構造改革よりも、目先の景気回復のほうが優先であるという意見のほうが、どうやら優勢になってきました。嘆かわしいことです。
「構造改革をすれば、景気はどうしても悪くなるし、失業者の増える」というのが前提だったはずです。ところが、この考え方は影を薄めつつあります。
ここで確認しておかなければならないのは、世の中には2種類の考え方を持つ人間がいて、
「改革なんかしなくとも、そのうち何とかなるだろう」と思っている人々
「多少返り血を浴びても、ここで踏ん張っとかないと日本は終わりになっちゃうので改革をするべし」と思っている人々
この両者のマインドセットの間には、日本海溝よりも深い逕庭があるということです。だって「何とかなるだろう」派の人間は、決して「自分が変わらなければならない」「今の自分を変えなければならない」とは考えないんですから。そういう人は基本的にマクロ経済の議論が好きですよね、だってマクロの話って、自分の腹が痛まないもん。「他人の金をどう動かすのがイチバン得か」という話。しかも失敗しても投資家や金主から厳しく責任を問われることもない。お気楽なもんですよ。こいつらはそういう話を10年続けてきた。自分を振り返ることなく。
私はそういう話には興味ありません。
そして、たとえここで、補正予算を組むことになったとしても、改革型のマインドセットの必要性は揺らぎません。絶えず意識しておかなければならないのは、「そのうちなんとかなるだろう」と思っている人間の考え方を、「世の中にみんながぶら下がっていてはまともな努力をした人間が報われない、そんな社会が永遠に維持できるわけではないのだから、われわれは改革を進めなければならないんだ」という方向に、少しずつでも変えていくということだと思います。
「学習する組織」の考え方では、やはり最初に、「果たしてこれでよいのだろうか、いやそうではない」という疑問を持つ人間がいて、それから観察を始めデーターを収集し、仮説を作って検証し、そうやって得られた新しいの知見の連合が信念となる。その彼の気付きを組織全体に広げていく、その過程で組織の全員のマインドセットが変わっていくというプロセスがあるようです。
このように、単に変わるのがおっくうな守旧派の根拠のない盲信と、苦労して自らの殻を破った改革派の信念の間には、たいへんな開きがあるのです。
今までは日本全体が思考停止していたわけですが、社会全体を何とか学習する組織に近づけていく必要があるのではないでしょうか。メディアとか論壇というのは、そういう機能を持つものだと私は思っていたのですが……。