フィクションはタイトルで泣け 第8回
凡人の作戦その3 「過去の名作を盗用せよ」
溜池通信編集長 かんべえ
http://tameike.net/
2000.5.6
国民的作家である吉川英治は、題名にはさほど気を使わなかった作家のようで、彼の作品の題名には『新・平家物語』『新書太閤記』『私本太平記』などという安直なパターンが目立ちます。もっともこれは、内容に対する自信がなせる技でありましょう。
ただしなるべくなら、これから使うのに「新・XXX」は止めておくほうが無難でしょう。昨今は「新」とつくものに新しいものはない、というのは常識となっており、「新党」「新劇」「新人類」「新日本製鐵」など、どれをとっても古臭いイメージがぬぐえません。それでも接頭語をうまく工夫すれば、まだまだ可能性は残っているはずです。
いっそのこと接頭語などは使わず、過去に誰かが使ったタイトルを、そのまま流用するという手法も考えられます。これを上手にやっているのが村上春樹。ビートルズの曲の題名を使って、『ノルウェイの森』『中国行きのスロウボート』などとやらかしています。こんなことをして、どこからも文句が出ないところが人徳というもので、同じことを村上龍がやったら誰かがかならずイチャモンをつけることでしょう。
イタリア映画の名作『鉄道員』をパクったのは、ベストセラー作家の浅田次郎です。このままではマズイと思ったか、これに「ぽっぽや」というふりがなをふりました。これでイタリア映画は見事に高倉健の世界に早変わり。お見事、の一語に尽きます。換骨奪胎とはこういうのをいうのでしょう。
これをもっと鮮やかにやってしまったのは渡辺淳一です。『失楽園』といえば、昔はミルトンの詩と決まっていました。あるいは演歌やアダルトビデオの題名で、同じタイトルが使われた例があったかもしれません。しかし、舞台が日経新聞朝刊というメジャーな媒体であったことも手伝い、いまや『失楽園』といえば中年男女の泥沼恋愛を指すことになってしまいました。おかげで「政界失楽園」などという用語まで誕生する始末。なにしろ先方の著作権は切れているのだから、遠慮することはありません。
最後にどうしてもいい題名が思いつかないし、内容的にもそれほど自信がなかったら、とりあえず「愛」で始めてみるというのも一案です。
「愛とXXのXXX」みたいな題名は、翻訳しようのない洋画の邦題をつけるときに安直に使われる手口です。筆者の知る限り、『愛と青春の旅立ち』以外の成功例は絶無に近いと思います。この映画、現題は"Officer and Gentleman"で、その名の通り「愛を取るか出世を取るか」という古いテーマなのですが、思い切り正攻法な恋愛モノでしたので、邦題も思い切り甘くつけてみたところがピッタリはまったという例です。
反対に『愛と哀しみのボレロ』などは、作品的にはともかく、もっといい題をつけられたのに、と惜しまれます。筆者が米国にいた頃、"The Prince of Tide"という映画を見たのですが、内容もいいし題名も詩的だと感心しておりましたところ、日本に帰ってみるとこれが『サウスカロライナ――愛と悲しみの果て』などという題名に変わり果てていた脱力感をふと思い出しました。
題名を「愛」で始めておくメリットとして、とりあえず作品を50音順番に並べたときに最初の方に並べてもらえるという役得があります。図書館の書名目録においても、いちばん最初の方で取り上げてもらえるのは、それだけ有利な条件といえましょう。
ここで、アダルトビデオの女優たちの名前が「あいだもも」とか「飯島愛」だとか、やたらと「あ」や「い」で始まることを思い出された方がおられるかもしれません。ビデオショップは得てして作品を50音順に並べる、という経験則がこの世界では活かされているのです。探偵社の名前も「あ」で始めるのが効果的で、なぜならほとんどの人はイエローページで調べるからだそうです。ですから、最後までいいアイデアが浮かばなかったときは、「愛こそすべて」と心得ておきましょう。
さて、これまで紹介した「地名を使う」「四文字熟語」「過去の作品の盗作」などの手法は、いってみれば苦し紛れの逃げ道に過ぎません。次回からはいよいよ王道を歩むこととし、フィクションの題名の理想形を考えてみることにします。