CHANGE OF HEART
Kei Kitamura
<8>
−−違う……
そんなくだらない事が聞きたいのではなかった。只の処理だと言ったのはサンジで、同じ想いを返せと言うのは己の我が儘だ。ゾロがどんな気持ちで寝たのかなんて、意味のない事。
−−コイツがルフィを優先させるのは、分かってた事じゃねぇか
−−傷つくのはお門違いだよな…
ギシギシと軋むのは、船の音
揺れる視界は、波の揺れ
「悪ィ…。八つ当たりだ…。真っ昼間から話す事でもねぇよな」
動かないゾロにサンジは小さく詫びの言葉を呟いた。揺れる視界に疲れて、サンジは椅子に腰掛ける。ゾロの方を見ないまま煙草に火を点け、深く吸い込むと軋む音も聞こえなくなった。
後はただ、静かなキッチンに紫煙が揺らめくだけ。
「テメェは寝てろよ。昼メシには起こしてやるさ」
だから、ココから早く出て行け、といつもの口調で手を振りゾロに告げた。
「おい…」
そう言ったきり、こちらを見ようともしないサンジに、ゾロは声をかけた。あからさまにビクリと揺れた肩の薄さに、ゾロは小さく舌打ちをする。
返事のないその横顔に、苛つきを隠せないゾロが再びサンジに声をかけた。
「おい、こっち向け」
「…るせぇ。早く出てけよ」
「話も出来ねぇだろうが。顔上げろ」
「うるせぇって言ってるだろ!話す事なんかねェ!ココから出て行けっ!!」
漸くゾロを見たサンジの表情は鋭く、まるで戦闘中のようだ、とゾロは思う。今言葉をかけたところで、全てを否定されてしまうだろう。
否。その言葉すら拒否している状態だろう。
「……話はお前が落ち着いてからする。俺も…悪かった。すまねぇ」
「…っ!」
ゾロは真剣な眼差しで詫びを告げると、キッチンを後にした。
残されたサンジは、見えなくなった背中を追いかけるようにドアを暫く見つめていた。込み上げてくる涙を止める事も出来ずに、蒼い瞳からボロボロ零れ頬を濡らしていく。
−−どうすれば……?
−−何をどうすれば…?
−−あぁ…こんな事してる場合じゃなかった…。昼メシ作んなきゃ…ルフィがうるさい、から…
のろのろと動こうとしない体をシンクに向かわせた。蛇口を捻り勢いよく流れ出した水に頭を突っ込み、涙の痕を洗い流す。熱くなった頭も一緒に冷ませたらと、袖口や襟が濡れるのも構わずに。
弱くなっている気がする。そんな風に思う。いや、バラティエにいた頃から何一つ変わっていない。
−−人肌が恋しかっただけだ
−−暖めてくれる相手なら、誰でも良かったと思っていたのは、自分だ
タオルを取り、荒い手つきで顔と髪を拭きながら、冷蔵庫を開く。下拵えしておいた物を取り出しテーブルに置くと、シンクの下から玉葱を取り出す。
涙の痕は消えても充血した瞳までは消すことは出来ない。言い訳に、と玉葱を刻むのだ。
トントントン…。
俎板を叩く包丁の音だけがキッチンに木霊する。その音でサンジの荒れ狂っていた思考も落ち着いていく。
クールさを身に纏い、皮肉を込めた笑みを口の端に乗せ、平常へと戻っていくサンジの頬を、生理的な涙が濡らした。
「サンジ、昼メシまだかってルフィがうるせぇんだけど…」
キッチンに顔を覗かせたのは、ウソップだった。
今まで単音しか聞こえていなかったサンジの耳に、船上の喧噪と波の音が戻る。甲板から聞こえてくるルフィの喚き声や、それを一喝するナミの声。
「ああ。今出来たから。みんな呼んでこいよ」
「サンジ…?」
サンジの涙に気が付いたウソップが、訝しげに問いかけてきた。
「コレか?この玉葱、やたら目に染みてよぉ。目真っ赤んなってねぇか?」
「あ、ああ。玉葱か。おお、真っ赤だぞ、サンジ。ん!使えるかもしんねぇなぁ…」
新兵器に使える…とブツブツ呟きながら、
「みんな〜!メシだぁ〜!!」
と、叫んだ。
特に怪しまれることもなく上手く誤魔化せたと、サンジは胸を撫で下ろし、給仕に取りかかった。
「メシだ〜!」
「ったく、うるさいのよ、アンタっ!」
「ルフィの腹時計は正確だよな。それに合わせられるサンジの体内時計も、凄いけど」
それぞれに言いたいことを言ってキッチンへと入ってくる。その中にゾロの姿が見えず、サンジは問いかけた。
「おい、剣豪はどうしたよ?」
「ん?起こしたんだけどよ、頭冷やすとか何とかなんとかで、後で食うって言ってたぜ」
ウソップがテーブルに付きながら答えた。
「そうか…」
「?今日は怒らないのね、サンジくん」
ナミが不審そうに伺うと、食事にだけ視線を向けていたルフィがサンジへと目を向けた。ルフィの表情は特に変わることなく、サンジを居たたまれない気持ちにさせる。
「どうしたの?その目」
「玉葱切ってたんだってさ。今日の晩飯の仕込みか?」
「ああ…そう、なんだ。ちょっとしくじって目を擦っちまったんだ。メシ時にちゃんと食わないクソ剣豪には、玉葱のスライスをそのまま出すかな」
ニッと笑うと、ルフィの視線から逃れるように背を向け、コンロにかけてある鍋を掻き回した。
「ルフィ、スープ味見するか?」
「するっ!!」
即答でサンジの元に駆け寄ったルフィに、小皿を差し出す。
「うめぇ!!もっと!」
ベロリと皿を舐めると、そう叫んでおかわりを要求するルフィの額を、サンジは指で弾いた。
「バーカ。こりゃ晩飯に出すんだよ。今オマエに食わせたら、無くなっちまうじゃねぇか。おら、座って出されたモンを食え」
ちぇ、と口を尖らせるルフィに、胸の支えが少し軽くなった気がした。
ルフィは変わらないじゃないか。
何もおかしいところは無いではないか。
ルフィの「好き」は、メシが好き、ゾロが好き、ウソップが好き、ナミが好き、と同じ「好き」なのではないか。穿ちすぎただけかもしれない。ゾロに当たる事でもなかったかもしれない。
そう思うと、さっき爆発してしまった自分が急に恥ずかしくなった。
−−謝ろう…
−−ゾロにあんな事を訊く権利なんかなかったよな
胸に刺さる小さな棘を無視してしまおうと、サンジはゆっくりと目を閉じて、同じようにゆっくりと目を開いた。
キッチンに広がる何事も無かったようないつもの風景に、サンジは静かに笑った。
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2002/4/2UP
*kei*