フィクションはタイトルで泣け 第4回
大家の方程式その1「夏目=ヒッチコック定跡」
溜池通信編集長 かんべえ
http://tameike.net/
2000.4.22
最初に取り上げるのは、「ワンワード」で攻める夏目=ヒッチコック定跡です。言うまでもなく、夏目漱石とアルフレッド・ヒッチコックが多用した手法です。この定跡が示す内容は簡単です。題名は、もしそれが可能であるなら短ければ短いにこしたことがありません。だからといって、たとえば『結婚』という題の作品を書いたとして、「誰が書いた『結婚』?」と聞かれるようではやはりよい題とはいえないわけです。これは相当、作品の中身に自信がないと怖くて使えない作戦です。その代わり、成功したら未来永劫その言葉は自分の名前とともに歴史に残ります。大家が使ってしまった題名は、後世の人間は恐れ多くて使えなくなってしまうからです。
夏目漱石は『坊ちゃん』を始めとして、数多くの「一語の題名」作品を残しました。その結果、『心』といえば漱石、『門』も漱石、『それから』なんてありふれた言葉も漱石のものになってしまいました。これらの題名は、もはや後生のへぼ作家は使えません。文豪おそるべし、です。
デビュー当時は『吾輩は猫である』などとギャグ路線を試していたのに、軌道修正を図ったところがさすがです。ただし『吾輩は・・・』は、これも後世に多数の模倣を招いた題名の名作であり、文豪・夏目の題名づけのうまさには脱帽するしかありません。インテリではあったものの、優れた庶民感覚の持ち主であったのでしょう。
この点で夏目と並び称される森鴎外は、題名に関しては凡庸な印象を受けます。『舞姫』(気取り過ぎ)、『阿部一族』(普通すぎ)、『ヰタ・セクスアリス』(なんのこっちゃ)など、どうも知性と教養が邪魔してしまったような気がします。このへんがお札になるかならないかの明暗を分けたといっては言い過ぎでしょうか。
ヒッチコックもワンワードで上手なタイトルをつけた人です。『サイコ』『めまい』『鳥』などはいずれもそのものズバリ。『サイコ』などは精神異常の犯罪者を示す英単語になってしまいました。この他、『フレンジー』『トパーズ』など、彼の作品は美しいまでに単純明解を旨としております。一語でなくても、『裏窓』『ハリーの災難』など、いずれも映画の内容を要領よく表したタイトルであり、解釈や説明が不要なものばかり。ヒッチコックの命名術にはつくづく感心させられます。
ヒッチコックを取り上げると、これもまた傑作タイトルである『北北西に進路を取れ』を無視するわけにはいきません。英語では"North by Northwest"ですから、ただの北北西なんですが、「進路を取れ」と加えたところが翻訳の妙。動詞を入れるとインパクトが増す、というセオリーはのちほど紹介しますが、単に「行け」とか「目指せ」じゃ安っぽくなる。「北北西=進路=取れ!」という見事な言葉の連携を味わってください。
ついでもってこの映画、国連ビル(ニューヨーク市)で発生した殺人事件の謎を追って、最後は大陸横断鉄道でマウントラシュモア(ノースダコダ州)へ行くんですが、方角的には西北西なんですよね。でも、言葉の濃密さ加減からいえば、「北北西」の方が断然すぐれています。いい題名をつけるためには、ある程度は事実を捻じ曲げても問題はありません。