2007年 10月の雑記
 
 
2007. 10/11(木) 発見
先週の土日に行われた、フィギュアスケート日米対戦をテレビで観た。いちおうISUの公式戦となってはいるものの、この手の国別対抗戦は言ってみれば単なるお祭りであり、選手にとって真剣勝負の場では決してない。それでも人前で滑る公式戦であることに変わりはなく、必然的に、普段の試合ではできないような思い切った技を試してみる絶好の機会だと言える。10月末から真剣勝負のグランプリシリーズが開幕するため、時期的にもそうしたチャレンジをするのに好都合である。
 なのになんだか、間延びした演技をする選手が多かった。とくにアメリカ勢にはそれが見られ、観戦する側としては退屈な演技が多かった。そんな中で僕はふたつ、大きな発見をした。

 ひとつめは、浅田真央選手である。以前から書いているとおり、僕は彼女の演技がそれほど好きではなかった。ジャンプやスパイラル、スピンといった、それぞれの構成要素の能力の高さは認める。けれど、僕は彼女の演技を観て感動したことは一度もない。テーマの表現力というものが欠けていて、荒川静香選手や安藤美姫選手、スルツカヤ選手などとはそこが決定的に違う。まあ積極的に嫌っていたわけではないが、いつも表現点が不当に高くなっている印象があり、そのせいで、彼女よりいい演技をしたと思われる選手が負けていくのを見るのは忍びなかった。

 ところが、今回の演技を観て驚いた。昨シーズンまでの演技と、まったく違うのだ。驚くほどに表現力が身についており、とくに上半身の動きが見違えてよくなった。しかも、ほとんどの選手が失敗を繰り返すなか、ほとんどノーミスで滑りきった。ジャンプの精度は少しも衰えていない。スパイラルやスピンも高レベルで安定している。そしてさらに今回は演技力がついた。これはすごい、と思った。ちょっとしたショックを受けたほどだった。
 エキシビションでの演技も、同様に素晴らしかった。これまでとくに応援してはいなかったが、この演技を続けてくれるなら、応援したいと感じさせるほどだった。数々の名選手を育てたタラソワコーチについた影響が大きいのかもしれない。

 そしてもうひとり驚かされたのは、高橋大輔選手である。初日の試合では、2回の4回転に挑戦した。どちらも失敗であったが、前述の理由により、僕はこれでいいと思った。今回の試合で得たものは大きいだろう。
 そしてエキシビション。演技前、最近はヒップホップを演技に取り入れている、という紹介があった。それを聞いて、なんだかだらだらした踊りをイメージしていたら、まったく違った。
 すさまじいほどの上体の動き、そして下半身はそれに合わせて複雑なステップを踏む。こんな動きは、フィギュアで誰もやっていない。そしてそれが、単なる奇抜な振り付けということではなく、フィギュアスケートの演技としての美しさ、感動へとつながっている。
 圧巻だった。涙がこぼれそうになった。どれだけの練習をこなしてきたかを考えると、頭が下がる思いだった。
 ヒップホップに限らず、現代ダンスをフィギュアに取り入れる選手は多い。しかし、こんなに独創的で、かつこれほど人に感動を与える形で成し遂げた選手はいない。アントニオ猪木の曲で猪木のパロディをしていた選手などとは、こころざしが根本的に違う。そして類まれな能力とセンス。もちろんそれも、努力あって身につけたものだ。
 体が震える思いがした。フィギュアスケートの新しい地平が見えたとすら思った。これなら、プルシェンコ、ヤグディンのレベルに足を踏み入れることができる。プルシェンコと本気で対決して、勝てるかもしれない。

 試合で演技するにはまだまだ調整の余地はありそうだが、さらに良くなる可能性を秘めているということでもある。いろいろ空想を巡らせていると、今シーズンの試合が、俄然楽しみになってきた。新しくなった浅田選手、高橋選手を早く観てみたい。もちろん、ディフェンディングチャンピオンの安藤選手にも期待している。今回、残念ながら怪我で思うように滑れなかったが、男子なみの迫力を持つステップは健在だった。ジャンプの精度を上げれば、浅田選手と並んで、日本の二大看板であることに間違いはない。本当に今シーズンは楽しみだ。


 
2007. 10/14(日) 期待値
9/19の雑記で、映画「麻雀放浪記」に関連してギャンブルについて書いたが、ついでに思い出した話があったので紹介しておこう。

 「セイント・ピータースバーグのパラドックス」と呼ばれるもので、以前に読んだ「パラドックス!」に収められていた話だ。以下のような内容である。

 賭者はいくらかの賭け金を払って賭けに参加する。胴元は1枚のコインを投げる。1回で表が出たら賭者に2円払う。裏が出たらもう一度投げ、表が出たら4円払う。また裏が出たらもう一度投げ、表が出たら8円払う。こうして表が出るまで何度も投げ続け、n回目で表が出たら2(2のn乗)円を胴元は支払う。さて、賭者はいったいいくらの賭け金なら、参加する価値があるだろうか。

