むかしむかし、お菓子やおもちゃには「定価10円」とか書いてありました。
メーカーは小売店に定価を押しつけていました。小売店は泣く泣く定価で売っていましたが、これは平気で独禁法破りの違法行為でした(再販売価格の拘束)。
そしてまた、定価で売っていればメーカーは堂々とカルテルできました。
販売力のある販売店はリベートをもらい口をつぐみましたが、リベートは流通費を複雑化させました。
「これじゃあんまりやろう」ということで、定価販売はどんどんなくなり、独禁法の適用除外品目も減っていきました。
各メーカーは、価格戦略に必死で取り組むようになり、リベートもだんだん撤廃していきました。ここで、経営者以下、メーカーの意識が「偉い供給者」から「マーケット参加者」にがらりと変わったわけです。
流通は簡素化され、競争が活発化したので消費者はその分安くてよいものを買うことができるようになり、製品の国際競争力が向上しました。
しかし21世紀になってもまだ定価販売を続けている業種がありました。
それは新聞と書籍です。
この業界の人は、経営者以下いまだに「偉い供給者」をやっています。価格(流通)戦略を考える必要があるかどうかは、マーケットに直面する大きな分かれ目だと思いますが、この業界はこれを考えたことがいまだかつてないのです。
独禁法の適用除外を続ける理屈として「文化の多様性を守る」とか言ってますが、新聞はどれを見ても発表記事ばかりで同じことが書いてあるからどれでも一緒だし、本は多様すぎるわりには中身が似通っていてしかも中身が薄いので消費者からそっぽを向かれています。
もう一つ、この業界がメーカーと違う機能があるとすれば、それはジャーナリズムです。ジャーナリズムが他の私企業と違うのは、企業は私益を求めるのが健全であるのに対して、ジャーナリズムは公益を追求するというところです。だからジャーナリズムは多くの特権(他人の権利侵害)を大目に見られているのです。ホントは新聞やテレビなんて、全部NPOでいいのです。
ところが、世の中みんな「マーケット参加者」になったのに、新聞と書籍だけは「ジャーナリズム」でござい意識で上から下まで「偉い供給者」をやっているのです。ぜんぜん意識を変えず、マーケットを軽視しています。「自分たちに不利な取引条件は否定し、新規参入者を排除するためには他社と談合すればよい」と思っていて、実際それを実行しています。こうした姿勢は尊大な態度や、独りよがりな行動傾向に結びつきます。マーケットを知らない(認めない)から、バカなことができるのです。
特に経済新聞の広告部上がりの社長はサイテーですね。不正経理をやって赤坂のクラブに何億も突っ込むか? こんな反社会的はことをしていて、「公益」もくそもあるか! 前々任者は潔く辞めたぞ。先日某社のオーナー社長にこの話をしたところ、「今どきオーナー社長でも、そんなことはしない」と目を丸くしていました。事実の検証も一切公表しない姿勢みたいだし。それでよくもまあ「企業の情報開示が必要」なんて言えたもんだ。
ある大新聞の有名社長にインタビューを申し入れたことがあります。なしのつぶてなんですよね。しかたがないので知り合いだった秘書課のボスに話をしたら、すぐ広報から電話があって、「うちの社長は原則としてインタビューは受けないことにしております」だって・・・。
じゃあ、どーやっておたくの記者は記事をつくるんだよう。発表記事だけで埋めるのか?
業界のみなさんは自覚がないかもしれませんが、メディア業界の意識のお粗末さはたいへんなものですよ。マーケットの存在を否定して、身内のルールを取引ルールとして他人に押しつけていますが、完全な法律違反であることが少なくないし、それを自覚していません。訴えられたら負けますよ。だいたい「契約概念」のない世界ですから。狂ってますよ。メディア暗黒大陸ですよ。このままじゃ、すまないですよ。