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池田小百合 なっとく童謡・唱歌
平井康三郎作曲の唱歌
とんぼのめがね   ひな祭
   平井康三郎の略歴    額賀誠志の略歴  
童謡・唱歌 事典 (編集中)



ひな祭

作詞 林   柳波
作曲 平井康三郎
文部省唱歌

池田小百合なっとく童謡・唱歌
(2011/09/01)


池田小百合編著「読む・歌う 童謡・唱歌の歌詞」(夢工房)より


 【発表】
 『うたのほん 下』(文部省)昭和十六年三月発行の国民学校初等科第二学年用に掲載されました。※国民学校芸能科音楽参照。

 【掲載内容】日本のゆかしき伝統を子供たちに伝えるために作られました。
 この歌から、飾られる雛人形の様子がわかります。
 戦時下ですが、穏やかな内容のものです。
 『ウミ』を作った林柳波の作詞です。
 なぜ穏やかな内容なのかは、※『ウミ』『オウマ』を参照してください。

 一番は、上の段の「内裏雛」の様子です。
 二番は、下の段の謡、笛、太鼓、大鼓、小鼓の五つの楽器を演奏する「五人の囃子の男の人形」や「宮中に仕える女の人形」の様子です。
 三番は、「お供え物」や「小さい行燈(あんどん)」の様子です。

 ゆっくりしたテンポで、楽しく歌いましょう。


 【楽譜について】
  ・子供たちにわかりやすくという考えから、楽譜には2しか書いてありません。これは四分の二拍子のことです。
 へ長調ですが、フラット一つの記号はありません。「固定ド」で歌うように指導していたためです。固定ド唱法は、歌の場合は読むのは簡単ですが、音を得るのは難しいものです。

  ・四小節ずつ三つのフレーズで、一部形式にまとまっています。

 【お雛様の飾り方】 一般的には、このように飾ります。結婚式の新郎新婦と同じ。教科書の挿絵は一般的な飾り方。

 古典的、または京都のお雛様は左右を逆に飾ります。日本古来の風習によるものです。
   (皇女和宮愛用の雛飾り。読売新聞2011年3月2日掲載)。

 山形県河北(かほく)町の雛人形「享保雛」(町の葉書)より。

 【まだあった雛祭の歌】
  ・本居長世編『世界音楽全集』第十七巻(春秋社)昭和五年十一月二十日発行。 タイトルは「雛祭り」 永井花水 作歌、藤井清水 作曲。



  ・『新訂 尋常小学唱歌』第五学年用(文部省)昭和七年十二月十日発行。 タイトルは「雛祭」
 一番は、雛壇に並んでいるお雛様のようす。
 二番は、いろいろなお供え物のようすを歌っています。
 楽譜は、二長調 四分の二拍子。初め八小節が二つのフレーズでまとまり、次は四小節ずつ五つのフレーズになっています。


 【『コドモノクニ』(東京社)の挿絵】
  ・昭和五年(1930年)三月号「おひなさま(クニヲ ト ミヨコ)」絵/岡本帰一 「男雛」が右に描かれている。
  ・大正十四年(1925年)三月号「お雛まつり」文/北川千代 絵/武井武雄 「男雛」が左に描かれている。
  ・昭和十二年(1937年)三月号「おひなさま」文/神原みさを 絵/中原淳一 二人の女の子が、きれいな着物を着て雛人形を飾っている絵です。



著者より引用及び著作権についてお願い】   ≪著者・池田小百合≫
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とんぼのめがね

作詞  額賀 誠志
作曲  平井康三郎

池田小百合なっとく童謡・唱歌
(2011/09/01)


池田小百合編著「読む・歌う 童謡・唱歌の歌詞」(夢工房)より

 赤いランドセルを背負った女の子が歌いながら帰宅する。「何の歌かな?」耳をすますと、「♪とーんだからー」が聞こえた。<とんぼのめがね>だ。いい気分で「らー」を夕方の空に向かって響かせた。歌は、二年生の音楽教科書に掲載されている。今日学校で習った歌を歌いながら帰る子どもがいます。先生に聞かせてあげたいと思いました。高くて澄んだ声でした。

  【福島県広野町で誕生】
 福島県広野町の中心部から西へ十五キロ、県道の終点の山あいに箒平(ほうきだいら)地区があります。

 戦後、町でただ一人の医師、額賀誠志(ぬかがせいし)は、この部落に往診に来ていました。飛び交うトンボと戯れる子どもたち。そんな風景を見ながら「とんぼのめがね」を書き上げました。
 まもなく、平井康三郎が曲をつけてNHKラジオの電波に乗り全国に広まりました。

