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おばあちゃんの本 おじいちゃんの本

おばあちゃんの本

幼児(3〜4歳)から
こんとあき
作/林明子(福音館書店)
 あきは、ぬいぐるみのこんと一緒に、電車に乗っておばあちゃんの家へ行きます。途中の駅でお弁当を買いに出たり、砂丘へ寄ったりと、ドキドキすることがたくさん起こりますが、こんはいつも「だいじょうぶ」と言います。

 あきの素直な表情は、どれもが我が子をみるように愛おしく感じます。でも、どうしようもない状況にべそをかいているであろうあきは、その構図からすべて顔が見えないように描かれています。よくわかっているなぁと思います。あきに感情移入して読んでいる読み手の子は、きっと自分のそんな顔は見られたくなくて、だからあきのそんな顔も見たくないのです。絵本のおばあちゃんは大きくてやわらかそうで、いいなぁと思います。私もころっとやわらかに大きなおばあちゃんになりたいと願っています。ほころびてしまったこんの腕を修理するときに見える針山は、よくある中国の童のものです。私も母からもらい、同じものを使っているのでちょっと嬉しい。

小学生(低学年)から
ぴちぴちカイサとクリスマスのひみつ
文/リンドグレーン 絵/ヴィークランド 訳/山内清子 (偕成社)
 もうじき7歳になるカイサは元気な女の子。クリスマスまであと一週間というときになって、一緒に暮らすおばあさんが足を怪我してしまいます。カイサは「大丈夫。あたしが全部やるわ。」と張り切って、たくさんの仕事をいきいきとやりこなしていきます。
本の最後にあるカイサとおばあちゃんとのさりげない会話は、読み終えてからも消えることなく、読んだ者の心をいつまでもキラキラと輝かせてくれるはずです。
(リンドグレーンは長くつ下のピッピの作者です。)

小学生(高学年)から
メイベルおばあちゃんの小さかったころ
作/アリータ・リチャードソン 訳/中村妙子(朔北社)
 時は開拓時代、アメリカの片田舎に暮らしていた小さな女の子メイベルがお話の主人公。一生懸命いい子になろうとするメイベルですが、どういうわけだかその思いは裏目にばかり出てしまいます。銃を暴発させてしまったり、凍り付いた井戸のポンプを舐めて舌がはり付いてしまったり、深刻なのになぜか笑いがこみ上げてくるのはなぜでしょう。
 おばあちゃんが自らの幼かった日を語る会話調の文に、親しみを覚えます。

この本は、子ども達がまだ小学校に入る前に、一話ずつ読んであげたこと、読みながらお腹をかかえてみんなで大笑いしたことを覚えています。すでに中学生になった子ども達ですが、今でも思い出して話題にすることがあるほど、インパクトのあるお話ばかりでした。この本はメイベルの成長にそったシリーズもののようです。機会をみつけて、成長したメイベルの本も読んでみたいものです。

家の常備本!
中学生から
西の魔女が死んだ S
作/梨木香歩 (小学館・新潮文庫)
 何かが嫌だということではなく、生きていることに息苦しさを感じ、行き詰まってしまうことはないだろうか。そんな時、人は安易に「甘えている」だとか、「しっかりしなければ」などと評するに違いない。
 主人公の少女はまさにそんな時、西の魔女を訪ねた。西の魔女とは、主人公の祖母である。祖母は、人生の大半を異国である日本に暮らしてきた外国人であり、きっと数々の試練を乗り越えてきたに違いないと思わせる。祖母と孫という関係は、母娘という近すぎる関係にはない緊張感、距離感によって、深い理解と安心とを生み出す。
 私達が、現実にこの主人公のような祖母を持つことは稀だけれど、この本において、西の魔女と出会えたことに感謝したい。

 私は、最後まで読み終えた直後に、再び最初のページを開いて二度目を読んでしまいました。二度読んでもその世界は色あせることがなく、読後にすがすがしい充足感を得ることができました。(2004)

小学生(中学年)から
おばあちゃん S
作/P・ヘルトリング 絵/I・ミゼンコ 訳/上田真而子(偕成社)
 少年の目から見た世界と、おばあちゃんの目から見た世界が対比の形であらわされていて面白い。同じ出来事であっても、他人は全く異なる体験として受け取っていることを改めて認識できました。(2002.12)

