そこで考えるべきなのは、マニフェストは機能するのかどうか、ということです。
●マニフェストに実効性があるか
まず最初に、政権を取った側がマニフェストに書かれていることをきちんと実行できるのかどうかという問題があります。
そこを菅直人氏はしつこく小泉首相に問うているのですが、残念なことに自民党の公約はほとんどが規定路線なので、実行されることになるでしょう。むしろ民主党の方が、もしも政権を取った場合に実行できるのかどうかが危ぶまれる内容になっています。約束するのは結構ですが、その約束自体が破たんを匂わせていたり、実効性に問題があると考えられるものであるならば、国民はその約束を評価しないでしょう。この点、現在の施策にそのまま乗っかっている自民党の公約は無理がないのです。民主党のマニュフェストは、詰めが甘いという印象をぬぐえません。
わたしは別に、漸進的な改革を志向しているわけではありません。そうではなくて、大胆な改革を標榜するのなら、どのような原則に基づいているのか、目標と現在の行政施策との乖離をどのようにして埋めるのか、コストやノウハウの問題をちゃんとカバーして、実行のための無理のない手順が示されているかといった実効性を伴った構想力が大切だと思うのです。
政権は法律上、行政の人事権も意思決定権もにぎるわけですから、手順さえ踏めば、どんな改革でも可能なはずです。要はやる気と知恵と、手間をかけるかの問題です。
●数値目標になっているか
次に、実際に政権党が政策を実行したかどうか結果を後から評価するためには、「いつまでに何をこのレベルまで達成します」という期限つきの数値目標になっていなければなりません。
この点については、数値と期限を明らかにしている約束の数は民主党の方が多いのですが、自民党が挙げている「名目2%の経済成長達成、プライマリーバランスの均衡」という公約の重さに比べれば、民主党の公約はすべて影がかすんでしまいます。できればここに正面から切り込んでいってもらいたい。「うちは2.5%ですよ」とか、「うちは実質2%でっせ」とか。経済成長率を公約とするのは、総合的な政策立案力・実行力が問われますから、かなりむつかしいことだと思います。自民党だって準備が十分だとは思えませんが。
制度を新設するとか、何かを建てるとか、金を使うことはだれにだってできるんです。いま政治家に望まれているのはそんなことではありません。役人と闘うこと、金を使わずに日本に活力を取り戻すことです。
達成できなければ、「努力したけど、こういう理由でできませんでした。続けて努力します」と謝ればいいのです。審判を下すのは国民ですから。
また目標は各大臣に割り当てて、達成度合いによって大臣の業績評価を行い、内閣改造の時の参考にすればよいでしょう。いまの状況では、なぜ内閣改造で大臣のクビが入れ替わるのかさっぱりわかりませんからね。
●公約順守のチェック体制が必要
一方、自民党にも問題があって、「選挙のために公約をつくるのはばかばかしい」と公言する実力政治家がいるということです。これでは、自分がいったい何のために赤じゅうたんを踏んでいるのかわかっていない人間のために公費が投入されていることになります。彼らは、意識の中では「公約など空手形でも良い」と考えているといってもおかしくないでしょう。「毎年の予算が公約だ」とうそぶいている議員もいるようです。もし、選挙と関係のない予算のほうを重視するのであれば、自民党と霞ヶ関が癒着してしまえば、国民は欺罔されることになります。ひょっとして、現にそうなっているのではなのでしょうか? 国民は当選させた政治家に白紙委任状を与えているわけではないのです。
こういう人間がこの公約をバックにして票を得てしまっては、そもそも数値目標に無意味がないということになってしまいます。まったくばかげた、許しがたいことです。おそらく彼らの意識の中では、「オレは偉いから偉いんだ。オレができることはできるんだし、オレができないことはできないんだから、国民は黙って従っていればよい」と考えているのでしょう。これでは立場があべこべです。「わたしはこういう仕事をやりたいと思っているから、議会で働かせてください」という人間を、有権者は議会に送り込むべきです。マニフェストは立候補者からの意思表明であるべきです。
そこであくまでも、「政権党は公約を順守すべし」ということを、うるさいほど国民は注意し、野党も追及し、マスコミもチェックする必要があると思います。
公約を故意に反古にして実現しなかった場合には、罰を下すことが必要でしょう。マニフェストであろうが、公約であろうが、そこのところの機能は同じはずです。マニフェスト論議が起こることで、この点を再確認できたのはよかったと思います。
こういう意識を有権者の間に広げていくべきでしょう。
第2次大戦終結後初の選挙で、イギリス国民は戦争を闘い抜いたチャーチルを否定し、労働党に政権を委ねています。「戦後は社会保障を優先したい」と国民が選択したためです。結果の良し悪しはとりあえず置いておいて、わが国でもそういうダイナミックな選択ができるような制度確立と、国民の側の意識改革が望まれます。今回はいいチャンスですから、最大限に活かすように努力すべきなのです。
(この項終わり)