テレビを見ていると、クイズ番組でもないのに、「このあと何か凄いものが現れますよ」という案内があったあとでコマーシャルに突入して、コマーシャルを辛抱して見なければならないことがあります。「この後スタジオ騒然」とか。ニュース番組ですら、「山奥に謎の○○が」とか、「もっととんでもない問題が」とか、謎じゃねーだろ、引っ張らずにとっとと話を進めろよと思いますね。
私の場合はばかばかしいと思ってチャンネルを変えてしまうこともしばしばですが、これだけどの局でも同じような手法を使っているからには、このやり方が効果的なのでしょう。「トリビアの泉」が流行っているのもそのせいか。
この手法は、視聴者の共感性に訴えることができます。本当は本人にはまったく関係のないテーマでも、好奇心に訴えかけることで「共時体験」にすることができるわけです。
だけど結果として、視聴者をみんな「教えて君」に洗脳しているのではないかと思って怖いんですよ。
「教えて君」とは何か。以下に特徴を挙げてみましょう。
■謎が与えられると、どんなしょーもない謎でもその答えを知らずにはおられない
■とにかくすぐに答えが知りたい、知りたくて知りたくてしかたがなくて、他のことが見えなくなってしまう
■自分だけが知らないという状態に耐えられない。「みんな知ってるけど自分は知らない」と思い込んだら、えもいわれぬ飢餓感に襲われる
■「答えは他人から与えられて当然だ」と思っている。自分で考えないし、調べようとしない
■じらされた後に答えを与えられたら、その与えられた答えを疑おうとしない。価値判断しない。なんでも抵抗感なく信じてしまう。
■「知りたい欲求」だけを充足したら、答えについてはすぐに忘れてしまう。知的なこだわりというものが全然ない
こういう教えて君は、「情報は自分で取捨選択し、価値判断して行動に活かす」という姿勢が全く欠けているわけです。
情報過多であるが故に、情報がなかった時代に比べれば、情報の海の中をどのように泳いでいけばいいのかがわかっていない人が増えている。それどころか、情報操作で簡単に躍らされてしまう人々の姿がここから浮き上がってくるように思えます。
教えて君の仲のいい友達に、くれくれ君や、見てくれ君がいるような気がします。どんな友達かは、おいおいまたご紹介することもあるでしょう。