中学生から
オオカミのようにやさしく ES
作/G・クロス 訳/青海恵子(岩波書店)
 現実とはなにか。ごく普通と思われる祖母との暮らし、突拍子もない母との暮らし、まったく異なる価値観で暮らす人々に翻弄され、ごく普通の少女は混乱し、それでも自分自身を見つけていく。プラスチック爆弾、テロ、スクォッター、慣れない言葉が並ぶ中、それを現実として生きる少女がいることは、同年代の娘(11歳)にとって衝撃だっただろう。(2002.11)

おじいちゃんの本

幼児から
だいじょうぶ だいじょうぶ ES
作・絵/いとうひろし(講談社)
 またやってしまいました。衝動買い。昨日、1年に数回しか行かない本屋さんに行きました。そこで3冊ゲットしたうちの一冊です。いとうひろしさんの本は『ごきげんなすてご』をはじめとして、どれも大好きなのです。この『だいじょうぶ だいじょうぶ』は、大人むけの絵本として売っていました。私は昨今出ている大人向けの、何か癒し系とでも言いたそうな押しつけがましい絵本が嫌いです。あからさまに癒しを押しつけられると、なんだかいやらしいと感じてしまうのです。この絵本を見たとき、え? いとうひろしさんまでがそんな大人向け癒し系絵本をつくってしまったの? とがっかりしました。そして、恐る恐る本を開きました。うわっ、これは困った。思った通り、この展開はいやらしくなりそうだと、途中で読みたくなくなりました。でも、これはいとうひろしさんの本なのです。いとうひろしさんがそんな本をつくるはずがない、いとうひろしさんを信じたいという思いにすがり、読み進めると、わかっていたとおりの結末なのに不覚にも涙がでそうになった。
 やられた...! と思いました。もしかしたら、私は癒し押しつけ絵本にも見境なく感動してしまう大人だったのでしょうか。愛は盲目、あばたもえくぼ、これはいとうさんの本だと思って読むからいいと思えてしまうのでしょうか。10年後、またよみかえしてみたとき、あくびをするか再び泣くか、一体どちらとなるでしょう。楽しみです。
 さて、みなさんはどう感じるでしょう。(2002.12)

幼児から
沖釣り漁師のバート・ダウじいさん―昔話ふうの海の物語
作/ロバート・マックロスキー 訳/わたなべしげお(童話館出版)
 すでに現役は引退しているバート・ダウじいさんですが、使い古した舟に使い残りのペンキを塗って漁にでます。ダウじいさんのように、粋な歳のとりかたをしたいものです。

小学生(中学年)から
竜の巣
作/富安陽子 (ポプラ社)
 2人の兄弟が連休をおじいちゃんの家で過ごすために、電車に乗ってやってきました。その途中、おじいちゃんが窓の外の山にかかる雲を見て話を始めます。それは、おじいちゃんが子どもだった頃に出会ったという、竜の巣の話でした。

 兄弟は、田舎へと続く電車の中で、外の景色も眺めずにマンガを読みふけっている現代っ子です。おじいちゃんがそこで、「今時の子は...」と文句やお説教を言ったり、諦めて放っておいたりすれば、きっと兄弟は田舎での生活を、「つまらない」ままで終えたことでしょう。でも、おじいちゃんはそんなおじいちゃんではありませんでした。兄弟は、おじいちゃんの話を聞くうちに、どんどんその世界にひきこまれていきます。そして、おじいちゃんの話が終わると、兄弟たちは、すっかり田舎の暮らしが楽しみになっていました。

 きっかけは大切だなぁと思います。こども達は、面白いことが大好きです。でも、今の世の中では、こども達の自分自身で面白いことを発見する場が、ごくごく幼い頃からどんどん奪われていっています。自ら面白いことを発見する力がないと、商業的なお仕着せの娯楽でしか楽しむことができません。つまり、お金がなくては遊べないという変なことになってしまいます。電車の景色で楽しむこと、日々の生活で楽しむこと、そんな簡単なこともできないのが当たり前になってきている昨今、小学生までが精気のない目で「疲れた。つまらない」を連発する昨今、この本のおじいちゃんのように、こども達に面白いことを発見するきっかけを与えてあげられる大人になりたいものです。

ヨーンじいちゃん ES
作/ペーター=ヘルトリング 訳/上田 真而子(
偕成社)
 

大丈夫にまつわるひとりごと

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