あたしが今回の「判決~控訴せず」の意味を認めてるのは、
1 まず裁判所が役所の横暴と国会の怠慢を責め、三権分立のチェック機能の健在を示したこと
2 行政府の長たる政治家が、民意を帯びて役所の暴走にストップを掛けた、すなわちれっきとした官僚専制国家である日本が、百年遅れて近代民主国家に一歩近づいたということ
なのよ。
その初めてのケースがたまたまハンセン病であっただけであって、それはダム反対訴訟でも、税金不服訴訟でもなんでもよかったの。
それで、裁判には控訴しない自由もあるわけで、私だったら勝ち目がない裁判の一審で負けて、まあ賠償金額も妥当だったら、控訴はしないわよね。だって時間と金のムダだもん。
それから、小泉首相は法律を無視して官僚をいじめている訳じゃなくて、彼は官僚の親分なのよ。行政府が自分の判断として控訴を取り下げたわけだから、完全に適法で、何の不合理性もないわけ。
騒いでいるのは自分たちが何かの権利を持っていると信じている官僚だけ。でもそんなものはそもそもないのだから、引き下がれればいいだけの話。総理や大臣の決断について、役所の中で何か議論している方がおかしい。彼らには何の権利も正統性もないの。それに引きずられて役所の側に立った報道をしているメディアは、国民の利益がなんなのかわかっていないおめでたい人たちだから無視するべき。
本来の「この国のかたち」というのは、
議論するまでもなく、
行政府の長=小泉首相……国民のチェック=選挙 +世論調査 +メディアのチェック
立法府の長=両院議長……国民のチェック=選挙 +メディアのチェック
司法の長=最高裁長官……国民のチェック=国民審査 +メディアはほぼ無視
ですからね。
で、かつ憲法で本来想定している日本で一番エライ人というのは国民よね。
だから民意は、制度上は各国権を掣肘できる力を持っているの。今回は、それが屈折した形で発動されただけのことなのよ。、
本当は、与党がもっと行政府と一体となって国家の経営に当たるべきなの。官僚は政治家の介入を阻止したいらしいけど、現状は副大臣を増やしたりしてまともな方向に少しずつ向かいつつある。
で、政治家が政策を決定して法律をつくり、官僚はそれを執行するだけの役割に止まるべきなの。取締役と執行役員の話に置き換えればわかりやすいでしょ。
国民は政治家を通してしか国をコントロールできないから役人の力を強めるのはキケンなの。だから国民は、本当は自分たちが選出した政治家の行動を支持しなければならないはずなのに、田中真紀子批判(前回の科技庁長官の際の次官更迭問題も含む)に見られるような役所に対する根拠のない信頼感と、政治家に対する不信感が一般的だわね。
その原因は、
ひとつは、日本人の通弊である権威主義、「長いものには巻かれろ」のお上意識、行政依存的なぶら下がり意識
もうひとつは、官僚は賢くて、常に政治家を矢面に立てるように振る舞ってきたから(官僚の没義道ぶりには、ふつうのひとは役所と仕事上で争う機会がなければわからない。しかし、ヤマト運輸や城南電気のケースを見ればわかるように、役所は自分の裁量権を活かして消費者の利益より既得権者の利益構造を優先しており、まともな議論になれば結局は市民の声に負けてしまい渋々譲歩することに必ずなる。こうした利権構造が生活に密接したあらゆる分野に行き渡っており、日本の高コスト構造の一因になっている。しかしその事実を現実感を持って感じている人は少ない。逆にそのムダが理解できる大前さんのような人は、一般からはうさんくさい目で見られるという倒逆がある)
のよね。