  【初放送は、これだ】
 朝日新聞復刻版の番組表で「NHKラジオ」を調査しました。
 NHKラジオ第一放送。
   ・昭和24年8月22日(月)朝10時〜10時10分  歌のおけいこ「とんぼのめがね」水上房子他
   ・昭和24年8月30日(火)朝10時〜10時10分  お遊び「とんぼのめがね」増子とし、勝鬨保育園

  (調査結果) 「とんぼのめがね」の初放送は、NHKラジオ第一、昭和24年8月22日(月)朝10時からの幼児番組『歌のおけいこ』で、声楽家の水上房子が歌った。
 次の週の8月30日(火)には、増子としの指導で「お遊び」の教材として「とんぼのめがね」が歌われた。勝鬨保育園園児の歌。 作られた直後に、増子としが、いち早く保育園児に歌わせているのはさすがです。 楽譜を見た時、みんなに喜ばれる歌、長く歌い継がれる歌、と確信したのでしょう。
 今まで初放送の調査をした研究者はいなかったようです。ここで初めて公開します。
 この記録を使う場合は、インターネット検索『池田小百合なっとく童謡・唱歌』童謡・唱歌事典による、と書いてください。苦労が報われます。それはルールです。

 <保育園三歳児・四歳児「歌遊び」の実践>
 平成二十九年九月八日、孫の保育園で(なし組・かき組・くり組)の『祖父母の会』がありました。園児と一緒に遊んだり、給食を食べたりしました。
  “動物なりきり遊び”、“ジャンケン遊び”の後、幼児組の三歳児・四歳児が「とんぼのめがね」を大きな声で歌ってくれました。この年齢でも歌詞を覚えて楽しく歌える歌です。祖父母も知っている歌なので盛んに拍手を送りました。

  <クイズ番組にも登場>
  『とんぼのめがね』は、昭和二十四年八月二十二日にNHKラジオ第一の『歌のおけいこ』という子ども向けの番組で水上房子が歌ったのが最初です。
 NHK昼のクイズ番組『連続クイズ ホールドオン』が人気です。今日、平成二十四年八月二十二日は夏休み親子スペシャル。最初に歌われた八月二十二日と同じ記念すべき日です。見ていると、『とんぼのめがね』に関する問題が取りあげられました。私は、嬉しいなあと思いました。
  〔問題〕「童謡『とんぼのめがね』の二番で、「♪とんぼのめがねは、ぴかぴかめがね」と歌われますが、さて、何を見ていたからでしょうか、お答えください」という問題でした。
  解答者のお母さんが口をモゾモゾさせて頭の中で歌ってから「空」と答えました。司会者が「残念、おてんとさま(太陽)が正解です」と言いました。お母さんが頭の中でとっさに歌ったのは一番でした。男の子は、黙っていました。「この歌、君も知っているでしょう?」。
 ところで、NHKラジオ第一で放送された記録は、朝日新聞番組表などで確認できますが、年月日までが公表してあるのはインターネット検索『池田小百合なっとく童謡・唱歌』と、池田小百合編著『読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞』(夢工房)だけです。問題を作った人は、私のウェブページを見て勉強をしたのでしょうか。(エッセイ『歌が好き』より)

  【ヒントにした詩は】
 額賀誠志は、他の詩人と同じように北原白秋を尊敬し、憧れていました。詩人、額賀誠志を育てたのは雑誌『赤い鳥』に他なりません。

  ・「とんぼのめがね」は、大正七年、『赤い鳥』十月号掲載の「赤い鳥小鳥」をヒントにしたようです。

 ▼「赤い鳥小鳥」作詩・北原白秋


 読売新聞文化部編『愛唱歌ものがたり』(岩波書店)には、額賀に師事した元小学校校長で詩人の青戸かいちの「先生に『だれにも言うなよ』って口止めされたんだけど・・・」という証言が掲載されています。額賀誠志の言葉は次のようです。
  「北原白秋が一九一八年に発表した童謡『赤い鳥小鳥』をヒントにしてい た。・・・新鮮な詩情をいつまでたっても失わない白秋の童謡を自分はマネした。そう、マネは確かにいけないョ。それでも、どうしてもマネしたいと思った ら、絶対にひとに分からないようにしろよ」。
 『赤い鳥小鳥』は、赤、白、青と色が変わっていきます。「とんぼのめがね」 も良く似ています。

