相手に役立つことは、世界のすべての人のために役立つことなのだ。だからそれを行う心の勇気を育ててほしい。逆に煩悩はだれの役にも立たない。
21世紀は「対話の時代」だと思う。心の中の武器を捨てて、瞑想や教育を通してステップバイステップで実行していけば、武器の廃絶も夢ではないだろう。日本と中国の統合だって、みんなの心の中でそういう思いを育てていけばできるかもしれない。
・欲や感情はコントロールできる
南北問題、貧富の格差の問題について。世界の資源は有限であり、自分はそれを使う権利を持っているが、また同時に守る義務もあるという認識が必要だ。一人ひとりが、自分のまわりにあるもので満足することが大切。人は、「世界のある部分に対して自分の責任を果たす」という意識を持つべきだ。
人間は腹が減ったら何かを食べればそれで満足できる。ということは、資源は有限だが、人間の欲望にも限度があるということだ。だからモノについては、自分のまわりにあるもので満足すれば、それでよいのだ。一方で自分の考え方については、もっと良いものを求め、ますます高めていくのが正しい。それを逆にして、物質的な面で「もっと良いモノを」と求め続け、自分の心については「これで十分」と思っては間違いだ。(拍手)
自分のまわりの状況は、自分の心の持ちようによって変わるのである。心がゆったりしていれば、悩みや不安はコントロールできる。
身体に免疫があるように、心にもよい心が存在している。怒りや執着といった感情は、生じては消えていくものなのだから、自分の考え方によってコントロールすることができるのだ。
一人ひとりの心の中で、相手に対するを思いやりを育てようということが、本日の私からのメッセージだ。
※付記
「愛」「愛情」と訳されているが、これは「Compassion=思いやり、深い同情、慈悲」の意。
講演はほとんどチベット語で、ごく一部英語を交えて行われた。
もとの話のニュアンスはよくわからないが、通訳は「べき」とか「してほしい」といった、話者の意思を感じさせる言葉をあまり使っていなかった。それでは話をまとめづらいので、このあたりの言葉は私の方で補ったが、原意とは違う可能性がある。
この講演内容は、単に精神論的に他者との融和を説いているだけではなく、その道筋を心理学的に非常にロジカルに示しているところが実に面白い。「意識の持ち方によって感情をコントロールできる」という考え方は、認知療法の発想に近い。
また、他者とのかかわり合いを「役に立つ、立たない」といった効用の点で測ろうとする姿勢は功利的である。これも非常に話をわかりやすくし、説得性を増している。
講演中、ダライ・ラマは非常に感情を込めて、身振り手振りを交えて話した。それは、話の内容を伝えたいという熱意の表れと見えた。拍手が来たりして話が伝わったのがわかると、素直に喜んでいた。講演は質疑応答も含めて2時間半。
「自分の苦しみを通して、他人の苦しみを知る」といった共感性の重視や、「心がゆったりしていれば、悩みや不安はコントロールすることができる」「世界の全ては依存関係にある」という点については、「慮る力」や人間力本の内容にぴったり符合している。本の内容はこの講演にはまったく影響されていないが、どうやらそう間違ったことを書いてはいないらしいことが確認できた。