
この勢いで行くと銀行が最終処理すべき企業の数は大幅に減り、3年以内に通常のペースまで低下していく見通しである。
もしホントにそうなら、これはたいへん嬉しい限りですね。また以下の指摘も非常に興味深く感じます。
例えばある大型小売店が3年間で既存店の2割を閉鎖したとすれば、既存店の売り上げ成長が仮に2-3%であっても、この3年間では売り上げ全体が縮小する。ただ3年後からは売り上げが急速に伸びて、売り上げ全体は2-3%まで回復するだろう。
こういう感じで、リストラは確実に企業の業績回復に寄与し、ミクロの数字の改善が積み上がってマクロの数字が回復していくであろうということです。もしホントにそうなら、何とも心強いことです。もしホントにそうなら・・・。
「企業とは何か」江戸に示唆
自己規律、手本に 利益追求だけではない
武田晴人 東京大学教授 8月14日
日本の近代企業の原型は、江戸時代の商家にあるということです。
まず終身雇用について、
大きな商家では番頭の登用に、長い時間をかけた選抜の仕組みがつくり出された。
壮年になるまでに何段もの階段を順を追って登っていく。その到達した階段の高さで、のれん分け、つまり退職後の処遇も決まるし、その主家の信用の程度がのれん分けしたときの自分の商売の信用にもかかわるから、奉公人は一心に主家に尽くすだけの理由もあった。
これは現代の日本企業のキャリア制度にそのまま重なっているように思えますね。長く勤めることが肝心なんです。
次に、利益の再投資に関しては、
家計の費用に充当する金高は制限され、事業のためにプールされ再投資された。所有者、出資者に保証すべきは高い配当ではなく、それなりの利益の分与で十分であり、家業の発展のためには、利益はできるだけ留保され、再投資されることが望ましい。財産の分割も回避された。
現代の資本のロジックでは、このようなケースは急成長しているベンチャー企業だけに妥当性があると思います。投資をすればするほど成長するわけですから。しかし大抵の企業は配当性向が低いままです。それもこうした江戸時代からの文化的な習慣に添っていることなのかもしれません。
その次に、信用や契約概念について触れています。
一見の客との商売を断るのは、敷居が高いからではなく、限られた商品やサービスを、適切になじみ客に提供するためには必要な制限だった。
そりゃ、モノがない時代の話ですよね。今でもそうなのは、単に惰性でその慣行が続いているからなのでしょうか・・・。
近代に入って株式会社の有限責任制が導入されても、信用を重んじるがために持ち分限りの責任ではなく、無限責任を負って契約を履行し、債務を弁済することが望ましいとされていた。
出資者は持ち分だけでなく、私財を提供した。
ロイズのアンダーライターみたいですよね。日本のベンチャー経営者には、これが求められているのですが、果たして正しいことなのでしょうか。また大企業経営者はまったく無責任なわけですが、果たして正しいことなのでしょうか。