でも「民間企業の株を買うよりはましだ」という金融機関運用担当者のプロ意識のない判断から、わが国の資本は資本市場に振り向けられることなく国債に向かっているのが現状です。巨大な郵便貯金の存在は、国債の信用の担保にすらなっているのではないでしょうか。また、郵貯や厚生年金の資金は、株価対策の原資として度々焦点が当てられます。運用に政治が介入することも、大きなリスクだと思います。
こう考えると、郵便貯金は、日本が資本主義国に脱皮するための大きな障碍になっているとすら言えると思うのです。
コストを掛けてテレビで郵便貯金の安全性を情緒的に宣伝するよりも、本当に預けられた249兆の金が毀損なく存在しているのか(実際、失われてしまった部分が少なくないと思うけど、どうせ隠し通せるわけでなし)。さらには自主運用をするとして、どうやって予定されている金利を払っていくことができるのかという道筋をはっきり示してもらえた方がよほどありがたい。漫然と現在のような膨張政策と、方針の定まらない運用をしていては、郵貯に取り付けが起こる日もそう遠くないと思います。もしそうなったら……怖ろしすぎて考えたくないですね。
しょせんこんな巨額の金を運用するのは無理なのだから、少しでも縮小する方が賢いと私は思うわけです。縮小均衡してソフトランディングできるのかどうかは私にはわかりません。だけどもし「縮小したら、郵便貯金の構造は持たない」というのであれば、それはネズミ講であるということでしょう。
現行では民間金融機関よりも高い金利を、民間金融機関より引き下げれば全体量は減っていくのでは。もしそれでも郵貯が流出なければ、穴が空いた部分をふさぐ元手ができるわけで、 たいへん結構なことです。つまるところ、郵便貯金の金利は高すぎる訳なのですね。
で、私はこのサイトでは、なんでも「無駄だ」とか「やめろ」とか「縮小しろ」とかしか書いていませんが、それは公的な主体とか、独占的な主体に対して申し上げているのです。
実は企業が利益を上げるためには、独占的な地位をつくる以外の方法はありません。利益が上がらなければ、資本も資源も集約されない。だからある程度の独占は許容する必要があるです。しかし一企業の独占が長続きすると、幾つかの弊害が生じる。それゆえ新規参入の道が常に開かれていなければならない。新規参入者は独占企業を駆逐するイノベーションをひっさげて登場し、新たな独占的地位を築く。社会はそのようにして発展するものです。
株式会社は社会の発展のために強力な駆動力を持った主体であると言えます。
ところが現状では、民間の資本は投資信託などを通じて直接金融市場に向かうのでなく、ますます公的金融に向かいつつある。公的金融は国債購入を通して、無意味な公共事業の継続と、それにぶら下がっている人々の精神的荒廃を最大限バックアップしているというわけです。
それはやっぱヤバイっす。公的金融は縮小すべし。
その削った分は民間の必要なところにお金をどんどん回して、リスクを取りつつ新しいものを創っていく活動に振り向けるべきだと私は思うのです。