【モンバサへ】

オウマさんの部屋に入り、カレーをごちそうになった。話を聞いてみると、本当は約束通りオウマさん自身が空港に来る予定だったが、体調を崩し、今日は会社にも出ていないとのことだった。「そのおかげで、僕はとっても楽しい気分を味わっちゃいましたあ」とは言わなかったが、本当に恐かったのですよ、オウマさん。

部屋は8畳ほどの広さで、真ん中に大きなベッドがどーんと置いてある。周りにはテレビやステレオなど、一通りのものが揃っている。オウマさんはまだ30代だと思うが、たぶんケニアでもかなりの金持ちの部類に入ることだろう。何しろ、日本語はペラペラ、その年で社長になるぐらいなのだから。

事件での緊張のせいもあり、あまりお腹が減ってなかったので、山盛りのカレーは半分ほどしか食べることができなかった。その後、これからのことについて、2人で話し合った。僕としてはもう1カ所ぐらいサファリに行きたかったのだが、それには日数が足りなかった。そこで、ナイロビに次ぐケニア第2の都市モンバサに行くことに決めた。ビクトリア湖近くの町キスムにも行ってみたかったのだが、迷った結果こちらにした。オウマさんにお礼を言って別れを告げ、クルーアさんにもあいさつをして、オウマさんの家を出た。先ほどと同じ2人組と一緒に、もう一度ナイロビに戻った。もう今度は安心。さっきは疑ってごめんねと、心の中でひたすら謝った。

ナイロビの駅で、モンバサ行き夜行列車のチケットを、彼らが取ってくれた。その後、駅近くの喫茶店で3人でジュースを飲み、しばらく話をした。彼らのうち1人はアモスという名の青年で、日本に非常に興味を持っており、これから日本語を勉強して、いつか日本に行くのが夢なんだ、とまじめな顔で熱心に話してくれた。ケニアの人間は必ず、最低3つの言語をしゃべることができる。ひとつは公用語である英語、それから現地人の間での会話の中心となるスワヒリ語、最後に、自分が所属する部族の言葉、マサイ族ならマサイ語、キクユ族ならキクユ語、という風である。何種類もの部族語をしゃべれる人もいるらしい。だから、現地人同志がしゃべっているのを聞いていると、この3つ(あるいはそれ以上)の言葉が入り乱れて、それはすさまじいことになってくる。僕との会話は英語なのだが、彼ら2人がしゃべり始めるとだんだんスワヒリ語が混じってきて、最後には聞いたことがないような言葉になってしまう。最後のが部族語だろう。これがナイロビでは常識らしい。基本的に1言語民族である日本人には不思議な光景だ。

ここで、さっきマサイマラでサミーにやったのと同じことを試してみた。彼らの部族名を聞いて、その部族語のあいさつを口にしてみたのだが、ここでもこれはバカうけだった。とても喜んでくれ、しきりに、それはいい本だと誉めてくれた。確かに彼らにしてみれば、スワヒリ語ならともかく、自分達の部族の言葉が日本の本に載っているなんて想像もしていなかっただろう。ケニアでもそんな本はないかもしれない。それが、一介の日本人旅行者の口からあいさつの言葉が出る、それは例えば、ケニア人が日本に来て、「こんにちは」ならまだしも、いきなり、「おおきに」とか、「すまんばってんがくさ」とか口にするのと同じことである。

本にはさらに、部族ごとのいろんな特性とか、喜ばれる話題、嫌われる話題なんかが載っている。それらのいくつかを何とか訳して話してあげた。さっき日本へ行きたいと言っていたアモスはルオ族で、説明によると教育が盛んで英語の発音もきれい、と書いてある。対して、もう1人のほう(名前はピーター)はバルイア族で、「あまり小回りがきかず、警備員や白人家庭の召使いといった、下働きの層が多い」と書いてあった。非常に失礼だが、まさにその通りの感じなので内心笑ってしまった。

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