 【白秋の『赤い鳥小鳥』にもヒントがあった】
 北原白秋の『赤い鳥小鳥』は、一番が「赤い鳥」、二番が「白い鳥」、三番が 「青い鳥」です。これは、「赤い山」「青い山」「白い山」の出てくる『ねんね の寝た間に』をもとにして作られました。そのことは、白秋自身が『日本童謡も のがたり』(河出書房新社)で書いています。
 額賀誠志も『とんぼのめがね』を作るとき『赤い鳥小鳥』をヒントにしたので 一番が「水いろ めがね」、二番が「ぴかぴか めがね」、三番が「赤いろ めがね」となっています。歌うと色が広がり、歌をいっそう美しいものにしています。

▲雑誌『赤い鳥』(赤い鳥社)
 大正七年十月号 
表紙絵「くだもの」清水良雄
▲雑誌『赤い鳥』(赤い鳥社)
 大正八年九月号 
表紙絵「歌」清水良雄

  ・「とんほのめがね」は、大正八年、『赤い鳥』九月号掲載の「蜻蛉の眼玉」にも影響を受けたようです。
  「蜻蛉の眼玉」作詩・北原白秋


 
  【人気の理由】
 この歌は、歌った後、本当に清々しい。子どもたちが大好きな歌です。「歌う」という現場から離れた大人には理解できないかもしれませんが、子どもたちに愛され、繰り返し歌われ、長く歌い継がれる歌です。
 額賀誠志が「とんぼのめがね」という言葉をみつけた時、この歌のヒットが決まりました。だれでも知っている「めがね」という簡単な言葉が、詩の中心になっています。これが素晴らしいのです。
 軽快な前奏四小節が「とんぼ」の動きにピッタリで、ワクワクします。歌い出しの「ドドミミ レレドレ」も、覚えやすい。「とんだから」のフレーズは、大空への広がりがあります。声を思い切り張り上げて歌えば気分爽快です。 ハ長調なので、階名唱の学習や、ハーモニカ・木琴・リコーダーの演奏を気軽に楽しむ事ができます。ピアノ伴奏も簡単です。伴奏譜の最後の短前打音が曲全体をまとめ、効果的です。

  【額賀誠志の略歴
  ・明治三十三年(1900年)九月三十日、福島県石城郡四倉町(現・いわき市四倉町)の代々が医師の家に生まれました。本名は誠(まこと)です。
  ・日本医学専門学校(現・日本医科大学)卒業。北海道に渡り函館で開業。医療のかたわら童謡詩を作りました。
  ・昭和十二年(1937年)、生まれ故郷の隣にある広野町で内科医院を開業。この頃は、病弱のため執筆活動を休んでいた。小・中学校の学校医、教育委員長を務める。
  ・終戦後、再び童謡詩を作ります。

  <額賀誠志の言葉>
  「戦後日本の子どもたちは、楽しい夢をのせた歌を歌えなくなった。子どもが 卑俗な流行歌を歌うのは、あたかも、たばこの吸いがらを拾ってのむのと同じような悲惨さを感じさせる」。
  「子どもたちが大人になる頃には世界が国境線を撤廃し、全人類が一丸となって、愛情と信頼と平和の中に、画期的な文明が現出するであろう。その時に当って、若い日本民族が、世界に大きな役割を果たすことを信じ、いささかなりとも、今日子ども達の胸に、愛情の灯をつけておきたいのである」。
 (歴史探訪「うつくしま」への系譜“「とんぼのめがね」と額賀誠志”より抜粋)
 ・昭和三十九年(1964年)二月十一日に死去。
 ・業績を称えて福島県広野町築地ヶ丘公園に歌碑があります。

 【詩の収録】
 国土社編集部『とんぼのめがね』 戦後名作選T(国土社)国土社の詩の本19
 小林与志/絵(装画) 昭和五十一年(1976年)四月五日初版発行 三十七篇収録。
 ■額賀誠志「とんぼのめがね」平井康三郎曲。
 ■村野四郎「ぶんぶんぶん」ボヘミア民謡。
 ■勝承夫「歌の町」小村三千三曲。
 ■茶木滋「めだかの学校」中田喜直曲。
 ■夢虹二「すうじの歌」小谷肇曲。
 ■やなせたかし「てのひらをたいように」いずみたく曲。ほか。

