Umbrella

<6>

 そう呟いたきり、ドアの向こうの空を眺めているサンジの様子は、まるで何かに怯える子供のように見えた。
「おい、どうしたんだよ?」
 ゆっくりと扉を閉じると、再びサンジの元に腰を下ろした。
 口に銜えたままの煙草から長くなった灰がポロリと落ちる。ゾロはフィルター部分近くまで到達している煙草をサンジの口から奪い取ると、乱暴に床に擦り付けて消した。
「……ろ…」
「え?」
 サンジの口から漏れた声はあまりにも小さく、ゾロには聞き取る事が出来なかった。
「オマエらも、行っちまうんだろ…」
「何?」
「ここはレストラン・バラティエだ。そうだよな。客はみんな帰っていくんだ。どこかへ戻って行くんだ。いつでもおいでくださいませ、クソお客様。海上レストラン・バラティエは、いつでもこの海を漂っています。ハッ!クソ食らえだ!」
 サンジは意味の分からない事を投げやりに話す。ゾロはただ黙ってそれを聞いていた。
「グランドラインにも入らねぇで、こんなトコロで客商売してて何か良いことあんのかよ?客はいけすかねぇ海軍やら、荒っぽい海賊どもで、たまに来てくれるレディたちも、みんな揃ってここから出て行きやがる。ま、レストランに残っても仕方ねぇけどな」
「…好んで居るんじゃねぇのかよ?」
 聞いているだけのゾロが割って入った事に、少し驚いたようにサンジが顔を上げる。
「好きでコックやってんだ。文句でもあんのかよ?ああ、オレは好きでコックやって、ココに居るんだ。フラフラ海の上を彷徨いながらも、いつも其処に有るんだ。てめぇら海賊と違って目的を持ってどこかに行く訳でもなく、客を待って、腹空かせた奴を待って、ただ其処に有るだけだ」
「何が気に入らない?」
「誰が気に入らないって言った?いいじゃねぇか、客は旨いって言って料理を食べる。幸せそうな顔で食事をして、笑って会話を弾ませて、喜んで帰っていく。レディは華麗な笑顔で料理を称えてくれて、こちらこそありがとうって言いたいくらいだぜ」
 ゾロは頭を抱えた。
 会話にならない。
 と言うよりも、何を訴えたいのかちっとも分からない。
 饒舌に話を続けていたサンジが、また黙ったままテーブルに凭せかけていた身体をズルズル滑るように横に倒れた。
「おいっ!酔ってんじゃねぇだろうな?」
「……てねぇ…」
 そう言いながらも動こうとしないサンジに、ゾロは呆れて脱ぎ捨ててあったジャケットを身体に掛けてやる。乱れたシャツが剥き出しの下半身を辛うじて隠しているだけの姿は、妙に艶めかしく目の毒だ。
 白く細い脚。だが、それも男のもので、別に気にする事もないのかもしれないが、思わず視線を逸らす。
「……ブルー…」
「今度は何だよ」
「オールブルー……」
「オールブルー?」
 ハッキリと呟かれた言葉に聞き覚えは無かった。
「グランドラインのどっかにあるんだ。奇跡の海だ。ああ…行きてぇなぁ…」
「行きゃーいいじゃねぇか」
 そんなゾロの言葉にサンジは小さく肩を揺らして笑った。
「オマエも簡単に言ってくれんじゃねぇか。似たものが集まるのか?この船はよぉ。オマエの船長も同じような事言ってたぜ。一緒に行こうってな」
「簡単だろ?」
「ああ、そうだな。行くのも行かないのも決断するのは簡単だ…」
 サンジは横になっていた身体を仰向けに寝返りを打ち、両手を広げ上に掲げた。
「オレの手は、もうでっけぇ。子供の手じゃねぇよな。なのに、掴めねぇモンがあるんだ」
「掴めねぇモノなんてねぇよ」
 ゾロの言葉にサンジが目を見開いた。



 サンジは泣きそうな笑顔を浮かべ、ノロノロと身体を起こし、乱れた衣服を正しスッと立ち上がる。そのまま扉を開け、まだ空から落ちてくる雨の中へと足を進めた。



「付き合わせて悪かったな、ロロノア・ゾロ」
 背中越しにヒラヒラと手を振り、濡れることを厭わないその背を、ゾロは座ったまま見送った。

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2002/12/19