 ここで、賭け事における「期待値」を考える。期待値とは、賭者が平均していったいいくらの賞金を得られるのか、という金額である。たとえば、1等1億円の宝くじがあり、これが100万本に1本の割合で当たるとすれば、期待値は、
 1億円 × 1/100万 = 100円
となる。当たりが複数ある場合、たとえば1億円が100万分の1、1000万円が10万分の1、100万円が1万分の1、という確率であった場合は、全部の足し算となる。すなわち、
 1億 × 1/100万
  + 1000万 × 1/10万
   + 100万 × 1/1万
    =300円
である。これにより、平均して300円もらえるという予測が立つわけで、このくじの料金が1枚300円なら割に合う、ということになる。すなわち、期待値に比べて上か下かで、賭け金の妥当性が判断できるのだ。

 これを基準に、上記の問題を考える。
 1回で表が出る確率は1/2、賞金は2円。2回目で表が出る確率は1/4、賞金は4円。これらを足していくと、
 2 × 1/2 + 4 × 1/4 + 8 × 1/8 + ……
 =1+1+1+……
となり、これが無限につづく。高校数学を習ったものでなくても、答えは無限大になることがわかるであろう。つまり、期待値は無限大である。したがって、どんなに高い賭け金を払っても、この賭けに参加するのが得策だということになる。

 しかし、たとえば掛け金1万円を支払って、あなたはこの賭けに参加するだろうか。元をとろうと思ったら、裏が13回以上続けて出なければならない。普通、こんなことは起こらないから、僕ならやめておく。せいぜい、100円ぐらいが納得できる線だろう。

 パラドックスとは、一見正しいように見えて、別の見方で考えるとどうもおかしい、というお話の総称である。上記の例だと、数学的に計算すれば期待値は無限大となり、いくら払っても賭けに参加する価値はある、となる。しかし、我々の常識から考えるとそれはおかしい。いったいどういうことなんだろうか、ということになる。

 このパラドックスの答え、というか明快な説明は、ベルヌーイという学者によりいちおうなされているようだが、これに対する批判もあるようだ。ベルヌーイの解釈についてはここでは書ききれないので、以下のリンクなどを参照にされたい。
 ・聖ペテルブルク vs セント・ペテルスブルグ
 ・サンクトペテルブルクのパラドックスについて

 ところで、セイント・ピータースバーグというのは、ロシアの都市サンクトペテルブルクの英語表記である。人名や都市名を日本語で書く場合、媒体によって微妙に違っていたりするが、サンクトペテルブルクも、
 ・サンクトペテルブルク
 ・サンクトペテルブル
 ・サンクトペテルブル
などいろいろあって、本来のロシア語の表音にもっとも近いのはどれなんだろう、といつも思ってしまう。上記に紹介した上のほうのリンク先からすると、「サンクトペテルブルク」が最適なように思うのだが、どうだろう。


 
2007. 10/15(月) 連載開始!
久々の大型更新である。2006年7月に執り行った我々の結婚式について、その準備からの模様をまとめたものを掲載した。かなり大量の内容となるためまだ完成途上であり、これから何回かに分けてアップする予定である。「読み物」のコーナーから選んで閲覧できるが、下のリンクからも飛べるので、どうぞご覧ください。

結婚式のつくりかた


 
2007. 10/23(火) 抜き打ちテスト
10/14の雑記で紹介した「セイント・ピータースバーグのパラドックス」とならび、興味を惹かれたパラドックスをもう一題、紹介しよう。

・抜き打ちテストのパラドックス

 ある教授が、教え子にこう言った。
「来週、月曜から金曜まで毎日講義があるが、5日間のどこかで抜き打ちテストをおこなう」
 これを聞いた学生Aは、考えた末、この抜き打ちテストは実施不可能だと結論づけた。彼の考えは以下のようなものである。

 抜き打ちテストというからには、当日になるまでテストをやるかどうかわからないということだ。ならば、金曜日に行われることはないだろう。なぜなら、木曜日にテストがなかった時点で、金曜日に行われることが100%わかるからだ。そうすると抜き打ちテストは月曜から木曜のいずれかの日となる。ならば木曜日にテストが行われることはないだろう。やはり水曜日にテストがなかった時点でわかってしまうからだ。同様に考えていくと、どの曜日にも抜き打ちテストはできないことになる。

 学生Aはこれで気が楽になった。そして月曜から木曜までテストはなく、金曜日の朝を迎えた。教授は授業開始とともに言った。
「これから抜き打ちテストをおこなう」
 学生Aは驚き、「先生、抜き打ちテストをおこなうことは不可能です」と言った。すると教授はにやりと笑い、こう言った。
「君は、今日テストはないと思っていたんだろう? でも実際にはテストは行われることになった。これは立派に抜き打ちテストとして成立しているじゃないか!」

・・・・・・・・・
 まあこういった話はたくさんあるもので、ちゃんと説明しようとすると論理学のかなり込み入った話になってしまう。僕にはそんなことは不可能だけれど、なんだか一筋縄ではいかない面白い話だなあとは思う。
 さあ、あなたはこのパラドックスをどう捉えるだろうか。

 

雑記帳TOPへ ホームへ