 【平井康三郎の略歴
  ・明治四十三年(1910年)九月十日、高知県吾川(あがわ)郡伊野町(現・いの町)で誕生。
  ・本名は保喜(やすき)といいます。
  ・伊野尋常小学校、土佐中学校を経て、昭和四年三月、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)予科に入学。
  ・昭和六年四月、本科器楽部(バイオリン専修)に進学。
  ・昭和九年四月、研究科作曲部に進学。
  ・昭和十二年三月、研究科作曲部を修了。以後、盛んに作曲活動を行ないました。
  ・昭和十二年四月より十年間、東京音楽学校で理論や作曲を教えました。また、文部省音楽教科書編纂委員、NHK専属作曲・指揮者、合唱連盟理事、日本音楽著作権協会理事、大阪音楽大学教授などを歴任。
  ・昭和四十年、詩人の勝承夫、薮田義雄、村野四郎、サトウハチローらと『詩と音楽の会』を結成。日本の新しい歌曲、合唱曲の創作活動を行ないました。
  ・平成十四年十一月三十日、肺炎のため九十二歳で亡くなりました。
  ・みんなの愛唱歌には、「スキー」(時雨音羽・作詞)、「ひな祭」(林柳波・作詞)、「ゆりかご」(平井康三郎・作詞)、「平城山」(北見志保子・作詞)などがあります。
 (註)「ゆりかご」は、平井康三郎が作詞・作曲した、やさしい西洋風の子守唄です。


 【教科書での扱い】
 平成21年発行の二年生用音楽教科書(教育出版・教育芸術 社)に掲載されています。昔は、学校で教えられた歌を家に帰って歌うことはあ りませんでした。子どもにとって難しく、つまらなかったからです。学校で歌っ た歌を家庭でも歌うことは、すばらしいことです。「とんぼのめがね」も、子ど もたちの支持を得て、長く歌い継がれると思います。
 「弾む会話」「明るい笑い声」そして「楽しい歌声」が響く家庭が理想です。 「とんぼのめがね」は、みんなの心を晴々としてくれます。

 【みんなで歌おう】 とんぼの目玉を眼鏡に見立てている、おもしろい童謡です。色をイメージしながら、とんぼになったつもりで歌いましょう。 「とんだから」「見てたから」の繰り返しは、声をのびのびと出すと、高い空を飛んで行く気分になります。
 「とんぼのめがね」は、新しい童謡のように思えますが、作られてからすでに五十年以上経過していました。この童謡は、これから先も、新鮮さを失わず親しまれ歌い継がれて行く事でしょう。

 【童謡歌手・水上房子さん】
 最初に「とんぼのめがね」をラジオで歌った歌手の水上房子さんは、2010年『成増童謡まつり』で、歌唱指導や独唱で活躍されています(写真提供・別府明雄さん)。
 『成増童謡まつり』は2011年、20年目を迎え、水上房子さん(90歳)に「ゆうらんバス」を歌っていただく予定です。今、この歌が歌われていないのは、歌詞の中に“かいきりバス”というのがあるからでしょうか?

 第二回(昭和三十五年)レコード大賞童謡賞受賞曲「ゆうらんバス」
    ・歌唱 水上房子 キング小鳩会
    ・作詞 小林純一 作曲 中田喜直
    ・発売 キングレコード

 日本童謡協会編『日本の童謡200選』(音楽之友社)で見ることができます


 【後記】
 この歌は、昭和二十四年八月二十二日にNHKラジオ第一の『歌のおけいこ』という子ども向けの番組で水上房子が歌ったのが最初です。
 NHK昼のクイズ番組『連続クイズ ホールドオン!』が人気です。今日、平成二十四年八月二十二日は夏休み親子スペシャル。最初に歌われた八月二十二日と同じ記念すべき日です。見ていると、「とんぼのめがね」に関する問題が取り挙げられました。
  〔問題〕「童謡<とんぼのめがね>の二番で、「♪とんぼのめがねは、ぴかぴかめがね」と歌われますが、さて、何を見ていたからでしょうか、お答え下さい」という問題でした。解答者のお母さんが口をモゾモゾさせて頭の中で歌ってから「空」と答えました。司会者が「残念、おてんとさま(太陽)が正解です」と言いました。お母さんが頭の中でとっさに歌ったのは一番でした。男の子は、黙っていました。「この歌、君も知っているでしょう?」。
 ところで、NHKラジオ第一で放送された記録は、朝日新聞番組表などで確認できますが、年月日までが公表してあるのはインターネット検索『池田小百合なっとく童謡・唱歌』と、池田小百合編著『読む、歌う 童謡・唱歌の歌詞』(夢工房)だけです。問題を作った人は、私のウェブページを見て勉強をしていたのでしょうか。

    
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