プラザ合意
来る日も来る日も僕は勉強を続けた。家に帰る暇を惜しんで、プロジェクトの概要を説明する分厚い英語の目論見書を読んだ。読めば読むほど、完璧な「絵」だという気がした。
向こう何年間かにわたって、米州大陸におけるメタノールの需要は旺盛であり、プロジェクトを実行する企業の実績はかくかくたるものがあった。だったらなぜ、その会社が自分で全部の資金を負担しないのかといえば、前年に大型のM&Aを実施して、資金が不足しているからであることが分かった。足りない分の資金を、やむなく日本の商社に頼る。これならば話は分かる。最後に残るのはチリのカントリーリスクだが、ピノチェト政権は経済的な利益には敏感であると分かったし、仮に政権が倒れたところで、重要な外貨獲得源になるプロジェクトを台無しにするとは考えにくい。
僕を興奮させたもうひとつの要素は、石神さんと一緒に仕事ができるということだった。シカゴ大学での日々を、僕はほとんど感動しながら聞いた。「アメリカはスゴイ」という言葉を何度も繰り返し聞いた。生まれて初めて、人生に目標ができたような気がした。おかげで2度目に受けたTOEICの試験では、成績は前回から大幅にアップした。恐る恐る聞いてみたところ、今度はデコさんにも勝っていた。
「おめでとう。お祝いに、今日のお寿司はわたしがおごってもいい?」
今から考えると、たいした点数ではないのであるが。
僕らが作ったリポートを元に、藤原部長が経営会議でプロジェクト・ファイナンスの提案を行った。取締役から出た質問は、すべて完璧に切り返した。最後に出た質問に対してだけ、藤原さんは丁重にこう答えた。
「ただ今、たいへん重要なご指摘を頂戴いたしました。しばらくお時間をいただきたく存じます。至急、調査してご報告いたします」
その質問は、むしろプロジェクトの優秀性を示すような回答が可能な内容だったが、老獪な藤原部長はあえて「1回休み」作戦に出たのだった。翌週の経営会議で、「その後、調査いたしましたところ・・・・」というプレゼンテーションがあり、満場一致でチリ・メタノールプラントへの出資は成立した。それを見届けた石神さんと僕は、まるで天にも登るような心地だった。
オフィスに戻った僕たちを待っていたのは、「プラザ合意」という聞きなれないニュースだった。
「おい、G5って何のことだ」
石神さんが言った。
「アメリカ、日本、イギリス、フランス、ドイツの蔵相と中央銀行総裁の会議らしいですね。そんな会合があるなんて、知りませんでしたけど」
「日本代表は竹下大蔵大臣だったのか。やっぱり時代は竹下さんだね。うちのタケちゃんマンにも頑張ってもらわないと」
「これからドル安になるんでしょうかね」
僕は少し不安になっていた。
「たしかに今のレートは行き過ぎかもしれんな。1ドル200円くらいがいいところかもしれん」
「石神さん、ちょっと待ってくださいよ。僕らは1ドル250円という前提で、今日の経営会議を乗り切ったんですよ」