民主党の石井紘基衆院議員が東京都世田谷区の自宅前で包丁男の凶手に倒れた事件ですが、犯人の男は警察に出頭し、背後関係がなさそうな単なる個人的怨恨による犯罪である可能性が高くなりました。
「なあんだ、政治的な反動ではないのか。不幸中の幸いだ」と思われる人が多いかもしれませんが、私にはそうは思えません。この事件に潜むテロリズムの影を見逃してはならないと思います。この事件にははっきりとした政治性があると思います。
犯人の男は、暴力性向の強い、一匹狼の右翼でした。しかしここでよく考えたいのは、彼はなぜ右翼なのかということです。彼を動かしているのは暴力性なのですが、彼はその自分の暴力性の根拠として右翼の政治思想を自分で選びとったわけです。そしてわが国では、暴力団体の思想的背景は左翼思想であるよりも右翼思想である方が多いという現実があります。
暴力団は、愛国心を盾にして暴力を振るうのです。
犯人の政治団体「守皇塾」の名称からもわかる通り、右翼団体は、天皇に忠誠を誓い、天皇を守ることを思想的、存在的な主眼としています。
私のサイトをご覧になっている方ならばよくおわかりの通り、これは全く旧日本人的な権威依存性につながるものです。自分が見たことも、話したこともない天皇という権威のために自分は死ねるし、またそのために相手に暴力を振るうことも許されるというまったく理不尽かつ自己中心的な考え方です。
別に天皇本人が、彼らのその権利を承認しているわけでもないのに、まったく迷惑な話であろうと思います。
しかし面白いことに、そうした彼らは旧日本人的な振る舞い方をよく知っています。まるで生まれた時から旧日本人であるかのように行動します。
つまり権威を脅かすような反権力的、不正告発的な動きは快く思わないということです。石井議員の本によると、彼の調査では政府の公団、公庫、事業団、地方公社などの官のビジネスのポーションはGDPの3分の1を大きく超えているそうです。石井議員はその中での不正をただすために、農林水産省、国土交通省、防衛庁、天下り先の公社公団法人、会計検査院などに鋭くメスを入れ、そのデタラメぶりを実名で明らかにしてきました。
旧日本人は、そうした活動自体を快く思わない人たちなのですが、右翼の連中は、そこにこそ行動の契機を見つけるものです。
「自分は、そうした告発を行っている人間に対しては、天皇の名において、敵対的行動をとる権利がある。いや、義務がある」と思っているわけです。でもホントは、自分たちの利益のために行動しているだけなのです。そういう理不尽な正当性を感じることができる思考形態を持つからこそ、犯人は石井議員に接近していったのではないのでしょうか。
もしそうであるとするならば、今回の事件は単なる怨恨ではなく、十分な政治性、政治的意図を持っていると考えなければなりません。
これから先の政府内の構造改革では、石井議員が追究していたような既得権益、自分たちで働いて価値をつくるのでなく、税金を当然のように食い潰している連中の既得権をひとつひとつを引きはがしていくという、今までだれもが避けて通ってきたことをやらなければならなくなるはずです。
自民党の守旧派の議員どもが騒いでいるうちはまだたいしたことはないのですが、彼らが沈黙した後に出てくるのは旧日本人的な思想背景を持った暴力装置になるでしょう。
志の高い改革者たちの、あるいはまったく善意の人間の命を危険にさらさずに改革をスムーズに進めるためにも、今回の事件を徹底的に調査し、右翼団体に「いよいよ自分の出番がきた」と思わせないようにする必要があります。
この機会に「われわれの社会はテロリズムは徹底的に容認できないのだ」ということを広く知らしめる必要があるのではないかと思います。
警察はそのような観点から事情聴取して動機の解明を行ってもらいたいものだと思いますし、メディアもそこに切り込んだ取材を行ってほしいと切望します。
この事件を言論封殺ではなく、右翼の暴力封殺のためにきちんと位置づけるというのが、石井議員のご遺志に沿ったことではないかと思うのです。